森崎東
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もりさき あずま 森﨑 東 | |||||||||||
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生年月日 | 1927年11月19日 | ||||||||||
没年月日 | 2020年7月16日(92歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本 長崎県島原市[1] | ||||||||||
死没地 | 日本 神奈川県茅ヶ崎市[2] | ||||||||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1956年 - 2020年 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年) 『喜劇 特出しヒモ天国』(1975年) 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年) 『ペコロスの母に会いに行く』(2013年) | |||||||||||
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森﨑 東(もりさき あずま、1927年11月19日 - 2020年7月16日[3])は、日本の映画監督、脚本家である[4]。
経歴
[編集]1927年、長崎県島原市に生まれる。京都大学法学部を卒業[5]。
1965年、大船撮影所に移籍し[4]、野村芳太郎監督や山田洋次監督の助監督、脚本を手がける[5]。
1969年、『喜劇 女は度胸』で監督デビュー[7]。以降、『男はつらいよ フーテンの寅』をはじめとする喜劇を撮り続ける[5]。
1971年、一連の作品により、芸術選奨新人賞を受賞する[8]。
1974年、フリーとなる[4]。
1977年、居酒屋で口論となった学生の伊藤裕一を『黒木太郎の愛と冒険』の脚本製作に誘い、映画監督を目指す青年「伊藤銃一」役としても起用し、制作。
1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』を発表[5]。
2003年、第4回東京フィルメックス審査員を務める[10]。2004年、『ニワトリはハダシだ』が第17回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され[11]、最優秀芸術貢献賞を受賞した[12]。
2013年、9年ぶりの新作となる『ペコロスの母に会いに行く』を発表[14]、第87回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位に選ばれた[15]。
2014年、体調不良で欠席予定だった『黒木太郎の愛と冒険』上映イベントに体調不良を押して途中から参加した。
2020年7月16日午後10時15分、神奈川県茅ヶ崎市内の病院に於いて脳梗塞のため亡くなった[3][16]。92歳だった。
フィルモグラフィー
[編集]映画(脚本)
[編集]- 女の一生(1967年)
- さそり (1967年)
- やればやれるぜ全員集合!!(1968年)
- 喜劇 夫婦善哉(1968年)
- 惚れた強み(1968年)
- こわしや甚六(1968年)
- 吹けば飛ぶよな男だが(1968年)
- 日本ゲリラ時代(1968年)
- 喜劇 一発大必勝(1969年)
- 男はつらいよ(1969年)
- ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓(1969年)
- いい湯だな全員集合!!(1969年)
- メス(1974年)
- ダンプ渡り鳥(1981年)
- ソクラテス(1996年)
- 白い犬とワルツを(2002年)
映画
[編集]- 喜劇 女は度胸(1969年)- 監督・脚本
- 喜劇 男は愛嬌(1970年)- 監督・脚本
- 男はつらいよ フーテンの寅(1970年)- 監督
- 高校さすらい派(1970年)- 監督・脚本
- 喜劇 女は男のふるさとヨ(1971年)- 監督・脚本
- 喜劇 女生きてます(1971年)- 監督・脚本
- 喜劇 女売り出します(1972年)- 監督・脚本
- 生まれかわった為五郎(1972年)- 監督・脚本
- 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972年)- 監督・脚本
- 野良犬(1973年)- 監督
- 藍より青く(1973年)- 監督・脚本
- 街の灯(1974年)- 監督・脚本
- 喜劇 特出しヒモ天国(1975年)- 監督
- 黒木太郎の愛と冒険(1977年)- 監督・脚本
- 時代屋の女房(1983年)- 監督
- ロケーション(1984年)- 監督・脚本
- 生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言(1985年)- 監督・脚本
- 塀の中の懲りない面々(1987年)- 監督
- 女咲かせます(1987年)- 監督・脚本
- 夢見通りの人々(1989年)- 監督[17]
- 釣りバカ日誌スペシャル(1994年)- 監督
- 美味しんぼ(1996年)- 監督
- ラブ・レター(1998年)- 監督
- ニワトリはハダシだ(2004年)- 監督・脚本
- ペコロスの母に会いに行く(2013年)- 監督
出演
[編集]- 世界の終わりという名の雑貨店(2001年 監督・脚本:濱田樹石)
- ETV特集『記憶は愛である~森﨑東・忘却と闘う映画監督~』[18](2013年12月21日 NHK教育テレビジョン)
テレビ映画・テレビドラマ
[編集]- 泣いてたまるか 第70話「まごころさん」(1968年、TBS)- 脚本
- 男はつらいよ(1968年 - 1969年、フジテレビ)- 脚本
- ドカンと一発!(1968年 - 1969年、TBS)- 脚本
- 笑ってよいしょ(1968年、日本テレビ)- 脚本
- すかぶら大将(1969年、フジテレビ)- 脚本
- 今日夢人間(1973年、NHK)- 脚本
- 火曜ドラマシリーズ「ちょっとしあわせ」(1974年 - 1975年、NET)- 脚本
- わが楽園(1975年、NHK)- 脚本
- はぐれ刑事(1975年、日本テレビ)- 監督
- 第5話「偽証」
- 第6話「姉弟」
- 長崎犯科帳(1975年、日本テレビ)- 監督
- 第6話「虎の罠を噛み破れ」
- 第23話「風の噂の孫七郎」
- あがり一丁!(1976年、日本テレビ)- 脚本
- 欲望の河(1976年、東海テレビ)- 監督
- 青春の甘き香り(1977年、東海テレビ)- 監督・脚本
- 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅 最終回「京都」(1978年、ABC) - 監督
- 翔べ! 必殺うらごろし(1978年、ABC)- 監督
- 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」
- 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替わった」
- ハッピーですか?(1978年、日本テレビ) - 脚本
- 幽霊海岸(1978年、テレビ朝日) - 監督
- 熱中時代(1978年 - 1979年、日本テレビ) - 脚本
- 田舎刑事 まぼろしの特攻隊(1979年、テレビ朝日) - 監督
- 俺が愛した謎の女(1979年、読売テレビ) - 監督
- 帝銀事件 大量殺人・獄中32年の死刑囚(1980年、テレビ朝日) - 監督
- 妻の失ったもの(1981年、読売テレビ) - 監督
- カムバック・ガール(1982年、毎日放送)- 脚本
- 妻は何を見たか(1982年、テレビ朝日) - 監督
- 天使が消えていく(1982年、福岡放送) - 監督
- 花嫁のアメリカ(1982年、読売テレビ) - 監督
- 妻は何をしたか(1983年、テレビ朝日) - 監督
- 妻は何を感じたか(1983年、テレビ朝日) - 監督
- 赤い妄執(1983年、読売テレビ) - 監督
- ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第1回「昭和20年8月15日 終戦日の荷風と潤一郎」(1984年、テレビ朝日)- 監督
- 赤い本能(1984年、読売テレビ) - 監督
- 赤い罠(1985年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 遺言状戦争(1985年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 喜劇・ああ結婚式(1986年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 喜劇・ああ出産(1986年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 家族の肖像(1987年、読売テレビ) - 監督
- ああ離婚(1987年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 喜劇・ああ未亡人(1988年、読売テレビ) - 監督・脚本
- 帰郷(1988年、読売テレビ) - 監督
- 妻の疑惑(1989年、読売テレビ) - 監督
- 金のなる木に花は咲く(1990年、読売テレビ) - 監督
- 弟よ!(1990年、日本テレビ) - 監督・脚本
- 離婚・恐婚・連婚(1990年、日本テレビ) - 監督
- 火曜サスペンス劇場(日本テレビ)
- 誤算(1992年) - 監督
- 朝比奈周平ミステリー4 木曽路殺人事件(1992年) - 監督
- わが町II(1993年) - 監督
- 地方記者立花陽介1 伊豆下田通信局(1993年) - 監督
- 地方記者立花陽介2 伊賀上野通信局(1993年) - 監督
- 新任判事補1(1994年) - 監督
- 新任判事補2(1995年) - 監督
- 転勤判事1(1997年) - 監督
- 苦い夜(1999年) - 監督
著書
[編集]- 頭は一つずつ配給されている(2004年、パピルスあい)ISBN 478459101X
脚注
[編集]- ^ “森崎東監督、威風堂々の佇まい 「ペコロスの母に会いに行く」撮影順調”. 映画.com (2012年9月18日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ 引用エラー: 無効な
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」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ a b “森崎東監督死去 92歳”. 映画.com (2020年7月17日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ a b c “映画を巡るおんな旅 森崎東 篇!gojoこと渥美喜子さんを中心に、ゲスト(女性限定)を迎えてお送りする映画話の数々!”. LOAD SHOW (2013年11月15日). 2014年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ a b c d “老いを前向きに描く 東京新聞映画賞の「ペコロスの母に会いに行く」”. 東京新聞 (2014年2月19日). 2014年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ “映画監督・森崎東 追憶の風景 香良州海岸(津市)”. 朝日新聞デジタル (2010年9月28日). 2014年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ “講座:「森崎東党宣言!」29日、長田・神戸映画資料館 兵庫”. 毎日新聞 (2013年12月21日). 2014年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ “キャスト&スタッフ|監督 森崎東”. 映画『ペコロスの母に会いに行く』公式サイト. 合同会社 東風. 2024年11月2日閲覧。
- ^ “テレ東、三國さん偲んで親子共演作『美味しんぼ』放送”. ORICON STYLE (2013年4月17日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ tokyofilmexのツイート(1283990705099034624)
- ^ “危機的状況には歌。「ニワトリはハダシだ」秘話”. 映画.com (2004年10月26日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ “ウルグアイ作品にグランプリ 第17回東京国際映画祭 観客・映画人の交流深夜まで”. しんぶん赤旗. 日本共産党中央委員会 (2004年11月12日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ “芸術選奨文科大臣賞新人賞にジブリ美術館長”. 読売新聞 (2005年3月15日). 2005年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月2日閲覧。
- ^ “森崎東監督、初日挨拶で86歳誕生日祝福され「まるで映画のよう」”. 映画.com (2013年11月16日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ “邦画1位に「ペコロス」 キネマ旬報ベストテン”. 日本経済新聞 (2014年1月9日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ “森崎東さんが死去 映画監督「時代屋の女房」”. 日本経済新聞 (2020年7月17日). 2024年11月2日閲覧。
- ^ “夢見通りの人々”. 松竹. 2024年11月2日閲覧。
- ^ “NHK【ETV特集】記憶は愛である~森﨑東・忘却と闘う映画監督~2013年12月21日(土)夜11時、再放送:2013年12月28日(土)午前0時45分(金曜深夜)”. NHK. 2024年11月2日閲覧。
関連項目
[編集]関連文献
[編集]- 野原藍 編『にっぽんの喜劇えいが PART2 森崎東篇』映画書房、1984年。
- 松本健一『昭和に死す 森崎湊と小沢開作』新潮社、1988年。ISBN 978-4103684015。
- 藤井仁子 編『森﨑東党宣言!』インスクリプト、2013年。ISBN 978-4-900997-40-0。
外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 森崎東 - allcinema
- 森崎東 - KINENOTE
- 森崎東 - 日本映画データベース
- Azuma Morisaki - IMDb
- 森崎東 - テレビドラマデータベース