シカゴ学派 (経済学)

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シカゴ学派(シカゴがくは)、方法論的個人主義と呼ばれる意思決定モデルを用いて、市場経済に限られない様々な社会現象の解明を試みた経済学の学派である。しばしば「市場万能主義」、「自由放任主義」、「新古典派」などと混同されるが、誤りである(後述)。シカゴ大学の経済学部を中心に受け継がれてきたことから、この名で呼ばれている。

歴史[編集]

1920年代半ば、シカゴ大学経済学部においてフランク・ナイトジェイコブ・ヴァイナーが教授に就任した。彼らはイギリスの経済学、とくにアルフレッド・マーシャルの体系を受け継ぎ、シカゴ学派の伝統である自由主義の思想を構築した。特にヴァイナーはマーシャルが提唱した企業の費用曲線を制度化し、新古典派経済学のミクロ経済学の分析手法を確立した。また、ナイトはマーシャルから続くイギリスの経済学の伝統である道徳哲学を継承した。

シカゴ学派の創設者フランク・ナイトは、計画経済を批判する一方で競争経済の論理的基盤に対しても等しく批判的で、ヘンリー・サイモンズは電話・鉄道の国有化を提唱していた[1]。また、ジェイコブ・ヴァイナーはリベラリストで、極端な言辞・政策に強い反発を示していた[1]

シカゴ大学においてナイトの下で学んだ自由主義者のミルトン・フリードマンジョージ・スティグラーはシカゴ学派の第2世代と呼ばれる。彼らの活動によりシカゴ学派は著名なものとなったが、ナイトの道徳哲学は継承されなかった。第2世代の特徴は、自らの仮説を統計データを基に検証し、有意な政策的結論を得ようとするものであり、当時イギリスのロンドン大学からシカゴ大学に移ってきたリバタリアンのフリードリヒ・ハイエクによる先験的手法とは、やや異なったものであった。フリードマンはこのような実証的手法によりマネタリズムを構築し、ケインズ経済学の主張する政府の介入政策と対立した。その一方、スティグラーは産業組織論の分野でハーバード学派と対立し、大企業の積極的役割を認め、産業内の企業数と市場成果の関連を否定した。スティグラーは垂直的統合には合理性があると考え、大企業による市場独占を容認する主張をし、独占禁止政策の対象をカルテルに限定し、産業組織論のシカゴ学派として1980年代規制緩和政策の基礎を築いた。

さらにシカゴ学派の中から、一切の政府介入の無効を主張する合理的期待形成仮説や、産業組織論における取引コスト法と経済学が誕生した。また、裁量的財政政策を批判する財政学上のヴァージニア学派とも結びつき、公共選択理論を中心にシカゴ=ヴァージニア学派と呼ばれるものも形成された。

よくある誤解[編集]

誤解を招いた理由[編集]

  • シカゴ大学教授時代のミルトン・フリードマンが一般向けの記事や著書を通じて市場主義的な主張を多くしていたことが印象的であったためか、フリードマン以外のシカゴの経済学者を知らない者はしばしば「シカゴ学派=市場万能主義」と誤解してしまったと考えられる。
  • 経済学の専門用語が日常用語におけるイメージと異なることが多いことも、シカゴ学派の主張が誤解される理由であると考えられる。彼らは方法論的個人主義に基づく意思決定モデルを用いるが、このモデルでは「効率性」、「合理性」、「効用[2]」といった専門用語がよく現れる。経済学を全く学んだ経験がない者は、これらが経済学において定義された術語であることを知らないため、シカゴ学派の主張を誤解してしまったと考えられる。
  • シカゴ学派の経済学者との仲違いが原因でシカゴ大学を去った宇沢弘文は帰国後、長年に渡って国内の学界において権威的な存在であったが、彼はテレビメディアや一般著書を通じてシカゴ学派の経済学者を批判したため、「多くの社会問題の原因はシカゴ学派を代表とする主流派経済学の誤った学説である」という世論が形成された。日本の学界(とりわけ東京大学を中心とする関東)では主流派のマクロ経済学が近年まで受容されずにいたが、その原因として、宇沢弘文の主流派経済学に対する偏見を指摘する経済学者もいる[3]
  • シカゴ学派は、政治犯罪刑法)、民法恋愛結婚企業組織宗教などといった、従来は経済学以外の社会科学分野であった領域を経済学のモデルで分析した。そのため、社会学者、政治学者、法学者などの中にはシカゴ学派を「経済学帝国主義」と蔑称して批判する者もいた[4]。今日におけるシカゴ学派への誤解・偏見は、他分野の専門家によるレッテル張りが功を奏した結果と言える。
  • シカゴ学派が用いる意思決定モデルは新古典派のそれであるため、しばしば「シカゴ学派=新古典派」と誤解される。しかし、新古典派の意思決定モデルを採用していることは必ずしもそれが新古典派であることを意味しないことに注意すべきである。実際、今日におけるケインジアンの主流派は新古典派と対峙しているにも関わらず、新古典派理論による基礎づけを重視している[5]。また、新古典派とは対照的な理論である「新制度派経済学」の産みの親として知られるロナルド・コースはシカゴ学派を代表する経済学者の一人でもあった(1991年ノーベル賞受賞)[6]

シカゴ学派の実際[編集]

  • 「経済学の方法論」を用いると言うと「あらゆることを金銭的に評価する」と誤解されそうだが、実は、標準的なミクロ経済理論のモデルには貨幣は現れない[7]。したがって、シカゴ学派の社会分析は決して物事を金銭的・数値的に抽象している訳ではない[8]
  • 前述の通り、シカゴ学派は様々な分野を経済学的に分析したが、その結果、法と経済学(法学)、組織の経済学(経営学)、公共選択理論(政治学)、宗教経済学(宗教学)といった様々な学際的領域が誕生した。中でも「法と経済学」は今日、世界中のロースクールで必修科目として学ばれている。また、「組織の経済学」も多くのMBAにおいて必修科目である[9]
  • シカゴ学派は市場以外の領域の分析を通じて、企業組織やコミュニティが市場とは別の意味で重要であることを明かにした。すなわち、市場の機能には限界があり、企業組織、コミュニティ、国家(法)が補完的に機能することによって、より望ましい経済が実現するのである。これらは「市場原理主義」とは正反対の思想である。
  • 方法論的個人主義に基づく意思決定モデル(=ミクロ経済学)によって理論を構成するというシカゴ学派のアイディアは、今日では主流派ケインズ経済学にも採用されている(「ニューケインジアン」)。なお、シカゴ学派的な基礎を採用しないケインジアンは「ポストケインジアン」と呼ばれ、「主流派」に対して「異端派」を自称する[10]
  • ロナルド・コースによって主張された所謂コースの定理は標準的な教科書では「外部性の出し手と受け手との間で交渉が行われれば、それが理想的な形で機能する限り、授権のあり方に関わらず、常にパレート効率的な資源配分を実現する」[11]や「企業間に外部性が存在しても、もし取引費用がなければ、資源配分は損害賠償に関する法的制度によって変化することはなく、また常に効率的なものが実現する」[12]等と要約されるが、しばしば「政府の介入を極力嫌い、自由放任の市場競争を良しとするシカゴ学派の思想に基づくもの」[13]と誤解される。しかし、このような交渉による外部性の解決は現実にはほぼ不可能であることは誰の目にも明らかであり、コースは新古典派理論が見落としている「取引費用」の存在の重要性を指摘していたのであった[14]
  • シカゴ大学におけるシカゴ学派の学風は今日でも色濃く残っており、例えば、「マクロ経済学」の名を冠した講義は現在でも存在しない[15]。こうしたシカゴ学派流の教育を受けたエコノミストの主張は世間一般のイメージするシカゴ学派と大いに異なることに驚かれるかもしれない。例えば、長年古典派流の金融政策を批判し続け、現在ではアベノミクス批判の急先鋒である翁邦雄氏(元日本銀行金融研究所所長、現在京都大学教授)はシカゴ大学の出身である[16]
  • ミルトン・フリードマン新自由主義者の代表的経済学者として批判されることも多いが、彼の提唱した「負の所得税」(ベーシックインカム)は現代の福祉国家的政策の中心的アイディアであり、フリードマンや彼に代表されるシカゴ学派は、福祉国家と相反するものと評価するのは誤りである。

主張した政策[編集]

ミルトン・フリードマンが著書『資本主義と自由』において、政府が行うべきではない政策、政府が行っているなら廃止すべきと主張した14政策[17]

  • 1 農産物の買い取り保障価格制度。
  • 2 輸入関税または輸出制限。
  • 3 商品やサービスの産出規制。
  • 4 物価や賃金に対する規制・統制。
  • 5 法定の最低賃金や上限価格の設定。
  • 6 産業や銀行に対する詳細な規制。
  • 7 通信や放送に関する規制。
  • 8 社会保障制度や福祉。
  • 9 事業・職業に対する免許制度。
  • 10 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
  • 11 平時の徴兵制。
  • 12 国立公園。
  • 13 営利目的の郵便事業の禁止。
  • 14 国や自治体が保有・経営する有料道路。

ミルトンフリードマンが提唱した政策

ロバート・ルーカスが提唱した政策

  • 合理的期待形成仮説
    • 政府の行うあらゆる政策は無効であり、むしろ状況を悪化させることがある[18]
    • 家賃の最低額を決める「レント・コントロール」政策は、低所得者は安い家賃の住居が見つけられなくなる[19]
    • 麻薬常習者は健康被害のリスクを自覚し自己責任でやっているため、麻薬の取り締まりは、その人の自由を阻害することになる[20]
    • 人間個人の日々の行為・決断には論理的基礎がある。例えば、自殺は生きることの効用と苦痛を比較した結果、苦痛が効用を上回れば人は自殺する[20]

ゲーリー・ベッカーが提唱した政策

  • 人的資本理論
    • 双曲割引の応用[21]。人は学校教育・職業訓練によって労働者として資質・生産性が高まるため、賃金・所得の獲得能力を高められる。つまり、人はできる限り高い教育を受けることが望ましい[20]

評価[編集]

1990年、1991年、1992年、1993年とシカゴ学派の経済学者が立て続けにノーベル賞を受賞している[22]

経済学者のトーマス・カリアーは「最初の40年間、経済学賞選考委員会はシカゴ学派を不当なまでに優遇してきた。シカゴ学派が提唱する自由市場が好まれたからであろう」と指摘している[23]

経済学者の猪木武徳は「ゲーリー・ベッカーが1992年度にノーベル経済学賞を受賞した際、彼の業績・学風は常に『保守的なシカゴ学派の旗頭』といった紋切型の言葉を用いて紹介されていた。確かにシカゴ学派は、政治学・社会学で幾人もの巨人を世に送り出し、経済学でも重要な人材・学説を生み出したが、経済学に限定してもシカゴ学派は決して均質な一枚岩を形づくってきたわけではない。実に様々な思想傾向・研究スタイルを持つ研究者を輩出してきた」と指摘している[24]

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、120頁。
  2. ^ 「効用」はしばしば各個人の「満足度」と混同されるが、誤りである。現代経済学における「効用」概念は顕示選好理論によって基礎づけられる。すなわち、直感的には、「個人は『効用』を最大化するような行動をする」という形で「効用」概念は定義されている。
  3. ^ 安田洋祐(大阪大学准教授)のTwitter上の発言
  4. ^ 依田高典(2013)「現代経済学(放送大学教材)」,第3章より。
  5. ^ 「ニューケインジアン」の頁より。
  6. ^ 「R.H.コース」の頁及び「新制度派経済学」の頁より。
  7. ^ 神取道宏(2014)『ミクロ経済学の力』, pp.255-256。
  8. ^ 20世紀後半における経済学の対象領域の拡大と、「お金とは関係のない学問としての経済学」については、伊藤秀史(2012)『ひたすら読むエコノミクス』の第1章が詳しい。
  9. ^ 伊藤秀史(2012)『ひたすら読むエコノミクス』,p.7。
  10. ^ マルク・ラヴォア(2008)『ポストケインズ派経済学入門』, 第1章「ポストケインズ派という異端」を参照せよ。
  11. ^ 奥野正寛(2008)『ミクロ経済学』,p.314。もちろん、この記述の直後に「交渉による解決の問題点」が詳述されている。
  12. ^ 武隈慎一(1999)『ミクロ経済学(増補版)』,p. 249。
  13. ^ 神取道宏(2014)『ミクロ経済学の力』, p.269。
  14. ^ 「取引費用」の頁及び、R.H.コース(1992)『企業・市場・法』巻末の訳者による解説を参照。
  15. ^ 『経済セミナー』,2015年4・5月号を参照。ただし、「貨幣経済学」といった各論科目によって通常のコースワーク科目の内容がカヴァーされているという。
  16. ^ 「翁邦雄」の頁及び「日本の経済論争」の頁を参照。
  17. ^ *ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』日経BP、第2章 自由社会における政府の役割 85~87ページ
  18. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、168頁。
  19. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、164頁。
  20. ^ a b c 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、165頁。
  21. ^ 田中秀臣 『雇用大崩壊 失業率10%時代の到来』 NHK出版〈生活人新書〉、2009年、58頁。
  22. ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、17頁。
  23. ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈下〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、264頁。
  24. ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、271頁。

参考文献[編集]

  • ミルトンフリードマン、『資本主義と自由』、日経BP社、2008年、ISBN 978-4822246419
  • ミルトンフリードマン、『選択の自由』、日本経済新聞出版社、2012年、ISBN 978-4532355289
  • ミルトンフリードマン、『政府からの自由』、中央公論社、1991年、ISBN 978-4122018075
  • ミルトンフリードマン、『国際化時代の自由秩序』、春秋社、1991年、ISBN 978-4393621585
  • ミルトンフリードマン、『奇跡の選択』、三笠書房、1984年、ISBN 978-4837953975
  • ミルトンフリードマン、『貨幣の悪戯』、三田出版会、1993年、ISBN 978-4895831239
  • ミルトンフリードマン、『消費の経済理論』、巌松堂出版、1961年

外部リンク[編集]