国際金融市場

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国際金融市場(こくさいきんゆうしじょう)とは、国際間(クロスボーダー)の金融取引が大規模に行われている市場をさす。金融期間の長短によって短期国際金融市場と長期国際金融市場とに分けられ、前者を狭義の国際金融市場、後者を国際資本市場とよぶ場合がある。

条件[編集]

ある国の金融市場が国際金融市場であるためには、次のような条件をできるだけ多く満たす必要がある。

  1. 当該国の通貨が国際取引通貨、準備通貨として広く使われていること。そのためには通貨のへの交換性あるいは政治・経済力を背景として通貨の信認が得られていなければならない。この通貨の信認のもとに、各国の銀行はその金融中心地に当該国通貨の預金勘定をもち、その金融中心地が世界の決済地として機能する。
  2. 組織的な長短期金融市場の存在。世界各国の資金が集中し、そこで資金の調達・運用が行われるためには、長短期の金融市場と金融機関が存在し、世界の銀行の機能を果たしていなければならない。
  3. 外国為替市場の存在。通貨を自由に交換でき、外国送金、金利裁定、為替ヘッジなどの便宜を提供する外国為替市場の存在は不可欠である。
  4. 国際金融取引や外国為替取引の規制が存在しないこと。
  5. 世界的な商品・海運・保険市場の存在。
  6. 通信・情報処理のインフラストラクチャーと金融エキスパートの存在。

歴史[編集]

発生[編集]

13世紀から15世紀にかけてイタリアヴェネツィアジェノヴァフィレンツェローマフランスシャンパーニュリヨンブザンソンパリアビニョンなどの諸都市の定期市において、外国為替市場が組織された。16世紀から17世紀の間にはアントウェルペン17世紀末にはアムステルダムロンドンが重要な外国為替センターとなり、そこで国際金融取引が行われたが、国際金融市場の名にふさわしいものは19世紀半ば以降のロンドンである。さらに第一次世界大戦後、とくに第二次世界大戦後はニューヨークが台頭してきた。

19世紀半ばから20世紀にかけてのロンドンは、これらの条件をすべて満たす世界の一大国際金融センターであった。1816年金本位制採用から1914年の金本位制度停止までの100年近く維持された金平価によるポンドの信認のもとに各種の多角的決済はロンドンで行われ、世界の商品、長短期資本、海運、保険の諸取引はロンドンを中心市場とし、ポンド建信用状付荷為替手形のロンドンにおける引受・割引信用は、第三国間の貿易においても広く用いられ、ロンドンを世界の貿易金融の中心地とした(シティの項目も参照してほしい)。しかしながら第一次世界大戦以後のポンドの弱体化はロンドンの地位の退潮をもたらし、ニューヨークが台頭した。とくに第二次世界大戦後ドルは取引通貨、準備通貨の地位を高め、各国間の国際決済は在米銀行へのドル預金残高の振替によって行われ、ニューヨークの銀行引受手形市場は世界の貿易金融に用いられた。

多極化[編集]

順位
都市
得点
1 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク 89.10
2 イギリスの旗 ロンドン 88.70
3 香港の旗 香港 84.43
4 日本の旗 東京 81.86
5 シンガポールの旗 シンガポール 75.81
6 中華人民共和国の旗 上海 69.12
7 フランスの旗 パリ 66.23
8 ドイツの旗 フランクフルト 60.24
9 アメリカ合衆国の旗 シカゴ 58.88
10 オーストラリアの旗 シドニー 58.15
国際金融センター発展指数
(2013年9月公表)[1]

1971年8月の金交換停止以来の国際通貨としての役割の動揺と世界的な変動為替相場制は、国際金融市場の場所的多極化をもたらしており、今日、フランクフルトチューリヒパリアムステルダム東京その他でも、かなりの規模の国際金融取引が行われている。1950年代以後、アメリカ合衆国の国際収支の継続的赤字が世界にドルを散布し、過剰ドルの時代となるやユーロダラー市場が、またアメリカの対外投融資規制や多国籍企業の活動とあいまってユーロ債市場が出現した。これらは、国内金融市場と一体化した伝統的な国際金融市場と異なり、国境の制約を超えた新しい国際金融市場である。

20世紀の末には、ロンドンはユーロダラー市場の中心地としての地位を確立し、パリやフランクフルトにも活発なユーロカレンシー市場が存在する。その結果、ドル金融をロンドンに奪われたアメリカは、非居住者間の金融取引に租税や為替管理上の特典を与えているオフショア・センターとして、1981年ニューヨークに国際金融ファシリティを設立した。またオフショア・センターはバハマケイマン諸島パナマバーレーンなどが租税回避地として、またアジアダラー市場としてはシンガポール香港が急速に発展してきた。1986年12月、東京オフショア市場も創設された。

21世紀初頭の市場で大きなウェイトを占めた金融派生商品については、1972年にシカゴ商業取引所で通貨先物取引が開始され、1975年にはシカゴ商品取引所で初めて金利先物が上場された。その後1982年にシカゴ商業取引所で株価指数先物・株価指数先物オプション、シカゴ商品取引所で債券先物オプションが導入された。店頭取引として通貨スワップや金利先渡取引が行われた。こうしたデリバティブ取引は1982年イギリスのロンドン国際金融先物取引所、1984年シンガポールのシンガポール国際金融取引所1989年日本の東京金融先物取引所(現:東京金融取引所)、1985年日本の東京証券取引所をはじめ、世界各地の取引所で上場された。1990年代に入ってこれら取引所では電子端末入力による付合せ方式で価格が決定されるコンピューター・システムが導入された。

関連項目[編集]

金融センター