グリコ・森永事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グリコ森永事件 から転送)

グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)は、1984年1985年に関西地域を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。未解決事件

目次

[編集] 概要

1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品森永製菓ハウス食品不二家駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所には現れなかった。また、何度か犯人と思わしき人物が目撃されたが、逃げられてしまったため、結局正体はわからなかった。

その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。

1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。

2000年平成12年)2月13日公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった事件となった。

2005年3月に民法の損害賠償請求権が消滅し、民事時効も成立。

[編集] 一連の脅迫事件

[編集] 江崎グリコ社長誘拐事件

1984年昭和59年)3月18日午後9時頃、兵庫県西宮市江崎グリコ社長宅に拳銃空気銃を構えた3人組の男が侵入。社長夫人(当時35歳)と長女(当時7歳)を襲い、二人を後ろ手に縛って脇のトイレに閉じ込めた。その後、三人組の男は浴室に侵入。江崎勝久社長(当時42歳)を押さえ全裸のまま誘拐した。

社長夫人はこの後、自力でテープをほどいて通報した。

翌3月19日午前1時頃、高槻市の江崎グリコ取締役宅に犯人の男から指定の場所に来るよう電話がかかる。指定場所に行くと、社長の身代金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。その後、犯人の男から電話がかかり別の指定場所に身代金を持って来るよう要求したが、結局犯人は現れなかった。

その後、誘拐事件は急展開する。事件3日後の3月21日午後2時30分ごろ警察に江崎社長が保護された。江崎社長の供述によると大阪府摂津市東海道新幹線車両基地近くを流れる、安威川沿いにある治水組合の作業小屋から、自力で抜け出したとされ、大阪貨物ターミナル駅構内で保護された[1]

[編集] 江崎グリコ脅迫事件

1984年4月2日に、江崎社長宅に差出人不明の脅迫状が届く。内容は4月8日に指定場所へ現金6000万円を持ってくるよう要求。脅迫状には塩酸入りの目薬の容器が同封されていた。4月8日に現金受け渡し指定場所に警察が張りこむも、犯人は現れなかった。

4月23日、江崎グリコに1億2000万円を要求する脅迫状が届く。現金受け渡し日は4月24日に指定されていたが、レストランから高速サービスエリア、電話ボックスと現金を受け渡す運転手をたらい回しにし、犯人は現金受け渡しに現れなかった。

5月31日、江崎グリコに3億円を要求する脅迫状が届く。6月2日に摂津市内のレストランの駐車場に3億円を積んだ車を置くことを指示。6月2日、警察は少し走ればエンストするよう細工した車を駐車場に置き、周辺には約30人の捜査員が張りこんで犯人を待ち受ける。午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れ、そのままカローラに乗りこんだ。しかし、すぐにエンストを起こし、追尾した警察によって取り押さえられた。しかし、男は犯人から脅されて、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示されただけで事件とは無関係と判明(後述)。男が行く予定だった指定場所に車を向かわせ、警察が張り込んで午後11時頃まで待ったが、犯人は現れなかった。

6月26日、「かい人21面相」からマスコミに挑戦状が届き、「江崎グリコゆるしたる」と江崎グリコへの脅迫収束宣言をする。

[編集] 江崎グリコ放火事件

1984年4月10日午後8時50分頃、大阪府大阪市西淀川区の江崎グリコ本社で放火が発生。火元は工務部試作室であり、火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り、試作室約150m²は全焼。

午後9時20分、本社から約3km離れたグリコ栄養食品でも車庫に止めてあったライトバンが放火される。こちらはすぐに消し止められた。犯人はガソリンの入った容器に布を詰めたものに火をつけていた。

出火の直後には、帽子を被った不審な男がバッグを抱えて逃げるのが目撃されている。

[編集] 兵庫青酸菓子ばら撒き事件

1984年5月10日毎日新聞読売新聞サンケイ新聞朝日新聞の4社にかい人21面相から「グリコの せい品に せいさんソーダ いれた」と挑戦状が届いた。

更に挑戦状には全国にばら撒くとの予告があり、挑戦状の終わりには「グリコを たべて はかばへ行こう」とまで書かれていた。その事態を受けて大手スーパーはグリコ製品の撤去を始めた。

[編集] 寝屋川アベック襲撃事件

1984年6月2日、グリコ脅迫事件において指定されたレストランの駐車場より約2.8km離れた寝屋川市で、商事会社に勤める22歳男性と同僚で恋人の19歳女性が車でデートしていた。しかし、停車中に午後8時15分頃に男三人組に襲われる。22歳男性は元自衛隊員で腕力に自信はあったが、男三人組に顔や頭を殴られた。男三人組は無抵抗となった22歳男性を車に押し戻し、黒い布袋をかぶせた。

一人は別の車に19歳女性を連れ去り、残る二人組みが22歳男性の車に乗りこみ、22歳男性にグリコ脅迫事件において指定されたレストランの近くまで運転しないと女性の命を保障しないと脅迫され、犯人の言われるままに行動。レストランの近くまで運転すると、駐車場にある車に乗り込んで降ろされ、駐車場の車に乗って別の指定場所まで運転するよう指示された。その後、警察に犯人と誤認され捕獲された。

一方、19歳女性は別の車に乗せられ、午後9時半頃に降ろされた。19歳女性は犯人からタクシー代として2000円を渡されている。

6月3日未明、22歳男性の車が寝屋川市の神社の参道に乗り捨ててあるのが発見された。

[編集] 丸大食品脅迫事件

1984年6月22日、大阪府高槻市の丸大食品に脅迫状が届く。内容は「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ」というものだった。犯人はこの裏取引に応じる合図としてパート従業員募集の新聞広告の掲載を求め、高槻市の常務宅に現金をボストンバッグに用意して待機するよう要求。丸大は要求を呑むことにした。

1984年6月28日午後8時3分、犯人からの電話があった。「女性による録音テープ」で指定場所に来るよう指示。私服刑事数人が丸大社員になりすまして指定場所に行くと、国鉄高槻駅で指定する時間の京都駅行き電車に乗って左側の窓に白い旗が見え次第車窓から金を詰めたボストンバッグを投げ落とせと指示するタイプ文字の指示書があった。しかし、高槻駅から終点の京都駅まで乗っても、白い旗は見えなかった。

しかし、車内に配置された私服刑事の1人が不審な男を発見。キツネ目の不審男は私服刑事を見張っていた。さらに刑事達が乗った帰りの電車に、キツネ目の男が乗り込む。刑事達は別に尾行班を設けキツネの目の男をマークする。ただし、警察上層部は現場の刑事に逮捕権限を与えず、命令があるまで接触しないよう行動を制限していたため、それ以上のことはできなかった。結局、キツネ目の男は駅を下りると、改札口を出た後の雑踏に紛れ、刑事はキツネ目の男の姿を見失った。

1984年7月にも丸大食品取締役宅に現金を要求する脅迫状が届く。7月6日午後8時7分、犯人からの「子どもの声の録音テープ」で指定場所に来るよう指示。指示場所は4回にも及び、最後の指定場所に現金を詰めたバッグを置くよう指示があったが、結局犯人は現れなかった。

森永製菓脅迫事件が発覚した後の11月になって犯人から丸大食品への脅迫したことが暴露され、丸大食品への脅迫が世間に知られるようになった。

[編集] 森永製菓脅迫事件

1984年9月12日朝、大阪府大阪市の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状が届く。脅迫状には「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と書かれており、青酸入りの菓子が同封されていた。また脅迫状には、グリコが犯人グループに6億円を支払ったと書かれていたが、真偽のほどは定かではない。

9月18日に犯人から関西支社に電話があり、電話は子どもの声を現金の受け渡し場所を指定したものが録音されており、同じ内容が5回繰り返した。その後、指定場所に行くと別の指定場所で現金を置くよう指示があり、現金を入れるも、犯人は姿を現さなかった。この電話は10月11日に一般に公開された。

[編集] 二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件

10月7日から10月13日にかけて、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県のスーパーから不審な森永製品が発見された。

「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と書かれた紙を貼った森永製品が置かれており、菓子の中に青酸ソーダが混入されていた。青酸入り菓子は13個発見された。

この間の10月8日には阪急百貨店などにも森永製品を置かないよう要求する脅迫状が届いた。この脅迫状の中では「わしらに さからいおったから 森永つぶしたる」とまで宣言している。

10月15日にはNHK大阪放送局が青酸ソーダの錠剤を送りつけられた。

[編集] ハウス食品脅迫事件

1984年11月7日、ハウス食品工業総務部長宅に脅迫状が届く。浦上社長宛ての脅迫状は現金1億円を要求する内容で、現金受け渡し日は11月14日、場所は伏見のレストランというように指定されており、別の脅迫状には青酸ソーダ混入の「ハウスシチュー」が同封されていた。

11月14日、指定されたレストランの駐車場には現金1億円を積んだ車を待機させ、車内にはハウス食品社員に変装した刑事、周囲にも多数の警官が配置された。

午後8時20分、脅迫状の予告どおり犯人からの総務部長宅に電話連絡がかかる。女の子の声で録音されたテープで現金受け渡し場所を指定。これを機に警察は大阪・京都に捜査網を敷いた。指定場所へ行くと別の場所を指定するメモが残されており、場所変更は4回繰り返された。幾度かの場所変更指示によって、現金を乗せた車が「大津サービスエリア」に向かった。しかし、大津のある滋賀県警はこの捜査網に入っておらず、この脅迫情報も一切知らされていなかった。しかも指定場所の付近には無線通信が不能の場所があったため、警察にとっては最悪の展開となる。

大津サービスエリアで現金輸送車の様子を伺う不審者が刑事に目撃される。不審者の人相は、丸大脅迫事件に目撃された「キツネ目の男」と一致。刑事は「キツネ目の男」を注意深く尾行したが、そのまま一般道路の方へ逃げられてしまう。

現金輸送車は指示通り草津パーキングエリアへ向かった。そこで、「名古屋方面に向かい、白い布が見えたら、白い布の下の缶に入れた指示書を見ろ」という指示書を受ける。現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津PAから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された。道路管理局の巡回記録によると、14日午後8時50分から午後9時18分の間に取りつけられたものと判明。白い布がつけられた防護フェンスの場所は、県道川辺-御園線が交差していた。警察はこの県道と名神の交差部分を封鎖したが、問題の空き缶がなかった。犯人らしい男も姿を見せず、午後10時20分に捜査は打ち切られた。

一方、白い布があった場所の付近で、一連の事件捜査を知らない滋賀県警のパトカーが、夜なのに無灯火の不審な白いライトバンを発見。滋賀県警の警官が職務質問するために白のライトバンに駆け寄りライトを照らすと、運転席に男がいた。しかし、白のライトバンは急に発進。白のライトバンはパトカーと激しいカーチェイスを繰り広げパトカーを振り切った。午後9時25分、白いライトバンが発見されたが、男の姿はなかった。白いライトバンは11月12日に盗難された車と判明した。

11月19日、ハウス食品工業課長に脅迫状が届く。11月14日の現金輸送車を監視状況が書かれていた。また今は森永相手にしており、暇になったら連絡するとも書かれており、事実上の脅迫休止宣言とも受け取れた。

[編集] 不二家脅迫事件

1984年12月7日不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていた。

12月15日、不二家の労務部長宅に脅迫状が届く。12月24日に大阪梅田の百貨店屋上から2000万円ばら撒くことを要求。不二家は12月24日に、要求された百貨店屋上からの現金ばら撒きを行わなかった。

12月26日、東京のスーパー社長宅に脅迫状が届く。1月5日に不二家に池袋のビル屋上から2000万円ばら撒くことを要求。不二家は1985年1月5日に池袋のビル屋上からの現金ばら撒きを行わなかった。

1985年1月11日に 不二家脅迫事件が初めて報道され、かい人21面相が不二家を脅迫していたことが明らかとなった。

[編集] 東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件

バレンタインデー直前の1985年2月13日に報道機関にバレンタインデー粉砕を主張する挑戦状が届く。これと前後して東京都と愛知県で「どくいり きけん」と書かれた青酸入り菓子が相次いで発見される。

[編集] 駿河屋脅迫事件

1985年2月24日、マスコミに森永製菓への脅迫を終結させる休戦状が届いた。

その直後の同年3月6日、和歌山県の老舗和菓子会社の駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届く。

しかし、3月8日に犯人から現金受け渡しを延期する旨の通告が届く。その後、犯人から駿河屋への連絡はなかった。

[編集] 事件の終息

1985年8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」との終息宣言が送りつけられた。理由は、その5日前の8月7日、自身の退職の日に焼身自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものであった。

この終息宣言の後完全に犯人の動きがなくなり、2000年2月13日午前零時に東京・愛知で青酸入りの菓子をバラまいた2件の殺人未遂事件とこれにかかわる28件すべてに公訴時効が成立した。犯人(かい人21面相こと、キツネ目の男たち)の正体及び動機は不明のままである。

[編集] 事件の特徴

単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがあった。また企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は警察をあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり、失態の責任を取って焼身自殺した[2]滋賀県警本部長(ノンキャリアながら本部長まで出世した人物であった)を「男らしゅうに」と表現し、それと対比させてキャリア出身の責任者を貶めたりするなどしていた。また、江崎グリコと森永製菓は創業者が佐賀県出身なのも共通する。

犯行の際の遺留品の多さにも関らず、遺留品が大量に、広範に流通された商品なので犯人の特定には至らなかった。また、特殊な職種でしか使用されないと言われている廃棄物から捜査が行われたが、犯人に結びつく結果は生まれなかった。なお、犯人も終息宣言の後は一切活動をしていない。警察発表では「犯人は何も得てはいない」ということになっているので、一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである。前述の通り、犯人側は1984年9月12日に森永製菓に送りつけた脅迫状の中で、グリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。また、一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。

脅迫事件において検挙の手がかりとなることの多い犯人と被害者との接触では、児童に要求を伝える電話をかけさせたり、現金の授受に当たって無関係な市民を拘禁・脅迫の上受け取り役に仕立てるといった、従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした。

犯行の際に警察無線傍受されていたのが遺留品から判明した為、警察無線が傍受されると会話の内容が分かるアナログ方式から、既に警視庁で一部導入が始まっていた傍受されても会話の内容が分からないよう暗号化されたデジタル方式への転換を進めるきっかけになった。グリコ・森永事件の捜査においては、警察は傍受を警戒して、当時、警視庁に数台しかなかったデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。

また、警察が「殺人未遂事件」として捜査したシアン化ナトリウム入り食品に関しても、『シアン化ナトリウムが入っていた食品には必ず「どくいり きけん たべたら しぬで」の紙が張られていたのでその罪状が当てはまらないのではないか?』とする意見がある。この点の不備を補うべく、グリコ法こと流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法が制定された。

また、これ以降江崎グリコ製品の包装は、開封された場合元に戻せないようになっている(一時期は商品にフィルム包装をかけていたこともあった)。

犯人は1年半の間に、警察には挑戦状、企業と報道機関に脅迫状と挑戦状計144通を出している。

結果として毒入り食品による死者は発生せず、また誘拐放火等により命を落とした人もいなかった。そのため、凶悪な事件であるにも関わらず、市民の中には「かいじん21面相は憎めない奴」と共感する人も少なからずいた。犯人がキャリア警官を嘲笑したり、アフリカ飢餓への募金を呼びかけるなどしたことも、「義賊」の印象を与えた。

この後、この事件を真似た事件が頻発した(1984年だけでも31件発生)が、現在までに全て解決している。

[編集] 犯人像の推測

この事件の犯人者については、 「北朝鮮工作員」、 「大阪ニセ夜間金庫事件の犯人」、「総会屋」、「株価操作を狙った仕手グループ」、「元あるいは現職警察官」[3][4][5] 、「元左翼活動家」[6][7][8][9]、各種の陰謀説など多くの説があり、未だに議論は尽きていない。「キツネ目の男」と呼ばれる不審者の似顔絵も作成された。

[編集] 元グリコ関係者説

江崎家やグリコの内部事情に犯人グループが通じていたことから出た説である。人質を取ったり放火したり、他の企業を脅迫したときにはない行為があること、他の会社の脅迫状では社長を「羽賀」「松崎」「浦上」「藤井」と苗字で書く中で江崎グリコのみ「勝久」と名前で書いていることからグループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないかと言われる[誰?]

具体的には江崎社長誘拐の実行犯が江崎社長の娘の名前を呼んだこと、江崎社長誘拐における身代金要求の脅迫状で社長運転手の名前を名指ししたこと、江崎社長を水防倉庫に監禁した時に江崎社長に着せていたコートが戦前から戦中にかけてのグリコ青年学校のものだったこと、グリコがすぐ10億円を用意できることを知っていたことなどである。

他にも53年テープと呼ばれる昭和53年にグリコに送られたテープの存在もグリコへの怨恨が原点にあるという説の補強材料になっている。

[編集] 株価操作説

株価操作説の場合、1984年1月時点で745円だったグリコ株は、社長誘拐・工場放火事件があった翌日5月17日には、598円にまで下がっている。即ち、商品に不信を抱かれる事による株価下落を前提にすれば、結果24.5%の利益を得られたとも考えられる。加えて事件の終息宣言を受けて値が戻ることも前提にすれば、底値と思われる時点で買いに転じて更に利益も得られる計算になる。

週刊現代』で株式情報の担当記者をしたことのある作家の宮崎学は、単純に市場で株式売買するのではなく、企業に自社株を買い取らせる仕手で100億円の利益が得られる可能性を指摘している[10]。宮崎学に任意聴取した刑事もこの説を宮崎に述べたという。

警察でも、現金奪取はカムフラージュで株価操作による利益が目的だった可能性を考えて、事件に関係した企業の「空売り・買い戻し」で目立った動きをした人物や団体は徹底的にチェックしていた。中でも当時ビデオセラーという会社を運営していた仕手グループは最重要監視対象として目をつけられていたという[11]

[編集] 被差別部落説

この事件に関しては、被差別部落関係者が関与しているという説もある。その根拠は、9月18日の森永の男児の声による脅迫テープの周辺環境の音の中に皮革製品に使用される独特のミシンの音が分析の結果入っているということ、犯人グループが使用したもののほとんどがマイノリティの多い町の近くのスーパーで購入されていた、というものであった[12]。しかし、被差別部落関係に対する捜査は、部落解放同盟が抗議をしたため、捜査が打ち切られたと作家の宮崎学はしている[13]。被差別部落出身者の関与については、一橋文哉によるノンフィクション『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』でXとしてほのめかされ、この事件をモチーフにした高村薫の小説『レディ・ジョーカー』でも扱われている。

[編集] 宮崎学説

犯人グループの一人と目されたキツネ目の男に酷似していること、過去にマスメディアを操作して警察と敵対したこと、会社を倒産させて借金を抱えていたこと、地理的条件やアウトローとの人脈から疑われたが、アリバイがあったことと物証がなかったことから、捜査が打ち切られた。宮崎は『噂の真相』1985年10月号で事件に関して語り、その後も1996年に出した自伝『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた五十年』で触れたり、『グリコ・森永事件最重要参考人M』を著したりするなどした。宮崎の友人の大谷昭宏は『グリコ・森永事件最重要参考人M』や同時期のテレビ番組で、宮崎の事を犯人として疑い、宮崎からの反論を受けた。後に大谷は2005年に出演したテレビ番組の中で、「実はまだ少し疑っている」という旨を笑い話として述べた。大谷は2007年6月に発行された「こちら大阪社会部+α社長誘拐スクープ編」のあとがきでも、同じ趣旨の事を述べた。

[編集] 北朝鮮工作員グループ

事件終結後に産経新聞週刊文春で報じられた捜査線上で浮上して北朝鮮の工作員関係者のグループである。53年テープの声に似た人物が北朝鮮工作員で、その周辺にキツネの男やビデオの男によく似た人物がおり、犯人グループがグリコに要求していた100kgの金塊を持っていたことから、捜査が行なわれた。ただし、これは北朝鮮の国家的謀略というものではなく、金策に困った北朝鮮工作員のグループの犯行ではないかと見られていた。しかし1998年に行なわれた首謀者と目された人物の声紋鑑定やグループ内でキツネ目の男やビデオの男と疑われた人物の面割捜査で、別人であるという結論があり、捜査が打ち切られたという[14]

[編集] 元暴力団組長グループ

1990年頃から捜査本部がターゲットに絞ったのが暴力団の元組長の実業家を中心とするグループである。元組長が1979年にグリコから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があること、元組長の銀行口座に被害にあった企業の関係者から3億円の入金があったこと、犯行に使われたのと同種の和文タイプライターやタクシー払い下げ車輌を親族が所有していること、グリコに恨みを持つ人物が周辺にいたこと、53年テープに登場する人物と接点があることなどが疑惑の根拠となった。捜査本部は1992年3月に元組長を始めとするグループに任意同行を求めて事情聴取を行なったが、容疑を認める者は誰もおらず、物証もなかった。また、主要なメンバーにはアリバイもあった。捜査本部が最後に総力を挙げて取り組み、グリコ・森永事件の捜査史上最大とも言われるこのグループへの捜査だったが、これをもって事実上グリコ・森永事件の捜査は終了した[15][16][17]

[編集] 関連事件

[編集] 53年テープ

事件発生の6年前になる昭和53年(1978年)にグリコに金を要求するテープが送られた事件である。テープの内容は初老の男性の声で、江崎社長の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒き、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった。送り主の男は過激派の学生が計画しているというこの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして、金を要求していた。グリコ・森永事件の捜査本部はこの送り主の男をグリコ・森永事件の犯人グループの一味と断定して、犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。また、このテープの存在が犯人グループの過激派説の一因ともなった[18][19]

[編集] ニセ夜間金庫事件

1973年に大阪で起きた大阪ニセ夜間金庫事件もグリコ・森永事件と関係があるのではないかと取り沙汰された。1984年9月18日に森永に1億円を要求した際、マンホールの上に置いた衣装箱の底から1億円を奪取するというトリックじみた手口がニセ夜間金庫事件と類似しているというものであった。

[編集] その他

なお、この事件で江崎グリコに次いで脅迫されたのは丸大食品であったが、当初この事実は捜査当局により伏せられ、三社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞スクープし連続脅迫が発覚、社会に衝撃を与えた(当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された)。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。

また、犯人グループは読売新聞社に宛てた挑戦状でおよそ30年前の1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」と森永製菓を挑発していた。同じ挑戦状では明治製菓が当時売り上げ1位で、グリコの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめた、という旨も書かれている。

山瀬まみがTBSのブロードキャスターで証言したところによると、山瀬の父親は森永製菓の社員だったので、当時の山瀬の家庭は事件の影響を受けた。また安倍昭恵は父親が森永製菓の社長だったことから、本人にも警察の護衛がついた。

作詞家の川内康範は、週刊誌上(週刊読売)にて犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかけた。

犯人が事件終結を宣言した1985年8月12日日本航空123便墜落事故が発生している。この事故の犠牲者にはグリコ森永事件で脅迫されていたハウス食品の浦上郁夫社長もいた。そのため、事件との関連が疑われたが、確たる証拠はない。

俳優の京本政樹が事件で使用された和文タイプライターと同じ型のものを使っていたので、一時、捜査線上に浮かんでいたことを、京本がテレビ番組で告白している。

河内音頭家元の河内家菊水丸は、事件をモチーフにした曲「グリコ・森永大事件」を発表したところ、警察から事情聴取を受けたと自著本で告白している。

事件当時の大阪府警察本部長、四方修は退官後マイカル系列のメンテナンス会社、ジャパンメンテナンス(現在のイオンディライト)社長に就任。その後マイカル本社の社長に就任したが、マイカルは2001年に経営破綻、そのごたごたの中で解任されている。

アマチュア無線用の145MHz帯ハンディー機を受信改造して当時のアナログ警察無線を傍受するなど無線通信に対する知識も高いとされている。また、事件の発生している時期の1984年12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンドにて「こちら21面相…」「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのかい」などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によってたまたま傍受録音され、過去にテレビで放映された。捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行なわれた[20]

なお、ハウス食品脅迫事件では、人質事件以外では極めて稀な報道協定が締結された。しかし、この協定には疑問の意見が噴出し、まず日本新聞協会に属さない新左翼系の『人民新聞』が報道し、続けて日本雑誌協会に属さない『噂の真相』の記事が決定打となって、『噂の真相』の発売日に事件未解決にも関わらず、報道協定は解除された[21]。この報道協定の件は、「かい人21面相」も「報道の自由の自殺やないか」と批判している。

犯人からの手紙にも登場する音響研究所の鈴木松美所長はテレビ番組「平成日本の夜ふけ」において、電話音声解析の結果発信源の部屋まで特定出来たが、なぜかその後の捜査の進展は無かったようで、この件に関してなにか事情があったのかも含めて真相は分からないと述べた。

[編集] 類似事件

本事件に先立つ1982年アメリカで、ジョンソン・エンド・ジョンソン社のタイレノールシアン化カリウムが混入され、7名が死亡する事件(en:1982 Chicago Tylenol murders)が発生している。

また、事件発生後の1984年には、犯人グループに便乗して食品企業を脅した企業恐喝事件が31件発生したが全て摘発された(唯一摘発されなかったのが、本家本元のグリコ・森永事件である)。その後、事件を模倣した犯罪は444件に上り、うち206件が検挙さた。この中には小中学生がファミコンほしさにネスレ日本を恐喝する、という事件もあった。

これらの便乗犯を筑波大学小田晋教授は「コバンザメ犯罪」と名付けた。本物の犯人グループも脅迫状で偽者との取り引きに応じないように企業に呼びかけた[22]。なお、犯人グループは江崎勝久グリコ社長の声を録音したテープを同封することで自らが本物である証としていた[23]

台湾では千面人として報道され、グリコ・森永事件のかい人21面相は有名だったという。1984年12月27日に台中市に住む34歳の男がグリコ・森永事件を真似て、インスタントラーメンに毒を入れたとして食品会社に日本円にして1億5千万円を要求、41時間後に逮捕されるという事件があった[24]。さらに2005年5月、台湾・台中市のコンビニエンスストアの店頭で、シアン化物の混入された瓶入り栄養ドリンク「蛮牛」が置かれ、それを購入・飲用した4人が相次いでシアン化物中毒症状を引き起こし、うち55歳の男性が5月18日深夜に死亡、2名が重体となった。この栄養ドリンクにはパソコンプリンターで「有毒、勿喝」(毒入り。飲むな)と印刷されたシールが添付され、グリコ・森永事件を真似た悪質な悪戯として現地マスコミが大々的に報道した。また台湾の衛生当局は保力達ブランドの商品を安全が確認されるまで発売しないように通達した。5月27日に40歳の男が逮捕され、恐喝を目的としグリコ・森永事件を真似たものであると供述した。(zh:毒蠻牛事件

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p135。
  2. ^ ハウス食品事件にて犯人を逮捕できなかった責任を全て負わされたことに抗議するための自殺だったとする説もある。
  3. ^ 「週刊現代」1984年10月20日号、1985年2月2日号
  4. ^ 「週刊ポスト」1985年1月4日&11日合併号
  5. ^ 「ペントハウス」1985年3月号
  6. ^ 「週刊サンケイ」1984年11月8日号
  7. ^ 「サンデー毎日」1984年10月14日号
  8. ^ 「週刊読売」1985年4月21日号
  9. ^ 「週刊ポスト」1985年5月24日号
  10. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p166-p179。
  11. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社新潮文庫、2000年、p184。
  12. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p159。
  13. ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p74。
  14. ^ 「総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号
  15. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p241-p263。
  16. ^ 宮崎学『突破者 戦後史の蔭を駆け抜けた五〇年』南風社、1996年、p363-p366
  17. ^ 森下香枝「グリコ・森永事件23年目の「真犯人」」『週刊朝日2007年3月23日号、朝日新聞社
  18. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p13-p14、p113、p115-p118、p121、p135。
  19. ^ 総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号。
  20. ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p390-p392。
  21. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p299-p302、p320-p324、p325.
  22. ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、p117
  23. ^ グリコ・森永事件取材記者グループ『グリコ・森永事件中間報告』山手書房、1984年、p99.
  24. ^ 情報研究所編『21面相の手記』データハウス、1985年、p110.

[編集] 関連項目