コンテンツにスキップ

ひめゆりの塔 (1953年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひめゆりの塔
監督 今井正
脚本 水木洋子
原作 石野径一郎
製作 大川博
出演者
音楽 古関裕而
撮影 中尾駿一郎
編集 河野秋和
配給 東映
公開 日本の旗 1953年1月9日
上映時間 130分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 4,350万円[1]
配給収入 1億7659万円[2][注釈 1]
テンプレートを表示

ひめゆりの塔』(ひめゆりのとう)は、1953年(昭和28年)1月9日公開の日本映画である[4][5]東映製作・配給[4][5]。監督は今井正モノクロスタンダード[5]。上映時間は130分。

沖縄戦で看護婦として前線に立ったひめゆり学徒隊の悲劇を描いた戦争映画。戦争批判とセンチメンタリズムが盛り込まれた作品は配給収入1億8,000万円という大ヒットを記録し、倒産の危機にあった東映を救った[6]第27回キネマ旬報ベスト・テン第7位。1982年(昭和57年)に同脚本・同監督によりリメイク版が公開された。

あらすじ

[編集]
撮影現場にて。手前は監督の今井正。後方、左から、香川京子岡田英次津島恵子関千恵子

1945年(昭和20年)3月、米軍が沖縄上陸作戦に着手するなか、艦砲射撃と艦載機の機銃掃射が続く沖縄。ひめゆり部隊と呼ばれ陸軍病院に配属された女子学生たちは、黙々と任務を遂行していく。卒業式も壕のなかで行われる。いよいよ米軍が迫ってくるなか、軍はいち早く退却。女子学生たちは丸腰で逃げ続けるしかなかった。

キャスト

[編集]

スタッフ

[編集]

作品解説

[編集]

作品は、東映のプロデューサーであるマキノ光雄が周囲の反対を押し切り、「俺は、右でも左でもない。大日本映画党だ」と言い放って[8]、左翼系の映画人だった今井正を監督に起用して製作された。配給収入は1億7,659万円で[1]1952年度(1952年4月 - 1953年3月)の興行成績で第1位となる大ヒット作となった。

沖縄は米軍に占領されていたため沖縄ロケは出来ず、撮影所の野外セットと千葉県銚子市の海岸でのロケで撮影された[9]が、原作の石野径一郎著『ひめゆりの塔』はもちろん、仲宗根政善著『沖縄の悲劇』、沖縄タイムス掲載『沖縄戦記』などの資料を駆使し、波平暁男沖縄民謡の編曲、舞踊振付の専門家を付けて製作された。

円谷英二が特撮を手掛けたとされるが、本作品では特撮関連のクレジット表記がなく、詳細は明らかになっていない[4][注釈 3]

出演者の土屋嘉男によれば、劇団俳優座の研究生として土屋のほか、安井昌二宇津井健仲代達矢らが傷病兵役で出演していた[7]。土屋は、仕事というよりも映画の勉強をさせてもらったといい、土屋自身は遊び感覚であったという[7]

受賞

[編集]

関連作品

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. 映画入場料140円[3]
  2. 土屋自身は、女学生と一緒に逃げる兵隊の役であったと述べている[7]
  3. 資料によっては、円谷ではなく、円谷が設立した円谷特殊技術研究所に所属していた進八郎が担当したと記述している[1]

出典

[編集]
  1. 1 2 3 大特撮 1985, p. 204, 「第十一章 戦後復興編 III 日本映画復興の波に乗って」
  2. 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.96
  3. 「東映 主な戦争映画」『AVジャーナル』2004年9月号、文化通信社、25頁。
  4. 1 2 3 円谷英二特撮世界 2001, pp. 26–27, 「初期作品紹介 1950-53年」
  5. 1 2 3 講談社 編「1950's-1960's 日本空想、特撮映画総覧 東映」『特撮全史 1950-60年代ヒーロー大全』講談社〈キャラクター大全〉、2017年11月29日、138頁。ISBN 978-4-06-220358-6
  6. 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、55頁。ISBN 9784309225043
  7. 1 2 3 「土屋嘉男ロングインタビュー」『キングコング対ゴジラ/地球防衛軍』東宝出版事業室〈東宝SF特撮映画シリーズ VOL.5〉、1986年3月1日、142-143頁。ISBN 4-924609-16-1
  8. 『今井正映画読本』、論創社、2012年、p.204
  9. 『今井正「全仕事」 スクリーンのある人生』、ACT、1990年、p.127

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]