ジョン・メイナード・ケインズ

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ジョン・メイナード・ケインズ
ケインズ経済学
生誕 1883年6月5日
ケンブリッジシャーケンブリッジ
死没 (1946-04-21) 1946年4月21日(62歳没)
イースト・サセックス、ティルトン(near Firle)
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究機関 ケンブリッジ大学
研究分野 マクロ経済学,確率論
母校 ケンブリッジ大学キングス・カレッジ
博士課程
指導教員
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド[1]
William Ernest Johnson[1]
博士課程
指導学生
D. G. Champernowne[1]
ジョーン・ロビンソン[1]
影響を
受けた人物
アダム・スミスデヴィッド・リカードデイヴィッド・ヒュームジョン・スチュアート・ミルトマス・ロバート・マルサスエドマンド・バークシルビオ・ゲゼルG・E・ムーアアルフレッド・マーシャルクヌート・ウィクセルデニス・ロバートソンミハウ・カレツキ
論敵 カール・マルクスフリードリヒ・ハイエクアルフレッド・マーシャルアーサー・ピグー
影響を
与えた人物
T・K・ワイテイカーパトリック・リンチサイモン・クズネッツポール・サミュエルソンジョン・ヒックスジョージ・シャックルウィリアム・ヴィクレージョン・ケネス・ガルブレイスハイマン・ミンスキーロバート・シラージョセフ・スティグリッツポール・クルーグマンヌリエル・ルビーニロイ・ハロッドジョーン・ロビンソンオースティン・ロビンソンリチャード・カーンジェイムズ・ミードピエロ・スラッファ
実績 マクロ経済学
ケインズ経済学
流動性選好説
支出乗数
総需要・総供給モデル
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初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリス経済学者官僚貴族イングランドケンブリッジ出身。20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。有効需要[注釈 1]に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。また、戦後の外為体制(ブレトン・ウッズ体制)をめぐりハリー・ホワイトと案を出し合った。

経済学の大家アルフレッド・マーシャルの弟子であり、論敵アーサー・セシル・ピグーとは兄弟弟子であった。また、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインブルームズベリー・グループとの交流が有名である。

経歴[編集]

ケインズは、ケンブリッジ大学の経済学者であるジョン・ネヴィル・ケインズと母フローレンスとの間に1883年に生まれた[2]

ケインズは、名門パブリック・スクールであるイートン・カレッジを経て、1902年にケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学した。ケンブリッジ大学では、数学を専攻した[3]。学生時代は、政治にも関心を持ち、さまざまな活動を行い、学内のサークル「ザ・ソサエティ」では代表を務めた[3]。1905年にはアルフレッド・マーシャルに学び、経済学の道へと進んだ[4]

ケインズは、1906年にケンブリッジ大学卒業後、高等文官試験を2位で通過して、インド省に就職した[5]。その後、1908年にインド省を退官し、ケンブリッジ大学に戻ってキングス・カレッジの研究員となった[5]。大学では講師として貨幣論を研究・担当し、また経済原論も講義するようになった[6]1912年には経済学誌のエコノミック・ジャーナル誌編集者に就任し、1945年まで務めている[7]。その後、1915年には大蔵省に移り、役人生活を送る[5]

1919年第一次世界大戦の終結のためのパリ講和会議に大蔵省首席代表として参加したものの、寛大な賠償を主張するケインズの提案は受け入れられず、敗戦国ドイツに対し莫大な賠償請求が突きつけられることとなった。これに反対したケインズは6月に大蔵省を辞任し[8]、再びケンブリッジ大学に戻る[5]。同年12月にはパリ講和会議の内幕とその失敗を論証した「平和の経済的帰結」を発表し、ベストセラーとなったものの強い批判を浴びた[9]

その後、1921年には長年の研究をまとめた『確率論』を発表し[10]1923年には『貨幣改革論』を発表した[11]1925年には当時の保守党政権の大蔵大臣であったウィンストン・チャーチル金本位制復帰政策に反対して『チャーチル氏の経済的帰結』を発表し、金本位制復帰論争を引き起こした[12]。その後も1926年に『自由放任の終わり』、1930年に『貨幣論』を発表するなど活発な活動を続けた。またこのころ、ケンブリッジに所属する若手の経済学者が定期的な会合を開き、『貨幣論』の内容に対する討論を行っていた。この集まりはケインズサーカス(ケンブリッジサーカス)と呼ばれ、リチャード・カーンを中心として、ピエロ・スラッファジェームス・ミードオースティン・ロビンソンジョーン・ロビンソンによって構成されていた。このグループの活動期間は短かったが、乗数効果概念の発展に大きな役割を果たした[13]

1936年、ケインズは彼の代表作となる『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表し、激しい論争を呼び起こしたが、この書に端を発するケインズ経済学はまもなく経済学の主流となった。1937年夏に心臓発作を起こして一時活動を縮小するものの[14]、1940年には大蔵大臣の経済顧問として21年ぶりに大蔵省に復帰し、1941年にはイングランド銀行理事に就任。こうした長年の功績により、1942年には男爵位を受爵した[15]1944年にはブレトンウッズ連合国通貨会議に参加し、バンコールという国際通貨の創設を提案するが、結局はアメリカのハリー・ホワイト案による国際通貨基金および世界銀行の設立案が通り、ブレトン・ウッズ体制が築かれることとなった。その後もケインズは主にアメリカと戦時借款や戦後経済体制に対してイギリスの立場から交渉を繰り返したが、こうした激務は彼の健康を損なっていき、1946年に心臓発作で倒れ、サセックス州ファールで4月21日に没した[16]

経済学者として[編集]

ケインズ・モデル[編集]

雇用・利子および貨幣の一般理論』(1935年 - 1936年)では、不完全雇用のもとでも均衡は成立し得るとし、また完全雇用を与えるための理論として、反セイの法則を打ち立てて、「産出高は消費と投資とからなる」とする有効需要の原理を基礎として、有効需要の不足に基づく非自発的な失業の原因を明らかにした。

有効需要は、市場メカニズムに任せた場合には不足することがある。しかし、ケインズは、投資の増加が所得の増加量を決定するという乗数理論に基づいて、減税・公共投資などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、有効需要は回復することができるとした。生産者が価格を変えずに、供給量を総需要に応じて調整する[17]。ケインズは総需要の増大させる方法として、財政政策、特に財政支出政策を重視した[18]

なお、上の議論に対しては、公共投資政策ないし投資の国家管理の本質は、単なる有効需要の付加ではなく、政府による公共投資が企業家のマインドを改善することで経済全体の投資水準が底上げされ得るという点にあり、生産手段の国有化を意味するものではない。

これらの彼の提唱した理論を基礎とする経済学を「ケインズ経済学」(「ケインズ主義」ともいう)と呼ぶ。このケインズの考え方は経済学を古典派経済学者とケインジアンとに真っ二つに分けることとなった。そのため、ケインズ理論の提唱は、のちにケインズ革命と呼ばれるようになった。

ケインズは、大不況下では、金融政策は効果的ではなく、消費を直接的に増やす財政支出政策が最も効果があると主張した[19]。ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となった。

不確実性[編集]

『雇用・利子および貨幣の一般理論』の翌年1937年に発表した補足的論文『雇用の一般理論』においては、経済活動における不確実性の影響を強調した。ケインズは元々はケンブリッジ大学には数理学部に入学しており、博士論文でもある最初の著作は『確率論』(1921年)である。ここにおいてケインズは、確率を数学ではなく論理学の一分野として捉える論理確率主義の立場をとっており、確率や不確実性に関する哲学的問題について広範な考察を行っている[20]。近年のケインズ研究では、この頃の蓋然性や不確実性全般についての考察が、後のケインズの経済学への考え方に関係していると考えられている[21]。有名な「アニマル・スピリッツ(血気)」という言葉は、予測不能な不確実性下であっても投資活動を行う投資家の心理を表したものである。

ハイエクとの関係[編集]

社会主義について[編集]

1925年ソ連を訪問したが、「社会主義には興味がない」と述べ、その意見を『ロシア管見』にまとめている。

政治思想[編集]

ケインズはケンブリッジ時代より自由党の活動に積極的に関与し、この活動を通じて自由主義の確立に努めた[22]

1925年のゼネストに共鳴し、ゼネストの原因を保守党政権財務大臣ウィンストン・チャーチルによる金本位制復帰に求め、『チャーチル氏の経済的帰結』の中でチャーチルをシティの声ばかり聞いて炭鉱労働者を犠牲にする政治家と批判した[23]

1927年8月に自由党党首デビッド・ロイド・ジョージが自由党産業研究会(Liberal Industrial Inquiry)を創設するとそれに参加し、「大きな政府」志向の新たな経済政策を立案し、ここでケインズ主義の理論を確立した[24]。ケインズ自身は議員となることはなかった。1939年に庶民院ケンブリッジ大学選挙区英語版において2議席のうち1つに空席が生じると、ケインズを補欠選挙に推す動きが起き、保守党・自由党・労働党の主要3党がそろって支持を表明したものの、新人議員となることで政治への影響力の低下を懸念したケインズはこれを最終的に拒否した[25]

ケインズは優生学の支持者だった。キャリアの最初期から優生学に興味をもち、1937年から1944年までイギリス優生学協会英語版の理事を務めた[26][27]。1946年の講演では、優生学を社会学で最も重要な分野と述べた[26]

ジャーナリズム[編集]

ケインズのジャーナリズムとの関わりは、1912年のエコノミック・ジャーナル誌編集者就任にさかのぼる[28]。1919年にはヴェルサイユ会議に大蔵省主席代表として出席し、ドイツ経済からは負担しきれない巨額賠償に反対して辞任。その後ドイツへの莫大な賠償金を課したヴェルサイユ体制に対し「平和の経済的帰結」(全集では2巻、東洋経済新報社)を出版し大反論キャンペーンを行った。これ以降ケインズはジャーナリストとしてマンチェスター・ガーディアンやイブニング・スタンダード、タイムズなどに寄稿を行うようになった[29]。また1923年には自由党系の週間紙であるネーション紙を買収して責任者の一人となり、同紙が1931年にニュー・ステイツマン英語版紙と合併してニュー・ステイツマン・アンド・ネーション紙となった後も定期的な寄稿を続けた[30]

投資[編集]

1919年の「平和の経済的帰結」はベストセラーになり、ケインズに多額の収入をもたらした[31]。この収入をもとにケインズは積極的な投資を行い、1920年代初頭には一度失敗したものの1922年には軌道に乗せ、以後も増減はあったものの破産することはなく、生涯を通じ投資から多額の収入を得て非常に富裕であった[32]

ケインズは、独自の投資法を行なっていた。それは、インサイダー情報を当てにせず、朝起きてベッドの中で新聞の金融情報を読み、電話取引を行うだけというものであった。当初の投資成績は順調ではなく、1929年の大恐慌までは散々な結果であった。また、1929年の恐慌は、ケインズも予想することはできず、暗黒の木曜日の時点で、金融資産の8割を株式に集中投資していたという。しかし、1933年からのケインズの動きは素晴らしいもので、中小型の割安株に集中投資するバリュー株戦略で成功した[33][34]。1921年に母校キングス・カレッジの副会計官に就き[35]、1924年には正会計官となったが[36]、ここでカレッジの基金3万ポンドを運用し、38万ポンドに増やした。

また、ケインズは1921年から1938年まで国民相互生命保険会社の会長を務め、1923年から1946年の死までプロヴィンシャル保険会社の取締役になり、他にもいくつかの投資会社を設立・運営するなど、経済人としての活動も行っている[37]

ケインズは、株式価格形成の問題を、当時の新聞で行われていた美人コンテストを例えにして、個々の判断に基づく投資より投資家集団の好みを考慮すべきであると説明した(美人投票)。

私生活[編集]

ダンカン・グラント (左) とケインズ(右)、1912年

ケインズはケンブリッジ時代からリットン・ストレイチーレナード・ウルフ英語版と親しく[38]、そのつながりでヴァージニア・スティーヴンなどとも交友を結んでいた[39]。1905年にヴァネッサトビー、ヴァージニア、エイドリアンのスティーヴン家4人兄弟がブルームズベリーに移住すると、彼らの友人集団はブルームズベリー・グループと呼ばれるグループを作るようになり、ケインズはその主要人物の一人となった[40]。ブルームズベリー・グループとの交友は長く続き、1916年に徴兵制が導入されグループのほとんどが良心的兵役拒否を行った際にはその申請が承認されるよう尽力している。またケインズ自身も、大蔵省勤務を理由に徴兵免除を受けた[41]。ケインズはこの交友の中でしばしば友人たちのパトロンとして振る舞い、また彼らの影響で芸術の審美眼を養ったことは絵画収集や芸術への公的支援支持へとつながっていった[42]

ケインズは若いころ同性愛者であった[43]。1910年頃に画家のダンカン・グラントと同じ部屋で過ごした。ケインズのメモには、1901年から1915年まで関係を持った相手とのリストが残されている[44]。ケインズは1925年にロシア人バレリーナのリディア・ロポコワと結婚し、彼の死まで幸せな結婚生活を送ったが、一方でリディアとブルームズベリー・グループの間には溝があり、やがてケインズがグループからやや離れていく原因となった[45]

ケインズは少年時代から古書の収集癖があったが、ブルームズベリー・グループの影響で1908年から絵画の収集を始め、死後の遺産には大きなコレクションが含まれていた[46]。彼の絵画コレクションは135点に上り、ポール・セザンヌジョルジュ・スーラなどの大家や、ブルームズベリー・グループの友人たちの作品、さらに彼がパトロンとして支援した若手芸術家たちの作品が含まれていた[47]。ケインズは優れた目利きであり、所持する絵画の価値は死亡時には大きく上昇して財産の重要な一部分となっていた[48]

また彼は築き上げた資産から積極的に芸術への支援を行い、1936年にはケンブリッジ・アート・シアターを設立した[49]。ケインズは芸術分野への国家支援を支持しており、1942年に音楽芸術奨励評議会(CEMA)の会長に就任すると、戦争により生活難に陥っているプロの芸術家への支援を充実させる政策をとった[50]。1946年にCEMAが改組されて新たに英国芸術協議会 (Arts Council of Great Britain)が設立されるとその初代会長に就任した[51]

日本語文献[編集]

  • 貨幣改革問題 岡部菅司・内山直共訳. 岩波書店, 1924.
  • 金解禁と国民経済 梶哲次訳. 二酉名著刊行会, 1928.
  • ケインズ貨幣論 鬼頭仁三郎訳. 同文館, 1932-33.
  • 経済学の領域及び方法 浜田恒一訳 春秋社・世界大思想全集第74巻, 1933
  • 戦費支弁論 日本銀行調査局訳. 日本銀行調査局, 1940.
  • 戦費と国民経済 救仁郷繁訳. 東亜書局, 1940.
  • 雇傭・利子及び貨幣の一般理論 塩野谷九十九訳 東洋経済新報社, 1941. 改訂新版1995ほか
  • 「一般理論」セイモア・E・ハリス編、日本銀行調査局訳 -『新しい経済学』(東洋経済新報社, 1949)pp. 276-294. に収録
  • ケインズ「一般理論」講義 高橋泰蔵・塩野谷九十九共編、春秋社, 1951.
  • 自由放任の終焉 山田文雄訳 現代教養文庫(社会思想研究会出版部), 1953.
  • 人物評伝 熊谷尚夫・大野忠男訳 岩波書店(岩波現代叢書), 1959.
  • 説得評論集 救仁郷繁訳 ぺりかん社, 1969. 新版1987
  • 講和の経済的帰結 救仁郷繁ぺりかん社, 1972
  • 世界の名著69 ケインズ ハロッド」中央公論社, 1971
「若き日の信条 自由放任の終焉 私は自由党員か 繁栄への道、アメリカ合衆国とケインズ・プラン」宮崎義一訳
「貨幣改革論 戦費調達論」中内恒夫訳
新版「貨幣改革論 若き日の信条」中公クラシックス中央公論新社, 2005.11
  • 経済学の領域と方法 上宮正一郎訳 日本経済評論社, 2000.4
  • 雇用、利子および貨幣の一般理論 間宮陽介岩波文庫(上下), 2008.3
  • ケインズ説得論集 山岡洋一訳 日本経済新聞出版社, 2010.4
  • 雇用、利子、お金の一般理論 山形浩生講談社学術文庫, 2012.3
    • 要約版「ケインズ雇用と利子とお金の一般理論」ポット出版, 2011.11
    • 超訳 ケインズ『一般理論』 山形浩生編訳・解説、東洋経済新報社, 2021
  • デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集 松川周二訳 文藝春秋〈文春学藝ライブラリー〉2013.10
  • 雇用、金利、通貨の一般理論 大野一訳 日経BPクラシックス, 2021.4

全集[編集]

1、インドの通貨と金融 則武保夫 片山貞雄訳、1977
2、平和の経済的帰結 早坂忠訳、1977
3、条約の改正 千田純一訳、1977
4、貨幣改革論 中内恒夫訳、1978
5・6、貨幣論 小泉明長沢惟恭訳、1979
7、雇用・利子および貨幣の一般理論 塩野谷祐一訳、1983
8、確率論 佐藤隆三訳、2010
9、説得論集 宮崎義一訳、1981
10、人物評伝 大野忠男訳、1980
14、一般理論とその後、第二部、ドナルド・モグリッジ編、清水啓典柿原和夫細谷圭訳、2016
15、インドとケンブリッジ 1906~14年の諸活動 エリザベス・ジョンソン編 三木谷良一山上宏人訳、2010
18、賠償問題の終結 1922~32年の諸活動 ジョンソン編 武野秀樹山下正毅訳、1989
19、金本位復帰と産業政策 1922~29年の諸活動 ドナルド・モグリッジ編 西村閑也訳、1998
21、世界恐慌と英米における諸政策 1931~39年の諸活動 モグリッジ編 舘野敏・北原徹・黒木龍三・小谷野俊夫訳、2015
17、条約改正と再興 1920~22年の諸活動 ジョンソン編 春井久志訳、2014
24、平和への移行 1944~46年の諸活動 モグリッジ編 堀家文吉郎・柴沼武・森映雄訳、2002
26、戦後世界の形成 ブレトン・ウッズと賠償 1941~46年の諸活動 モグリッジ編 石川健一・島村高嘉訳、1988
27、戦後世界の形成-雇用と商品 1940~46年の諸活動 モグリッジ編 平井俊顕立脇和夫訳、1996
28、社会・政治・文学論集 モグリッジ編 那須正彦訳、2013
29、一般理論とその後 第13巻および第14巻への補遺。モグリッジ編 柿原和夫訳、2021 - ※13巻は未刊行

伝記[編集]

宮崎義一監訳、古屋隆訳、東洋経済新報社、1987-1992 - 前半部の評伝
  • スキデルスキー『ケインズ』浅野栄一訳、岩波書店、2001、新版2009 - ケインズ研究の第一人者による伝記
  • スキデルスキー『共産主義後の世界 ケインズの予言と我らの時代』本田毅彦訳、柏書房「パルマケイア叢書」、2003
  • スキデルスキー『なにがケインズを復活させたのか?』山岡洋一訳、日本経済新聞出版社、2010
  • ジル・ドスタレール『ケインズの闘い:哲学・政治・経済学・芸術』山田鋭夫ほか訳、藤原書店、2008
  • ピーター・クラーク『ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯』関谷喜三郎・石橋春男訳、中央経済社、2017
  • ケインズ 西部邁 岩波書店「20世紀思想家文庫」、1983、改訂版・イプシロン出版企画、2005.
  • ケインズ 世紀の經濟學者 山田長夫 壯文社, 1949.3.
  • ケインズ経済学入門 A.H.ハンセン 大石泰彦訳. 東京創元社「現代社会科学叢書」, 1956、新版1986.
  • ケインズ経済学 新野幸次郎置塩信雄共著. 三一書房, 1957.
  • ケインズ入門 人・学説・政策 S.E.ハリス 塩野谷九十九訳. 東洋経済新報社, 1957.
  • ケインズ "新しい経済学"の誕生 伊東光晴 岩波新書 1962.
  • ケインズ入門 塩野谷九十九 社会思想社・現代教養文庫 1968.
  • ケインズ 文明の可能性を求めて 早坂忠 中公新書 1969.
  • ケインズ 著作と思想 則武保夫ほか 有斐閣新書 1978.
  • ケインズ 人と思想 浅野栄一 清水書院 1990、新装版2016.
  • 美濃口武雄『ジョン・メイナード・ケインズ』(一橋論叢1990年4月号、一橋大学機関リポジトリ)[3]

参考文献[編集]

  • 河合秀和『チャーチル イギリス現代史を転換させた一人の政治家 増補版』中央公論社中公新書530〉、1998年(平成10年)。ISBN 978-4121905307
  • 高橋直樹『政治学と歴史解釈 ロイド・ジョージの政治的リーダーシップ』東京大学出版会、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4130360395

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ ミハウ・カレツキが先であるとされる。

出典[編集]

  1. ^ a b c d Mathematics Genealogy Projectを参照。
  2. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、132頁。
  3. ^ a b 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、133頁。
  4. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p37-38 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  5. ^ a b c d 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、134頁。
  6. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p42 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  7. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p42 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  8. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p70 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  9. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p70-74 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  10. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p82 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  11. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p84 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  12. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p93-94 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  13. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p198-200 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  14. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p173-174 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  15. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p176-177 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  16. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p196-197 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  17. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、33頁。
  18. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、76頁。
  19. ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、76頁。
  20. ^ 「歴史と統計学 人・時代・思想」p341 竹内啓 日本経済新聞出版社 2018年7月25日第1刷
  21. ^ 伊藤邦武『ケインズの哲学』岩波書店(1999)ISBN 978-4000227032
  22. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p103-104 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  23. ^ 河合秀和 1998, pp. 212.
  24. ^ 高橋直樹 1985, pp. 206-207/266.
  25. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p118-119 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  26. ^ a b Keynes on Eugenics, Race, and Population ControlMises Institute、2019年11月14日
  27. ^ Keynes, John Maynard - Eugenics Archives
  28. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p90-91 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  29. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p91-97 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  30. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p95-96 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  31. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p65-67 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  32. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p72-74 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  33. ^ Keynes: One Mean Money Manager By JASON ZWEIG (WSJ.com 2012.4.2)[1]
  34. ^ Keynes the Stock Market Investor David Chambers(2012.3.5)[2]
  35. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p80 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  36. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p102 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  37. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p102 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  38. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p28-29 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  39. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p45 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  40. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p46-47 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  41. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p46-48 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  42. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p44 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  43. ^ 奥村宏『経済学は死んだのか』平凡社、2010年、p90
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  45. ^ 「ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯」p84-85 ピーター・クラーク著 関谷喜三郎・石橋春男訳 中央経済社 2017年5月10日第1版第1刷発行
  46. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p100-101 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  47. ^ 「日本は美術品の“価値が見えない”国 国宝や重文さえも「国の資産」に含まれない事情」(文化庁主催シンポジウム ”芸術資産「評価」による次世代への継承 -美術館に期待される役割-”) ログミーBiz 2018年11月30日 2021年4月7日閲覧
  48. ^ 「日本は美術品の“価値が見えない”国 国宝や重文さえも「国の資産」に含まれない事情」(文化庁主催シンポジウム ”芸術資産「評価」による次世代への継承 -美術館に期待される役割-”) ログミーBiz 2018年11月30日 2021年4月7日閲覧
  49. ^ 「ケインズ」(人と思想93)p100-101 浅野栄一 清水書院 2016年8月25日新装版第1刷発行
  50. ^ 金武創「芸術支援政策の財政問題(2)イギリス芸能評議会(ACGB)の財政分析」『経済論叢』第158巻第1号、京都大學經濟學會、1996年7月、 77-92頁、 doi:10.14989/45084ISSN 00130273NAID 110000421745
  51. ^ 吉本光宏、「芸術文化のさらなる振興に向けた戦略と革新を―新生「日本アーツカウンシル」への期待」 文化庁月報 平成23年10月号(No.517) 2021年4月7日閲覧

関連項目[編集]

関連人物

外部リンク[編集]

イギリスの爵位
先代:
新設
初代ケインズ男爵
1942年-1946年
次代:
廃絶