リアム・ギャラガー
| リアム・ギャラガー Liam Gallagher |
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ダブリンにて(2011年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | William John Paul Gallagher |
| 出生 | 1972年9月21日(40歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック ブリットポップ オルタナティヴ・ロック |
| 職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、ファッションデザイナー |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター、ピアノ、タンバリン、ハーモニカ |
| 活動期間 | 1991年 - |
| レーベル | クリエイション、ソニーBMG |
| 共同作業者 | オアシス、ビーディ・アイ |
| 公式サイト | http://www.oasisinet.com |
ウィリアム・ジョン・ポール・ギャラガー(William John Paul Gallagher、1972年9月21日 - )は、イギリスのミュージシャン。元オアシス、現在はビーディ・アイのリード・ボーカリスト。身長178cm。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第11位。
目次 |
概説 [編集]
1990年代のブリットポップ・ムーブメントにおいて中心的人物であり、音楽だけでなく、奔放な言動や不遜な態度などでもプレスを賑わせて来た。1990年代以降のブリティッシュ・ミュージックシーンにおいて最も認知されているロックシンガーの一人。
ロックスターらしいワイルドな立ち振る舞い、インタビューの際に気に入らない他のバンドを名指しで酷評するなどの過激ともとれる発言でカリスマ的存在であるが、子煩悩であり、父親になってからは子供たちのためにロックンロールライフを放棄したと話している。良き父親というだけでなく、ジョギングのために毎日朝6時に起きるなどヘルシーな生活を送っている。
同バンドのリーダーで兄のノエル・ギャラガーとの兄弟喧嘩は有名でそのエピソードは枚挙に暇がない。喧嘩が原因でノエルがバンドを一時離脱するなど幾度となくバンドが解散の危機に晒された。2009年にオアシスが実質的に解散したのも兄弟喧嘩が主要な原因の一つである。
生い立ち [編集]
1972年、マンチェスターのバーネイジで、アイルランド系の両親、母ペギーと父トミーの間に生まれる。
長男・ポールが1966年、次男・ノエルが1967年生まれで、リアムとノエルは5歳の差があるものの、2人は同じ部屋を共有させられた。アルコール中毒の傾向があり、家族内暴力を起こしていた父に怯え、片親同然で育った幼少期を送ったが、ポールとノエルに比べリアムにはそれほど暴力は振るわなかったとされる。その一方で、当時から現在に至るまで常に母を大切に思っている。幼い頃は社交的だったノエルが他人との精神的な繋がりを求めない性格になったのは、父からの暴力が原因であると言われている[1]。子供の頃は、兄2人が外出している間、1人で留守番をしていることが多かったため、惨めったらしい思い出ばかりだったと語っており[2]、自分の子供達には同じ思いを絶対させたくないとも発言している。
ギャラガー兄弟はしばしば学校をずる休みする生徒であり、当時からよく警察の世話になっていた。リアムは、6歳の頃に受けもった彼の担任の先生に「リアムのおかげで毎晩精神安定剤のお世話になっている」と言われるほどの悪童で、15歳の時にはケンカなどの行いが原因で中学校の退学処分を受けたが、その後母の懇願もあって復学し何とか卒業まで漕ぎ着けた。他人の家の庭に忍び込んでは気に入った服を盗んだり、ドラッグを買うために自転車や芝刈り機などを盗んで売りさばいていたという[3]。
ローティーンの頃にギターを始めてから作曲をするなど音楽に入り浸っていたノエルとは違い、リアムは18歳頃まではほとんど音楽に関心がなかったが、ストーン・ローゼズのライブを見たことで音楽に目覚める。初期のオアシスにはストーン・ローゼズからの影響が色濃い楽曲が存在し、大口を叩くところや悠々と闊歩するステージでの歩き方(『The Masterplan』のPVは、オアシスのメンバーが登場するアニメとなっているが、リアムの歩き方がそっくりに再現されている。)などはイアン・ブラウンのそれと似ており、よく比較される。音楽に開眼した後はザ・キンクスやザ・フー、ザ・ジャム、T・レックス、そしてビートルズなどを熱心に聴くようになり、最も影響を受けているであろうジョン・レノンを知る。その後、学校の友人であったギグジーことポール・マッギーガンからの誘いを受けボーカリストとして、バンド"ザ・レイン"に加入する。このザ・レインがノエルの加入によりオアシスとなる。
以降はオアシスの歴史の項を参照のこと。
ソングライティング [編集]
かつてはノエルが書く曲を歌うだけであったが、4thアルバムにリアムが初めて作詞作曲をした『Little James』が収録されて以降、現在の最新アルバムまでリアム作曲の楽曲がコンスタントに収録されるようになった。ちなみにリアムは基本的なコードで作曲しており、楽曲はシンプルな構成であることが多い。例えば『Songbird』では2つのコードしか使われていない。しかしノエル曰く「書いた奴に関係なく名曲だ」との事。ベスト・アルバムの曲解説でノエルが上記の発言をして『Songbird』について語ろうとすると、「そんな話はよせ」と照れていた。
ライブパフォーマンス [編集]
声質 [編集]
彼の声質は度々「ジョン・レノンとジョン・ライドンの融合」等と表現されてきた。2006年にQ誌にて史上11番目に偉大な歌手として選出されている。
初期の頃は高音域まで発声することが出来ており、曲によってはファルセット(裏声)すらも用いていた。(例えば『Up In The Sky』などではファルセットを多用している)。しかし、透き通っていた声質も次第に変化し、しゃがれたハスキーボイスへと変わっていった。近年ファルセットを用いることはまずない。リアム本人は、「昔は自分のボーカルってもんがよく分かってなかったから、ノエルに言われたら何でも歌ってたけど、(今は)男が裏声で歌うってのは生理的に嫌い」[4]とか、「(昔の)アルバムに入ってる俺の声は大っ嫌いだ。当時は良かったんだよ。でも、いまの声のほうが好きだ。」などと発言している[5]。さらに、2007年のブリット・アワーズでのパフォーマンスで、ベストとは程遠い歌声に対して不満を爆発させたノエルは、リアムに「声をどうにかしないなら、次のアルバムはレコーディングしない」と言った[6]。
特に近年、ライブでの歌声には波があり傾向としては声が低くなり、なおかつ伸びないという状態が多く、喉の調子が悪くなったらライブ途中でも歌うのを放棄して退場することがある。(日本でも過去、福岡公演で途中退場した[7]ことが2度ある。)その場合、その後はノエルが代わりに歌うことになる。近年の喉の不調の原因は定かではないが、酒、煙草、ドラッグの影響や、95年から97年にかけて毎年100以上のライブをこなしつつアルバムを制作し、喉を酷使していたことも影響しているとされているが定かではない。もっとも、ライブ前のリハーサルでは万全の状態で歌っていることもあるため、声質の問題だけではなく、移動が続くツアー、続けて何曲も歌うライブという環境も少なからず影響している可能性もある。
その他 [編集]
- 手を後ろで組み右肩を下げ上半身を仰け反らせながら仁王立ちで歌う独自のボーカルスタイルである。顔を下に向けて歌うことはない。現在のボーカルスタイルになったのは映像などで確認出来る限り94年頃からである。それ以前では、片手でマイクスタンドのマイクを握りながら歌うスタイルだった。
- タンバリンを頭に乗せたり、口にくわえたり、最後には客席に投げ入れたりと、ライブにおいてタンバリンは欠かせない存在となっている。しかしビーディ・アイ結成後は使うことが少なくなっており、代わりにタオルを持って歌うことが多い。
- ノエルのボーカル曲の時は舞台袖に移動する。そのためノエルがメインで歌っている時に、リアムがコーラスを付けたりサポートしたりすることはない。
- 楽器はノエルに教えてもらったギターを弾けるが、ライブで自らギターを弾くことはない。ただし、『Songbird』や『Go Let It Out』など(特に本人作曲の曲)、何回かPVでギターを弾いていることもある。ギターはアンディやゲムにも教えて貰っている。
家族 [編集]
- 3人の子供の父親である。リサ・ムーアッシュとの間にモリー、前妻・パッツィとの間にレノン、現在の妻・ニコルとの間にジーンがそれぞれ誕生している。1997年4月7日に女優のパッツィ・ケンジットと結婚。パッツィと結婚したわずか1週間後にリアムはシンガーのリサ・ムーアリッシュと浮気し、彼女は妊娠。1998年1月にモリーを出産。1999年9月13日に、パッツィとの間に生まれた子供を大ファンであるジョン・レノンの名前にちなんで、レノン・フランシス・ギャラガーと名付けるも2000年に離婚。パッツィとの離婚後から、オール・セインツのニコル・アップルトンと交際を開始し、2001年7月に息子・ジーンが誕生。約8年間交際していたニコルと2008年のバレンタインデーに結婚した。
- 前述の通り、レノン・フランシス・ギャラガーはジョン・レノンにちなんで付けられた。そのことを知ったジョンの妻オノ・ヨーコは、リアム宛に祝福の手紙とオムツなどのベビー用品を送っている。リアムは「俺は、ヨーコを愛してるよ。彼女に会うたびに抱きしめて、守ってやりたいって思うんだ」とコメントしている[8]。
- リアムが初めて作詞作曲をした『Little James』は、前妻・パッツィの連れ子のことを歌ったものである。
- リサ・ムーアリッシュはピート・ドハーティとの間にも一子設けている。リアムはピートを嫌悪しており、ライブ中にピートのことをなじる発言をしたり[9]、薬物中毒のため、リハビリ施設に入っているピートに対し「気取ったガキにドラッグは無理なのさ。あいつら、ライト級だからな」とも発言している[10]。
- 偶然にもノエルも1997年に結婚し、2000年に離婚を経験している。
人物・エピソード [編集]
嗜好 [編集]
- サッカーファン。兄弟揃ってマンチェスター・シティFCの熱狂的ファンであり、地元のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドFCが大嫌いである。そのため「もし魔法が使えるとしたらどうする?」という質問に対して「(ユナイテッドのホームスタジアムである)オールド・トラッフォードを消す」と答えている。2012年のUEFAチャンピオンズリーグのアウェイ戦レアル・マドリード戦に訪れ、迷惑行為で途中でつまみ出された逸話がある。またワールドカップなどの際イングランド代表チームについて言及することもあるが、「女々しくプレイするゲイ・ボーイズ」など、かなり毒を含んでいる[11]。またリヴァプールFCのファンでもあり、ミッドフィルダーのジョー・コールと仲が良く、何度か観戦に訪れている。[12]
- 兄弟揃ってタバコと酒が大好きで、リアムは過去に酔った状態でステージに上がることがしばしばあった。
- オアシスのアルバムの中で一番のお気に入りは『Be Here Now』であると語っており、自身のサイン入りアルバムをチャリティーオークションに出品したことがある。ノエルが選曲したベスト盤『Stop The Clocks』に、『Be Here Now』の楽曲が一切収録されなかったことを不満に思っている。一方ノエルは、『Be Here Now』は失敗作であったと度々発言している。
- 日本食では牛丼が好きで、渋谷などの有名な店で目撃されている[13]。
- アニメ「スポンジボブ」の大ファンである[要出典]。
- 日本のお気に入りの場所は六本木にあるビートルズのコピーバンドの演奏が聴けるレストラン「アビーロード」であり、メンバーやスタッフと必ず訪れる。[14]
父親として [編集]
- 「120歳まで生きて、子供たちのそばにいたい。俺はもう、あんまり(遊びに)出かけてないんだぜ。子供のそばにいて健康的な食事を楽しんでる。人生は素晴らしいぜ。」「生意気なガキに育てるつもりはねえ。俺は汚い言葉を使うこともなければ、子供をひっぱたくこともない。ちょっと顔をしかめれば、(子供は)理解するんだよ。」「今までは自分が世界で一番大切だったけど、これからはそうじゃない。あいつ(リアムの子供レノン)が一番大事なんだ。」などの発言から子煩悩な父親であることが伺える。さらに、カート・コバーンの自殺について「子供を残して自殺するような親はクソ」などの発言もある。
- 自分の子供を学校まで送り届けるのがリアムの日課となっている。学校では子供たちに音楽を教えたり、一緒にサッカーをやったりしている[15]。
- 「20年したい放題だったが、いまは子持ちだ。いろんなものから足を洗ったよ。子供と一緒じゃできないからな。彼らにフェアじゃない。それに俺は、父親でいることが好きなんだ。世界で1番だよ」
- なお、自分の子供だけではなく基本的には子供好きであると自身で発言している。自分の子供達のバースデイ・パーティーをやる時、ノエルの子供達の名前は必ず招待リストに入れており、ノエルと決裂した以降もアナイーズ(ノエルの前妻メグ・マシューズとの娘)と毎月必ず自身の家に遊びに来させているらしい[16]。なお、リアムは解散後に「だから世間が思ってるような、俺が『ノエルの子供達と仲が悪い』云々はみんな嘘八百もいいとこだよ。俺は子供が大好きだ。あのチンポ頭(ノエル)がまたクソみたいな戯言を喋ってるんだろ」と発言している。
トラブル [編集]
リアムは様々な問題行動を過去に起こし、トラブルメーカーとして知られている。
- 1994年2月、オランダのアムステルダムに初の海外ツアーに行く途中のフェリー上で酒を飲み、一般人も巻き込む大騒ぎを起し逮捕。この騒ぎでノエル以外のメンバー4人が強制送還され、結局ノエルが一人で弾き語りのステージをこなす羽目になり、彼は激怒した。
- 同年8月、3rdシングル『リヴ・フォーエヴァー』発売翌日のギグの最中に突然男がステージに上がり、ノエルに殴り掛かったことによってギグ中止。ノエルはすぐさま応戦し、そこにリアムや他のメンバーも加担。
- 同じ月に、スウェーデンでプライマル・スクリームのメンバーと共に閉店後のバーに侵入したり、教会からワインを盗むなどの事件を起こしている。
- 同年11月、カミソリを万引きした容疑で逮捕される。
- 1996年11月、オックスフォード・ストリートを泥酔して歩いているところを職務質問され、コカイン所持の現行犯で逮捕。
- 1998年、オーストラリア行きのキャセイパシフィック航空機内で酔っぱらって罵詈雑言を浴びせ、喫煙等をしたことによって同社から利用を永久禁止となり、さらに着いたオーストラリアではオアシスの狂信的ファンのジャーナリストに頭突きと殴打を加えて逮捕された。
- 2002年、ドイツでのツアー中にバーで乱闘騒ぎを起こし、逮捕。このときリアムは身長195cmの重量級アメフト選手[17]に前歯何本かをへし折られてしまい、治療の為にツアー中止。更に駆けつけた警官を蹴り上げるなどした[18]。
- 暴れて部屋や備品、エレベーター等を破壊したために出入り禁止となっているホテルがいくつか存在する。
- パパラッチにしばしば攻撃することがある(殴り掛かる、罵倒する、カメラのレンズや頭部にサインを書いていく等)。
- デビュー当時はこうした素行の悪さ、奔放な言動、ドラッグや女性関係の噂などが英国のタブロイド紙で頻繁に騒がれていた。近年は父親になったということもあって落ち着いたと言われていたが、2007年には再びパパラッチを殴る事件をおこしている[19]。またこういった過去の行いに対しては「その時は正しいと思ってやったことだから後悔していることは特にない」と発言している[20]。
- こういった数々のエピソードから形成されるファンの一般的なイメージとは裏腹にリアムはファンに優しく、サインなどにも応じてくれることが多い。逆にノエルはサイン嫌いを公言している。
ファッション [編集]
- オシャレ好きとしても知られ、何度か日本のファッション雑誌の表紙を飾っている。好きなブランドはクラークス、ポール・スミス、リーバイス、アディダス、マカロニアンなど。来日時は大量に服を購入しているという。「買い過ぎちまうんだ。日本の服は凄くいいからね」などの発言から日本のアパレルはお気に入りのようである。M-65やモッズコート(M-51)など、ミリタリー、モッズテイストの服、トレンチコート、ピーコート、レザージャケット、デニムジャケット、ジーンズなどを好んで着ている。メンズノンノ2005年12月号では表紙を飾り、インタビューの際、読者へのメッセージで「必ずコンドームをつけろよ」とコメント。別のインタビューでも同様の発言をしている[21]。リアムの他にプライマル・スクリームのボビー・ギレスピー、ブラーのデーモン・アルバーンはファッション雑誌の常連として有名。
- 髪型は短髪、ジョン・レノンを意識したもの、長髪や金髪など比較的よく変えている。「禿げたら俺は歌うのを止める。だって禿げが歌ったって説得力なんてないだろ?禿げること自体は怖くないけど、まあ禿げないに越したことはないわけだ。」とコメント。
- サングラスを着用していることが非常に多く、ジョン・レノンのような丸い形のものから、個性的な形のものまで、様々なブランドのものを相当数コレクションしていると思われる。ノエル曰く「アイツのサングラスはいきすぎだ。」
- 2009年6月に、自身のブランド"Pretty Green"を発表した。クラシックさを残しつつも、ストレートで誰にも媚びないスタイルが特徴[22]。またその3年後、東京、青山に「Pretty Green 青山本店」をオープン、また、新宿にはホップアップストアとしてオープンした。(ちなみに、イギリス以外での営業では日本が初である。)
その他 [編集]
ソロ活動 [編集]
他アーティストとの競演(正式音源のみ)
- Love Me and Leave Me(シーホーゼズのアルバムでジョン・スクワイアと曲を合作)(1997)
- Carnation(The Jamトリビュートアルバムに参加)(1999)
- Scorpio Rising(デス・イン・ヴェガスのアルバムに参加)(2003)
- Shoot Down(プロディジーのアルバムに参加)(2004)
出典 [編集]
- ^ ノエルのインタビュー映像。父からの暴力について若干コメントしている[1]
- ^ ロッキングオン2008年1月号インタビュー
- ^ ドキュメンタリー映画「LIVE FOREVER」内のインタビューより
- ^ ロッキングオン2008年1月号インタビュー
- ^ BARKS[2]
- ^ BARKS[3]
- ^ oops![4]
- ^ BARKS[5]
- ^ BARKS[6]
- ^ BARKS[7]
- ^ BARKS[8]
- ^ 音楽サイト RO69 [9]
- ^ [10]
- ^ 2009年3月27日OA テレビ朝日 ミュージックステーション
- ^ BARKS[11]
- ^ http://ro69.jp/blog/kojima/37706
- ^ [12]
- ^ BARKS[13]
- ^ BARKS[14]
- ^ インタビュー映像[15]
- ^ インタビュー映像[16]
- ^ Houyhnhnm(フイナム)インタビュー記事[17]
- ^ BARKS[18]
外部リンク [編集]
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