スーパー301条

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

スーパー301条とは、1988年包括通商競争力法[1] (Omnibus Foreign Trade and Competitiveness Act) 第1302(a),により、1974年通商法に第301条として追加された、対外制裁に関する条項の一つである。1974年第301条(貿易相手国の不公正な取引慣行に対して当該国と協議することを義務づけ、問題が解決しない場合の制裁について定めた条項)の強化版である。

概要[ソースを編集]

規定の内容は、アメリカ合衆国通商代表部(USTR)に対し、1974年通商法第181条に基づき提出される「外国の貿易障壁に関する年次報告書(NTEレポート)」に基づき、優先的に取り上げる外国(priority foreign countries)及び当該国の慣行(priority practices)を特定し、4月末までに議会に報告するとともに特定された慣行について、通商法301条調査を開始することを義務付けた。これは、USTRによる301条の運用が、必ずしも十分でないとの議会の不満を反映したものであった。

この規定は、1988年及び1989年の2年のNTEレポートを対象とする規定であったが、このときの適用状況は、1989年[2]、USTRは、日本の衛星、スーパーコンピュータ及び林産物、ブラジルの輸入数量制限、インドの保険及び対内投資を特定し、1990年は[3]インド(保険、対内投資)のみを引き続き特定したが、いずれも制裁まで至らずに合意がされた。

スーパー301条の復活[ソースを編集]

このスーパー301条は、前述のとおり1989、1990年限りのものであったが、1994年3月3日、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは、このスーパー301条手続きとほぼ同等の内容の行政命令を発出した。これは、通常スーパー301条を復活させる行政命令と呼ばれているが、厳密には法律の規定を行政命令で変更はできず(特にこの旨が授権されている場合はともかく)、この行政命令は、議会が法律によりUSTRに義務付けたものと同様の内容を、アメリカ合衆国大統領が、行政の最高責任者の権限でUSTRに命令しているものである。

この行政命令の内容は、次のようになっている。

  1. 94、95年の2年間の時限措置(その後の改正で96、97年まで延長)
  2. 優先慣行の特定は、3月末のNTEレポートの議会提出から6ヵ月以内
  3. USTRは、議会報告から21日以内に、通商法301条調査及び協議を開始する。

さらに、ウルグアイラウンド協定法第314条⒡は、1974年通商法第310条を改正して、1995年NTEレポートについてスーパー301条を復活させた。このときは、1994年、1995年とも、いかなる国の慣行も特定されなかったが、日本の林産物及び紙の分野が、将来特定される可能性のある慣行として、監視リストに記載された。しかし、日本の自動車部品問題についてUSTRが職権で(通常の)301条調査を開始したように、スーパー301条でない一方的措置がなくなっているわけではない。

行政命令によるスーパー301条の復活は[4]、1998年は行われなかった。しかし、1999年には、スーパー301条と1979年通商協定法の政府調達条項を、合わせて行政命令で復活させる方針が年初めに発表され、3月31日付けで、行政命令第13116号で正式に復活された。(連邦官報1999年4月5日付け第64巻16333ページ)

内容的には、次のとおりで前回の行政命令によるものより、元々のスーパー301条に近い内容になっている。

  1. 優先慣行の特定は、3月末のNTEレポートの議会提出から90日以内
  2. USTRは、議会報告から90日以内に、通商法301条調査を開始する。
  3. USTRは、通商法301条調査の前に関係国と解決のための協議を行う。

2年ぶり行政命令による復活が行われた背景は、色々あるが、金融を中心にアメリカ合衆国は好景気であるが、それに産業の内情がついておらず、危機感にとらわれた国内の保護主義的動きが背景にあると思われる。

世界貿易機関協定との兼ね合い[ソースを編集]

しかしながら、1999年においては、結局、USTRは、優先慣行の認定を見送った。この理由としては、最近のアメリカ合衆国の奇妙な世界貿易機関優先政策が背景にあると考えられる。これは、まったくWTOの手続きを無視して301条措置をとるより、まずWTOのパネルに持ち込んで、WTO上の正当性を獲得した後に、301条による対抗措置を(WTOで認められたものとして)発動し、譲歩を迫る戦略をとるようになったことで、ある意味ではさすがに一方的措置が難しくなったことは、WTOの権威が増したことであるが、アメリカ合衆国がWTOルールを自国に都合のいい様に持ってきた事も、意味しているものと思われる。[独自研究?]

1974年第301条が[5]、「GATT(関税及び貿易に関する一般協定)に違反しているのではないか」という疑いが持たれており、1998年11月、欧州連合は1974年第301条に基づく一連の手続は、USTR の調査開始後 18か月以内に制裁発動を決定しなくてはならない旨(304条)定めているため、WTOパネルの判断を経ずに、アメリカ合衆国連邦政府による一方的制裁発動を許す余地がある、としてアメリカ合衆国に対し協議を要請、協議はまとまらず、1999年3月にはパネルが設置され、日本は欧州連合側に立って、第三国参加を行った。

2000年1月の紛争解決機関(DSB)会合にて、米国974年第301条パネルのパネル報告書は採択された。パネルは、

  1. 1974年第304条その他は、文言からは WTO協定違反の様に見えるが
  2. アメリカ合衆国大統領が作成した同通商法に関する解釈指針や、アメリカ合衆国連邦政府のステートメントを合わせ読むと、同通商法をWTOに違反しない形で運用するよう指示されているので、1974年第301条関連手続は WTO協定違反とはいえない

としている。

このパネル判断について、日本は「アメリカ合衆国が、パネル会合において行った約束を将来にわたり遵守することが前提となっている以上、今後のアメリカ合衆国のステートメントどおりの履行を期待し、引き続き注視していく必要がある。また、パネルは上記解釈指針やステートメントといった、行政府の自制措置がなければ通商法301条は、WTO協定違反との指摘をしているわけであり、この点につきアメリカ合衆国は重大な警告として受け止めるべきである。」との見解を示した[6]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ Omnibus Trade and Competitiveness Act of 1988 , Pub.L. 100–418, AUG. 23, 1988, 102 Stat. 1107
  2. ^ 1988年のNTEレポートに基づくもの
  3. ^ 1989年のNTEレポートに基づくもの
  4. ^ 正確には前述のとおり同様の内容の行政目未令で法律の復活ではない。
  5. ^ 当然、301条の調査を義務付けるスーパー301条も問題になる。
  6. ^ 2007年版不公正貿易報告書(経済産業省) 第I部 各国・地域別政策・措置第1章:米国p50-51

関連項目[ソースを編集]