曹鑠
(曹偃から転送)
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曹 鑠(そう しゃく、生没年不詳)は、後漢末期の人。曹操の第二子(次男)。生母は早世した劉夫人。曹昂は同母兄で、末妹に清河長公主(夏侯楙の夫人)がいる。また、曹丕・曹彰・曹植・曹熊・曹彪・曹沖・曹林・曹據・曹宇・曹袞らは異母弟にあたる。
母が若死したために兄と妹と共に嫡母の丁夫人に養育されたと思われる。だが、彼は病弱のため正史にはほとんど登場しない。結局20歳前後で若死したという。なお、彼の没年が長兄の曹昂の戦死より前なのか後なのかは一切は全く不明である。ただ、197年に継母の卞氏(曹丕らの生母)が父の曹操の正室に昇格したところを見ると、それ以前に亡くなったと思われる。
229年(太和3年)に甥の明帝曹叡から相王に追封され、「殤」の諡が贈られ、相殤王と呼ばれる[1]。
血統[編集]
- 曹潜 (相愍王、? - 233年)
鑠の子。233年(青龍元年)に相王となるが、同年に死去[1]。
- 曹偃 (相懷王、? - 236年)
潜の子、鑠の孫。234年(青龍2年)に父潜の跡を継ぎ、相王となるが、236年(青龍4年)に没した。嗣子が無かったため、曹鑠の家系は断絶し、相(おそらく沛付近の地方)は魏の直轄地に編入された[1]。