カート・コバーン
| カート・コバーン Kurt Cobain |
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Kurt Donald Cobain |
| 出生 | 1967年2月20日 |
| 出身地 | |
| 死没 | 1994年4月5日(満27歳没) |
| ジャンル | オルタナティヴ・ロック グランジ ハードコア・パンク |
| 職業 | ミュージシャン ソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル ギター |
| レーベル | サブ・ポップ ゲフィン・レコード |
| 共同作業者 | ニルヴァーナ Fecal Matter |
| 著名使用楽器 | |
| フェンダー・ジャグスタング フェンダー・ジャガー フェンダー・ムスタング フェンダー・ストラトキャスター マーティン・D-18E ユニヴォックス・ハイフライヤー[1] |
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カート・ドナルド・コバーン(Kurt Donald Cobain、1967年2月20日 - 1994年4月5日?)は、アメリカのミュージシャン。身長174cm。
1990年代を代表するワシントン州シアトルのグランジバンド、ニルヴァーナでボーカルとリードギターを担当し、アルバム『ネヴァーマインド』の成功で一躍ロックスターの仲間入りを果たすものの、1994年自宅にてショットガンで自殺。27歳没。
姓について日本では「コバーン」という発音・表記が多いが、発音は「/koʊˈbeɪn/」、または「/kəˈbeɪn/」であり、「コベイン」とするほうが近い。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第45位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて12位。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] ニルヴァーナ以前
1967年2月20日、アイルランド及びフランス系の自動車整備工ドナルド・リーランド・コベインと、イングランド及びドイツ系のウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ夫妻の間に誕生[2][3][4] 。ビートルズが大好きで、絵の上手な子供だったという。幸せな幼年期を送っていたが、1975年に両親が離婚したことで大きな精神的衝撃を受ける。その影響からかカートは内向的で、引きこもりがちな少年に変わってしまった。カートは、その後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。
離婚後、最初は父の元へ引き取られる。トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、その音楽が自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度もインタヴューで語っている。
学校では友達を作らず、主にチャールズ・ブコウスキーなどの本を図書館で借り、それを読んで過ごしていた。その中でウィリアム・バロウズの『裸のランチ』と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受ける。後に晩年期のバロウズと対面を果たし、バロウズのポエトリーディングとカートのフィードバックギターによる競演を行った(『the "Priest" they called him』としてCD化されている)。
ハイスクール在学中、パンクバンド、メルヴィンズのリーダー、バズ・オズボーンと出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープ(ブラック・フラッグ、ミリオンズ・オブ・デッド・コップス、フリッパーなどが入っていた。中でもブラック・フラッグによる「ダメージドII」、フリッパーによる「サクリファイス」に強く衝撃を受けた、と後のインタヴューで語っている)を聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していた。
[編集] クリスとの出会い〜ニルヴァーナ結成〜『ネヴァーマインド』
高校のクラスメイトの音楽的才能は決してカートと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間は80年代ヘヴィメタルの呪縛から抜け出せずにいたことも彼にとって大いに気に入らない点であった。そんな苛立ちからか、次第に周囲との折り合いが悪くなり高校を中退。その高校で掃除夫などで働き始める。
そんな中、カートは同じくパンク・ロックを愛好するクリス・ノヴォセリックと出会う。音楽の趣味、周囲への不満などで意気投合し、1年後バンド結成にいたる(後のインタビューでクリスは、この1年の空白について、自分がカートから渡されたデモテープをなかなか聴かなかったためだ、と語っている。)
バンド名は、フィーカル・マター、ペン・キャップ・チュー、テッド・アルフレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ-Nirvana」(=涅槃)に落ち着いた。
1989年、ニルヴァーナは最初のアルバム『ブリーチ』をレコーディングする。同作はインディーレーベルのサブ・ポップからリリースされた。それからほどなくして、技術的な問題からカートはドラマーのチャド・チャニングを解雇する。その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。
1991年、ゲフィン・レコードに移籍したニルヴァーナは、メジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』をレコーディングする。
[編集] 商業的成功と精神的苦境、そして死
1991年の『ネヴァーマインド』発表は、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムやアリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられ、シアトルは急激にアメリカにおける音楽の最先端都市となった。
このようにして、彼らはメジャーでの最初のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていたとされる。元々、アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じており、メディアの伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、彼自身『ネヴァーマインド』制作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたことで自身にも強い憤りを感じていた。そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。
その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病と薬物中毒に苦しみ、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月8日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(錆びつくより今燃え尽きる方がいい)」が引用されている。また、ステレオがつけっぱなしになっており、R.E.M.の「オートマチック・フォー・ザ・ピープル」が流れていた。
没年齢の27歳は、ブライアン・ジョーンズやジミ・ヘンドリックス、ロバート・ジョンソン、ジム・モリソンや、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。
[編集] 後進への影響
アルバム『ネヴァーマインド』の成功後も音楽業界の商業主義やマスメディアの誇張報道などに反発し、社会に求められた偶像としてではなく、ありのままの自分を常に表現するスタンスを保ち続けた姿勢は、「グランジの精神」として後進に強い影響を与えた。彼が好んで聴いていた数々のバンドの曲が話題になり、例としてヴァセリンズやミート・パペッツはバンド・作品ともに注目されることになる。ライブでも共演を果たしている。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の爆発的ヒットによりバンドは一気に有名になり、1990年代以降のロックに絶大な影響を与え、しばしばオルタナティヴ・ロックシーンにおいて『ニルヴァーナ以降』という言い方をされる。グランジのパイオニアとも言えるが、自身は双極性障害と薬物により苦しむ。また、ファッションでも後進に大きな影響を与えており、カートの亡くなった後、彼が穿いていたボロボロになったジーンズに古着のネルシャツ・緑のカーディガンなどはニルヴァーナや音楽のジャンルとしてのグランジを好きな層以外からも、当時の流行としてグランジ(薄汚れた)と呼ばれる新しいファッションの定義として生まれた。「グランジ・イズ・デッド」と書かれたTシャツや、ダニエル・ジョンストンのイラストがプリントされたTシャツは、彼が着ていたということで有名になる。
[編集] 私生活
配偶者はホールのコートニー・ラブ。娘はフランシス・ビーン。コートニーとは1992年2月に結婚。式を通してカートはパジャマ姿であった。忘れ形見のフランシスは2011年現在、モデルを務めている。
[編集] 音楽的嗜好
- 特に好きなアーティストにピクシーズ、メルヴィンズ、ソニック・ユース、マッドハニー、サウンドガーデンなどのグランジバンド以外にも、レッド・ツェッペリン、初期のエアロスミス、キッス、エコー&ザ・バニーメン、ブラック・サバス、クイーン、AC/DC、ビートルズ、セックス・ピストルズ、ブラック・フラッグ、R.E.M.、ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴァセリンズなどのロックバンドを挙げている。一番好きなアルバムにはイギー&ストゥージスの「ロー・パワー」(邦題:淫力魔人)を挙げた。特にR.E.M.は「一度でいいからR.E.M.みたいな曲を書いてみたい」と言わせるほどだった。また、キッスのポスターを部屋に飾っていた時期もあり、キッスの楽曲「Do You Love Me」をライブでカヴァーしたこともある。
- パール・ジャムのヴォーカリスト、エディ・ヴェダーの言動全てを嫌悪し始終、非難を続ける。ヴェダーの存在自体を何故か毛嫌いしていただけのようであるが、二人がプレスを通して展開した非難の応酬は異常であった。後に同じ境遇にいることを共感し、和解する。
- ガンズ・アンド・ローゼズとは壮絶な対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「あいつらは金のために音楽をやっていてロックじゃねぇよ」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある。」と発言している。元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったがカートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため対立関係が生まれた。カートの死後アクセル以外の元ガンズメンバーとニルヴァーナメンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは『ブリーチ』収録の"Negative Creep"をカバーしている。
- カートは他にもヴァン・ヘイレンやモトリー・クルー、エクストリームなどの商業的なバンドの多くを大嫌いだと公言している。
- 日本のバンドでは少年ナイフ・ボアダムスを評価しており、全英ツアーで共演もしている。
[編集] 発言
- 「こんなヤツらに勝てるわけがねぇ」 - 1991年にサウンドガーデンのライブを観た後で
- 「俺はバイセクシャルかも知れない」 - 1993年、雑誌「アドボゲイド」でのインタビューで
- 「いつかアコースティックギターで演奏したい。シンガーソングライターと呼ばれたい。グランジロッカーじゃなくてね。そうすれば歳を取ってからギターを抱えて椅子に座りながら──ジョニー・キャッシュみたいになれるからね」 - DVD「All Apologies」のインタビューで
[編集] 暗殺説
カートの死について、自殺ではなく実は暗殺されたと言う説もある。この話の発端は、カートが行方不明になった時コートニー・ラブに雇われた私立探偵トム・グラントが主張したことに始まる。トム・グラントによると、妻であるコートニー・ラブと子守りアシスタントのマイケル・デウィットがカートを暗殺したということである。
コートニーの動機としては、金銭的な問題だと指摘されている。当時、コートニーはカートと離婚調停中であり、もしカートと離婚することになれば何億ドルという資産が失われることになる。実際にコートニーはこのことに言及しており、その内容はテープに残っている。また、カートが失踪する前、ローマ公演後に自殺未遂をおこしたとされるが、そこにコートニーと離婚したいと言った内容のメモが残っており、コートニーがそのメモを処分したということをトム・グラントはコートニー自身から聞いている。また、後期のカートは音楽活動に嫌気がさし活動をやめたいともらしていたこともあり、自己顕示欲・成功欲の強いコートニーとしてはカートの隠居や離婚により莫大な資産を失うということが耐えられないために、子守アシスタントでコートニーの元恋人であるマイケル・デウィットと共謀して行なったとしている。
この説は、カートの遺書が死について言及をしていない点や現場検証において不可解な点が多数見られることにより世間に広まる結果となる。しかし疑惑に対する進展がほとんどない。
[編集] 書籍・フィルム等
- Who Killed Kurt Cobain?(書籍・1998年)
- Kurt & Courtney(ドキュメンタリーフィルム・1998年)
- HEAVIER THAN HEAVEN (カート・コバーン本人の日記内容を含む伝記書籍 /2002年/ 著者 チャールズ・R・クロス )
- Love & Death(書籍・2004年)
- Last Days(映画 ガス・ヴァン・サント監督 2005年)
- Kurt Cobain About a Son(映画 AJ・シュナック監督 2007年)
- COBAIN UNSEEN (大型伝記書籍 /2009年/ 著者 チャールズ・R・クロス )
[編集] 使用機材
[編集] ギター
ほとんどのギターはレフティ(左利き用)モデルを使用している。
- フェンダー・ジャガー
- カートが使用したギターの中でも最も有名と思われるギター。ライブやレコーディングで多く使用されている。ネック部にホワイト・バインディングを施された1965年製。オリジナルのジャガーとは大きく異なった仕様になっており、前後のピックアップをディマジオ製のハムバッカー(フロントがPAF、リアがSuper Distortion)に、ピックアップセレクターをトグルスイッチに(ほとんどの時期を上から黒いビニールテープでリアに固定)、ブリッジをシャーラー製のチューン・O・マチックに、コントロールを金属製のノブで2ボリューム・1トーンに、それぞれ変更してある。カートは『L.A.リサイクラー』という新聞でこのギターを見つけ購入。購入時にはすでに上記の改造が施されていた。イン・ユーテロツアー時にリアピックアップをセイモア・ダンカンのJBに変更した。
- ユニボックス・モズライトのコピーギター"ハイ・フライヤー"
- アルバム『ブリーチ』、シングル『ハートシェイプト・ボックス』などで使用。ピックアップがシングルコイルからハムバッカーに交換されている。
- フェンダー・ムスタング
- ジャガーと並び愛用したモデル。シングル『スメルズ・ライク・ティーンスピリット』のPVで使用されているのは1969年製のコンペティション・モデル(ボディ左下に描かれたラインが特徴。カラーリングはバーガンディ・ブルー)で、カートが最も愛した物。ブリッジはGOTOH社製のチューン・O・マティックに変更されている。また、この他にもフェンダー・ジャパン製のムスタングを所有しており、ピックアップはセイモアダンカンのハムバッカー、SH-4(JB)、SHR-1(Hot Rails)に交換されている。
- 1992年製フェリントン・カスタム
- ダニー・フェリントンによってカートの為に製作されたカスタムギター。ムスタングをベースとして、ボディの木材にはバスウッド、ネックはメイプル、ローズウッド指板が使用されている。ブリッジはチュ-ン・O・マティック、指板にはハート型のポジション・マーク、ピックアップ・セレクターはストラトスタイルのもの。ピックアップはバルトリーニ。配置はフロント・ミドルがシングルコイル(ミドルピックアップはスラントして取り付けられていた)、リアがハムバッカー。リアピックアップにはコイルタップ回路が付いており、シリーズ接続、パラレル接続、そしてシングルコイル風のサウンドを出すことができるようになっている。これらはボリューム・トーンノブの下に位置するトグルスイッチで操作できるようになっている。カラーリングはベイビーブルー、ピックガードは赤べっ甲柄。
- フェンダー・ジャグスタング
- ジャガーとムスタングを組み合わせたカスタムギター。ピックアップはディマジオのハムバッカーとテキサスSPのシングルコイル。後にフェンダーによって正規ラインに加えられた。2006年生産中止。ボディが厚すぎるなどの理由で、カート自身はあまり気に入っていなかった模様。
- ステラ・ハーモニー
- 12弦のアコースティックギター。ただしカートはこのギターにナイロン弦を5つしか張っていない。初期のメインアコースティック・ギター。『ポーリー』や『サムシング・イン・ザ・ウェイ』で使用。その後ピックアップと弦を換えて『イン・ユーテロ』でも使用。
- エピフォン・テキサン
- 1961年製、ライブなどで使用された中期からのメインアコースティック・ギター。
- マーティンD18-E
- 『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』で使用されたアコースティック・ギター。ピックアップがバルトリーニの3AVに交換されている。世界で306本しかない。「もっとも愛されなかったギター」として有名。
- その他
- この他にもほとんど使用されていないものの、赤いフェンダー・ジャガーや青いテレキャスター、モズライトマークIVの所有が確認されている。また、日本製やメキシコ製のストラトキャスターを多数所有していたが、これらは主にステージ終盤の「破壊用」ギターであった。
[編集] アンプ
- Randall
- Sun-Beta
- 4x12Peavey
- 4x12Bullfrog
- メサ・ブギー・スタジオ・プリアンプ
- Crown Power Amp
- マーシャル
- Crest Power Amp
- フェンダー・ベースマン
- Vox AC30
- フェンダー・ツイン・リバーブ
[編集] エフェクター
- BOSS DS-1 Distortion
- ProCo Rat Distortion
- Electro-Harmonix Big Muff Fuzz
- Boss DS-2 Turbo Distortion
- Tech21 Classic Sansamp Pedal
- Electro-Harmonix Small Clone
- Electro-Harmonix Poly Chorus
- 本人はPoly Chorusよりも、Poly Flangeを特に気に入っていたが破壊してしまった。再度入手を試みたが市場にはなかなか出ない生産終了モデルだったため、仕方なくPoly Chorusを使っていた。
- MXR Phase 100
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ "The Kurt Cobain Equipment F.A.Q.". kurtsequipment.com.
- ^ Halperin, Ian & Wallace, Max (1998). Who Killed Kurt Cobain?. Birch Lane Press. ISBN 1-55972-446-3.
- ^ Cross, p. 7
- ^ Azerrad, p. 13
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