オフショア市場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

オフショア市場とは、非居住者で外貨建ての国際銀行業、有体にはユニバーサル・バンクを誘致するため、金融規制を緩和または撤廃し、税その他の課金を減免する地域である[1][2]タックス・ヘイヴンより広い捉え方をする。

オフショア金融センターを核とする概念である。国際決済銀行ユーロ市場と共に勃興した13のセンターを挙げている。すなわち香港シンガポールバーレーンパナマバハマケイマン諸島オランダ領アンティルバルバドスバミューダレバノンリベリアバヌアツ英領西インド諸島という発展途上地域である。オフショア市場は現地に雇用をもたらせば国民総生産を増加させる。雇用を生まなくても国内総生産は増加するし、営業免許料をとることができる。人口等についてセンターよりも広い概念であるオフショア市場には、ロンドンIBF[3]としてのニューヨークルクセンブルクリヒテンシュタインチューリッヒ東京など先進国もふくまれる。

オフショア市場の業務は金融と保険に大別される。金融は中長期の起債やミューチュアル・ファンドの進出まである。保険というとバハマ・バミューダ・ケイマンが再保険会社の基地と化している。オフショア市場は、その地域が大都市なら情報環境を駆使して機能するが、辺鄙なところでは専らタックス・ヘイヴンとして記帳の役だけを果す。この点、バーチャルなブロックチェーンは両方のいいとこどりであるから世界の金融機関から非常な人気を呼んでいる。オフショア市場はタイプが三つある。東京・ニューヨーク・バーレーン・シンガポールのような国内市場と分離されているタイプが一つ。ロンドンのような国内市場と融合しているタイプが一つ。ロンドンは元々為替管理がなされておらず、国内市場で外貨取引や非居住者との取引に制限がない。そして最後に、ケイマンやバハマなどのタックス・ヘイヴンタイプである。実態のある取引は、ここでの記帳を元に場所を変えて行う。

1979年、ハンガリー国立銀行コメコン域内唯一のオフショア金融機関である中欧国際銀行を創立した。出資割合は、国立銀行が34%、あとはBanca Commerciale Italiana[4]Bayerische Vereins Bankクレディ・アンシュタルト日本長期信用銀行ソシエテジェネラル太陽神戸銀行がそれぞれ11%を出している。オフショア機能については大蔵省が特権を与えており、中央銀行指導およびハンガリー外国為替規則から除外されている。中欧国際銀行の国際金融業務に地理的制約は無い[5]

東京オフショア市場は1986年12月1日に発足した。これをきっかけに国内へ設置される外国銀行の支店数は減り始め、世紀の変わり目前後に思い切りサイズダウンした。東京オフショア市場構想は1968年、シンガポールがオフショア市場となってユーロクリアもできたころに都市銀行から提出されていた。1973年に東京IBF 構想が出ていた。発足へ向けて議論されていた当時は国内の金融政策に影響しないと考えられていたようであるし、ある程度において真実であった[6]。しかし、東京オフショア市場の発足は資本の自由化とその他の関連する政策に大きく影響したし、この市場自体の規制緩和も進んだ。

脚注[編集]

  1. ^ McCarthy I. S., “Hosting Offshore Banks: Benefits and Costs,” IMF Working Paper No. 32. (Washington: International Monetary Fund), May 1979. p.3.
  2. ^ 学者により定義は多少異なるもよう。
    国際通貨基金 Concept of Offshore Financial Centers: In Search of an Operational Definition 2007, p.26.
  3. ^ エッジ法にいう会員銀行とその系列企業が非居住者のためだけにサービスを提供する特別口座。1974年1月に海外向け融資自主規制その他資本規則が撤廃されたのをきっかけに構想が浮上し、1976年6月ニューヨーク州議会で税法上の優遇措置を盛り込んで立法された。これは一応、連邦準備制度がその口座取引について預金準備と金利の規制を撤廃することを条件としていた。
  4. ^ 2003年からインテサ
  5. ^ 田中壽雄 『ソ連・東欧の金融ペレストロイカ』 東洋経済新報社 1990年 pp.104-105.
  6. ^ 発足当初から、一定の範囲で国内・オフショア両勘定間の資金振り替えが認められていた。

関連項目[編集]