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2011年8月15日 (月) 03:51時点における版

アーセナルFC
原語表記 Arsenal Football Club
愛称 The Gunners
クラブカラー 赤と白
創設年 1886年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム エミレーツ・スタジアム
収容人数 60,432
代表者 イングランドの旗 ピーター・ヒル=ウッド
監督 フランスの旗 アーセン・ベンゲル
公式サイト 公式サイト
Red jersey with white trim on shoulders and sides, white shorts, white socks with red band
ホームカラー
Yellow jersey with redcurrant pinstripes, redcurrant shorts, yellow socks with redcurrant band and stripes
アウェイカラー
Blue jersey with grey pinstripes, blue shorts, blue socks with light blue band
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
創立当時の1888年に用いられたアーセナルのロゴ

アーセナル・フットボールクラブArsenal Football Clubイギリス英語発音[ˈɑːsənl ˈfutˌbɔːl klʌb] アーサヌル・トゥボール・クブ) はイングランドの首都ロンドン北部に拠点を置くプロサッカークラブである。愛称は、Arsenal=兵器工場(工廠)から Gunners=砲撃手「ガナーズ」と呼ばれている。また、アーセナルのサポーターのことを「グーナー」(Gooner) という。プレミアリーグに所属している。過去にはリーグ優勝13回、FAカップ優勝10回と多数のタイトルを勝ち取っている。国外でも1993-94シーズンのUEFAカップウィナーズカップ優勝、翌1994-95シーズンの同大会で準優勝を果たしている。UEFAチャンピオンズリーグには毎年のように出場、2005-06シーズンには初の決勝進出を果たした。

歴史

創成期 1886-1920

1888年のアーセナルの選手達

第一次世界大戦中、アーセナルは1886年ダイアル・スクエア (Dial Square)という名称のもと、ロンドン南東部ウーリッチ地区にある労働者8万人が働いていた王立兵器工場ロイヤル・アーセナルの労働者たちによって結成された。1886年12月11日に初めての試合をイースタン・ワンダラーズと行った(6対0で勝利)。しばらくしてロイヤル・アーセナル (Royal Arsenal) と名称を変更する。さらに1891年、プロ化を果たすとともにウーリッチ・アーセナル (Woolwich Arsenal) へと改称。1893年、フットボールリーグの2部へ加盟し、1904年に1部へ昇格した。だが地理的要因により集客力が悪かったため、1910年に破産状態に陥り、ヘンリー・ノリスに買収される。2部へ降格後の1913年、ノリスはチームを北ロンドンのハイバリーにあるアーセナル・スタジアムへと移転させる。翌年、名称から「ウーリッチ」が外されて、現在のチーム名となる。1919年に5位でシーズンを終えるも、近隣のライバルであるトッテナム・ホットスパーを差し置いて1部昇格を果たす。これが現在まで続く両チームの激しいライバル関係の端緒となったという見方もある。

ハーバート・チャップマンの時代 1925-1940

1925年ハーバート・チャップマンが監督に就任する。チャップマンによる革新的な戦術やトレーニング法の導入、アレックス・ジェームスやクリフ・バスティンといったスター選手の獲得が、1930年代にアーセナルがイングランドサッカーを支配する礎となった。チャップマンのもと1929-30に初のFAカップ優勝、1930-31に初のリーグ優勝を果たす。また、スタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピー・ロード」から「アーセナル」へと変更させたのもチャップマンの手腕によるものと言われている。ロンドンの地下鉄の中で、サッカークラブのチーム名が駅名となっているのはアーセナルだけである。夜間の試合のためにハイバリーのウェストスタンドに投降照明器を採用したのもチャップマンがリーグで初めてであり、イングランドのサッカー協会はその使用を50年代まで認めなかった。リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマンである。このように、アーセナルだけでなくサッカーの近代化に大きな貢献をしたチャップマンは1934年に肺炎で急逝した。その死後ジョー・ショー、続いてジョージ・アリソンが監督を引き継ぎ、2人のもとでアーセナルは3度のリーグ優勝 (1933-34, 1934-35, 1937-38) と2回のFAカップ優勝を果たした。しかし第2次大戦の勃発と共にリーグは中断を余儀なくされる。

戦後初のダブル、フェアーズカップ 1947-1980

1949年から2002年に用いられていたロゴ

第二次世界大戦後、アリソンの後を継いだトム・ウィタカーのもとでも1947-48, 1952-53の2回のリーグ優勝、1949-50のFAカップ優勝を成し遂げるが、その後チームは低迷し50年代はメジャーなタイトルを獲得することなく終わる。1966年、クラブのフィジオセラピストだったバーティー・ミーが予想外に監督へ抜擢される。2度のリーグ杯準優勝を経て、1969-70に初のヨーロッパでのタイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得。さらに1970-71にはリーグとFAカップ優勝の“ダブル”を達成した。しかしダブルを達成したメンバーは徐々にチームを離れていき、1970年代はタイトル獲得の一歩手前で足踏みするシーズンが続く。1972-73にはリーグ2位、3度のFAカップ準優勝 (1971-72, 1977-78, 1979-80)、UEFAカップウィナーズカップ準優勝 (1979-80) がこの間の成績で、獲得したタイトルは1978-79のFAカップ優勝のみである。マンチェスター・ユナイテッドを終了間際のゴールで3対2で破ったこの試合は、アーセナルの名勝負のひとつに数えられている。

ジョージ・グラハムの時代 1986-1995

1986年に就任したジョージ・グラハムは元アーセナルの選手であり、クラブに第3の黄金期をもたらした。就任1年目の1986-87にリーグカップを優勝。1988-89のリーグ優勝はシーズン最終節で優勝を争っていたリヴァプールFCを、その本拠地アンフィールドでロスタイムに下すという劇的なものだった。これはもっとも有名なアーセナルの試合のひとつである。1990-91には1敗したのみでリーグ優勝、1992-93にはFAカップとリーグカップを獲得、1993-94にはカップ・ウィナーズ・カップを獲得。しかし選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが明らかとなって、1995年にグラハムは解雇され、ブルース・リオッホが就任するも1シーズンでクラブを離れている。

アーセン・ベンゲルの時代 1996-現在

2003-04シーズンのFAプレミアリーグ優勝トロフィーを受け取るキャプテンのパトリック・ヴィエラ

1990年代後半から2000年代にかけてのクラブの成功は、1996年に就任したアーセン・ベンゲルの手腕によるところが大きい。ベンゲルは新たな戦術、トレーニング法を導入すると同時に、イングランド人を補完する形で外国人選手を獲得した。食事制限や禁酒の徹底、外国人選手の登用などがプレミアリーグ全体にもたらしたインパクトは大きく、ベンゲルの影響を受けていない監督はひとりもいないと言われる。アーセナルは伝統的にフィジカルを前面に押し出した守備的な戦い方で知られており、1990年代後半はフェイマス4と呼ばれた4バックトニー・アダムスナイジェル・ウィンターバーンリー・ディクソンマーティン・キーオンとGKのデイヴィッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇った。また、他チームのサポーターや攻撃的サッカーを好む一般のマスコミからは「1-0のアーセナル」「退屈で守備サッカーを展開するチーム」としてややもすると嘲笑の対象となっていた。しかしベンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、海外の選手を積極的に補強し華麗なパスワークを武器にした圧倒的な攻撃力を誇るチームへと生まれ変わっている。ベンゲルは1997-98にクラブ史上2度目となるリーグ優勝とFAカップ優勝のダブルを達成し、さらに2001-02には3度目のダブルを果たす。1999-00にはUEFAカップ準優勝、2002-03と2004-05にはFAカップを優勝。2003-04シーズンには、シーズンを通じて一度も負けることなくプレミアリーグ優勝を果たし、このチームは「The Invincibles」(無敵)として讃えられた。その後49戦無敗を続け、この記録はいまだに破られていない。なお、カップ戦を含めた無敗記録は2007年4月9日-2007年11月24日にかけての28試合である。2005-06シーズン、初めてチャンピオンズリーグ決勝に進出するがバルセロナに破れた。ベンゲル指揮下の12シーズン中8シーズン、アーセナルはリーグ優勝か2位の座を獲得している。1993年のプレミアリーグ設立後、リーグ優勝を果たした4チーム(マンチェスター・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズチェルシー)のひとつである。しかし2季連続で優勝したことはない。2006年6月、93年間使用したハイバリーに別れを告げ、新しいエミレーツ・スタジアムへ移転した。杮落としはアヤックスを招いて行われたデニス・ベルカンプの引退試合であった。

ユニフォーム

アーセナルのユニフォームは伝統的に赤地に白い袖を特徴としている。赤地はクラブが結成された1886年ノッティンガム・フォレストから贈られたシャツがきっかけとなって定着したものである。結成メンバーのフレッド・ビアズリーとモリス・ベイツは、以前フォレストでプレーした経験があり、用具のなかったチームを助けてもらえないかとフォレストに頼んだ。それを受けて濃い赤のシャツとボールが贈られたのである。1993年に、より鮮やかな赤色と白い袖に変更したのはハーバート・チャップマンである。白い袖を取り入れた背景には、白いシャツの上に赤いシャツを着たファンをハイバリーで見かけたという説と、ゴルフ仲間のトム・ウェブスターが似たような服を着ていたから、という説の2つがある。

アーセナルの赤地に白袖のデザインをユニフォームに取り入れたチームにスパルタ・プラハハイバーニアンスポルティング・ブラガがある。そのために、後者には "Os Arsenalistas" というニックネームがついている。

毎試合、選手は同じ袖(長袖か半袖のどちらか)のユニフォームを皆揃って着るように決まっている。どちらを着て試合に出るかを決めるのはキャプテンの役目であり、この習慣は90年代初期のトニー・アダムスから始まった。

クレスト

クラブのモットーは "Victoria Concordia Crescit"。「勝利は調和の中から生まれる」という意味のラテン語である。1949年から使用されたクレスト(エンブレム・ロゴ)に初めて登場する。現行のクレストは2002年から使用されている。大砲の上にサンセリフ体でチーム名が書かれている。

ダービーマッチ

現在の本拠地エミレーツ・スタジアム
エミレーツ・スタジアムのグラウンド

同じ北ロンドンに本拠を構えるクラブ同士としてトッテナムとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのが、かつて同クラブから移籍してきたソル・キャンベルに対してトッテナムファンからユダと呼ばれたという出来事である。両チームの対戦は「ノースロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスターマンチェスター・ユナイテッドマンチェスター・シティ)、マージーサイドリバプールエバートン)と並び3大ダービーの中の一つに数えられている。

エピソード

  • 1927年1月22日に行われた対シェフィールド・ユナイテッド戦は、イングランドで初めてラジオ中継されたリーグ戦だった。また1937年9月16日に行われたアーセナルのファースト・チームとリザーブ・チームのエキシビション・マッチは、サッカーの歴史上初めてテレビで生中継された試合である。
  • 長らくホームスタジアムとして有名だったハイバリー(1913年建設)から、2006年7月にエミレーツ・スタジアムに移転した。これはUAEの航空会社、エミレーツ航空命名権を獲得したことによるもので、その契約内容は15年で1億ポンド(約200億円)と巨額なものとなっている。なお、使用されなくなったハイバリースタジアムの跡地にはスタンドの一部を残し高級アパートが建設されている。
  • ワールドカップドイツ大会には、当時、弱冠17歳の若さで、セオ・ウォルコットが同クラブでの公式戦出場がないにも関わらず選出され、イングランド国内外でサプライズ招集として注目を浴びたが、試合出場の機会は無かった。
  • 就任当初は足りないところを外国人で補強するという方針を公言していたベンゲル監督だったが、近年は英国のチームながらフランスやアフリカなど監督と同じフランス語圏系の選手が大半を占め、イングランド人選手の活躍の場が結果的に少ない状況が続いている。特に2006-07シーズン開始時、ピッチ上にイングランド人選手が全くいない試合が多くあったため、イングランド国内において外国人偏重チームと非難されることが多い。この理由についてベンゲル監督はアーセナルが若手有望株を多く登用する方針であることを指摘した上で、「だがイングランドの若手選手を獲得しようとすると、他の国の選手に比べて値段が高い。そうなれば法律的に15歳から17歳の移籍金のかからない国の有望な若手選手に目を向けることが多くなるのは自然なことだ」とのコメントを残している。
  • 国家による労働法・雇用法の違いを利用し、18歳未満の選手を無償で獲得する手法には各方面から批判が上がるが、法律上は問題はないのでむしろ各クラブのモラルの問題と見る声もある。その例として2003年16歳にしてFIFA U-17ワールドカップで得点王とMVPを獲得したバルセロナ所属のセスク・ファブレガスは、アーセナルに17歳で移籍した。
  • バッキンガム宮殿における エリザベス女王主催のお茶会にサッカークラブとして初めて招待された。エミレーツ・スタジアムの落成式にはエリザベス女王が臨席する予定であったが、体調を崩していたため、夫のエディンバラ公フィリップが代理出席した。
  • 2010年、世界有数の経済誌『フォーブス』によるスポーツチームの資産価値の格付けにおいて、アーセナルFCは11億8100万ドル(約1000億円)と算出されており、マンチェスター・ユナイテッドFCレアル・マドリードに次ぐ世界第3位の資産価値のサッカークラブと評価された。

エミレーツ・カップ

2007年からエミレーツ・スタジアムで夏に開催されているプレシーズントーナメント。2日間で行う。

  • 2007年
優勝:アーセナル
参加チーム:アーセナル、パリ・サンジェルマンバレンシアインテル
  • 2008年
優勝:ハンブルガーSV
参加チーム:アーセナル、ハンブルガーSV、レアル・マドリードユヴェントス
  • 2009年
優勝:アーセナル
参加チーム:アーセナル、アトレティコ・マドリード、レンジャーズ、パリ・サンジェルマン
  • 2010年
優勝:アーセナル
参加チーム:アーセナル、セルティックFCオリンピック・リヨンACミラン

スポンサー

2010-2011シーズンのスポンサー

本社 企業名 概要(リンクが無いものは業種)
アラブ首長国連邦の旗 Emirates ユニフォームにロゴを出している。またスタジアムのネーミングライツ権利を持つ企業。
アメリカ合衆国の旗 NIKE ユニフォームジャージなどの用具を提供。
イングランドの旗 O2 通信大手テレフォニカ傘下でモバイル事業を展開。以前はユニフォームの胸にロゴを出していた。
フランスの旗 CITROEN フランスの大手自動車メーカー。監督・コーチなどが座るベンチにロゴを付けている。
イングランドの旗 Lucozade Sport スポーツ飲料メーカー
アメリカ合衆国の旗 EA Sport 世界有数のゲームデベロッパーのひとつ。人気サッカーゲームのFIFAシリーズなどで有名である。
イギリスの旗 Thomson 以前はアーセナル最大のライバル、トッテナム・ホットスパーのユニフォームにロゴを出していた。
アイルランドの旗 Paddypower ブックメーカー
スイスの旗 EBEL スイスの大手時計ブランド

タイトル

国内タイトル

  • プレミアリーグ : 13回
    1930-31、1932-33、1933-34、1934-35、1937-38、1947-48、1952-53、1970-71、1988-89、1990-91、1997-98、2001-02、2003-04
  • FAカップ : 10回
    1929-30、1935-36、1949-50、1970-71、1978-79、1992-93、1997-98、2001-02、2002-03、2004-05
  • カーリングカップ : 2回
    1986-87、1992-93
  • コミュニティーシールド : 12回
    1930、1931、1933、1934、1938、1948、1953、1991、1998、1999、2002、2004

国際タイトル

歴代使用スタジアム

現在のホームスタジアム

なお、UEFAチャンピオンズリーグの開催時はUEFAの規定により『アーセナル・スタジアム』の名称になる。

現所属メンバー

2010-11シーズン

2011年8月10日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK スペイン マヌエル・アルムニア
2 MF フランス アブー・ディアビ
3 DF フランス バカリ・サニャ
5 DF ベルギー トーマス・フェルメーレン
6 DF フランス ローラン・コシールニー
7 MF チェコ トマーシュ・ロシツキー
8 MF フランス サミル・ナスリ
10 FW オランダ ロビン・ファン・ペルシ
11 FW メキシコ カルロス・ベラ
13 GK ポーランド ヴォイチェフ・シュチェスニー
14 FW イングランド セオ・ウォルコット
15 FW イングランド アレックス・チェンバレン
16 MF ウェールズ アーロン・ラムジー
17 MF カメルーン アレクサンドル・ソング
18 DF フランス セバスティアン・スキラシ
No. Pos. 選手名
19 MF イングランド ジャック・ウィルシャー
20 DF スイス ヨハン・ジュルー
21 GK ポーランド ウカシュ・ファビアンスキ
23 MF ロシア アンドレイ・アルシャヴィン
24 GK イタリア ヴィト・マンノーネ
25 DF フィンランド カール・ジェンキンソン
27 FW コートジボワール ジェルヴィーニョ
28 DF イングランド キーラン・ギブス
29 FW モロッコ マルアーヌ・シャマフ
30 DF セネガル アルマン・トラオレ
31 FW 日本 宮市亮
35 MF イングランド エマニュエル・フリンポン
40 MF イングランド クレイグ・イーストモンド
46 MF イングランド ヘンリ・ランスベリー
52 FW デンマーク ニクラス・ベントナー
MF コートジボワール エマニュエル・エブエ
監督

主なリザーブ・アカデミー所属選手

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
34 MF イングランド チュクエメカ・アネク
37 DF ガーナ ダニエル・ボアテング
38 DF イングランド トーマス・クルーズ
39 FW イングランド ローリー・デーコン
42 DF フランス セドリック・エヴィナ
No. Pos. 選手名
44 MF アイルランド コナー・ヘンダーソン
49 FW イングランド リース・マーフィー
50 DF ノルウェー ホーヴァル・ノルトヴェイト
55 GK イングランド ジェームズ・シェイ
58 DF イングランド ニコ・イェナリス

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
MF ブラジル デニウソン (サンパウロFC)
33 FW イングランド ベニク・アフォベ (ハダースフィールド・タウンFC)
41 MF イングランド ジェイ・エマニュエル=トーマス (カーディフ・シティFC)
45 DF イングランド ギャヴィン・ホイト (リンカーン・シティFC)
54 MF イングランド マーク・ランドール (ロザラム・ユナイテッドFC)
No. Pos. 選手名
57 FW フランス ジル・スヌ (FCロリアン)
-- DF イングランド カイル・バートリー (グラスゴー・レンジャーズFC)
-- DF ブラジル ペドロ・ボテーリョ (FCカルタヘナ)
-- MF フランス フランシス・コクラン (FCロリアン)
-- MF イングランド サンチェス・ワット (リーズ・ユナイテッドFC)

11/12移籍

歴代監督

ハイバリーハーバート・チャップマン胸像
アーセン・ベンゲル
氏名 国籍 期間
サム・ホリス 1894 - 1897
トーマス・ミッチェル 1897 - 1898
ジョージ・エルコート 1898 - 1899
ハリー・ブラッドショー イングランドの旗 イングランド 01.08.1899 - 01.05.1904
フィル・ケルソー スコットランドの旗 スコットランド 1904 - 1908
ジョージ・モレル スコットランドの旗 スコットランド 1908 - 1915
レスリー・ナイトン イングランドの旗 イングランド 1919 - 1925
ハーバート・チャップマン イングランドの旗 イングランド 1925 - 1934
ジョー・ショー イングランドの旗 イングランド 1934
ジョージ・アリソン イングランドの旗 イングランド 1934 - 1947
トム・ウィットトーカー イングランドの旗 イングランド 1947 - 1956
ジャック・クレイトン イングランドの旗 イングランド 1956 - 1958
ジョージ・スウィンディン イングランドの旗 イングランド 1958 - 1962
ビリー・ライト イングランドの旗 イングランド 1962 - 1966
バーティー・ミー イングランドの旗 イングランド 1966 - 1976
テリー・ニール 北アイルランドの旗 北アイルランド 1976 - 1983
ドン・ホーウィー イングランドの旗 イングランド 16.12.1983 - 22.05.1986
スティーブ・バーテンショー イングランドの旗 イングランド 25.03.1986 - 14.05.1986
ジョージ・グラハム スコットランドの旗 スコットランド 14.05.1986 - 21.02.1995
スチュワート・ホーストン スコットランドの旗 スコットランド 21.02.1995 - 08.06.1995
ブルース・リオッホ スコットランドの旗 スコットランド 08.06.1995 - 12.08.1996
スチュワート・ホーストン スコットランドの旗 スコットランド 12.08.1996 - 16.09.1996
パット・ライス 北アイルランドの旗 北アイルランド 16.09.1996 - 30.09.1996
アーセン・ベンゲル フランスの旗 フランス 30.09.1996 -

トリビア

  • 1968年5月に来日し、当時のサッカー日本代表と3試合を行ったことがある。結果はアーセナルの3勝。釜本邦茂が出場している。
  • 地元密着のための方策の一つとして、毎年ロンドン市と共同で子供向けに外国語学習教材を製作し配布している。教材には現役選手も多数登場するのが恒例。

脚注

関連項目

外部リンク

公式
ニュース
その他

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