ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム

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ロサンゼルス・
メモリアル・コロシアム
The Grand Old Lady
施設データ
所在地 3911 South Figueroa Street
Los Angeles, California 90037
起工 1921年12月21日
開場 1923年5月1日
所有者 Los Angeles Coliseum
Commission
グラウンド 天然芝
建設費 95万4873ドル
設計者 John & Donald Parkinson
建設者 Edwards, Wildey and Dixon Co.
使用チーム • 開催試合
USCトロージャンズ(開場~現在)、
UCLAブルーインズ(開場~1981年)、
ロサンゼルス・ラムズ(1946年~1979年)、
ロサンゼルス・ドジャース(1958年~1961年)、
ロサンゼルス・チャージャーズ(1960年)、
ロサンゼルス・レイダーズ(1982年~1994年)
収容能力
76,000人(1923年)
101,574人(1932年
92,516人(1995年~現在)
115,300人 (ドジャース移転50周年記念試合)
グラウンドデータ
球場規模 左翼 - 251.6 ft(約76.7 m)
左中間 - 320 ft(約97.5 m)
中堅 - 420 ft(約128.0 m)
右中間 - 380 ft(約115.8 m)
右翼 - 300 ft(約91.4 m)
バックネット - 66 ft(約20.1 m)
フェンス 不明
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(写真は2006年11月11日、USCトロージャンズ 35-10 オレゴン・ダックス
五輪マークが飾られた入場ゲート

ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(Los Angeles Memorial Coliseum)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにあるスタジアム。普段はアメリカンフットボールに使用されており、現在はカレッジフットボールのUSCトロージャンズ(南カリフォルニア大学)の本拠地である。

オリンピック[編集]

1923年5月に開場したロサンゼルス・メモリアル・コロシアムは、1932年1984年の夏のオリンピックで開会式・閉会式会場および陸上競技の主会場となった。入場ゲートの上には、オリンピックのシンボルである五輪マークが飾られている。

スタジアム正面には実物の人間とほぼ同じ大きさの2体の銅像がある。男女のアスリートの裸像で、男性はテリー・シュローダー(水球)、女性はジャッキー・ジョイナー・カーシー(陸上)がモデルとなっている(二人とも1984年大会に出場)。彫刻家ロバート・グラハムが1984年大会のために製作したもので、解剖学的に正確な描写がなされた彫像として名高い。

大会中に絶えることなく火を灯し続けた聖火台が、スタジアムの一端に並ぶ列柱の上に今も、当時を偲ばせるように残されている。この聖火台は現在でも、他都市でのオリンピック開催中やUSCトロージャンズの試合開催時、その他特別な出来事・事件があった場合には点火される。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生時や2004年6月5日のロナルド・レーガン大統領死去、2005年4月2日のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世死去(教皇は1987年にはメモリアル・コロシアムでミサを行っている)などの際、1週間ほどにわたり火が灯された。

なお、オリンピックを複数回開催している都市は他にもあるが、開・閉会式会場を同じ施設で行ったのはメモリアル・コロシアムが唯一である。

アメフト[編集]

1923年の開場以来、長らくメモリアル・コロシアムを本拠地にしていたのは、カレッジフットボールのUSCトロージャンズとUCLAブルーインズ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)であった。

1946年、NFLクリーブランド・ラムズ(現セントルイス・ラムズ)オハイオ州クリーブランドから移転。チーム名をロサンゼルス・ラムズに改め、30年以上メモリアル・コロシアムを本拠地にした。また、その間の1960年には、その年に創設されたロサンゼルス・チャージャーズ(現サンディエゴ・チャージャーズ)も1シーズンのみ本拠地としてメモリアル・コロシアムを使用した。

1979年限りでラムズがアナハイム・スタジアムへ移転したため、第二次世界大戦終結直後以来となる「プロチームの使用なし=カレッジフットボール専用」状態となった。しかし1982年、本拠地オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムの拡張要求がオークランド市に聞き入れられなかったオークランド・レイダーズがメモリアル・コロシアムへ移転してきた。これに伴うスケジュール調整のため、UCLAブルーインズはローズボウルへと移転していった。

1994年限りでレイダーズがオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムへ戻ったため、現在メモリアル・コロシアムを本拠地として使用しているチームはUSCトロージャンズのみである。

1951年から1972年および1979年のプロボウル、1967年1月15日の第1回AFL-NFLチャンピオンシップ(現在のスーパーボウルパッカーズ 35-10 チーフス)、1973年1月14日の第7回スーパーボウルドルフィンズ 14-7 レッドスキンズ)、1984年6月30日のUSFLによる「プロ・アメリカンフットボール史上最も長い試合」など、メモリアル・コロシアムではさまざまな出来事があった。

野球[編集]

ニューヨークブルックリンからロサンゼルスへ移転してきたMLBロサンゼルス・ドジャースは、ドジャー・スタジアム完成までの4年間、メモリアル・コロシアムを暫定的な本拠地とした。卵形の形状であるため、左翼~左中間が極端に狭くなるなど野球場には適していないにも関わらず、ドジャースの試合には大勢のファンが詰めかけた。

本塁打対策として高さ40フィート(約12m)のスクリーンを立てたが、ちょっとした飛球でもこれに当たって跳ね返り、単打になるのでドジャースのジム・ギリアムなどスイッチヒッターはこれを狙って右投手に対してもしばしば右打席に入るほどであり、公認野球規則1.04「1958年6月1日以降、プロ球団が新設する球場は左右両翼325フィート(約97m)、中堅400フィート(約120m)の最短距離を必要とする。また、現在の球場を改造するには、やはりこの距離以下に短縮してはならない」が出来るきっかけとなった[1]

1959年のワールドシリーズ(ドジャース-ホワイトソックス)のうち、メモリアル・コロシアムで行われた第3戦~第5戦にはそれぞれ92,394人、92,650人、92,706人を動員。同年5月7日に行われたヤンキースとのエキシビジョン・ゲームには93,103人もの観客が来場した。また、同年8月3日のMLBオールスターゲーム第2戦の舞台にもなっている(ア 5-3 ナ)。

2008年3月29日、ドジャースのロサンゼルス移転50周年を記念したオープン戦(対レッドソックス)が開催され、米国スポーツ史上最多、そして世界の野球史上も最多となる11万5300人の観客を動員した。

その他[編集]

1960年には民主党党大会が開かれ、ジョン・F・ケネディが演説で「ニュー・フロンティア政策」を初めて披露した。

1968年9月27日、プロボクシングWBA世界フェザー級タイトルマッチ ラウル・ロハスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)vs 西城正三日本の旗 日本/協栄)が開催され、西城が15ラウンド判定勝ちして、日本人ボクサー初の海外に於ける世界王座奪取の舞台となった[2]

1976年公開の米国映画『パニック・イン・スタジアム』の舞台となった。

1994年1月17日に起きたノースリッジ地震で大きな被害を受けて修復に9300万ドルを必要とした。

2007年6月2日K-1を主催する株式会社FEGによる総合格闘技イベント『SoftBank presents Dynamite!! USA in association with ProElite』が開催された。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

前本拠地:
ミュニシパル・スタジアム
1944 - 1945
セントルイス・ラムズの本拠地
1946 - 1979
次本拠地:
アナハイム・スタジアム
1980 - 1994
前本拠地:
エベッツ・フィールド
1913 - 1957
ロサンゼルス・ドジャースの本拠地
1958 - 1961
次本拠地:
ドジャー・スタジアム
1962 - 現在
前本拠地:
n/a
-
サンディエゴ・チャージャーズの本拠地
1960年 - (1シーズン限り)
次本拠地:
バルボア・スタジアム
1961 - 1966
前本拠地:
アラメダ・カウンティ・コロシアム
1966 - 1981
オークランド・レイダーズの本拠地
1982 - 1994
次本拠地:
アラメダ・カウンティ・コロシアム
1995 - 現在
先代:
フォーブス・フィールド
(1959年)
MLBオールスターゲーム
開催場
第27回(1959年
次代:
ミュニシパル・スタジアム
1960年
先代:

チューレイン・スタジアム
スーパーボウル会場
第1回 1967年
第7回 1973年
次代:
マイアミ・オレンジボウル
ライス・スタジアム