青春の殺人者

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青春の殺人者
The Youth Killer
監督 長谷川和彦
脚本 田村孟
原作 中上健次
製作 今村昌平
大塚和
製作総指揮 多賀祥介
出演者 水谷豊
原田美枝子
音楽 ゴダイゴ
撮影 鈴木達夫
編集 山地早智子
製作会社 今村プロ
綜映社
ATG
配給 ATG
公開 日本の旗 1976年10月23日
上映時間 132分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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青春の殺人者』(せいしゅんのさつじんしゃ)は、1976年公開の日本映画

長谷川和彦監督、水谷豊原田美枝子主演。今村プロ=綜映社=ATG製作、ATG配給。 カラー / ビスタ / 132分。

概要[編集]

長谷川和彦の第1回監督作品。1974年千葉県市原市で実際に起きた親殺し事件を下敷きにした中上健次の短編小説『蛇淫』をもとに、田村孟が大胆に脚本化した。深い理由もなく、行きがかりから両親を殺してしまった青年とその恋人の末路を、突き放した視点から描く。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

サウンド・トラック[編集]

2010年11月24日にサウンド・トラックが発売された。

収録曲[編集]

  1. 想い出を君に託そう(オープニング)
  2. 白い小鳥-インストゥルメンタル#1-(順とケイ子)
    • 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  3. 順と父
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  4. 死体
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  5. 死者の声
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  6. イエロー・センター・ライン-ショート・バージョン-(夕焼け-祭の街へ)
    • 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  7. 想い出を君に託そう-未発表唄入りテイク- (回想-更地にてI)
    • 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  8. 想い出を君に託そう-未発表インストゥルメンタル#1- (回想-更地にてII)
    • 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  9. 想い出を君に託そう-未発表インストゥルメンタル#2- (回想-更地にてIII)
    • 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  10. おかしなウエディング (8mmフィルム「磔刑(はりつけ)」)
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  11. 白い小鳥-インストゥルメンタル#2-(ケイ子のイチジク)
    • 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  12. 殺意-フラッシュ・バック
    • 作曲・編曲:ミッキー吉野
  13. 憩いのひととき-インストゥルメンタル-(回想-海岸のアイスキャンディー売り)
    • 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  14. マジック・ペインティング(回想-スナック開店風景)
    • 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:ミッキー吉野
  15. 憩いのひととき-ショート・バージョン-(エンディング-高速道路)
    • 作詞:奈良橋陽子 作曲:タケカワユキヒデ 編曲:石川鷹彦
  16. スティーヴ・フォックス笑い声

「想い出を君に託そう」「イエロー・センター・ライン」「マジック・ペインティング」「憩いのひととき」はゴダイゴのアルバム『新創世紀』に、「白い小鳥」はタケカワユキヒデのアルバム『走り去るロマン』に、それぞれフル・ヴァージョンが収録されている。

ライナー・ノーツには、杉本博士による解説及び長谷川和彦とタケカワユキヒデによる対談が記載されている。

このサウンド・トラックは名義上、ゴダイゴのアルバムである。

製作経緯[編集]

企画[編集]

1975年8月に長谷川の噂を聞きつけたATG多賀祥介が「一本監督しないか」と長谷川に声をかけスタートした[2][3][4]。製作が決まってクランクインまで丸一年を要した[3]

脚本[編集]

脚本は田村孟だが、長谷川が話をかなり改変し田村からの激しい抗議が来たという[5]

キャスティング[編集]

水谷豊の主演起用は長谷川監督が『傷だらけの天使』を観て気に入り『青春の蹉跌』の脚本で交流のあった萩原健一に紹介してもらったもので、水谷を「日本のジェームズ・ディーンやらないか」と口説いた[6]原田美枝子は当時17歳で大胆なヌードシーンを披露した。原田は過酷な撮影だった本作が嫌で、映画を一度も観ていないという[7]

製作費[編集]

2000万円前後を予定していたが、結局3500万円かかった。長谷川は借金を1500万負ったという。監督は勿論、水谷もノーギャラ。撮影当時、長谷川が30歳、水谷が24歳、原田は17歳であった。1976年度キネマ旬報ベスト・テン1位となったインタビューで長谷川は「他にいい作品がなかったからでしょう。1位、2位、3位、4位なしの5番目の1位でしょう。そう思っています」と答えた[8]

撮影[編集]

1976年春から撮影が始まり、当初クランクアップは8月31日を予定していたが、10月頭まで延長した[1]。撮影は舞台となった市原市と静岡県伊豆下田で行われ[9]全編ロケ。今では考えられないようなゲリラ的撮影が多く、成田スナック(設定上は成田だが撮影場所は市原)に火を付けて燃やすラストシーンも許可を取らずに一発撮り。イメージより火が弱く、スタッフ総出で、ガソリンをバケツに入れて、入れ替わり立ち替わりセットにぶっかけた[1]。平日の夕方、道路沿いに建てられた建物が勢いよく燃えて、周辺は車が大渋滞になった[10]。地元の消防団がやってきて激怒し、「責任者出せ」と言うから、その日たまたま今村昌平がいて、皆で今村を指さし、消防団と今村が揉めている間、ガソリンをかけ続けた[1]

音楽[編集]

長谷川によれば、「音楽は最初はビートルズを使うつもりだったが、著作権料と使用料だけで本編の予算の何倍もかかると言われて諦めた」とのこと。紆余曲折あってゴダイゴになった。長谷川は「インストにしようと思ったが、ゴダイゴが英語のボーカルのままでやりたいって言うから、まあいいかって決めた」と話している。ミッキー吉野は「長谷川監督が全曲英語詞で歌うゴダイゴに興味を持って、音楽を任せてくれた」と述べている[11]。当時、サウンドトラックを日本のロックバンドが、しかも英語詞で手掛けるというというのは珍しかった[12]

興行[編集]

本作の封切上映は日本中で4館だけだった[8]

影響[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g #平山、22-25頁。
  2. ^ 田山力哉『新しい映画づくりの旗手たち』ダヴィッド社、1980年、214-221頁。
  3. ^ a b 長谷川和彦「顔と言葉 非現実的な予算の中で」『キネマ旬報』1976年9月下旬号、59頁
  4. ^ 「対談 長谷川和彦×相米慎二」『月刊シナリオ』 日本シナリオ作家協会、1980年8月、8頁。
  5. ^ 長谷川和彦監督が語り尽くす「青春の殺人者」新事実 本邦初公開の資料も
  6. ^ 長谷川和彦監督、水谷豊に猛アプローチ! 「日本のジェームズ・ディーンやらないか?」
  7. ^ 長谷川和彦監督が35年間新作を撮っていない理由とは
  8. ^ a b 週刊朝日』(朝日新聞出版) 1977年1月28日号、31頁。
  9. ^ 中島丈博「熱気あふれる『青春の殺人者』伊豆・下田ロケ訪問」『キネマ旬報』1976年10月下旬号、77−79頁。
  10. ^ #鈴木、55頁。
  11. ^ 「ミッキー吉野 BAND狂時代」『デイリースポーツ』連載、2014年5月14日付(41)
  12. ^ 轟夕起夫『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』河出書房新社、2002年、239頁。
  13. ^ 「観ずに死ねるか!傑作青春シネマ邦画編」出版記念特集上映会  6/6(金)上映「青春の殺人者」トークレポート
  14. ^ 野沢尚のミステリードラマは眠らない - 電子書店パピレス
  15. ^ 公開記念 監督・プロデューサーが語る『ハナミズキ』ができるまでvol.21 映画「フライングラビッツ」 瀬々敬久監督 | 10Questions【イケメン発掘調査隊】第58回『悪の教典』浅香航大 - シネマトゥデイ
  16. ^ 「撮影現場訪問 逆噴射家族」『キネマ旬報』1984年4月下旬号、138頁。
  17. ^ 「観ずに死ねるか!傑作青春シネマ邦画編」出版記念特集上映会  6/5(木)上映「狂い咲きサンダーロード」トークレポート

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]