山本モナ
やまもと モナ 山本 モナ | |
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プロフィール | |
本名 | 中西 モナ (旧姓)山本 |
出身地 | 日本・広島県尾道市 |
国籍 |
ノルウェー(6歳まで) 日本 |
生年月日 | 1976年2月11日(48歳) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | ウェールズ大学経営学修士 |
所属事務所 | オフィス北野 |
職歴 | 元朝日放送アナウンサー、元タレント |
活動期間 | 1998年 - 2011年 |
ジャンル | 報道・情報・バラエティ |
配偶者 | あり |
公式サイト | オフィス北野 山本モナ |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
クイズ!ヘキサゴンII 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。等 |
その他 | 故郷の広島・尾道でボランティア活動を行っている |
山本 モナ(やまもと モナ、1976年2月11日 - )は、日本の元・フリーアナウンサー、元タレント。ノルウェー名、モナ・ヘグダル(Mona Hegdal)。 身長168cm、スリーサイズはB89/W63/H92、足のサイズ25.5cm。
略歴
広島県尾道市出身。実家は、尾道にある老舗山本旅館を経営している。
福山暁の星女子中学校・高等学校を経て学習院大学法学部法学科を卒業し、法学の学士号取得。その後ウェールズ大学を卒業し経営学修士(MBA)を取得した。
母親は日本人、父親は三光汽船で外国航路に乗務したノルウェー人航海士。モナが小学校4年の時(1985年)に三光汽船が倒産したため、父親は解雇されノルウェーに帰国。それ以降一度も会うことなく既に他界しているという[1]。
名前の「モナ」の由来は祖父母の名前のイニシャルがMであるため、両親がMから始まる名前を考え「モニカ」が候補に挙がったが、祖母からの「もっと日本っぽい名前に」との意見から却下され、日本人の名前の響きに近い「モナ」になった。ちなみにアラビア語では「希望の星」の意味がある[2]。
- 1982年(昭和57年) - 6歳の時に日本へ帰化。
- 1996年(平成8年) - 「ミスハリー・ウィンストン」グランプリを受賞
- 1998年(平成10年) - 学習院大学法学部法学科卒業後、朝日放送に入社。同期入社のアナウンサーは上田剛彦。
- 2001年(平成13年) - 報道局に人事異動、アナウンス部兼務となる。
- 2004年(平成16年)10月 - アナウンス部に復帰。『ムーブ!』の立ち上げにニュースキャスターとして携わる。この報道局からアナウンス部への異動が朝日放送の退社を考えるきっかけになったという[3]。
- 2005年(平成17年)
- 4月1日 - 『ムーブ!』を降板。
- 6月、朝日放送を退社しフリーとなる。オフィス北野に所属。
- 7月13日・7月14日の『BATTLE TALK RADIO アクセス』の代理出演が退社後の初仕事。『ムーブ!』で共演した評論家宮崎哲弥の紹介による。
- 8月6日 - 『たかじんのそこまで言って委員会(SP)』で、朝日放送時代の上司で先輩の宮根誠司と共演。
- 2006年(平成18年)9月 - 『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターに膳場貴子とともに抜擢されるが、同年10月13日号の写真週刊誌『フライデー』(講談社)見開きトップに当時民主党政策調査会長代理だった衆議院議員・細野豪志(現・環境大臣)と港区南青山での路上キス写真が掲載された[4]。なお、『フライデー』掲載後は体調不良を理由に10月2日から『NEWS23』の出演を休み、10月23日付けで降板。番組出演は僅か5日間だった。
- 2007年(平成19年)1月1日 - 11年ぶりに復活した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でテレビに復帰。スイカのかぶりものをして司会を務める[5]。これを機に活動の場をバラエティ番組にシフトし始める。1月16日 - 約4か月ぶりに自身のブログ『もなろ〜ぐ』を更新し、「私のいたらなさから、去年は大変お騒がせしてしまって…、本当に申し訳ありませんでした。今年は、反省の上に立って、(中略)何かを見つけられる年になれるよう頑張っていきます」とファンに詫びた。
- 2008年(平成20年)7月6日から放送を開始したフジテレビの情報番組『サキヨミ』でキャスターに復帰。しかしその直後の同年7月10日に発売された女性週刊誌『女性セブン』(小学館)において、同郷広島県備後地方出身であるプロ野球選手・二岡智宏[6]と品川区五反田のラブホテル街を出入りしていたとされる「不倫デート写真」が掲載された。この結果『サキヨミLIVE』は1回のみの出演となり、またも不倫を理由とする降板となった。奇しくも番組ポスターや番宣CMでモナ自身は「私は、私に、リベンジするの。」と前回の『筑紫哲也 NEWS23』での不祥事を意識したキャッチコピーが使われていた。
- 2009年(平成21年)1月20日 - 『大竹まこと ゴールデンラジオ!』においてメディア再復帰。聴取者からは8割の支持を得て好意的に迎えられた[9]。
- 『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』の1月30日放送分では、不倫騒動による謹慎後に主演した際「いやあ、男性不信ですよ」と発言したことに対し、金美齢からは「自分の責任感じないで、男の方に責任転嫁しているのではないのか?」「火種を自分でまいておいて、それを一言で男性不信とは反省が足りないと思う」などの追及を受けた。しかし、金が『たかじんのそこまで言って委員会』で語ったところでは、この件に関しては金への批判が殺到したという。
- 2010年(平成22年)8月16日 - ブログで一般男性との結婚を発表。同日再度の投稿で、2011年春の挙式後にタレントを引退することを示唆している[10]。
- 2011年(平成23年)
エピソード
インテリ芸能人
- 高校時代、全国模試の世界史・英語・国語の3教科3科目合計で日本全国で3位の成績をとったことがある[14]。しかし、受験を控えた高校3年生の時に遊びすぎたために、学力が低下したと本人は語っている[15]
肉食系女子
- フリー転身後は肉食系女子キャラとして注目を浴びるケースが多く、バラエティ番組で数多く紹介されている[16]。さらに数多くの不倫騒動を起こしていた。
- 不倫報道後は主な活動の場をバラエティ番組に移す。『ロンドンハーツ』では不倫騒動も含む自身の過去の壮絶な恋愛経験を赤裸々に告白。また『恋のから騒ぎ』でも自身の恋愛経験を話した。
趣味・性格
- 趣味はイタリア語(旅行で困らない程度)、ワイン、映画観賞、読書、旅行、麻雀。特技は英会話、ピアノ、弓道(初段)。
- 麻雀は学生時代に始めて、当時は高田馬場のフリー麻雀に出入りしていた[17]。
- 『アクセス』で共演した井上トシユキ曰く「竹を割って発酵させたようなストレートな性格」。
- キレると備後弁が出ることがある[18]。
- 『ファイナルファンタジーXI』のヘビーユーザー。かつて『週刊ファミ通』(エンターブレイン)に連載を持っていたことがある。
- 酒好きであり、酒豪であると自称している。
その他
- 山陽新聞社尾道支局長だった母方の祖父は、原爆の取材で被爆し亡くなっており、自身は被爆3世となる[1]。2007年8月10日放送の『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』では、太田の取り上げたマニフェストが原子爆弾に関する内容だったため、第二秘書の山本も審議に参加した。
- 大林宣彦監督の尾道を舞台にした映画『転校生』には実家が映っている[19]。
- 『寿命をのばすワザ百科』出演時に測定された推定寿命は、93歳である。
- フリーになり年収が局アナ時代から比べると最大7倍になったと語っている[3]。
朝日放送時代の出演番組
- ムーブ!
- ABC NEWSゆう
- 朝だ!生です 旅サラダ
- 歴史街道 〜ロマンへの扉〜
- Dウイルス・デーモン閣下の世紀末的流行図鑑
- 熱闘甲子園
- グッドモーニング甲子園
- おはよう朝日です
- ワイドABCDE〜す
- ABCニュース
- セレクTV
- ガラスの地球を救え!遊ぼう!!水と太陽と!(2003年)
- 中原秀一郎のラジオTODAY
- ティーンエイジ・ラプソディーズ(ラジオドラマ)
ナレーション(時折出演)
フリー転身後の出演番組
テレビ
- ロンドンハーツ(テレビ朝日、2007年1月30日、4月17日、5月15日 - 2008年6月、2009年5月) - 準レギュラー
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ、2007年2月9日、4月13日 - 2008年7月) - レギュラー
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!(テレビ朝日、2007年5月 - 2008年6月、2010年2月) - 準レギュラー(プレッシャーSTUDY)
- ザ・クイズマンショー(テレビ朝日、2007年10月 - 2008年3月) - 準レギュラー
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ、2007年1月 - 2008年7月) - 不定期出演
- おもいッきりイイ!!テレビ(日本テレビ、2008年4月 - 7月) - 金曜レギュラー
- サキヨミ(フジテレビ・関西テレビ共同制作、2008年7月6日) - MC・レギュラー(不祥事により1回の出演で降板)
- 1年1組平成教育学院 (フジテレビ、2011年4月 - 6月) - 準レギュラー(芸能界引退により降板)
- TCK.TV メインキャスター
その他
- 筑紫哲也 NEWS23(TBS、2006年10月23日にて途中降板)
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ、2007年1月1日)
- 山本モナのセレブ旅マリーアントワネット栄光と悲運…究極の秘密 (テレビ朝日、2008年2月11日)
- ダウンタウンDX (読売テレビ、2008年3月13日・2010年2月25日・11月4日)
- くちコミ☆ジョニー!(日本テレビ、2007年10月 - 2008年3月、水曜レギュラー)
- 芸能界かがく部(テレビ朝日、2008年4月7日)
- びっくり法律旅行社(NHK総合、2008年6月5日)
- さんぷんまる(NHK総合、2008年6月26日)
- 痛快!明石家電視台(MBSテレビ、2009年2月23日)
- 超タイムショック芸能人最強クイズ王決定戦スペシャル5・6・7・9・11(テレビ朝日、2009年3月31日・10月9日・2010年1月5日・9月24日・2011年3月30日)
- 芸能人格付けチェック!これが真の一流品だ!2010お正月スペシャル(ABCテレビ、2010年1月1日)
- 寿命をのばすワザ百科(日本テレビ、2010年8月27日)
- イチハチ「女性芸能人16人のプライベートを徹底調査! その全てを浜田が大暴露SP!」(MBSテレビ、2010年9月8日)
- メレンゲの気持ち(日本テレビ、2010年9月18日)
- 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京、2011年1月18日)
ラジオ
- BATTLE TALK RADIO アクセス(TBSラジオ) 月 - 木ナビゲーター(2006年1月9日 - 9月14日)
- 大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送、火曜日)
舞台
- 「新宿ミッドナイトベイビー」(2010年7月17日 - 7月25日、新宿文化センター)
CM
- ロッテ「モナ王」(『モナ先生篇』)
- ライオン 「バルサン」
- ゴースト 〜天国からのささやき
脚注
- ^ a b 『週刊文春』2007年7月19日号
- ^ 『大竹まこと ゴールデンラジオ!』2007年9月11日放送分より
- ^ a b 『たかじん胸いっぱい』 2011年5月7日放送分 「やっぱりおいしいの? フリーアナ大研究!」
- ^ 「『NEWS23』山本モナが「イケメン代議士と不倫愛」」『フライデー』第23巻第45号、講談社、東京都文京区音羽2-12-21、2006年10月、pp. 5-8。
- ^ ただし、同番組の収録現場と中継を行った『ラジかるッ』で既に姿を見せていた。
- ^ 当時は読売ジャイアンツ所属。のちに北海道日本ハムファイターズに移籍。
- ^ 『サンケイスポーツ』2008年7月10日 20:47付け記事
- ^ モナ出演のフジに抗議電話殺到…収録ずみの「ネプリーグ」 スポーツ報知 2008年7月16日
- ^ 「朝日新聞」2009年1月21日付け記事
- ^ ブログ「もなろ〜ぐ」より もう一つのご報告[リンク切れ]
- ^ 山本モナ の もなろ〜ぐ powered by ココログ: 学位記[リンク切れ]
- ^ http://ameblo.jp/nakanishi-mona/
- ^ ご報告 (公式ブログより)
- ^ 。『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』での本人談
- ^ 『ロンドンハーツ』での本人談。
- ^ 西川史子と山本モナがトークイベントで肉食系のイメージを返上!?
- ^ TBS『チューボーですよ!』2008年4月19日放送分
- ^ 『クイズ!ヘキサゴンII』より
- ^ 山本モナ、新井浩史、江口寿史の選ぶ、ふるい映画って、あたらしい。
関連項目
- 英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム
- jackass - 日本支部長に就任した。
外部リンク
- オフィス北野 - プロフィール
- 中西モナプロフィール(講演依頼.com)
- 中西モナオフィシャルブログ
期間 | 男性 | 女性 | |||||||||||||||||
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月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | ||||||||||
2000.10 | 2002.9 | 岡元昇、堀江政生 | 中浜葉月 | 葛西賀子 | |||||||||||||||
2002.4 | 2002.9 | 岡元昇 堀江政生 |
岡元昇 保坂和拓 |
葛西賀子 | 山本モナ | ||||||||||||||
2002.10 | 2003.6 | 赤江珠緒 | |||||||||||||||||
2003.6 | 2004.3 | 橋詰優子 | |||||||||||||||||
2004.4 | 2004.9 | 堀江政生 保坂和拓 |
保坂和拓 | ||||||||||||||||
2004.10 | 2006.3 | 保坂和拓 | |||||||||||||||||
2006.4 | 2009.3 | 保坂和拓 高橋大作 |
保坂和拓 |