DIR EN GREY
| DIR EN GREY | |
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2009年のニューヨーク公演にて。
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| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック ヴィジュアル系 |
| 活動期間 | 1997- |
| レーベル | 日本国内 FREE-WILL (1997~1998) eastwest japan (1999~2000) Fire Wall Division (2000~) 北米 Warcon Enterprises (2005~2007) The End Records (2008~) |
| 事務所 | SunKrad |
| 公式サイト | DIR EN GREY OFFICIAL SITE |
| メンバー | |
| 京 Voice 薫 Guitar Die Guitar Toshiya Bass Shinya Drums |
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DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)は日本を拠点に活動するロックバンド。1997年に大阪で結成。
目次 |
[編集] 概要
日本を始め世界各国で知名度を持ち、アルバム『UROBOROS』は世界17ヵ国で同時期発売され米ビルボード誌のBillboard 200(アルバム総合チャート)で114位を記録した。また同誌のTop Heatseekersチャートでは1位を、Top Independent Albumsチャートでは9位をそれぞれ記録している[1]。
[編集] 音楽性
楽曲はメタル、ハードコア等をベースに民俗音楽など数々のテイストを含んでいる。
京が非常に多くの歌唱法を使い分ける点も大きな特徴であり、グロウルやファルセット、ミックスボイス、さらに近年ではホイッスルボイス、ガテラルも多用している。
作詩は全て京が行い、作曲はメンバー全員で行っている(京の意向により歌詞の表記は「歌詩」もしくは「詩」とされている)。
活動初期は作曲クレジットにメンバー個々の名前が表記されていたが、『VULGAR』以降は全ての作曲クレジットが「DIR EN GREY」で統一されている。
歌詩は初期から一貫して人間や自然の「痛み」について様々な視点から書かれている。曲ごとのテーマについて多くは語られないが「GLASS SKIN」(環境破壊について)、「我、闇とて…」(聞き手やライブの観客に対してのメッセージ)など雑誌等のインタビューで京が限定的に説明を加えることもある。
[編集] ライブ
日本を始め世界各国でのライブ活動を積極的に行っており、近年は年間で約100公演を消化することもある(2007年:121公演、2009年:95公演)。
MCが行われることはほぼ無く、曲間は京が即興の叫びやアカペラで楽曲を途切れなくつなぐ特徴的な形を取っている。ライブ映像には「INWARD SCREAM」として収録されている。
京が行う過激なパフォーマンス(口内や体を爪や刃物で引っかき血を流すなど)が注目を浴びることが多かったが、近年は流血を伴うパフォーマンスはほぼ行っていない。
[編集] 容姿
結成時から過激なメイクや衣装で活動していたが、2005年以降は基本的にメイクを行わず、私服で活動している。 メイクを止めた理由を薫は「もっと自分たちの内面を表現していきたいと思い始めた時に、そういう(派手な)格好をしていると、どんな気持ちで演奏しても同じに見えてしまうような気がした」「曲への気持ちの込め方が濃くなってきて、派手な格好では逆に曲に負けているような感じがして」と語っている[2]
なお、ごく稀に京が能面風の仮面やメイクを施した上でライブに登場することがある。 また2011年に入り「DIFFERENT SENSE」のミュージック・クリップや「DUM SPIRO SPERO」の発売記念イベントでメンバー全員がゾンビの特殊メイク姿を披露しており、サプライズ的な意味合いでメイクを行うこともある。
[編集] バンド名
DIR EN GREYの意は「DIR」がドイツ語で「銀貨」、「EN」はフランス語で「~の」、「GREY」は英語で「灰色」を合わせ、“灰色の銀貨”という意味であるとされている。[3][4] 米ロサンゼルス・タイムズでは「DIR」はドイツ語で「you(あなた)」、「EN」はスペイン語で「in(~の中で)」という意味にもなり、"To you, in grey"という意味ではないかと推測された(日本語に直訳すると「あなたへ、灰色の中で」という意味になる。)。[5]
活動初期からバンド名はDir en greyと小文字で表記されていたが、シングル「凌辱の雨」以降は主に大文字表記を用いるようになった。
公式ファンクラブ名は「a knot(ノット)」である。
[編集] ミュージック・クリップ
ミュージック・クリップに関してグロテスクな表現を多用したものが多く、レコード会社(EastWestJapanやソニー・ミュージック)、また各放送媒体から規制がかけられる場合がある。ノーカットバージョンの一部はフリーウィルからインディーズ流通で発売されたミュージック・クリップ集『AVERAGE PSYCHO』にて視聴できる。
[編集] メンバー
- 京(きょう 2月16日 – )Vocal→Prophet→AVERAGEvoice→Voice
- 京都府出身、血液型B型。
- 途中クレジットの変更があるが、パートとしては一貫してボーカルである
- 薫(かおる 2月17日 – )Guitar
- 兵庫県出身、血液型A型。
- グループのリーダー
- Die(ダイ 12月20日 – )Guitar
- 三重県出身、血液型B型。
- Toshiya(トシヤ 3月31日 – )Bass
- 長野県出身、血液型B型。
- Shinya(シンヤ 2月24日 – )Drums
- 大阪府出身、血液型B型。
Die、Toshiya、Shinyaは、本人達がそれぞれ「堕威」、「敏弥」、「心夜」と漢字で表記する場合もある。 「堕威」は現在ESPより発売されているピックにも表記されている。
[編集] 概説
[編集] 結成~インディーズ時代
1996年、La:Sadie's(Toshiya以外の4人のメンバーが在籍)が結成される。事実上DIR EN GREYの前身であるが、京は「あくまで再結成する気はなく解散した」と否定している。1年の活動期間を経て解散[6]。
その後再び京、薫、Die、Shinyaの4人が集まり、新たにToshiyaを加え「人間の弱さ、あさはかさ、エゴが原因で引き起こす現象により、人々が受ける様々な心の痛みを世に広める」という意志の元、1997年に大阪で結成。
その後すぐにCOLORのボーカリストDYNAMITE TOMMYに見出され、TOMMYとイーストウエスト・ジャパンが仕掛けたレーベル「ソルフィンステレ」でインディーズデビュー。 CDの製作~流通、コンサートの運営などに関してはフリーウィルと契約して以降はDYNAMITE TOMMYが統括している。
結成後急速に人気を獲得し、インディーズでありながらオリコンのシングル・チャート上位に連続で作品を送り込む。98年発表の「-I'll-」は最高7位を記録し、インディーズ史上最高記録(当時)を樹立。さらに同年11月にはメジャー・デビューを前に日本武道館公演を実現した。
[編集] メジャーデビュー
99年1月、X JAPANのYOSHIKIをプロデュースに迎え「アクロの丘」「残-ZAN-」「ゆらめき」 のシングル3枚同時発売でメジャーデビューを果たし、すべてがオリコン・チャートのトップ10へランクインする。以降、リリースされてきたすべてのオリジナル作品(シングル、アルバム、映像作品)が、同誌によるチャートのトップ10に名を連ねている(2010年3月現在)。
同月テレビ朝日系『ミュージックステーション』に出演し「残-ZAN-」を演奏した。しかしゴールデンタイムにも関わらず刺激度の強い演出や激しい選曲であったことから、放送終了後に視聴者(特に子供を持つ主婦など)から苦情が多数寄せられることとなった。この後「Cage」、「予感」がリリースされた際も出演したが、それ以降は出演していない。
7月には初のフルアルバム『GAUZE』を発表。日本全国をツアーしながら9月には横浜アリーナ公演、12月末には大阪城ホール公演を実現させる。
[編集] 『MACABRE』以降
00年、アルバム『MACABRE』で民俗音楽など多くのテイストを取り入れ、独特の暗い世界観を色濃くした。 またそれまではプロデューサーとしてYOSHIKIを始めホッピー神山、COLORのTATSUYA、JILSのYUKIYA等を迎えていたが「太陽の碧」以降は完全にセルフプロデュースとなった。
しかしアルバム発売に伴う全国ツアー「TOUR 00>>01 MACABRE brain gain(er) brain drain(er)」初日の公演中に京が左耳に突発性難聴を発症し、ツアー25公演を翌年に延期・1公演の中止を余儀なくされる。
復帰後京は「(一般ウケを気にしていた部分が)吹っ切れた」と語り[7]、以降「口内に仕込んだ液体をステージや客席に撒き散らす(~「鬼葬」、「six Ugly」期)」「口内や体を爪や刃物で引っかき血を流す(「VULGAR」~「THE MARROW OF A BONE」期)」など、それまで以上に過激なパフォーマンスを行うようになった。
01年には前年度の振替公演ののち、自身2度目の日本武道館公演を行う。
02年にはアルバム『鬼葬』を発表し、東アジア4カ国7公演(上海、香港、台湾、韓国など)を含むアジアツアーを行い初の海外進出を果たす。のべ10万人を動員し、上海では過熱した観衆の沈静化のために公安が出動するという一幕も見られた。 ツアー最終公演では3年半振りに横浜アリーナ公演を行う。
[編集] 『VULGAR』以降 ~ 欧米進出
02年発表の『six Ugly』「Child prey」でその兆しを見せていたが、03年発表のアルバム『VULGAR』でヘヴィロックへ大幅に接近し音楽性を大きく変化させた。
音楽性の変化とともに海外からの注目度も増し、次作『Withering to death.』はドイツでチャート7位[8]、フィンランドでは欧米のアーティスト以外で初めてチャートにランク(順位:31位)されるという快挙[9]した。また以前よりアルバムがドイツ・フランスで各3万枚を売り上げており[10]を記録した。
現地から殺到するオファーに応え、2005年5月にベルリンで初の欧州単独公演を行い3,500人を収容する会場を完売させる。その後欧州最大級のロックフェスティバル「Rock am Ring」「Rock im park」を始め各フェスティバルへの出演を果たす。
帰国後には国内単独ツアーの合間を縫い「Taste Of Chaos Tour Japan 2005」へ参加し、THE USEDやKILLSWITCH ENGAGEらと共演する。
また、この頃からメンバー全員がノーメイクで活動するようになった。
2006年
2006年5月に米国での『Withering to death.』が発売が決定し、それに先駆けて3月に「SXSW」への出演を含むツアーを行い、5000人クラスのライブ会場を完売させる[11]。同アルバムはビルボード誌のTop Independent Albumsチャートで42位にランクインしている[12]。
5月には2度目の欧州ツアーを行う。また1年ぶり2回目の「Rock am Ring」「Rock im park」で日本人では初めてメインステージでの演奏を行った。各日10万人の観衆の前で演奏することとなった[13]。
7月31日・8月1日に日本武道館公演を開催。2日分のチケットが45分で完売した。
8月4日より、KoЯn主催の北米ツアー「THE FAMILY VALUES TOUR」計31公演へ参加[14]、のべ60万人近い観衆の前で演奏した。
帰国後、10月14日に日本最大のヘヴィメタルフェス「LOUD PARK 06」に出演。
11月、大手音楽専門チャンネルMTVの人気番組『ヘッドバンガーズ・ボール』の視聴者投票による「トップ25メタル・ビデオ」で「朔-saku-」のミュージック・ビデオが日本人の作品として初めてノミネートされ、グランプリを獲得した[15]。
[編集] 2007年~ 本格的な世界進出
2007年
結成10年目となる2007年からは特に世界各国での活動が顕著となり、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、オランダ、スイス、ポーランドなど、一日刻みの過密日程で世界中でライブを行うようになっていった[16]。
2月、北米ツアー「TOUR07 INWARD SCREAM」(全18公演)を行う。 また2月7日に6枚目となるアルバム『THE MARROW OF A BONE』を日本を始め世界11カ国で同時発売する。米ビルボードのTop Heatseekersチャートで8位[17]、Top Independent Albumsチャートで21位にそれぞれランクインしている[18]。
3月から5月にかけ日本国内ツアー「TOUR07 THE MARROW OF A BONE」を行う(全21公演)。
6月6日よりアメリカに渡り「THE FAMILY VALUES TOUR」で共演したDEFTONESの北米ツアーへ参加する(全23公演)。
8月には通算3度目の欧州ツアーを行う(全10公演)。イギリスでの単独公演をはじめ、ドイツで開催された世界最大のヘヴィ・メタル・フェス「Wacken Open Air」など4つのフェスに出演する[19]。
9月から10月にかけ国内ツアー「TOUR07 DOZING GREEN」を行う(全21公演)。
10月24日シングル「DOZING GREEN」をリリース。オリコンチャートで自身最高位の3位を獲得する。
11月に再び渡欧し通算4度目の欧州ツアーを行う(全6公演)。帰国後LINKIN PARKのさいたまスーパーアリーナでの日本公演にゲストとして参加。
12月、「THE FAMILY VALUES TOUR」で共演した10 yearsをサポートに迎え、国内ツアー「TOUR07 THE MARROW OF A BONE」を行う(全13公演)。また12月19日に初のベストアルバム『DECADE 1998-2002』『DECADE 2003-2007』を完全生産限定で発売した。
結成から10年を迎えた2007年の公演回数は、バンド史上最多の121公演にのぼった。
2008年
5月1日より国内ツアー「TOUR08 DEATH OVER BLINDNESS」を行う(全16公演)。 その合間を縫い5月4日に行われたhide追悼ライブイベント「hide memorial summit」に出演。自身の曲以外にhide作詞作曲の「Miscast」を演奏した(数回のファンクラブ・イベントを除き、他アーティストの楽曲カヴァーを行ったのはこれが初めてである)。
9月10日、シングル「GLASS SKIN」をリリースする。同日から年2度目となる国内ツアー「TOUR08 THE ROSE TRIMS AGAIN」(全19公演)を行う。
11月5日よりThe Human Abstractをサポートに迎え、北米ツアー(全22公演)を行う。
11月12日、7枚目となるアルバム『UROBOROS』を世界17カ国で同時発売する。名実ともにそれまでの集大成と言える作品となり、初週に約6000枚を売り上げ、米ビルボード誌のThe Billboard 200(アルバム総合チャート)で114位を,Top Heatseekersチャートで1位を記録する[20]。
12月26日、MTVの『ヘッドバンガーズ・ボール』で「DOZING GREEN」のミュージック・ビデオが「トップ25メタル・ビデオ」で「朔-saku-」に続き2度目のグランプリを獲得する。
12月24~31日にかけ国内ツアー「BAJRA」(全4公演)を行う。
12月29日、1999年以来9年振りとなる大阪城ホール公演「UROBOROS-breathing-」を行う。前回の公演時を大きく超え1万人以上が来場した。
2009年
1月13日よりイギリス「Kerrang!」誌主催の「Kerrang! Relentless Energy Drink Tour 2009」に参加し約1ヶ月をかけ欧州各国で公演を行う(全14公演)。 また音楽週刊誌として世界最大の発行部数を持つ同誌の表紙を京が飾る(1月24日発売号)[21]。
2月から5月にかけ国内ツアー「TOUR09 FEAST OF Ⅴ SENSES」を行う(全42公演)。前半は収容人数300人程度の小規模ライヴハウスで公演を行い、中盤はファンクラブ限定ライブに加え、男性限定ライブを開催。後半は収容人数1000人以上の大型ライブハウスを回った。 またツアー中の3月9日、目黒・鹿鳴館で“F.O.V.S.”というバンド名でシークレット・ギグを敢行。アンコールには久しく演奏されてこなかったメジャーデビュー曲「残-ZAN-」が演奏された。
6月、再び渡欧しKILLSWITCH ENGAGEとの2マン公演などを含むヨーロッパツアーを行う(全15公演)。3年ぶりとなる「Rock Am Ring」「Rock Im Park」を始め、イギリスの「Download」、オーストリアの「Nova Rock」、スウェーデンの「Metal Town」など5つのロックフェスへ出演する。
8月から9月にかけ年2度目の国内ツアー「TOUR09 ALL VISIBLE THINGS」を行う(全10公演)。
10月28日、ミュージック・クリップ集「AVERAGE BLASPHEMY」を発売する。当初は5分程度で放映されていた「VINUSHKA」の約10分のフル尺版が収録されているが、「VINUSHKA」「AGITATED SCREAMS OF MAGGOTS」はソニー・ミュージックの方針により映像処理を行った上での収録となっている。
11月、チリでの単独公演・ブラジルのロックフェス「Maquinaria Festival」への出演など、初の南米公演を含む全米ツアー「OVERSEAS (North / South America) TOUR09 ALL VISIBLE THINGS」を行う(全12公演)。
12月2日、「残-ZAN-」のリメイク「残」を含むシングル「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」を発売し、オリコンチャートで自身最高位である2位を獲得した。
12月26・28・30日に東名阪ツアー「DORJE」を行う。
2010年
1月9・10日、日本武道館公演「UROBOROS -with the proof in the name of living…-」を行う。2日分のチケットが発売後15分で完売となった。最終的に「UROBOROS」発売に伴うツアーは15カ国85都市で計102公演となった。
5月15日より、武道館のライブと舞台裏でのメンバーを追った映画『劇場版 DIR EN GREY -UROBOROS-』が全国ロードショーで上映される。26日には武道館公演の模様を収録したDVD「UROBOROS -with the proof in the name of living…- AT NIPPON BUDOKAN」を世界17カ国で同時発売する。
6月よりツアー「THE UNWAVERING FACT OF TOMORROW TOUR2010」を行う。
6月から7月にかけ国内ツアーを行い(全9公演)、7月25日に韓国のロックフェス「Pentaport Rock Festival」へ参加する。
8月1日にはイギリス「Sonisphere Festival」へ参加。その後ロンドン1公演と自身初のロシアでの公演(2公演)を行う。
8月23日よりAPOCALYPTICAとのダブル・ヘッドラインによる北米ツアー(全16公演)を行う。 9月8日のロサンゼルス公演以降はAPOCALYPTICAのステージに京が参加し、APOCALYPTICAの楽曲「Bring Them To Light」でボーカルを務めた。
10月から11月にかけ年2度目の国内ツアー(全10公演)を行い、10月16日日本最大のヘヴィメタルフェス「LOUD PARK 10」に2006年以来となる2度目の出演をする。
10月26日発売の「ソウ ザ・ファイナル 3D」のサウンドトラックに「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」で参加する。
12月1日発売の遠藤ミチロウのトリビュートアルバム「ロマンチスト~THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album~」に「ワルシャワの幻想」(THE STALINの楽曲)で参加する。他アーティストの楽曲カバーを音源化するのはこれが初めてとなる。
12月27日から1月6日にかけ国内ツアー「THE UNWAVERING FACT OF TOMORROW TOUR2010-2011」を行う(全6公演)。
2011年
1月26日、14か月ぶりとなるシングル「LOTUS」を発売する。
5月14日より、初のファンクラブ限定ツアー「「a knot」only TOUR2011 DECOMPOSITION OF THE MOON」(全8公演)を行う。
6月22日、アルバムに先駆けて通算27枚目のシングル「DIFFERENT SENSE」をリリースする。
8月3日、前作から2年9ヶ月振りとなる8枚目のアルバム「DUM SPIRO SPERO」をリリース。
8月6日より、欧州ツアー「TOUR2011 PARADOX OF RETALIATION」(9カ国/全12公演)を世界最大のヘヴィ・メタル・フェス「Wacken Open Air」への出演を皮切りに行う。
9月13日「DUM SPIRO SPERO」購入者対象の無料企画ライブ「Ratio ducat, non fortuna -Zombie-」を川崎クラブチッタで行う。 メンバー全員が「DIFFERENT SENSE」のミュージック・クリップで登場したゾンビ姿の特殊メイクで登場し、約6年ぶりのメイクにファンを驚かせた。
9月15日より、国内ツアー「TOUR2011 AGE QUOD AGIS」を行う(全29公演)。
11月23日から1ヶ月をかけて同名の全米ツアー(7カ国/18公演)を行う。南米での5公演では4年ぶりに10 yearsをサポートに迎えた。
2012年
1月11日、UROBOROSのリマスタリング/リミックス盤『[[UROBOROS [Remastered & Expanded]]]』をリリース。『DUM SPIRO SPERO』のミックスを手掛けたTue Madsenによりリミックス・リマスタリングが行われている。また、完全生産限定盤アナログのみに収録されていた「BUGABOO」のアカペラ部分と「DOZING GREEN」のカップリング曲である「HYDRA -666-」が追加収録され、シングル「GLASS SKIN」と「DOZING GREEN」は日本語詩に差し替えられている。
1月18日より東名阪ツアー「IN THE DYING MOMENTS」(4公演)を行う。
1月22日、リマスタリング版の発売に伴い大阪城ホールでライブ「UROBOROS -that’s where the truth is-」を行う。内容は本編で「UROBOROS」をアルバム曲順通りでの完全再現、アンコールで「DUM SPIRO SPERO」の主要曲を演奏するものとなった。
3月にAsking Alexandria, Triviumとの北米ツアー(14公演)を予定していたが、京の声帯不調により中止となった。京がのどの不調を訴えたことから担当医師の診察を受けた結果、「声帯結節」及び「音声障碍(しょうがい)」と診断。医師の判断に従ってツアー中止を決めた。
[編集] ディスコグラフィー
詳細は「DIR EN GREYのディスコグラフィ」を参照
[編集] 関連項目
- 1997年に解散したヴィジュアル系バンド。
過去にToshiyaを除くメンバー4人が在籍しており、事実上DIR EN GREYの前身である。
- 2006年「THE FAMILY VALUES TOUR」にて共演。
2007年12月の国内ツアーに(追加公演を除く)全公演でサポート・アクトとして招いている。
- 2007年2月DIR EN GREY北米ツアーでサポート・アクトを勤めた。
同年8月のヨーロッパツアーでもサポートを勤めている。
- 2005年10月に行われた「TOUR05 It withers and withers」の追加公演にてオープニング・アクトを勤めた。
- 2010年8月ダブル・ヘッドライナーの北米ツアーを敢行。
一部公演でAPOCALYPTICAと京が共演し、APOCALYPTICAの楽曲「Bring Them To Light」でボーカルを務めた。
- YOSHIKIはメジャーデビューから5thシングル「予感」までのプロデュースを手がけた。
2008年5月に行われたhideの追悼イベント「hide memorial summit」で共演を果した。
- 所属事務所FREE-WILLの代表であり、エグゼクティブプロデューサーを勤める。
[編集] 脚注
- ^ “Uroboros - Dir en Grey”. ビルボード. 2010年1月17日閲覧。
- ^ [Weeklyプレイボーイ 2009年12月28号]
- ^ 実際には「DIR」は銀貨という意味ではない。銀貨を意味する単語は「Silbermünze」。
- ^ 日刊ヒット(1998年出演)より。また、公式FC会報の名称が「灰色の銀貨」。
- ^ "Dude, that's so intense"(Feburary 22, 2007) - Los Angeles Times
- ^ La;Sadie'sの活動期間は1996年1月から1997年1月15日
- ^ [FOOL'S MATE 2001年2月号]
- ^ ロックW杯で魅せた!ディルアングレイが10万人を前に熱唱
- ^ DIR EN GREY : Dir en grey、ベルリン・ワンマン公演のライヴ速報
- ^ 世界に吹き荒れる!ショック・ロックの嵐 ディルアングレイワンマン・ライブ
- ^ DIR EN GREY、大注目のアメリカ・ツアーのレポートが到着!
- ^ 2006年5月24日付、米・ビルボード週間インディペンデント
- ^ ORICON STYLE 2006年6月6日
- ^ ORICON STYLE 2006年11月10日
- ^ ZAKZAK 2007年1月5日
- ^ Dir en grey OFFICIAL WEB SITE * Tour info 2007
- ^ Top Heatseekers - The Marrow of a Bone - ビルボード
- ^ "Top Independent Album" (March 17, 2007). Billboard Magazine.
- ^ HMV 2007年6月1日
- ^ “Uroboros - Dir en Grey”. ビルボード. 2010年1月17日閲覧。
- ^ Kerrang! (Jan 2009)
[編集] 外部リンク
- DIR EN GREY OFFICIAL SITE - 公式ウェブサイト
- Free-Will web site - 所属事務所フリーウィルの公式ウェブサイト
- DIR EN GREY - MySpace
- DIR EN GREY (DIRENGREY_web) - Twitter
- DIR EN GREY - Facebook
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