高麗航空
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設立 | 1955年 | |||
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ハブ空港 | 平壌国際空港 | |||
マイレージサービス | なし | |||
会員ラウンジ | なし | |||
航空連合 | 未加盟 | |||
保有機材数 | 20機 | |||
就航地 | 5都市 | |||
本拠地 | 北朝鮮平壌市 | |||
代表者 |
(강기섭、Kang Ki Sop) (안평칠、An Pyong Chil) |
高麗航空 | |
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高麗航空のIl-62 | |
各種表記 | |
ハングル: | 고려항공 |
漢字: | 高麗航空 |
発音: | コリョハンゴン |
日本語読み: | コリョこうくう |
2000年式: MR式: キリル文字(コリョマル): ラテン文字転写: 英語表記: |
Goryeo Hanggong Koryŏ Hanggong Корё Ханггонг Koryo Khanggong Air Koryo Korean Airways (Air Koryo) |
高麗航空(コリョこうくう、고려항공)は、朝鮮民主主義人民共和国(以下:北朝鮮)の国営航空会社である。同国のフラッグ・キャリアかつ唯一の航空会社である。
概要
歴史
北朝鮮における航空事業は、旧ソ連・北朝鮮両国合弁による「SOKAO」が1950年から行っていたが、朝鮮戦争終結後の1954年に「朝鮮民航(Choson-Minhang、Korean Airways )」(CAAK)として設立し、1955年9月21日から運航を開始した。朝鮮民航は、他の社会主義国においても見られた民間航空会社と民間航空行政が一体化した組織であった。当初はLi-2やAn-2、そしてIl-12といった旧ソ連製双発レシプロ機を運航しており、1960年代になってIl-14やIl-18といったターボプロップ機が導入された。
近代化は大変遅く、最初のジェット機であるTu-154が導入されたのは1975年のことであり、この際に平壌とプラハ・東ベルリン・モスクワ線を開設した。またTu-154が中距離航空機であったため、途中イルクーツクとノボシビルスクを経由していた。こうした状況は長距離機材のIl-62が導入された1982年には解消し、そのときにはソフィア線も開設された。また国際航空運送協会に加盟したのは1977年のことであった。
朝鮮民航の国際路線は東西冷戦終結もあり、旧東側諸国への路線も大きく縮小した。1993年に、当時の元首(国家主席)である金日成によって航空行政部門と航空営業部門が分離され、後者が「高麗航空」と名称を変更し現在に至る。なお、外形的には会社の形態をとっているが、現在も国営企業である。
保有する旅客機は全般的に老朽化しており、機齢40年近いものもある。しかし、最近になってTu-204-300をロシアから購入、2008年2月23日に最初の機体を受領し、営業路線に就航した[1][2]。
2010年現在、航空連合(航空会社アライアンス)への加盟はしておらず、他の航空会社とのコードシェア運航も行われていない。
航空会社コードの由来
航空会社コードの“JS”は、「朝鮮」を朝鮮語で読んだ「チョソン (Jo-Seon/Jo-Sŏn) 」のイニシャルに由来している。かつて「朝鮮民航」と呼ばれていた頃の名残である。
EU域内乗り入れ禁止
高麗航空は以下の理由により、EUによってEU諸国内の運航、航行禁止処置が取られている[3]。当初、2006年3月から全面運航禁止だったが、2010年3月にEUはツポレフ Tu-204の2機による運航を認めると発表した[4]。
- フランスとドイツにおける抜き打ち検査(“ramp inspections”)において、高麗航空の一部に重大な安全性の欠如の証拠が得られた。これらの欠如は、SAFAプログラムにおいても確認されている。(DGAC/F 2000-2010)
- その後のSAFAプログラムによる抜き打ち検査においても、フランスによって報告された上記の問題が解決されていなかった。(DGAC/F-2000-895)
- フランスによって報告されたこれらの事態は、高麗航空の安全性の欠如を示している。そして、それを是正する能力が無いことも示している。
- フランス当局側の要請にすぐに応える様子がないことから、高麗航空の透明性・連絡体制の欠如が示された。
- 高麗航空側からフランス当局に提示された是正計画は、深刻な安全性の欠如を是正するには不適切かつ不十分なものであった。
- 高麗航空の監督責任者である北朝鮮当局は、高麗航空に対して適切な監督をしていない。これはシカゴ条約にも違反している。
- 以上の事実および一般的な基準[5]から、欧州委員会は高麗航空が安全基準を満たしていないと判断した[6]。
運航路線
国際定期路線
国際定期便は、全て北朝鮮の平壌国際空港(通称:順安空港)発着である。2011年現在の就航都市は以下の5つである。
かつてはモスクワ、ソフィア(モスクワ経由)、ベルリン(モスクワ経由)、マカオなどにも定期便を運航していた。
国際不定期路線
国際チャーター運航
韓国へもソウルをはじめ、必要に応じてチャーター便が運航される。2002年に開催された釜山アジア大会および翌2003年に大邱で開催されたユニバーシアードに来訪し、話題となった北朝鮮の“美女応援団”の往来に際しても、この高麗航空がチャーター便を運航し、彼女らの足を担った。
かつて、日本へも年に1~2回の割合で名古屋空港(現:名古屋飛行場)と新潟空港にチャーター便が乗り入れ、在日朝鮮人の往来やマツタケの輸入、日本人への北朝鮮観光の輸送手段として活用されていたが、乗り入れ機材のツポレフTu-154Bが空港の騒音基準に適合しなくなったため、2002年以後は一度も乗り入れていない。
なお、新東京国際空港(現名称:成田国際空港)へは、1985年に行われたユニバーシアード神戸大会へ選手団を送るため、一度だけイリューシンIl-62による特別便を運航したことがある。
2006年11月22日・12月1日・12月10日の計3回にわたり、初めて中国の大連空港との間にチャーター便を運航した。これは、主に朝鮮総聯関係者を乗せるために運航したと説明し、現時点では再運航の予定は無い模様である。
国内定期路線
北朝鮮においては、民間人の自由な往来が国内ですら許されていない上、経済的に困窮していることもあり、国内線の運航は諸外国とは比べ物にならないほど少ない。また国内線にはイリューシンIl-18Vなどのターボプロップ機が使用されていると言われていたが、現在も同型機で運航されているか否か、そもそも国内線自体が本当に運航されているのか詳細は不明である。
高麗航空 就航都市 (2010年現在) | ||||
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国 | 都市 | 空港 | 備考 | |
アジア | ||||
北朝鮮 | 平壌 | 平壌国際空港 | メインハブ空港 | |
北朝鮮 | 咸興 | 宣徳空港 | 週1便 | |
北朝鮮 | 清津 | 清津空港 | 週1便 | |
北朝鮮 | 三池淵郡 | 三池淵空港 | ||
北朝鮮 | 開城市 | 開城空港 | ||
北朝鮮 | 江界市 | 江界空港 | ||
北朝鮮 | 吉州郡 | 吉州空港 | ||
北朝鮮 | 南浦特別市 | 南浦空港 | ||
北朝鮮 | 新義州市 | 新義州空港 | ||
北朝鮮 | 元山市 | 元山空港 | ||
北朝鮮 | 海州市 | 海州空港 | ||
中国 | 北京 | 北京首都国際空港 | 週3便(臨時便として1日あたり3便程度運航されることもある) | |
中国 | 大連 | 大連周水子国際空港 | ||
中国 | 上海 | 上海浦東国際空港 | 2011年7月1日から就航開始 | |
中国 | 瀋陽 | 瀋陽桃仙国際空港 | 週2便(公式ページには書いていないが2010年現在就航中) | |
タイ | バンコク | スワンナプーム国際空港 | ||
マレーシア | クアラルンプール | クアラルンプール国際空港 | 2011年4月11日から就航開始 | |
シンガポール | シンガポール | シンガポール・チャンギ国際空港 | 季節便 | |
ネパール | カトマンズ | トリブバン国際空港 | 不定期 | |
ヨーロッパ | ||||
ロシア | ウラジオストク | ウラジオストク空港 | 週1便 | |
ロシア | ハバロフスク | ハバロフスク空港 | ||
ロシア | モスクワ | シェレメーチエヴォ国際空港 | ||
休・廃止路線 | ||||
ユーゴスラビア | ベオグラード | ベオグラード・ニコラ・テスラ空港 | ||
東ドイツ | ベルリン | ベルリン・シェーネフェルト国際空港 | ||
ルーマニア | ブカレスト | アンリ・コアンダ国際空港 | ||
ハンガリー | ブダペスト | フェレンツ・リスト国際空港 | ||
ソビエト連邦 | イルクーツク | イルクーツク国際空港 | ||
マカオ | マカオ | マカオ国際空港 | ||
ソビエト連邦 | ノヴォシビルスク | トルマチョーヴォ空港 | ||
チェコスロバキア | プラハ | ルズィニエ国際空港 | ||
ブルガリア | ソフィア | ソフィア空港 | ||
台湾 | 台北 | 台湾桃園国際空港 | 夏季以外運休 |
保有機種
アジア諸国のフラッグキャリアの中で、唯一西側の航空機材を運用したことが無い。2010年現在も、北朝鮮の政治的、財政的な事情でボーイング社やエアバス社など欧米諸国の機体は導入されていない。
ソ連製のツポレフTu-154やイリューシンIl-62、ツポレフTu-134など、いずれも1960年代から1970年代に開発された旧式の機体で占められていたが、前述の通り近年になってロシア製の新鋭機、ツポレフTu-204が導入された。
なお、同国の民間航空機に割り当てられた機体記号は“P”だが、この機体記号を持つのも高麗航空のみである。
- 2009年4月現在の保有機
確認されている機体番号:P-835
確認されている機体番号:P-836
- イリューシン Il-76MD 1機(1990年導入、貨物専用機)
確認されている機体番号:P-912
- ツポレフ Tu-154B 1機 (1975-77年導入)
確認されている機体番号:P-551,P-552
確認されている機体番号:P-561
確認されている機体番号:P-881,885,618
確認されている機体番号:P-632[10],P-633[11]
なお、P-632はTu-204-300、P-633は、やや胴体の長いTu-204-100である。
- 退役している航空機
(参照:CH-Aviation)
確認されている機体番号:P-532,533
確認されている機体番号:P-882
- イリューシン Il-76MD 2機(1990年導入、貨物専用機)
確認されている機体番号:P-913,915
確認されている機体番号:P-813,814
- ツポレフ Tu-154B 2機(1975-77年導入)
確認されている機体番号:P-553
- 発注計画のある航空機[2]
- その他
- 順安国際空港には複数の「保管中」の機体あるとされており、Google Earth上でも確認できる。なお、以前から日曜日には全くフライトが無く、全保有機が順安国際空港で1日中駐機している。
- 金正日専用機「216号」も所有していると思われる(2000年前後にヨーロッパ各国の空港で確認されたイリューシンIl-62(P-618)であると推測されている)。
- 機体の塗装は、朝鮮民航のころ[12]とほとんど変わっていないが、高麗航空に社名を変更した当初は、垂直尾翼には北朝鮮国旗ではなく、水色のコウノトリを赤い丸で囲んだロゴマークを描いていた。[13]現在は、朝鮮民航時代と同様、垂直尾翼には北朝鮮国旗を描いており、コウノトリのロゴマークは機体前方へと移動している。(ページ冒頭の画像参照)
サービス
国際線はエコノミークラスとビジネスクラスの2クラスが設定されている。なお、機材を問わずファーストクラスやプレミアムエコノミークラスは設定されていない。
各クラスに於いて機内食や飲料の提供と免税品販売、スクリーンでの各種画像放映は行われているが、パーソナルTV、PC用電源、機内誌、雑誌、新聞、航空会社オリジナルグッズの提供は行われていない。また、外国人客室乗務員は乗務していない。
また、ビジネスクラスにおけるフルフラットもしくはライフラットシートの提供、ビジネスクラス客への空港ラウンジの提供、出入国審査の優先レーン、空港への無料送迎などにも対応していない。
なお、世界各国の航空会社の格付けを行っているイギリスのスカイトラックス社による2009年時点の評価では、評価対象航空会社で唯一の「1つ星」(最低評価)であり、高麗航空の評価が極めて低いことが分かる[14]。
各種規定
- 受託手荷物は最大20kg(ビジネスクラスは30kg)まで。機内持込み手荷物は1つのみ。爆発物・燃料などの積載は禁止。また、北朝鮮国内への持込自体が禁止されているものも持ち込めない。
- 予約は全て旅行代理店を通じて行う。出発72時間前までのリコンファームが必要。
- 2歳未満の幼児はひざに抱くことを条件に成人の10%の料金。2歳以上12歳以下の子供は成人の75%の料金。
- 搭乗手続きは出発の90分前までに行う。
予約方法
国外からは同社カウンター及び同社代理店で予約・購入できる。「SABRE」やオンライン予約はできない。
事務所、支店
総代理店
事故
- 1983年7月1日 - ギニアのコナクリに向かっていた朝鮮民航の不定期便(Il-62M、機体記号P-889)がギニア山中に墜落、乗員乗客23名全員が死亡したとの報告があった[15]。
- 2006年8月15日 - 同日14:00頃、北京発平壌行きのJS152便(機体記号:P-551とP-561のいずれかと思われる)が悪天候の中、平壌順安国際空港への着陸に失敗、ハードランディング状態になった。慌てて機首上げ(フレア)をしようとしたが失敗、滑走路と安全地帯を逸脱して空港敷地内の藪の中で停止した。金日成の誕生日を祝うアリラン祭の時期で満席状態であったが、外国人を含む全ての乗客は無事であった。機体への被害についての詳細は不明だが、機首脚(前輪の支柱)およびその胴体への取り付け部分に深刻なダメージがあったとの情報もある[16][17][18]。
- 2007年3月6日 - 同日9:20頃、平壌発北京行きのJS151便(機体記号:P-561)が北京首都国際空港への着陸時に左の主脚から出火、そのまま第2ターミナルに到着し、10分後に地上係員の消火器や背広で消し止められた。原因は着陸時の速度超過とタイヤの老朽化とみられている。乗員乗客にけがはなかった。事故機の被害は軽微で、タイヤの交換だけで復旧した[19][20]。
また、韓国紙の朝鮮日報[21]は、1970年以降以下ような事故があったと報じているが、公式には確認されていない。
- 1970年8月 - 旅客機が墜落、搭乗者全員死亡。
- 1970年代? - 旅客機が離陸中に墜落、ピバダ歌劇団など搭乗者100人余死亡。
- 1984年2月 - ソ連に向かっていた旅客機が墜落、搭乗者全員死亡。
関連項目
脚注
- ^ http://www.dprkstudies.org/2008/02/23/air-koryo-prepares-russian-tu-204-300-airliner-for-service/
- ^ a b 北朝鮮の高麗航空、ロシア製旅客機を相次ぎ導入 - 聯合ニュース
- ^ “EU Upholds Flight Ban”. Radio Free Asia. (2010年1月13日)
- ^ EU、北朝鮮・高麗航空の運航制限を緩和
- ^ Fly Well portal (Which contains links to the common air transport policy)(英語), European Commission, March 22, 2006
- ^ Commission Regulation (EC) No 474/2006 of 22 March 2006 (PDF-file)(英語), European Commission, March 22, 2006
- ^ 高麗航空Il-18D(P-835) ウラジオストック空港にて/Airliners.net
- ^ 高麗航空Il-18V(P-836) 北京首都空港にて/Airliners.net
- ^ 高麗航空Tu-204(P-632) 北京首都空港にて/Airliners.net
- ^ 高麗航空最新フリートTu-204の画像
- ^ 高麗航空Tu-204(P-633)
- ^ 朝鮮民航のTu-154が名古屋へ飛来した時の画像
- ^ 高麗航空のTu-154が名古屋へ飛来した時の画像
- ^ [ http://www.airlinequality.com/Airlines/JS.htm Air Koryo Star Ranking for Air Koryo Product Quality- Skytrax]
- ^ Aviation Safety Database report
- ^ First picture of runway overrun North Korean Air Koryo Tupolev Tu-154Flightglobal.com 2006年8月31日
- ^ FCO Country report - August 15, 2006 Tu 154 crash
- ^ Aviation Safety Database report - August 15, 2006 Tupolev 154 crash
- ^ 朝鮮客机在北京机場降落時胎起火(組図)新浪网 2007年3月7日
- ^ Air Koryo TU-154 Tire Caught Fire During Landingairliners.net 2007年3月11日
- ^ 朝鮮日報
外部リンク
- 高麗航空公式サイト
- 中外旅行社(高麗航空日本総代理店)
- Air Koryo:The gateway of DPRK
- 高麗航空(旧朝鮮民航)グッズ