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**植村の内縁の妻。
**植村の内縁の妻。
*雄二:[[山村聡]]
*雄二:[[山村聡]]
**清水の兄。
**清水保子の兄。
*山本弁護士:[[菅井一郎]]
*山本弁護士:[[菅井一郎]]
*清水保子:[[夏川静江]]
*清水保子:[[夏川静江]]

2017年11月24日 (金) 03:34時点における版

真昼の暗黒
ポスター
監督 今井正
脚本 橋本忍
製作 山田典吾
出演者 草薙幸二郎
左幸子
松山照夫
音楽 伊福部昭
撮影 中尾駿一郎
編集 今泉善珠
製作会社 現代ぷろだくしょん
配給 独立映画社
公開 日本の旗 1956年3月27日
上映時間 124分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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真昼の暗黒』(まひるのあんこく)は、1956年に公開された今井正監督、橋本忍脚本の日本映画。製作は現代ぷろだくしょん

概要

原作は、正木ひろしのベストセラー『裁判官―人の命は権力で奪えるものか』であるが、この書籍は、1951年に単独犯だった犯人が罪を軽くすることを目的に、知り合い4人を共犯者に仕立てた冤罪事件である八海事件を扱ったノンフィクションである。映画はこの事件をモデルにしているが、人物名などは実際の人物から変更されている。映画タイトルは、ソ連での自白強要と粛清の惨状を告発したアーサー・ケストラーの同名小説からとられた。

映画公開時はモデルとなった八海事件は審理中だったため、控訴棄却の有罪判決が下されて最高裁に上告する場面で終わっているが、冤罪事件の恐ろしさがリアルに描かれ、ずさんな警察の捜査を告発し、社会派映画の代表的傑作とした。映画の最後の場面で主人公(モデルは阿藤周平、二審で死刑判決を受けたがのち逆転無罪)が拘置所の面会室で別れる母に対して叫んだ「まだ最高裁があるんだ!」は1956年流行語にもなった。

キネマ旬報ベストテン第1位・監督賞、毎日映画コンクール」日本映画大賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、ブルーリボン賞作品賞・脚本賞・脚本賞・音楽賞を受賞し、1956年の映画賞を総ナメにした。また、チェコで開催されたカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭の世界の進歩に最も貢献した映画賞を受賞している。

1959年キネマ旬報社が発表した「日本映画60年を代表する最高作品ベストテン」では第9位にランクインされたほか、1999年に同社発表の「映画人が選ぶオールタイムベスト100」でも第82位にランキングされ、再評価されている。

スタッフ

登場人物

最高裁の動きと国会等における反応

  • 1955年1月18日に、最高裁の五鬼上堅磐事務総長が矢崎情報課長を通じて山田典吾プロデューサーに、「最高裁判所としては、現に最高裁判所に係属しておる事件の映画化は賛成できない旨」を告げる。山田プロデュサーはこれに対し、「映画化をやめるわけにはいかないので、映画化は進める」と答えた[1]
  • 同年11月22日映画倫理委員会(映倫)の荒田正男に対して、最高裁の矢崎情報課長が「係属中の事件を一方のみの立場に立って映画化し、裁判所の事実認定を非難するようなやり方は、いまだかつて聞いたこともないし、また法律文化の点からいっても映画倫理規定の面から言っても十分に考慮していただきたい」旨伝えた。同日午後5時ごろ、山田プロデューサーと今井正監督は、最高裁の矢崎情報課長をたずね、「脚本の不都合と思われる点を指摘してほしい」と申し出るが、情報課長は、「係属中の事件を映画化しているという点に賛成していない」ため、「脚本の内容いかんを問わない」と応じた[1]
  • 1956年4月10日、第24回国会参議院法務委員会で、日本社会党亀田得治議員が1955年4月10日京都市上京区で起きた傷害致死事件(当時、「京都事件」と呼ばれた、無実の4人の少年が誤認逮捕された事件。「京都五番町事件」または単に「五番町事件」ともいわれる[2][3])について、真犯人と見なされる男が、1956年3月[4]、たまたま映画「真昼の暗黒」を鑑賞して自責の念にかられ、4月3日になって京都地検に弁護士に付き添われて凶器持参で自首してきたことに触れて、映画に対する見解を法務政務次官に質したが、政務次官は「その裁判が決定しない前に予断を与えるようなことは、私はよろしくないと思う」と応じた[5]
  • 同年4月16日の参議院本会議で、亀田議員は、真犯人の自首のきっかけをつくり、「四人の少年の人権を守った」この映画について、鳩山一郎首相に「どうお考えになるか」と訊ねたが、鳩山は答弁を避けた[6]
  • 1957年4月9日、第26回国会衆議院法務委員会での「裁判所法等の一部を改正する法律案」に関する公聴会で、日本民主党の高橋禎一議員(広島3区)が「真昼の暗黒」のラストシーンのセリフを引用して「とにかく、有罪の裁判は受けたけれども、最後は最高裁判所があるんだから決して悲観するなという、非常に激励鞭撻しているような面が出てきますが、あれはやはり今の日本の国民の裁判制度に対する一つの常識だと思うのです」[7]と最高裁の位置づけの議論の材料として示した。

その他

  • 1956年の段階では裁判の審理中であったため、製作段階で映画会社や裁判所から圧力がかかった。今井は最高裁判所からの呼び出し通達を無視したため、製作会社は以降、大手配給網から閉め出された。しかし、独立プロの配給で全国を巡回するうちに空前の大ヒット作となった。以降、製作会社は製作映画発表を全国巡回機軸(いわゆるミニシアター系上映)とし、現在に至るまで大手配給網への復帰は叶っていない。
  • 冤罪を訴えた被告人4人については、1968年に無罪が確定した。
  • この映画では二審死刑判決に対して「まだ最高裁があるんだ」という言葉が有名である。なお、日本国憲法下の刑事裁判において、二審で死刑判決を受けて最高裁に上告された数は多いが、最高裁が二審の死刑判決を破棄・差し戻した例は12例(11件・16人)と少ない。

出典

  1. ^ a b 第24回国会参議院法務委員会 第10号会議録
  2. ^ 「冤罪と誤判」 前坂俊之著 田畑書店 (1982 年 5 月刊)
  3. ^ この事件は後にアンビリバボーで取り上げられた。2015年10月15日放送回2016年4月1日閲覧
  4. ^ 出頭した日付は、前坂(1982年)では「3月25日」、1956年の参議院法務委員会における政府委員等の説明(4月10日および4月24日)では「3月20日」とある。
  5. ^ 第24回国会参議院法務委員会 第13号会議録
  6. ^ 第24回国会参議院本会議 第36号会議録
  7. ^ 第26回国会衆議院法務委員会公聴会 第1号会議録

関連項目