森崎東
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もりさき あずま 森﨑 東 | |||||
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生年月日 | 1927年11月19日(92歳) | ||||
出生地 |
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職業 | 映画監督、脚本家 | ||||
ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||||
活動期間 | 1956年 - | ||||
公式サイト |
hadasi | ||||
主な作品 | |||||
『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年) 『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年) 『ペコロスの母に会いに行く』(2013年) | |||||
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森﨑 東(もりさき あずま、1927年11月19日 - )は、日本の脚本家、映画監督である[2]。
経歴[編集]
1927年、長崎県島原市に生まれる[3]。京都大学法学部を卒業[3]。
1965年、大船撮影所に移籍し[2]、野村芳太郎監督や山田洋次監督の助監督、脚本を手がける[3]。
1969年、『喜劇 女は度胸』で監督デビュー[5]。以降、『男はつらいよ フーテンの寅』をはじめとする喜劇を撮り続ける[3]。
1971年、一連の作品により、芸術選奨新人賞を受賞する[要出典]。
1974年、フリーとなる[2]。
1977年、居酒屋で口論となった学生の伊藤裕一を『黒木太郎の愛と冒険』の脚本製作に誘い、映画監督を目指す青年「伊藤銃一」役としても起用し、制作。
1985年、『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』を発表[3]。
2003年、第4回東京フィルメックス審査員を務める[7]。2004年、『ニワトリはハダシだ』が第17回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され[8]、最優秀芸術貢献賞を受賞した[9]。
2013年、9年ぶりの新作となる『ペコロスの母に会いに行く』を発表[11]、第87回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位に選ばれた[12]。
2014年、体調不良で欠席予定だった『黒木太郎の愛と冒険』上映イベントに体調不良を押して途中から参加した。
フィルモグラフィー[編集]
映画[編集]
- 女の一生(1967年)- 脚本
- 喜劇 夫婦善哉(1968年)- 脚本
- 惚れた強み(1968年)- 脚本
- こわしや甚六(1968年)- 脚本
- 吹けば飛ぶよな男だが(1968年)- 脚本
- 日本ゲリラ時代(1968年)- 脚本
- 喜劇 一発大必勝(1969年)- 脚本
- 男はつらいよ(1969年) - 脚本
- ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓(1969年)- 脚本
- 喜劇 女は度胸(1969年)- 監督・脚本
- 喜劇 男は愛嬌(1970年)- 監督・脚本
- 男はつらいよ フーテンの寅(1970年)- 監督
- 喜劇 女生きてます(1971年)- 監督・脚本
- 喜劇 女は男のふるさとヨ(1971年)- 監督・脚本
- 喜劇 女売り出します(1972年)- 監督・脚本
- 生まれかわった為五郎(1972年)- 監督・脚本
- 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972年)- 監督・脚本
- 野良犬(1973年)- 監督
- 藍より青く(1973年)- 監督・脚本
- 街の灯(1974年)- 監督・脚本
- メス(1974年)- 脚本
- 喜劇 特出しヒモ天国(1975年)- 監督
- 黒木太郎の愛と冒険(1977年)- 監督・脚本
- ダンプ渡り鳥(1981年)- 脚本
- 時代屋の女房(1983年)- 監督
- ロケーション(1984年)- 監督・脚本
- 生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言(1985年)- 監督・脚本
- 塀の中の懲りない面々(1987年)- 監督
- 女咲かせます(1987年)- 監督・脚本
- 釣りバカ日誌スペシャル(1994年)- 監督
- 美味しんぼ(1996年)- 監督
- ソクラテス(1996年)- 脚本
- ラブ・レター(1998年)- 監督
- 世界の終わりという名の雑貨店(2001年)- 出演
- 白い犬とワルツを(2002年)- 脚本
- ニワトリはハダシだ(2004年)- 監督・脚本
- ペコロスの母に会いに行く(2013年)- 監督
テレビ映画・テレビドラマ[編集]
- はぐれ刑事(1975年、日本テレビ)- 監督
- 第5話「偽証」
- 第6話「姉弟」
- 長崎犯科帳(1975年、日本テレビ)- 監督
- 第6話「虎の罠を噛み破れ」
- 第23話「風の噂の孫七郎」
- 欲望の河(1976年、東海テレビ)- 監督
- 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅 最終回「京都」(1978年、ABC) - 監督
- 翔べ! 必殺うらごろし(1978年、ABC)- 監督
- 第1話「仏像の眼から血の涙が出た」
- 第2話「突如奥方と芸者の人格が入れ替わった」
- ハッピーですか?(1978年、日本テレビ) - 監督
- カムバック・ガール(1982年、毎日放送)- 監督
- ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第1回「昭和20年8月15日 終戦日の荷風と潤一郎」(1984年、テレビ朝日)- 監督
著書[編集]
- 頭は一つずつ配給されている(2004年、パピルスあい)ISBN 478459101X
脚注[編集]
- ^ “森崎東監督、威風堂々の佇まい 「ペコロスの母に会いに行く」撮影順調”. 映画.com (2012年9月18日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ a b c “映画を巡るおんな旅 森崎東 篇!”. LOAD SHOW (2013年11月15日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ a b c d e “老いを前向きに描く 東京新聞映画賞の「ペコロスの母に会いに行く」”. 東京新聞 (2014年2月19日). 2014年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月21日閲覧。
- ^ “映画監督・森崎東 追憶の風景 香良州海岸(津市)”. asahi.com (2010年9月28日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “講座:「森崎東党宣言!」29日、長田・神戸映画資料館 兵庫”. 毎日新聞 (2013年12月21日). 2014年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月21日閲覧。
- ^ “テレ東、三國さん偲んで親子共演作『美味しんぼ』放送”. ORICON STYLE (2013年4月17日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “Incense wins top Tokyo FILMeX prize” (英語). Screen International (2003年12月2日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “危機的状況には歌。「ニワトリはハダシだ」秘話”. 映画.com (2004年10月26日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “ウルグアイ作品にグランプリ 第17回東京国際映画祭 観客・映画人の交流深夜まで”. しんぶん赤旗 (2004年11月12日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “芸術選奨文科大臣賞新人賞にジブリ美術館長”. 読売新聞 (2005年3月15日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “森崎東監督、初日挨拶で86歳誕生日祝福され「まるで映画のよう」”. 映画.com (2013年11月16日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ “邦画1位に「ペコロス」 キネマ旬報ベストテン”. 日本経済新聞 (2014年1月9日). 2014年3月21日閲覧。
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 『にっぽんの喜劇えいが PART2 森崎東篇』野原藍、映画書房、1984年。
- 松本健一『昭和に死す 森崎湊と小沢開作』新潮社、1988年。ISBN 978-4103684015。
- 『森﨑東党宣言!』藤井仁子、インスクリプト、2013年。ISBN 978-4-900997-40-0。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- 森崎東 - allcinema
- 森崎東 - KINENOTE
- 森崎東 - 日本映画データベース
- Azuma Morisaki - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- 森崎東 - テレビドラマデータベース
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