ノエル・ギャラガー

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ノエル・ギャラガー
Noel Gallagher
モントリオールでのコンサートにて(2008年)
モントリオールでのコンサートにて(2008年)
基本情報
出生名 Noel Thomas David Gallagher
出生 1967年5月29日(44歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドマンチェスター
ジャンル ロック
ブリットポップ
オルタナティヴ・ロック
サイケデリック・ロック
職業 ミュージシャン
ソングライター
担当楽器 ギターボーカルベースドラムスキーボードシタール鍵盤ハーモニカメロトロンピアノヴァイオリンバンジョー
活動期間 1991年 -
レーベル クリエイション・レコーズ
ソニーBMG
共同作業者 オアシス
公式サイト noelgallagher.com
2005年、カリフォルニアでのコンサートにて

ノエル・トマス・デヴィッド・ギャラガー(Noel Thomas David Gallagher、1967年5月29日 - )は、イギリスミュージシャンである。身長173cm。

目次

[編集] 概説

ロックバンドオアシスの元ギタリストボーカリスト。同バンドのリード・ボーカリストであったリアム・ギャラガーは実弟である。

ドント・ルック・バック・イン・アンガー」や「ワンダーウォール」、「Champagne Supernova」に象徴されるような卓越したメロディ・センス・高いソングライティング能力で、オアシスを一躍世界的ロックバンドに押し上げた。「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」など、いくつかの楽曲ではリアムに変わってリードボーカルも担当している。

2009年8月、リアムとの関係悪化を理由にオアシスを脱退。2011年10月より本格的なソロ活動をスタートした。

[編集] 生い立ち

ノエル・ギャラガーは、マンチェスターのロングサイトで、アイルランド人の両親、母ペギーと父トミー・ギャラガーとの間に生まれた。 彼は、3兄弟の次男として生まれた(長男ポール、三男リアム)。三男のリアムが1972年に生まれた直後に、ギャラガー兄弟はマンチェスターのバーネイジに移り住んだ。 彼は不幸な子供時代を送った。ギャラガー兄弟はしばしばアルコール依存症であった父親から暴力を受けた。長男ポールと次男ノエルの2人は、暴力的な父親に関係する心理的な不安により、吃音を発達させた。 長男ポールは自分専用の部屋を与えられたが、ノエルとリアムは同じ部屋を共有させられた。 ペギーギャラガーは1976年に、夫との法的な離別権を獲得した。その6年後、彼女は3人の子供たちをつれて夫のもとから離れた。 ティーンネイジャーの頃のギャラガー兄弟(特にノエル)は、学校への無断欠席の常習者であり、しばしば警察の世話になっていた。 ノエルは、ペギーが学校の食堂で働いていた時、学校の昼食の時間に母のもとに立ち寄っていたという。 彼は、15歳の時、小麦粉の袋を教師に向けて投げた事が原因で、学校を放校処分となった。 彼は、13歳の時、万引きをはたらいたことにより半年間の保護観察処分を受けた。 彼はこの時期に、初めて独学でギターを練習し始め、ラジオから聴こえてくるお気に入りの音楽を模倣した。 特に彼は、1983年にザ・スミストップ・オブ・ザ・ポップスでパフォーマンスした「This Charming Man」から強くインスパイアされた。 後に彼は、「その日から、ジョニー・マー(ザ・スミスのギタリスト)になってやろう、そう思うようになったんだ」と語っている。 彼はティーン・エイジャーの頃から、父親の働いている建築会社で働き始める(そのため、彼は当時、父とのコンタクトを断続的にだが継続させた)が、後にそれを辞め、ブリティッシュ・ガス(英国のガス会社)に下請けされた別の工務店に配管工として就職した。 そこで彼は、鋼鉄製のガスパイプのキャップを右足に落とし負傷するが、その怪我が回復する間、会社は肉体的にそれほど負担にならない倉庫での仕事をノエルに任せるようになる。その期間、彼はギター練習やソングライティングに時間を割く余裕が持てるようになったという。彼はこの倉庫で働いていた時期に、後にオアシスのファースト・アルバムの収録曲の内,少なくとも3曲(「Live Forever」や「Columbia」を含む)を作曲した。 ノエルは、1980年代後期の多くの期間を失業しており、この時期は気晴らしにドラッグをやったり、ソングライティング、ギターの練習などをして過ごした。 1988年5月、ストーン・ローゼズのギグを見に行った時、ノエルはインスパイラル・カーペッツのギタリストであるグラハム・ランバートと会い、知り合いとなる。 後に、インスパイラルのボーカルであったスティーブ・ホルトがバンドを抜けた時、ノエルはインスパイラルの新しいボーカリストのオーディションを受ける。 オーディションには落選してしまうものの、代わりに、彼らのローディーとしての職を得ることになる。 ノエルは、インスパイラル・カーペッツのローディーを約2年間務め、アメリカ・ツアーなども経験。 彼は当時を振り返って、「あの頃はとても良い思い出になっている。1週間働いて750ユーロの生活。身なりを気にする必要もなくて、インタビューも受けなくていい。面倒なことは何も無いだろ」と語っている。 1991年、ノエル24歳の時にオアシスに加入。1992年1月15日、オアシスがノエル加入後初のライブを行う。彼にとって、バンドをやるのはこれが初めてであった。

オアシス加入以降の歴史は、オアシスの歴史の項を参照のこと。

2009年8月28日、オアシス公式ウェブサイト上で脱退を表明。[1]

2010年3月25/26日、ロンドンロイヤル・アルバート・ホールにてオアシス脱退後初となるソロライヴを行なう。オアシスのメンバーであったゲム・アーチャーや、オアシスのツアーにも参加していたジェイ・ダーリントン等と共演。

2011年7月7日に記者会見を開き、2011年10月17日に初のソロ・オリジナルアルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』を全英でリリースすると発表。また、翌週よりツアーを開始する。さらに2012年夏にもフューチャー・サウンド・オブ・ロンドンとのコラボによる2枚目のソロ・アルバムをリリースする予定だと明かした[2]

[編集] 使用楽器

エレクトリック・ギターは、Be Here Nowのツアー頃まで、ギブソン・レスポールエピフォンのリヴィエラやシェラトンを使用していた。現在では、ギブソン・ES-355をメインに、ギブソン・レスポールや「トリニ・ロペス」モデルなども使用している[3]。特に、エピフォンのギターはデビュー初期より愛用しており、自身のシグネチャーモデル、その名も"supernova"というギターも発売されている。

アコースティック・ギターは、キャリアの初期にはエピフォン・EJ-200やタカミネのエレアコを使用していたが、現在ではギブソン・J-200を使用している[3]

かなりのギター・コレクターでもあり、休日には楽器店を訪れることが多い。50年代 - 60年代のギブソンのギターがお気に入りである。1995年のインタビューではギターは18本持っていると答えていたが、サマーソニックで来日した2005年では「93本所有している」と発言していた。

また、ライヴで使用するアンプは、 マーシャルオレンジをBe Here Nowのツアー頃までメインにしていたが、VOX・AC-50やフェンダー・Bassmanなどを経て、現在は、フェンダー・Blues Juniorを、Line 6・PODと組み合わせて使用している[3]

レコーディングでは、ベースやドラムス、キーボード、メロトロン、マンドリン、シタール、バンジョー、ピアノ、チェロなども担当するマルチプレイヤーである。

本来は左利きであるが、ギターは右利きで演奏する。

[編集] エピソード・人物

幼い頃は社交的な性格であったそうだが、父親の絶えまない暴力により、非社交的で他人を信用しない暗い性格へとなっていった。他のバンドを名指しで酷評するなど、兄弟揃って口が悪いことは有名だが、ノエルは、「ドラッグなんて紅茶を飲むようなもの」「スーパーのレジが混んでる時はムカつくから、仕返しに万引きしている」といった問題発言をかつてしたことがある。

ノエルの最も有名且つ悪名高いものとして1995年の、「ブラーデーモンアレックスエイズにでもかかって死ねばいい」という発言がある。プレスなどを通じて日常的に互いのバンドをけなし合っていたブラーとオアシスだが、シングル同時発売対決でオアシスの方が破れた後、ノエルが発言したものである。当時のマスコミやエイズ関連団体はノエルを大バッシングし、社会問題にまで発展、ノエルは「デーモンとアレックスには長生きして欲しい」と謝罪した。ちなみに、現在はブラーとの確執はすっかりなくなった模様(詳しくは後述)。

また、比較的ファンに冷たくサイン嫌いを公言している。ただ、実は照れくさいだけという趣旨の発言を本人はしている。

一方でプロ意識は非常に高く、舌禍事件こそは巻き起こすものの、弟リアムに比べて音楽活動に支障をきたすことはほとんどしていない。むしろ弟のプロ意識の低さ(不安定なのどの調子や、酔ってステージに上がるなど)に苦言を呈すことが多く、これが原因で兄弟喧嘩に発展することも多い。意外かもしれないが、口こそ悪いものの比較的冷静で温厚、我慢強い性格であり、何度もリアムの不祥を水に流している。

[編集] 他のバンド関係者との関係

仲の良い他のバンドメンバーも多いが、弟同様気に入らないバンドを名指しで批判するため諍いに発展することもしばしばである。

ブリットポップの最盛期である1990年代当時、マンチェスターの労働者階級出身の荒くれ者のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である芸術家気質の彼らとの仲の悪さはあまりに有名だった(取材等で両バンドの対立が煽られていたとも)。シングル対決で敗れた後、激怒したノエルが「ブラーのデーモンアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」とコメントし社会問題に発展した(エイズ関連団体はノエルを大バッシングし、後に謝罪に追い込まれる)。現在では「デーモン・アルバーンは最高のアーティスト。オレはあいつのファンだ」とまで語っている。更に2011年には、クラブで偶然デーモンに遭遇し、酒を酌み交わし当時の事を笑い飛ばしたという。[4]
ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」とコメント[5]。また最近では、「ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス」が、オアシスのヒット曲である「ワンダーウォール」に類似しているとノエルが抗議。曰く「俺達をパクるにはまだ早い」[6]。この抗議に対して、グリーン・デイサイドからのアナウンスはされていない。また、グリーン・デイはマンチェスターのライブでオアシスの曲をカヴァーしてる。
レディオヘッドに対しては前衛性を評価する発言やネガティブな一面に対して批判的な発言がある。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。ノエルはトム・ヨークに対し、「アンタがどれだけ"オレ達は不運だ"って嘆く事に時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタには"Creep"を歌って欲しいだけなのさ」とコメント[7](近年のレディオヘッドは『クリープ』をライヴではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言した事を受けて、トム・ヨークは、「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている[8]。他にも「間違っていれば正してくれよ。彼らは『Kid A』からずっと同じレコードを作ってねえか?」[9]、ダウンロード販売においてファンが値段を決める方法をとられた『In Rainbows』に対して「あれは低予算のアルバム販促活動にしか見なかった、奴らは反逆者やアウトサイダーを気取るのがお望みなんだろう」[10]、「レディオヘッドはクソだけど、マムフォード&サンズは好きだ。俺もあんな曲を書いてみたい」 [11]
比較的若手バンドに対して辛口な評価が多いギャラガー兄弟が揃って絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。名古屋で開催されたサマーソニック05も含め、過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーとは、プライベートでも親交がある。
カサビアン同様、ギャラガー兄弟が評価する若手バンドの一つ。ミュージシャンのモリッシー(元ザ・スミス)が、「アークティック・モンキーズが成功するのは早すぎる」と発言し、これに対しノエルが「最初の1、2年でこれだけ騒がれると、それだけで彼らを嫌うやつが出てくるんだよ。でも、彼らにはどうしようもないことだろ」等と擁護し、モリッシーは謝罪するに至った。カサビアン同様、プライベートでの親交あるようである。
ノエルは、何度か彼らのアルバムに参加したことがあり、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。"Setting Sun"は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思っている。リアムが聞いたら怒るだろうがな」と語っている。なお、ノエルがヴォーカルを担当した「セッティグ・サン」は、2007年から日産・エクストレイルのCMに採用されている。
ノエルは、かねてから彼らを「いいバンド」と評していた。コーラル側は当初、「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングは、ノエル所有のスタジオで行われるなど、結局仲は良い。
2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。プロディジーのリーダー、リアム・ハウレットの妻は、リアムの妻・ニコラと実の姉妹であり、その為に親交が深い。
2ndアルバム収録の「モーニング・グローリー」「シャンペン・スーパーノヴァ」ではウェラーがギターを演奏し、『ザ・マスタープラン』収録の「ザ・スワンプ・ソング」ではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目『スタンリー・ロード』にゲスト参加。互いに度々ライヴでサポーターとして登場したり、テレビ番組で共演するなど、多岐に渡って交流している。
トラヴィスのデビュー時、ノエルは彼らのファンである、と公言していた。1997年に、オアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴでは、ノエル自身がゲスト参加したことがある。リアムは「トラヴィスは見上げたバンドだ、俺は大好きだよトラヴィス、曲もすごくいいし。あいつらのことはライバルとは思っていない。絶対ちがうね、偉大なバンドではあるけど」と話している。アルバム『ザ・マン・フー』収録曲の「ライティング・トゥー・リーチ・ユー」では歌詞に「ワンダーウォール」という単語が登場し、イントロも「ワンダーウォール」に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから、後にノエルの公認を受けている。
U2のアルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の収録曲「ワン・ステップ・クローザー」は、U2のヴォーカル・ボノに対し、ノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。だがノエルはボノに対し「"One" を演奏してろ。 アフリカについては一言も喋らずに、だ」と発言している[7]。リアムは「U2はまあまあいいが世界一じゃない。俺があのバンドのボーカルだったら話は別だったけどな」と発言した。
ノエルは懇意のピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 6thアルバムのワールドツアー(2005年)のオープニングアクトに起用した(しかし、ピートがパリのファッション・デザイナーの誕生日パーティに出席したためにツアー帯同
ノエル・ギャラガー曰く「牛乳1本でさえ自分で買いに行かない重要人物」。このノエルの悪口に対し、エルトンは「オアシスには我慢ならない。オアシスのベストアルバムがチャート一位を取れなくて本当に嬉しい。最大のヒット曲が抜けてて何がベストだ。 奴らには一位の資格は無い」と反発[12]
ノエル曰く、「レディー・ガガなんてどうでもいいよ。肉のドレスとか変な行動で注目を集めてばかりで、音楽はどうなってるんだ? 娘が家で彼女のアルバムをよく聞いているけど、マドンナのライト版だ。マドンナはハードコアだった。音楽も含め、すべての面で先端的だったよ。20年後、人はレディー・ガガの音楽を聞くと思うか? 彼女は奇人や変人のために立ち上がっているつもりかもしれないが、まともな音楽を残すことはできないよ」

[編集] その他のエピソード

  • ノエル自身は労働者階級出身であり、しばしばインタビューにおいて、英国の中産階級の人々を嫌う発言をしている。
  • 1995年に「Don't Look Back In Anger」をどちらが歌うかでリアムと喧嘩。
  • 1996年にポール・マッカートニーと対面した際、「俺が今日交通事故で死んでも、世界一幸せな人間として死ねる」と発言した。
  • 1996年のMTVアンプラグドにオアシスとして出演予定だったが、リアムが喉の不調を理由に出演を拒否したため、全曲でボーカルを務めた。このため、リアム以外のメンバーも参加したにも関わらず、出演名義は"ノエル・ギャラガー"になっている。ちなみにリアムはバルコニー席で酒を飲み、(喉の不調であるはずにも関わらず)タバコをふかしながら観覧している姿がカメラに捕らえられているので、単なるサボリとの説もある。
  • 偶然にも弟のリアム同様1997年に結婚し、2000年に離婚を経験している。
  • オアシスのメンバーとして初めて来日したのは1994年だが、その5年前に既にインスパイラル・カーペッツのローディとして来日している(リアムは94年が初来日)。
  • 大好きな酒とタバコは現在も続けているが、ドラッグに関しては1998年で止めた。
  • いくつかのインタビューで「ビートルズは大好きだし、彼らと比べられるのは光栄だけど、オアシスとビートルズが音楽的に似ていると感じたことはない。彼らのファッションとか物の見方には影響を受けているけど、音楽的にはローリング・ストーンズセックス・ピストルズの方がより近いんじゃないかな」という旨の発言をしている。
  • クラークスの靴を愛用。アディダスも愛用ブランドの1つ。自身のアコースティックギターにもアディダスのロゴシールが貼られている。日本のファッション雑誌でも、私服写真が掲載されるなど、オシャレ好きである。
  • クリスマスが嫌いであると発言している。ノエル曰く「俺はクリスマスが大っ嫌いなんだ。ラジオから流れる馬鹿らしい音楽やCMには我慢ならない」また、「“サンタクロースなんて、この世にはいない”って娘に言いたくて仕方なかった」ともコメントしている。皮肉なことに、そんなノエルの名前はフランス語でそのまま「クリスマス」を意味する(ただし、フランス語の綴りは"Noël"で、eの上にトレマがつく)。
  • 無神論者である。曰く、「俺は信じていない。信仰はあるけど、神の存在なんて有り得ないだろ?」「すべてを支配する大きな存在を信じている人もいるようだけど、俺はそんなことはくだらないと思っている。もし神が存在するんなら、あまりにも役に立ってなさすぎだよ。毎年テロ、飢え、津波とかで人が死んでる。ツインタワーに飛行機で突っ込んだヤツらだって神のためだって言ったけど、ふざけんなって感じだよ」[13]
  • 2007年10月、ウェイン・ルーニーの婚約者であるコリーン嬢は、ギブソン社のレス・ポールをルーニーの22歳の誕生日にプレゼントする際、ノエル・ギャラガーにサインを入れてくれるよう申し出た。ノエル・ギャラガーはルーニーが所属するマンチェスター・ユナイテッドが大嫌いであり、逆にユナイテッドのライバルであるマンチェスター・シティの熱狂的ファンとして有名だが、これを絶好の機会と考えて快諾。バンドのギター・テクニシャンに命じてギターをマンチェスター・シティのイメージカラーである空色に塗り直させ、マンチェスター・シティのクラブ・アンセムである「ブルー・ムーン」の歌詞をボディ・トップに書き込んで「ハッピーバースデー、スポンジ・ボブ」というメッセージカードを添えてルーニーに届けさせた。ルーニーはこれを見て大笑いしたが、さすがに自宅にこれを置いておくわけにもいかず、チャリティ・オークションに出品した[14]。後日、お返しとしてルーニーはノエルに自身がマンチェスター・シティ戦でゴールを決めた時の写真に「スポンジ・ボブは最高さ」というメッセージカードを添えて送った。
  • 2008年9月7日、トロントでのギグの最中に、ステージに突如上がったファンが後ろからノエルを突き飛ばし、次にリアムに襲いかかろうとした直後、セキュリティーに取り押さえられる。これによってギグが一時中断するというアクシデントが起きるも、数分後に再開した。その後病院で検査を受けたところ、モニタースピーカーに体を強打した影響で肋骨を損傷していることが判明。残りの北米ツアーが延期される事態になった。
  • 2008年8月より、バンドの公式サイトで"TALES FROM THE MIDDLE OF NOWHERE"というタイトルのブログを開設している。数日間隔で更新されており、文章はすべて携帯電話のメールで送っている。なお、本人は日記であると主張しており、ブログと呼ばれることを嫌っている。内容はその日の出来事やツアーの感想が中心。好評を博しており、2009年2月のNME Awardに於いてBest Band Blog賞を受賞している。このブログは現在、ノエルがオアシス脱退に関する声明を発表した2009年8月28日の更新をもって停止している。
  • 金融危機がもっと悪化すればいいという発言をした事がある。曰く、「俺たちが'90年代初頭に活動を始めた時なんて、かなり酷い時代だった。保守党がまだ勢力を振るっててさ。危機的な時代ってのは、たいてい音楽においても、ファッションでも政治でも、そういったシーンの中で、最高のモノが誕生するものなのさ」

[編集] 家族

1997年にメグ・マシューズと結婚。2000年1月にアナイス・ギャラガーを授かるものの、同年9月にノエルとマシューズは離婚。ノエルは「(結婚を)よく考えずに決めたから離婚する羽目になった。一番の犠牲者は元妻との間に生まれた子供だ」と後にコメントしている。ノエルの現在の妻、サラ・マクドナルドは、2007年9月22日にドノヴァン・ギャラガー(ちなみに、リアム35歳の誕生日の1日後のことである)、2010年10月1日にサニー・ギャラガーを出産。サラとは2011年6月18日に結婚式を挙げた(ちなみに6月18日はノエルが敬愛する、ポール・マッカートニーの誕生日である)。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] アルバム

[編集] シングル

  • 2011年
8月21日 - ザ・デス・オブ・ユー・アンド・ミー (The Death Of You And Me)
9月11日 - AKA... ホワット・ア・ライフ! (AKA... What A Life!)
  • 2012年
1月3日 - イフ・アイ・ハッド・ア・ガン (If I Had A Gun...)

[編集] バンド外の活動

[編集] ソロアルバム

  • The Dreams We Have As Children (Live for Teenage Cancer Trust)(2009)
2007年3月27日に ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて行われたアコースティック・ライブを音源化したもので、英「SUNDAY TIMES」誌の付録CDとして2009年3月15日に無料配布された。期間限定で、iTunesでも無料でダウンロード可能であった。タイトルは、収録曲「Fade Away」の歌詞から引用している。

[編集] 収録曲

特に記述のないものは全てオアシスの楽曲

  1. Fade Away
  2. Listen Up
  3. Half The World Away
  4. The Butterfly Collector(with Paul Weller) (ポール・ウェラー
  5. All You Need Is Love(with Paul Weller) (ビートルズ
  6. Don't Go Away
  7. Sad Song
  8. Wonderwall
  9. Slide Away
  10. There Is A Light That Never Goes Out (ザ・スミス
  11. Married With Children

[編集] 他アーティストとの共演(一部、正式な音源のみ)

[編集] ポール・ウェラーとの共演

  • 1995年のアルバム『Stanley Road』(英1位)の「I Wark On Gilted splinters」にギターで参加。
  • 1999年のザ・ジャムのトリビュートアルバム『Fire And Skil』に「To Be Someone」をカバー、Liamの「Carnation」にギターで参加。
  • 2002年のアルバム『Illumination』(英1位)の「OneXOne」にベース、パーカッション、ドラムで参加。(ギターはゲム)
  • 2008年のアルバム『22 Dreams』(英1位)にキーボード、ベースで参加。(ギターはゲム)

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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