グリコ・森永事件
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グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん)は、関西地域を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件である。警察庁広域重要指定第114号事件。2000年(平成12年)2月13日に時効となった。グリコ・森永脅迫事件、犯人グループが江戸川乱歩の『怪人二十面相』をもじった[1][2]「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。
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目次 |
[編集] 事件の推移
[編集] 誘拐事件
1984年(昭和59年)3月18日午後9時30分頃、江崎グリコの江崎勝久社長が兵庫県西宮市の自宅(当時)で入浴中、侵入してきた犯行グループの男3人に全裸のまま誘拐され、身代金10億円と金塊100キログラムを要求する脅迫文が高槻市内の電話ボックスで見つかったが、犯人は姿を現さなかった。
江崎社長は、3日後の3月21日午後2時30分ごろ警察に保護された。大阪府摂津市の東海道新幹線車両基地近くを流れる、安威川沿いにある治水組合の作業小屋から、自力で抜け出したとされ、大阪貨物ターミナル駅構内で保護された[3]。
[編集] 脅迫状・挑戦状
事件は収まったかのように思われたが、4月7日になって犯人グループは、「かい人21面相」名で「けいさつの あほども え」との書き出しで始まる、和文タイプライターで記された挑戦状を新聞社に送りつけてきた。マスメディアや捜査本部では企業へ脅迫目的で送られた手紙を脅迫状、新聞社やテレビ局、週刊誌などに送って社会へ公表することを前提に書かれた手紙を挑戦状として区別している[4][5]。
このマスコミに当てた挑戦状をそのまま紙面に載せることについては、朝日新聞社内でも犯人の意図に沿うことになるのではないかと異論も出たが[6]、結果的に載せることになり、マスメディアを通じて犯人から国民へ向けた情報発信がなされることになった。これをもって、社会評論家の赤塚行雄はグリコ・森永事件を劇場型犯罪と名付けて、同時期にマスメディアを騒がせていたロス疑惑と共にこの表現は使われた。
5月10日に送られてきた脅迫状の文面には「青酸ソーダ(シアン化ナトリウム)入りのグリコ製品を置いた」とあったが、その時には青酸ソーダ入りのグリコ製品は発見されていない。その後、10月7日に江崎社長の自宅(当時)がある兵庫県西宮市内のコンビニから「どくいり きけん たべたら しぬで かい人21面相」と関西弁で書かれた紙が張られた森永製菓製品の菓子が発見され、実際にシアン化ナトリウムが検出された。防犯カメラに犯人とおぼしき男(野球帽の男)が映っていた為、警察はその男の写真を公開、幅広く情報収集に乗り出したが、有力な手がかりは無かった。
その後、かい人21面相と書かれた脅迫状が丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋に次々と送りつけられ現金を要求。江崎グリコに対する休戦宣言の裏で、丸大食品を脅迫したが実際失敗している。
9月18日には森永製菓に脅迫状が送りつけられ、2ヵ月後の11月14日にはハウス食品に脅迫状が届いた。ハウス食品は犯人の指示どおり車に1億円を積み名神高速道路の指定された大津パーキングエリア内で待機したが、その前後に以前から犯人グループの一人と目されていた「キツネ目の男」が一般道から進入できるパーキングエリアで複数回目撃されている。
[編集] 不審車
また、同時間帯に警邏中の滋賀県警の警察官が、名神高速道路の栗東インターチェンジ付近で不審者の乗った自動車を発見した。地元の人しか知らないと言われている高速道路と一般道が交差する場所であり、エンジンをかけてヘッドライトは消している状態であった。警察官が職務質問をしようと近づくとその車は急発進し、市街地へと巧みなテクニックで逃走した。
その後の捜査で、車が停まっていた頭上の高速道路には白い布がフェンスに巻き付けられており、不審車の存在を考えると現金の投下場所であった可能性が高いと報道された。また、この際使用された逃走車から特殊な工場廃棄物が発見されている。
この逃亡事件に関わった滋賀県警は一連のグリコ森永事件の広域捜査には参加しておらず、捜査網を敷いていることなどの捜査に関する情報自体が現場の警察官にもたらされていなかったことから、せっかくの逮捕のチャンスを逃す結果となった。マスコミにより、広域犯罪に対して、警察の縦割り組織の弊害と各都道府県警とのつながりの悪さなど、警察組織の甘さが批判された。その後、マスコミによる滋賀県警批判や、結果的に重要事案の被疑者を取り逃がした可能性が高い点を警察内からも問題視されたことから、当時の滋賀県警本部長が焼身自殺する。
[編集] 事件の終息
翌年の1985年の新年早々、前年の12月に犯人グループが「不二家」を脅迫していた事実を新聞が公表し、不二家脅迫が発覚。2月には「駿河屋」にも届くなど、食品業界の狼狽は続いた。
1985年8月12日(日本航空123便墜落事故と同日。同事故の犠牲者にハウス食品の浦上郁夫社長もいた)、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」との終息宣言が送りつけられた。理由は自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものであった。
この終息宣言の後完全に犯人の動きがなくなり、2000年に時効となった。犯人(かい人21面相こと、キツネ目の男たち)の正体及び動機は不明のままである。
[編集] 事件の特徴
単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがあった。また企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は警察をあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり、失態の責任を取って焼身自殺した滋賀県警本部長(ノンキャリアながら本部長まで出世した人物であった)を「男らしゅうに」と表現し、それと対比させてキャリア出身の責任者を貶めたりするなどしていた。また、江崎グリコと森永製菓は創業者が佐賀県出身なのも共通する。
犯行の際の遺留品の多さにも関らず、遺留品が大量に、広範に流通された商品なので犯人の特定には至らなかった。また、特殊な職種でしか使用されないと言われている廃棄物から捜査が行われたが、犯人に結びつく結果は生まれなかった。なお、犯人も終息宣言の後は一切活動をしていない。警察発表では「犯人は何も得てはいない」ということになっているので、一連の犯行の目的が何であったか、若しくは脅迫された食品会社が裏取引したのではないかと言われているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーはそれを否定している。
脅迫事件において検挙の手がかりとなることの多い犯人と被害者との接触では、児童に要求を伝える電話をかけさせたり、現金の授受に当たって無関係な市民を拘禁・脅迫の上受け取り役に仕立てるといった、従来の常識からは想定外の手口を使い、これも捜査を困難なものにした。
犯行の際に警察無線が傍受されていたのが遺留品から判明した為、警察無線が傍受されると会話の内容が分かるアナログ方式から、既に警視庁で一部導入が始まっていた傍受されても会話の内容が分からないよう暗号化されたデジタル方式への転換を進めるきっかけになった。グリコ・森永事件の捜査においては、警察は傍受を警戒して、当時、警視庁に数台しかなかったデジタル方式の警察無線で連絡を取っていた。
また、警察が「殺人未遂事件」として捜査したシアン化ナトリウム入り食品に関しても、『シアン化ナトリウムが入っていた食品には必ず「どくいり きけん たべたら しぬで」の紙が張られていたのでその罪状が当てはまらないのではないか?』とする意見がある。この点の不備を補うべく、グリコ法こと流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法が制定された。
また、これ以降江崎グリコ製品の包装は、開封された場合元に戻せないようになっている(一時期は商品にフィルム包装をかけていたこともあった)。
結果として毒入り食品による死者は発生せず、また誘拐放火等により命を落とした人もいなかった。そのため、凶悪な事件であるにもかかわらず、市民の中には「かいじん21面相は憎めない奴」と共感する人も少なからずいた。犯人がキャリア警官を嘲笑したり、アフリカ飢餓への募金を呼びかけるなどしたことも、「義賊」の印象を与えた。
この後、この事件を真似た事件が頻発した(1984年だけでも31件発生)が、現在までに全て解決している。
[編集] 脅迫状の文面
犯人からの手紙・脅迫状は、全部で20通にも及んだ。下記の文章は、その脅迫状の一部である。
[編集] 1984年3月19日
人質はあづかった
現金10億円 と 金100kg を よおい しろ
現金と金は 白 か アイボリイ の ライトバンに のせて あすの ごご5じまでに 藤
江部長の タカツキの うちの まえにおけ
車には 北摂の道路に くわしい 会社の運てん手だけ のっておけ
れんらくは藤江 のうちえ TEL する
このことを しらせてええのは とりひきさきの 銀行の支店長と 会社の運てん手と金
子と 藤江だけや
けいさつに しらせたら 人質を かならず 殺す
けいさつにも 会社にも 電電公社にも ナカマがいる
ぎゃくたん知 しても すぐわかる
藤江 のうちと 会社は かんぜんに みはられている
関西の 道路ちづと タカツキのちづと メモ用紙と かくものを よおいすること
現金や 金や 車には ぜったい さいくするな
ワイヤレスマイクも小がたムセンも むだや
運てん手に けいじ つかったら すぐばれるで
TEL ながびかそうとしても だめや
声ださずに メモだけ するんや
金 もらったら 科学的な 調査して 24じかん したら 人質を かえす
現金は 新さつを つかうな
とりひきは いっさい しない
いうことだけ きけ
[編集] 1984年4月8日
けいさつの あほども え
おまえら あほか
人数 たくさん おって なにしてるねん
プロ やったら わしら つかまえてみ
ハンデー ありすぎ やから ヒント おしえたる
江崎の みうちに ナカマは おらん
西宮けいさつ には ナカマは おらん
水ぼう組合に ナカマはおらん
つこうた 車は グレーや
たべもんは ダイエーで こうた
まだ おしえて ほしければ 新ぶんで たのめ
これだけ おしえて もろて つかまえれん かったら おまえら ぜい金ドロボー や
県けいの 本部長でも さろたろか
[編集] 1984年4月22日
(「かい人21面相」が初めて登場した挑戦状である)
けいさつの あほども え
おまえら うそ ついたらあかんで
うそは ドロボーの はじまりや
ちょうせん状は 甲子えん けいさつえも
おくったやないか かくしたら あかん
なきごと ゆっとる ようやから
また ヒント おしえたろ
工場えは 通用門から はいった
タイプは パンライターやポリよおきは
ひろいもんや
かい人21面相
[編集] 1984年5月10日
まづしい けいさつ官たち え
うそは ドロボーの はじまり ゆうたけど まちがい やった
けいさつの うそは ごう盗の はじまり やった
まえの TEL とおくから かけたのを また かくしとるやろ
また けいさつで ごう盗 でるで
グリコは なまいき やから わしらが ゆうたとおり
グリコの せい品に せいさんソーダ いれた
0.05グラム いれたのを 2こ なごや おか山の あいだ
の 店え おいた
死なへんけど にゅう院 する
グリコをたべて びょう院え いこう
10日したら 0.1グラム いれたのを 8こ 東京 ふくおか
の あいだの 店え おく
また10日したら 0.2グラム いれたのを 10こ 北海道
おきなわ の あいだの 店え おく
グリコを たべて はか場え いこう
かい人21面相
[編集] 1984年5月17日
ダイエーの 社長え
グリコの せい品 うらんで よかったのう
あとで わかるで
もうすぐ 8こ おかなならん
わしら こまっとるんや
どこいっても グリコ あらへん
はよ 店え おいて ほしい
はじめに おいた スーパーか デパートには 8こ のうち 5こ サービスしたる
ほかの スーパーえ おまえの とこから
れんらく しとけ
かい人21面相
[編集] 1984年10月8日
全国の おかあちゃんえ
- しょくよくの 秋や
- かしが うまいで
- かしやったら なんとゆうても 森永やで
- わしらが とくべつに あじ つけたった
- 青さんソーダの あじついて すこし からくちや
- むしばに ならへんよって お子たちえ こおたりや
- はかた から 東京までの 店に 20個 おいてある
- 青さん0.2グラムと 0.5グラムの 2しゅるい ある
- 10日したら どくいり かいとらんのを 30こ 全国の
- 店に おく
- そのあとも ぎょうさん よおい してるで
- たのしみに まっとれや
- 森永乳業は せいかと ちがう
- あんぜん やで
- かい人21面相
- かあちゃん たち しってるか
- 警さつちょうの すずきと 大さか婦警の しかたと
- 兵ご犬警の よしのが わしら つかまえられへんと
- やめなあかんのやて きのどく やな
- 【相々傘の絵】
- すずき しかた
- そろそろ やめまひょか しかた ありまへんな
[編集] 1985年2月27日
松崎 え
NHK の テレビ みたで 高木 ええ 男 や ないか
とおちゃんの はかもり しおって なかせるで
わしら 人情に よわいんや
おもえも よお がんばった わしら ほねの ある 男 すきやで
パートの おばはん やとった よおやし 稲生も やめおった
これで わしらも めんつ たつやろ
森永 ゆるしたろ
スーパーも デパートも 森永せい品 うったれや
ぜんでら こもって おまえ すこしは こん生 でけたやろ
おまえも 勝久も これに こりて あこぎな 商売 したら あかんで
あほな CM やって スーパーで うっても スーパー あてに ならへん
だがしや たいせつに せな あかん
あほな CM で 女 こども だましたら あかん
こどもは てんしや エンゼルやで
女は おとなしゅう しとるもんや
らい年の バレンタイン あほな こと しおったら わしら また やったる
わしら おもろい こと かんがえとるんや
わしら なに するか 金沢くん わかるかね
のさかくんが うた つくれ ゆうとる
わしら 小がっこうで さくぶん ほめて もろたこと ない
うた つくる がらや ないけど つきあったろ
はなよりも みのおのさとの もみじがり
みのひとつだに とれぬけいさつ
かい人21面相
[編集] 1985年8月12日(最後のメッセージ)
国会ぎいんの みなさん え 2
- あんたら わすれっぽいな
- わしらの 法りつ そないなっとるねん
- はよ 死刑いりの つくってや
- しが県警の 山もと 死によった
- しがには ナカマもアジトも あらへんのに あほやな
- 死ぬんやったら よしのか しかた やで
- 1年と 5か月も なにしとんねん
- わしら みたいな 悪 ほっとったら あかんで
- まねする あほ まだ ぎょおさん おる
- たたきあげの 山もと 男らしうに 死によった さかいに
- わしら こおでん やることに した
- くいもんの 会社 いびるの もお やめや
- このあと きょおはく するもん にせもんや
- ゆうしゅうな 警察へ とどけたら ええ
- 大学での よしのや しかたが あんじょお してくれるで
- わしらも 悪や
- くいもんの 会社 いびるの やめても まだ なんぼでも
- やること ある
- 悪党人生 おもろいで
- かい人21面相
[編集] 犯人像の推測
この事件の実行者については、 「北朝鮮の工作員」、 「大阪ニセ夜間金庫事件の犯人」、「総会屋」、「株価操作を狙った仕手グループ」、「元あるいは現職警察官」[7][8][9] 、「元左翼活動家」[10][11] [12][13]、、各種の陰謀説など多くの説があり、未だに議論は尽きていない。「キツネ目の男」と呼ばれる不審者の似顔絵も作成された。
[編集] 元グリコ関係者説
江崎家やグリコの内部事情に犯人グループが通じていたことから出た説である。人質を取ったり放火するなど他の企業を脅迫したときにはない行為があることからも、グループの中にグリコに怨みを持つ者がいるのではないかと言われる。
具体的には江崎社長誘拐時に娘の名前を呼んだこと、江崎社長を水防倉庫に監禁したとき、江崎社長に着せていたコートが戦前から戦中にかけてのグリコ青年学校のものだったこと、グリコがすぐ10億円を用意できることを知っていたことなどである。
他にも53年テープと呼ばれる昭和53年にグリコに送られたテープの存在もグリコへの怨恨が原点にあるという説の補強材料になっている。
[編集] 株価操作説
株価操作説の場合、1984年1月時点で745円だったグリコ株は、社長誘拐・工場放火事件があった翌日5月17日には、598円にまで下がっている。即ち、商品に不信を抱かれる事による株価下落を前提にすれば、結果24.5%の利益を得られたとも考えられる。加えて事件の終息宣言を受けて値が戻ることも前提にすれば、底値と思われる時点で買いに転じて更に利益も得られる計算になる。
『週刊現代』で株式情報の担当記者をしたことのある作家の宮崎学は、単純に市場で株式売買するのではなく、企業に自社株を買い取らせる仕手で100億円の利益が得られる可能性を指摘している[14]。宮崎学に任意聴取した刑事もこの説を宮崎に述べたという。
警察の方でも、現金奪取はカムフラージュで株価操作による利益が目的だった可能性を考えて、事件に関係した企業の「空売り・買い戻し」で目立った動きをした人物や団体は徹底的にチェックしていた。中でも当時ビデオセラーという会社を運営していた仕手グループは最重要監視対象として目をつけられていたという[15]。
[編集] 被差別部落説
この事件に関しては、被差別部落関係者が関与しているという説もある。その根拠は、9月18日の森永の男児の声による脅迫テープの周辺環境の音の中に皮革製品に使用される独特のミシンの音が分析の結果入っているということ、犯人グループが使用したもののほとんどがマイノリティの多い町の近くのスーパーで購入されていた、というものであった[16]。しかし、被差別部落関係に対する捜査は、部落解放同盟が抗議をしたため、捜査が打ち切られたと作家の宮崎学はしている[17]。被差別部落出身者の関与については、一橋文哉によるノンフィクション『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』でXとしてほのめかされ、この事件をモチーフにした高村薫の小説『レディ・ジョーカー』でも扱われている。
[編集] 宮崎学説
犯人グループの一人と目されたキツネ目の男に酷似していること、過去にマスメディアを操作して警察と敵対したこと、会社を倒産させて借金を抱えていたこと、地理的条件やアウトローとの人脈から疑われたが、アリバイがあったことと物証がなかったことから、捜査が打ち切られた。宮崎は『噂の真相』1985年10月号で事件に関して語り、その後も1996年に出した自伝『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた五十年』で触れたり、『グリコ・森永事件最重要参考人M』を著したりするなどした。宮崎の友人の大谷昭宏は『グリコ・森永事件最重要参考人M』や同時期のテレビ番組で、宮崎の事を犯人として疑い、宮崎からの反論を受けた。後に大谷は2005年に出演したテレビ番組の中で、「実はまだ少し疑っている」という旨を笑い話として述べた。大谷は2007年6月に発行された「こちら大阪社会部+α社長誘拐スクープ編」のあとがきでも、同じ趣旨の事を述べた。
[編集] 北朝鮮工作員グループ
事件終結後に産経新聞や週刊文春で報じられた捜査線上で浮上して北朝鮮の工作員関係者のグループである。53年テープの声に似た人物が北朝鮮工作員で、その周辺にキツネの男やビデオの男によく似た人物がおり、犯人グループがグリコに要求していた100kgの金塊を持っていたことから、捜査が行なわれた。ただし、これは北朝鮮の国家的謀略というものではなく、金策に困った北朝鮮工作員のグループの犯行ではないかと見られていた。しかし1998年に行なわれた首謀者と目された人物の声紋鑑定やグループ内でキツネ目の男やビデオの男と疑われた人物の面割捜査で、別人であるという結論があり、捜査が打ち切られたという[18]。
[編集] 元暴力団組長グループ
1990年頃から捜査本部がターゲットに絞ったのが暴力団の元組長の実業家を中心とするグループである。元組長が1979年にグリコから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があること、元組長の銀行口座に被害にあった企業の関係者から3億円の入金があったこと、犯行に使われたのと同種の和文タイプライターやタクシー払い下げ車輌を親族が所有していること、グリコに恨みを持つ人物が周辺にいたこと、53年テープに登場する人物と接点があることなどが疑惑の根拠となった。捜査本部は1992年3月に元組長を始めとするグループに任意同行を求めて事情聴取を行なったが、容疑を認める者は誰もおらず、物証もなかった。また、主要なメンバーにはアリバイもあった。捜査本部が最後に総力を挙げて取り組み、グリコ・森永事件の捜査史上最大とも言われるこのグループへの捜査だったが、これをもって事実上グリコ・森永事件の捜査は終了した[19][20][21]。
[編集] 関連事件
[編集] 53年テープ
事件発生の6年前になる昭和53年(1978年)にグリコに金を要求するテープが送られた事件である。テープの内容は初老の男性の声で、江崎社長の誘拐、グリコへの放火、青酸入り菓子のばら撒き、連絡に新聞広告を使うなど、後のグリコへの犯行を予告するような内容であった。送り主の男は過激派の学生が計画しているというこの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして、金を要求していた。グリコ・森永事件の捜査本部はこの送り主の男をグリコ・森永事件の犯人グループの一味と断定して、犯人グループの一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。また、このテープの存在が犯人グループの過激派説の一因ともなった[22][23]。
[編集] ニセ夜間金庫事件
1973年に大阪で起きた大阪ニセ夜間金庫事件もグリコ・森永事件と関係があるのではないかと取り沙汰された。1984年9月18日に森永に1億円を要求した際、マンホールの上に置いた衣装箱の底から1億円を奪取するというトリックじみた手口がニセ夜間金庫事件と類似しているというものであった。
[編集] その他
俳優の京本政樹が事件で使用された和文タイプライターと同じ型のものを使っていたので、一時、捜査線上に浮かんでいたことを、京本がテレビ番組で告白している。
なお、この事件で江崎グリコに次いで脅迫されたのは丸大食品であったが、当初この事実は捜査当局により伏せられ、三社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞がスクープし連続脅迫が発覚、社会に衝撃を与えた(当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された)。事件が「グリコ・丸大事件」ではなく「グリコ・森永事件」と呼ばれるのはこのためとみられる。
また、犯人グループは読売新聞社に宛てた挑戦状でおよそ30年前の1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ「森永 まえ ひそで どくのこわさ しっとるやないか」と森永製菓を挑発していた。同じ挑戦状では明治製菓が当時売り上げ1位で、グリコの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめた、という旨も書かれている。
山瀬まみがTBSのブロードキャスターで証言したところによると、山瀬の父親は森永製菓の社員だったので、当時の山瀬の家庭は事件の影響を受けた。
事件当時の大阪府警察本部長、四方修は退官後マイカル系列のメンテナンス会社、ジャパンメンテナンス(現イオンディライト)社長に就任。その後マイカル本社の社長に就任したが、マイカルは2001年に経営破綻、そのごたごたの中で解任されている。
アマチュア無線用の145MHz帯ハンディー機を受信改造して当時のアナログ警察無線を傍受するなど無線通信に対する知識も高いとされている。また、事件の発生している時期の1984年12月4日にアマチュア無線の7MHz帯オフバンドにて「こちら21面相…」「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのかい」などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によってたまたま傍受録音され、過去にテレビで放映された。捜査本部は犯人グループの可能性が高いと判断して、捜査が行なわれた[24]。
なお、ハウス食品脅迫事件では、身代金目的誘拐以外では極めて稀な「報道協定」が締結された。しかし、この協定には疑問の意見が噴出し、まず日本新聞協会に属さない新左翼系の『人民新聞』が報道し、続けて日本雑誌協会に属さない『噂の真相』の記事が決定打となって、『噂の真相』の発売日に事件未解決にもかかわらず、報道協定は解除された[25]。この報道協定の件は、「かい人21面相」も「報道の自由の自殺やないか」と批判している。
[編集] 類似事件
事件発生後の1984年には、犯人グループに便乗して食品企業を脅した企業恐喝事件が31件摘発された。この中には小中学生がファミコンほしさにネスレ日本を恐喝する、という事件もあった。
これらの便乗犯を筑波大学の小田晋教授は「コバンザメ犯罪」と名付けた。本物の犯人グループも脅迫状で偽者との取り引きに応じないように企業に呼びかけた[26]。なお、犯人グループは江崎勝久グリコ社長の声を録音したテープを同封することで自らが本物である証としていた[27]。
台湾では千面人として報道され、グリコ・森永事件のかい人21面相は有名だったという。1984年12月27日に台中市に住む34歳の男がグリコ・森永事件を真似て、インスタントラーメンに毒を入れたとして食品会社に日本円にして1億5千万円を要求、41時間後に逮捕されるという事件があった[28]。さらに2005年5月、台湾・台中市のコンビニエンスストアの店頭で、シアン化物の混入された瓶入り栄養ドリンク「蛮牛」が置かれ、それを購入・飲用した4人が相次いでシアン化物中毒症状を引き起こし、うち55歳の男性が5月18日深夜に死亡、2名が重体となった。zh:毒蠻牛事件 この栄養ドリンクにはパソコンのプリンターで「有毒、勿喝」(毒入り。飲むな)と印刷されたシールが添付され、グリコ・森永事件を真似た悪質な悪戯として現地マスコミが大々的に報道した。また台湾の衛生当局は保力達ブランドの商品を安全が確認されるまで発売しないように通達した。5月27日に40歳の男が逮捕され、恐喝を目的としグリコ・森永事件を真似たものであると供述した。
[編集] 脚注
- ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p64
- ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p24
- ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p135。
- ^ 例えば朝日新聞は、3月19日の江崎グリコ宛への手紙を「脅迫状」、4月8日に毎日新聞とサンケイ新聞社宛に届い手紙を「初めての挑戦状」とし、以後も同様に区別している(朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、p13、p46)。
- ^ 捜査本部も脅迫状と挑戦状を区別して、『脅迫状・挑戦状分析捜査報告書』を作成している(一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p146)。
- ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、p70
- ^ 「週刊現代」1984年10月20日号、1985年2月2日号
- ^ 「週刊ポスト」1985年1月4日&11日合併号
- ^ 「ペントハウス」1985年3月号
- ^ 「週刊サンケイ」1984年11月8日号
- ^ 「サンデー毎日」1984年10月14日号
- ^ 「週刊読売」1985年4月21日号
- ^ 「週刊ポスト」1985年5月24日号
- ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p166-p179。
- ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p184。
- ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p159。
- ^ 宮崎学、大谷昭宏『グリコ・森永事件 最重要参考人M』幻冬舎、2000年、p74。
- ^ 「総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号
- ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p241-p263。
- ^ 宮崎学『突破者 戦後史の蔭を駆け抜けた五〇年』南風社、1996年、p363-p366
- ^ 森下香枝「グリコ・森永事件23年目の「真犯人」」『週刊朝日』2007年3月23日号、朝日新聞社
- ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p13-p14、p113、p115-p118、p121、p135。
- ^ 総力特集 拉致報道 小誌だけが知る 六つの核心 グリコ森永事件捜査線上に北朝鮮工作員グループ 警視庁極秘ファイル 戦慄スクープ」『週刊文春』2002年11月14日号。
- ^ 一橋文哉『闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相』新潮社・新潮文庫、2000年、p390-p392。
- ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、1985年、p299-p302、p320-p324、p325.
- ^ 朝日新聞大阪社会部『緊急報告 グリコ・森永事件』朝日新聞社、p117
- ^ グリコ・森永事件取材記者グループ『グリコ・森永事件中間報告』山手書房、1984年、p99.
- ^ 情報研究所編『21面相の手記』データハウス、1985年、p110.

