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1985年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第82回ワールドシリーズ(だい82かいワールドシリーズ、82nd World Series)は、10月19日から27日にかけて計7試合が開催された。その結果、カンザスシティ・ロイヤルズ(アメリカンリーグ)がセントルイス・カージナルス(ナショナルリーグ)を4勝3敗で下し、球団創設17年目で初の優勝を果たした。
両チームの対戦はシリーズ史上初めて。ミズーリ州を本拠地とする球団どうしの対戦となったため、両本拠地都市を結ぶ州間高速道路70号線(Interstate 70)になぞらえた "I-70シリーズ" や、州の愛称「疑い深い州」(The Show-Me State)を冠した "ショー・ミー・シリーズ" という呼び名がつけられた[3]。カージナルス優勝決定まであと1イニングという第6戦の9回裏、ロイヤルズ先頭打者ホルヘ・オータの一ゴロを一塁塁審ドン・デンキンガーがセーフと誤審し、そこからロイヤルズが逆転優勝を果たしたことで物議を醸したシリーズでもある[4]。シリーズMVPには、最終第7戦で完封勝利を挙げるなど、2試合18.0イニングで2勝0敗・防御率0.50という成績を残したロイヤルズのブレット・セイバーヘイゲンが選出された。
ワールドシリーズでは1976年から指名打者(DH)制度が導入され、今シリーズまでの10年間は、偶数年は全試合で採用、奇数年は全試合で不採用とされていた。翌1986年からは規則が変更され、年度にかかわらずアメリカンリーグ球団の本拠地では採用、ナショナルリーグ球団の本拠地では不採用となった[5]。この方式が現在も続いているため、全試合DHなしで開催されたワールドシリーズは現時点では今シリーズが最後である。
1985年のワールドシリーズは10月19日に開幕し、途中に移動日を挟んで9日間で7試合が行われた。日程・結果は以下の通り。
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月19日(土) |
第1戦 |
セントルイス・カージナルス |
3-1 |
カンザスシティ・ロイヤルズ |
ロイヤルズ・スタジアム |
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10月20日(日) |
第2戦 |
セントルイス・カージナルス |
4-2 |
カンザスシティ・ロイヤルズ
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10月21日(月) |
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移動日 |
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10月22日(火) |
第3戦 |
カンザスシティ・ロイヤルズ |
6-1 |
セントルイス・カージナルス |
ブッシュ・スタジアム
|
10月23日(水) |
第4戦 |
カンザスシティ・ロイヤルズ |
0-3 |
セントルイス・カージナルス
|
10月24日(木) |
第5戦 |
カンザスシティ・ロイヤルズ |
6-1 |
セントルイス・カージナルス
|
10月25日(金) |
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移動日 |
|
10月26日(土) |
第6戦 |
セントルイス・カージナルス |
1-2x |
カンザスシティ・ロイヤルズ |
ロイヤルズ・スタジアム
|
10月27日(日) |
第7戦 |
セントルイス・カージナルス |
0-11 |
カンザスシティ・ロイヤルズ
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優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ(4勝3敗 / 球団創設17年目で初)
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第6戦の先発投手は、ロイヤルズがチャーリー・リーブラント、カージナルスがダニー・コックス。この試合では両先発による投手戦が展開され、7回終了時点で両チームとも無得点のまま。8回表、カージナルスは二死一・二塁の好機で9番コックスに打順がまわったため、代打にブライアン・ハーパーを起用する。このハーパーがリーブラントから中前打を放ち、二塁走者テリー・ペンドルトンが生還してカージナルスが1点を先制した。その裏、2番手ケン・デイリーが無失点に抑え、カージナルスは3年ぶりの優勝まで残り1イニングとした。
9回裏、カージナルスは3番手トッド・ウォーレルが登板する。先頭打者ホルヘ・オータの打球は一塁方向へのゴロとなり、一塁手ジャック・クラークがベースカバーのウォーレルへトスで送球した。アウトと思われたが、一塁塁審ドン・デンキンガーはセーフの判定を下した。カージナルスが抗議したものの、判定は覆らず。テレビ中継ではリプレイが流され、解説のジム・パーマーは「アウトに見えますね」、実況のアル・マイケルズも「アウトであることに疑いの余地はないように思えます」と話していた[6]。その後ロイヤルズは一死満塁の好機を作り、9番・投手ダン・クイゼンベリーの打順で代打にデーン・オージを起用した。オージはウォーレルの2球目を右前へ運び、三塁走者オニクス・コンセプシオンと二塁走者ジム・サンドバーグが相次いで生還、ロイヤルズが土壇場での逆転サヨナラ勝利によりシリーズの行方を最終第7戦へもつれ込ませた。デンキンガーは判定に自信を持っており、試合終了後にコミッショナーのピーター・ユベロスに「正しかったよな?」と確認したが、ユベロスはただ首を横に振って否定したという[7]。
2014年、MLBでは塁上のセーフ/アウトの判定にビデオ判定が行われるようになった。そしてロイヤルズが、この1985年以来29年ぶりのワールドシリーズ進出を果たした。デンキンガーは「ビデオ判定の導入には大賛成。あのときビデオ判定があったら、自分の名前なんて誰にも知られることはなかったんじゃないか」と話した[6]。また、ウォーレルの捕球を音で確認しようとしたが球場の大歓声にかき消されて聴こえなかったといい、判定を下したときの自身の位置取りについて「近すぎた。もうちょっと離れたところから足と捕球を一目に見ていれば、正しい判定を下す可能性が高くなってたと思う」とも振り返っている[7]。
最終第7戦の先発投手は、ロイヤルズがブレット・セイバーヘイゲン、カージナルスがジョン・テューダー。このふたりはともに、この年のレギュラーシーズンでは20勝を挙げている。7戦4勝制のワールドシリーズが3勝3敗のタイにもつれ、最終戦でその年の20勝投手どうしが先発として投げ合うのは、1962年以来23年ぶり史上5度目である[8]。ワールドシリーズでは審判が時計回りにローテーションするため、ドン・デンキンガーが前日の一塁塁審からこの日は球審に移った。試合は2回裏、ダリル・モトリーがテューダーから2点本塁打を放ち、ロイヤルズが先制する。3回裏にも、一死満塁からジム・サンドバーグが押し出し四球を選び、3点目を挙げてテューダーを降板に追い込む。さらに代わって登板したビル・キャンベルからも、スティーブ・バルボニの左前打で2点を奪い5-0とした。ロイヤルズが試合を優位に進める一方、カージナルス打線はセイバーヘイゲンの前に沈黙し、最初の6イニングでは二塁を踏むこともできなかった。
5回裏にもロイヤルズが6点を加え、試合は11-0となる。このイニング途中、カージナルスの監督ホワイティ・ハーゾグと5番手投手ウォーキーン・アンドゥハーがデンキンガーから退場処分を受けた。二死一・二塁の場面でアンドゥハーがサンドバーグに対し内角球を投じ、これをデンキンガーがボールと判定するとアンドゥハーは激昂、これを受けてまずハーゾグがダグアウトから出てきてデンキンガーに抗議し、退場させられた。このときハーゾグが前夜のデンキンガーの誤審を「もしあれがなければこの試合は必要なかった」と蒸し返したため、デンキンガーは「あんたのチームの打者がもうちょっと打ってりゃこの試合は必要なかった」と言い返したという[注 2][9]。再開後、次の球をアンドゥハーは再び内角に投げ、これをデンキンガーも再びボールと判定し、アンドゥハーがリアクションをとったところでデンキンガーが退場処分を下した。ワールドシリーズでの退場処分は、1976年にニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンが受けて以来9年ぶりである[10]。
試合はそのまま11-0で終了し、ロイヤルズが優勝を決めた。シリーズ終了後、アイオワ州にあるデンキンガーの自宅に脅迫や抗議の手紙が寄せられ、警察が警備にあたる騒ぎとなった[7]。この事態に対し、コミッショナーのピーター・ユベロスは「野球には最初から人間的要素が組み込まれている」と誤審を暗に認めつつも、カージナルスによる誤審場面ポスターの販売計画を差し止めるなどして、デンキンガーをかばった[4]。しかしその誤審は人々の印象に強く残り、時が経つにつれて「誤審は第7戦の9回裏二死で起きた」「デンキンガーはこの誤審によって引退させられた」など、事実とは異なる話が広まっていった[注 3][6]。
- ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、二塁手としての功績が評価されてのもの。
- ^ 今シリーズ7試合でカージナルスは、チーム打率.185・OPS.516に終わった。総得点は13点で、1試合平均では2点を下回る。
- ^ 実際にはデンキンガーは、その後も1998年シーズンを最後に引退するまで、13年にわたって審判生活を続けた。ワールドシリーズにも、1991年に再び出場している。
- ^ "World Series Television Ratings," Baseball Almanac. 2019年8月31日閲覧。
- ^ Jim Caple, "Playoff pros, cons and rootability," ESPN.com, September 28, 2014. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b 伊東一雄 / 馬立勝 『野球は言葉のスポーツ アメリカ人と野球』 中央公論社〈中公新書〉、1991年、ISBN 4-12-101019-1、41-44頁。
- ^ John Cronin, "The Historical Evolution of the Designated Hitter Rule," Society for American Baseball Research, 2016. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c Doug Miller, "Denkinger cool with reminders of mistaken call in '85 Series / Umpire, players reflect on infamous play as expanded replay makes its Fall Classic debut," MLB.com, October 20, 2014. 2019年8月31日閲覧。
- ^ a b c David Tanklefsky, "Throwback Thursday: Don Denkinger Blows "The Call"," VICE, October 22, 2015. 2019年8月31日閲覧。
- ^ Rob Neyer, "Rare show: 20-game winners in Game 7," ESPN.com, November 4, 2001. 2020年8月9日閲覧。
- ^ Sean Gregory, "The Ump Who Blew the '85 World Series Wants a Rematch," Time, October 14, 2014. 2019年8月31日閲覧。
- ^ "World Series Ejections," Baseball Almanac. 2019年8月31日閲覧。
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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文化 | |
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永久欠番 | |
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ロイヤルズ球団殿堂 | |
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ワールドシリーズ優勝(2回) | |
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ワールドシリーズ敗退(2回) | |
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リーグ優勝(4回) | |
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できごと | |
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傘下マイナーチーム | |
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球団 | |
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歴代本拠地 | |
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永久欠番 | |
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カージナルス球団殿堂 | |
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ワールドシリーズ優勝(11回) | |
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ワールドシリーズ敗退(08回) | |
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リーグ優勝(19回) | |
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できごと | |
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傘下マイナーチーム | |
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