梅宮辰夫

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うめみや たつお
梅宮 辰夫
梅宮 辰夫
国際情報社『映画情報』第27巻11号(1962)より
本名 梅宮 辰雄(読み同じ)[1]
生年月日 (1938-03-11) 1938年3月11日
没年月日 (2019-12-12) 2019年12月12日(81歳没)
出生地 満洲国の旗 満洲国ハルビン[1]
出身地 日本の旗 日本
職業 俳優タレント実業家
活動期間 1958年 - 2019年
活動内容 映画テレビドラマバラエティ番組
配偶者 梅宮クラウディア
著名な家族

梅宮アンナ(娘)
梅宮百々果(養子、元[2]

梅宮万紗子(姪)
梅宮亜須加(姪)
主な作品
テレビドラマ
前略おふくろ様
新・夜明けの刑事
明日の刑事
江戸プロフェッショナル・必殺商売人
大激闘マッドポリス'80
特命刑事
スクール☆ウォーズ
はぐれ刑事純情派』シリーズ
特命係長 只野仁』シリーズ
映画
夜の青春シリーズ
夜の歌謡シリーズ
不良番長』シリーズ
帝王シリーズ
仁義なき戦いシリーズ
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梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年〉3月11日[3] - 2019年令和元年〉12月12日[4])は、日本俳優タレント司会者実業家身長174cm、血液型O型[3]。所属事務所は株式会社グッデイ(東京・赤坂)。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。愛称は「辰兄(にい)」「辰っちゃん」。

東映ニューフェイスとしてデビュー。 飲食事業の経営やバラエティ番組にも進出。料理の腕前や軽妙なトーク、体を張ったコントや夫婦揃っての共演、家庭の様子がたびたび紹介されていた。

生涯

生い立ち

会津出身の梅宮の祖父・辰次郎が陸軍士官学校卒業後日露戦争に従軍、その後、妻とともに満州奉天に移住、辰次郎は関東軍参謀板垣征四郎とも懇意の仲で、祖父の葬儀では板垣が弔文を読んだ。辰次郎の次男で父の次郎は同地で生まれ、満州医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市満鉄病院に勤務していた。梅宮のほか弟と妹それぞれ2人ずつおり、5人兄弟である[5]。一家はその後、次郎の異動により開原市(現中華人民共和国遼寧省)に移住、同地で太平洋戦争終戦を迎え、1946年に他の引揚者らとともに信濃丸博多港に帰国[注釈 1]

満洲から帰国して半年後に茨城県水戸市の病院に職を見つけた父とともに一家で移住、茨城大学教育学部附属愛宕中学校では陸上競技をしていた。同校の後輩にはジャーナリストで評論家の立花隆がおり、立花とは後年、テレビ番組の企画で共演している[6]。水戸移転から10年後、近くに親戚のいた品川区戸越銀座へ移住する。戸越銀座移転後、実家は内科小児科を診療科目とする梅宮医院を開業、辰夫は跡継ぎとして期待されていた[7] が、早稲田高等学校を経て、医学部を受験するも不合格となったため、日本大学法学部に入学(後に中退)。

大学在学中に銀座でスカウトされ、1958年昭和33年)、東映ニューフェイス5期生に合格[8]。同期には八代万智子応蘭芳高島新太郎小嶋一郎滝川潤がいる。東映へ入社し、翌年映画少年探偵団 敵は原子潜航挺』シリーズで主演デビュー[9][10]。新人時代は他に『遊星王子』等子供向けヒーロー映画に主演していた[8]

東映が全力で売り出していた波多伸二1960年(昭和35年)、デビューから四作目で急死し、若手の主演級スターがいなくなり、プロデューサー・監督ら幹部クラスで波多に代わるスターの選考が行われた[11]。ここで大半が推したのは亀石征一郎だったが[11]岡田茂プロデューサー(のち、東映社長)が「亀石?あいつは暗くてダメだ!梅宮がいい。あいつは仰げばどんどん上がる。ああいう奴が人気が出るんだ」と鶴の一声を発し[11]、梅宮が東映東京撮影所(以下、東映東京)の次世代スターとして売り出されることになった[11]

以後、1964年(昭和39年)の『暗黒街大通り』までは「アクション映画」や「仁侠映画」で硬派な役柄で活躍していたが、段々私生活が派手になっていく梅宮を見て、岡田プロデューサーが梅宮の私生活に近いプレイボーイ、女を泣かす役柄をあてた[12][13][14][15]。これが1965年(昭和40年)の『ひも』に始まる「夜の青春シリーズ」で[16]、岡田は梅宮を着流し任俠路線裏番組エースとして起用し続けた[16]。ここから"男を泣かせる鶴田 女を泣かせる梅宮"の名惹句が生まれた[13][16]。これが同じ岡田プロデュースによる1968年(昭和43年)からの「不良番長シリーズ」に至る[9][14][15][16]1960年代半ば以降は東映京都撮影所(東映京都)で「任侠映画」が量産されたため、東映東京の看板スターだった鶴田浩二高倉健が東映京都に行くことが多くなり[15]、必然的に梅宮が東映東京の看板スターとなった[15]。このため女性からのモテ方は今の芸能人の比ではなかったと話している[15]

「不良番長シリーズ」は、最初の数本こそシリアス・タッチだったものの、梅宮を軸にした集団コメディの色彩は回を重ねるごとに強くなり、後に公私共に盟友となる山城新伍コメディリリーフとして加わってからは、ますます破壊的なギャグが繰り出され、計16作が公開された。梅宮は「みなさんの中で役者・梅宮辰夫は『仁義なき戦い』の印象が強いかもしれないけど、僕の真髄は不良と女たらしを兼ねた『不良番長シリーズ』なんですよ[17]」と述べ、自身の代表作としている[13]。続いて主演の『夜の歌謡シリーズ』、更に1970年代からは『帝王シリーズ』などを成功させた[9]

ベテラン俳優として

1972年(昭和47年)、自身が経営する事務所「梅宮企画」倒産などによる多額の借金で窮地に立たされるが、クラウディア・ヴィクトリアと再婚、同年にはアンナが誕生した。1973年(昭和48年)からは『仁義なき戦い』や安藤昇主演の東映実録路線で貫禄十分の独特の存在を醸し出した[8][9][18]。同映画の監督、深作欣二とは同郷(茨城県水戸市)という縁もあった。

1974年(昭和49年)には睾丸腫瘍の診断を受けた。癌細胞はにまで転移していたものの、抗癌剤による化学療法の奏効によって治癒した。梅宮は化学療法を受けた際、副作用脱毛が全く起こらず、主治医が驚いていたというエピソードがある。この病気の後、梅宮は夜遊びを止め、酒を減らし、早起きして料理に励むようになった。

1975年倉本聡に請われて『前略おふくろ様』に出演。「渋い」板前役を演じ、役柄を広げることに成功。

1977年大映テレビ制作の刑事ドラマ新・夜明けの刑事』にて、温厚な人柄の刑事課長役を演じたことで新境地を開いた。以後、『明日の刑事』(1978年 - 1979年)、『スクール☆ウォーズ』(1984年 - 1985年)にも出演するなど、大映ドラマの常連俳優としても活躍する一方、『はぐれ刑事純情派』や『特命係長 只野仁』などのテレビドラマに出演し、名脇役ぶりを発揮する。

実業家・マルチタレント

これ以降は20代前半からの美食三昧で肥やした舌を活かし、料理人としても徐々に活路を見出して行く。 実業家・料理家としての才能にも長けており、「梅宮辰夫漬物本舗」「梅辰亭」といったブランドのフランチャイズチェーンや、名古屋で「梅宮辰夫の炭焼き家 炎園」などの事業も展開している[9]

晩年

晩年は病気がちで、2018年9月に前立腺がん、2019年1月に尿管がんの手術を受けるなど、これまで6度のがんの手術を受けた[9]。その後も慢性腎不全で週に数回、人工透析を受けてきたが、2019年12月12日の午前7時40分に、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で死去。81歳だった[19]。戒名は海釣りが好きだった梅宮辰夫らしく、『浄海院和譽辰照居士』となった。

人物

  • 特技はライフル剣道で、高校時代には剣道部の初代主将も務めた。
  • 料理にかける熱はかなりのものがある。
    • オリジナルレシピノートを作成しており、レシピの総数は500種類以上にも及んでいた[20]
    • 2001年2月13日、梅宮の運転手が仕事先の梅宮を迎えに行くため、梅宮の愛車であるメルセデス・ベンツV280(当時の販売価格で580万円)を渋谷区内の自宅近くのガソリンスタンドで給油中、カギを付けたまま休憩所に行き、戻るまでの数分間の間に車両盗難の被害に遭っているが[注釈 2]、その記者会見では「ベンツはいいから(調理器具が収まった)クッキングボックスだけは返してくれ[注釈 3]」と訴えている。その後ベンツは発見されたが、逆にクッキングボックスは持ち去られていた。
  • 1980年代後半からはバラエティにも進出。『くいしん坊万才』の6代目リポーターでレギュラー出演を皮切りに、俳優として初めて『料理の鉄人』に挑戦者として登場(1994年11月18日放送分、「対決」)。道場六三郎と戦うが敗戦している。
  • 釣り好きとしても知られる。梅宮本人が語るところによれば、「旧満州に住んでいた子供の頃、医師だった父と一緒に川釣りを始め、父が国立水戸病院の医師として茨城県に移った時にも那珂川ナマズウナギなどを釣っていた」とのこと[22]サンテレビジョンで放送される釣り番組『ビッグフィッシング』への出演を希望したことがあると言われている。自らの釣りの中心地は伊豆半島静岡県伊東市)の八幡野とのことで[22]熱海港に釣り船「番長」を留めている。1977年4月には尖閣諸島大正島へ渡って磯釣りにも挑戦、その様子は釣り雑誌「別冊フィッシング」のカラーグラビアでも紹介された。また、毎年のように男女群島まで磯釣りに出ていた時期もあり、その様子が「クッキングパパ」第9巻に紹介されたことがある。
  • 1968年(昭和43年)、3年間同棲し既に妊娠4ヶ月だった若井常代と一方的に婚約を解消[23]。同年12月に結婚した最初の妻は、銀座のクラブ「姫」のホステス大門節子(大門節江)だが[24]、半年で離婚[24][注釈 4]。大門との結婚中に知り合った銀座のクラブで働いていた愛称"ビッキー"こと[24] 米国籍のクラウディア・ビクトリア・ルールダウ(梅宮クラウディア)と[24]、1972年にスポーツニッポンに結婚とすっぱ抜かれ[24]、同年3月に結婚した[24][注釈 5]。クラウディアには外国人女性さながらの日本人女性にはない魅力があるという。この時、クラウディアは梅宮の子を身ごもっており、その子が娘の梅宮アンナである。
  • 梅宮アンナの娘の百々果は、相続税の負担を減らすために辰夫の養子となった[25]
  • 姪は梅宮万紗子声楽家高橋好子は母方従姉妹。その息子の高橋克典は母方の従甥(伯母の孫)である。元プレアイドル梅宮亜須加とは遠戚である。
  • 数多くの映画で共演した松方弘樹とは、釣りが趣味という共通から盟友だった。『スクール☆ウォーズ』で夫婦役として共演した和田アキ子とは「あんちゃん」「アッコ」と呼び合う兄妹のような仲だった。安岡力也からは「兄貴」と慕われ、山城新伍とは「兄弟」と呼び合う仲であった。めちゃイケのコーナー、爆烈お父さんの父で、加藤浩次演ずる加藤辰夫のモデルといわれている。
  • 片岡鶴太郎の番組出演以外にも、ダウンタウンの番組にも多く出演。和田アキ子との対決企画や体を張ったコントにも積極的に出演し、妻のクラウディアとの夫婦共演やアンナとの親子共演も話題となった。『人気者でいこう!』(朝日放送)にて「芸能人格付けチェック」企画に出演した際にモニタリングにて格付けマスターの浜田雅功からは「正露丸みたいやな」と思わず突っ込んでいた。
  • 秋山竜次ロバート)は「芸人として本当に悩んでいたことをかき消すきっかけとなったのが梅宮さんの“体ものまね”[26][27]。梅宮さんから『やるんだったら、中途半端じゃなく、突きつめろ。何をどうやってもいいから、ちゃんとした芸をやれ![28]』と励まされた」と言い、秋山にとって梅宮は大きな転機をいただいた恩人と語っている[26][27]
  • 1994年平成6年)から実娘・アンナが、羽賀研二との交際を始めると、プレイボーイの羽賀との交際に公然と反対、これら三者の関係は、ワイドショーなどで盛んに取り上げられた。
  • 田中裕二爆笑問題)と共演した際にスタジオの隅に呼び出し、「俺も同じ病気をやっているけど、ピンピンしている。大丈夫だから」と同じ睾丸の病を患った田中を励ました。この時、梅宮は睾丸がんを公表していなかった。
  • 太田光爆笑問題)には電話を掛けて「俺はあんたの事、好きだからさ。あんた、酒は飲むのかい?今度、仲間とやるバーベキューに誘ってもいいか。俺が一方的に言ってるだけだから恐縮しないでくれ。」と言ったが。太田が「すいません、酒飲まないんですよ。」と返答し、バーベキューの誘いは「誘ってください」と断らなかったものの、結局は太田が酒も飲まないし忙しいだろうと気遣ったのかそのまま実現することはなかったが、電話をすればよかったと2019年12月17日の爆笑問題のラジオで前述の田中のエピソードと共に語った[29]

出演作品

映画

テレビドラマ

Vシネマ

  • 殺しのメロディ Lady Smith(1990年)
  • 河内残侠伝 軍鶏(1991年)
  • 塀の中の懲りない奴ら!(1993年)
  • 極道おとこ塾(1995年)
  • 修羅がゆく4 東京大戦争(1997年) - 関東木曜会最高顧問 武山勝茂 特別出演
  • 殺し屋PAZUZU(2000年) - 漁師
  • 示談屋(2000年) - 八頭竜会会長
  • 日本極道史 誇り高き戦い(2000年)
  • 広島やくざ戦争 シリーズ(2000年・2001年) - 笹岡市 浅沼組組長 浅沼真一
    • 実録・広島やくざ戦争(2000年)
    • 広島やくざ戦争 完結篇(2000年)
    • 続・広島やくざ戦争(2001年)
  • 実録・絶縁(2001年) - 三代目山王会会長 竜造寺誠道
  • 九州マフィア外伝(2001年) - 沢村
  • 修羅の群れ(2002年) - 関山組組長 関山勝
  • 実録・大阪やくざ戦争 報復(2002年) - 三代目山王会会長 竜造寺誠道
  • 実録・山陽道やくざ戦争 覇道 完結編(2002年)
  • 六本木 錬金の帝王 カポネ(2003年)
  • 実録・東北やくざ戦争 覇桜の道(2003年) - 城東組関山一家 田畑組組長 田畑梅五郎
  • やくざの詩 OKITE 掟(2003年)
  • 実録・広島四代目 シリーズ(2004年) - 森田俠市
    • 実録・広島四代目 第一次抗争編(2004年)
    • 実録・広島四代目 第二次抗争編(2004年)
    • 実録・広島四代目 抗争完結編(2004年)
  • 新・日本の首領(2004年 - 2006年、全9巻) - 遠山建設社長 遠山実
  • 実録・籠寅三代目 合田幸一 シリーズ(2004年) - 籠寅二代目
    • 実録・籠寅三代目 合田幸一 任侠修業篇(2004年)
    • 実録・籠寅三代目 合田幸一 名門継承篇(2004年)
    • 実録・籠寅三代目 合田幸一 関西二十日会篇(2004年)
  • 実録 東声会 初代 町井久之 暗黒の首領(2006年) - 加賀組組長 加賀三郎(特別出演)
  • デコトラの鷲 其の五 火の国熊本親子特急便(2008年)
  • 千年の松 完結編(2009年) - 荒武連合総長 御堂貴臣
  • 日本統一 1 - 3(2013年) - 五代目至誠会会長 川端忠雄

テレビアニメ

バラエティ

CM

歌唱

シングル

  • 母恋いやくざ / 銀座の風来坊(1962年。ビクター VS-753)
  • 遊侠三代 / さかずき節(1966年。コロムビア SAS-678)
  • 夢は夜ひらく / 憎いあん畜生(1966年。コロムビア SAS-781)
  • 番長シャロック(『不良番長』主題歌) / 盃よお前だけ(テイチク A-21)
  • 番長ブルース(『番長シリーズ』主題歌) / おれは番長(テイチク A-32)
  • 番長新宿仁義(『番長シリーズ』主題歌) / 夢は夜ひらく(テイチク A-39)
  • 番長数え唄(『番長シリーズ』主題歌) / 野良犬(テイチク A-45)
  • 男・番長流れ星(『番長シリーズ』主題歌) / 番外地ブルース(テイチク A-48)
  • ダイナマイト・ロック / ウッシッシ節(1970年。テイチク A-55)
  • シンボル・ロック(『夜遊びの帝王』[30] 主題歌) / 夜は俺のもの(1970年。テイチク A-63。のちに発売禁止。その後CD化されて発売される)
  • 梅宮辰夫の東京流れ唄 / 番長(テイチク A-69)
  • 柄じゃなかった恋なんか / 男泣かせの霧が降る(テイチク A-71)
  • 辰ちゃんの青春日記 / 辰兄いの三度笠(1971年、テイチク A-73)
  • 悔恨の唄 / さすらいのワルツ(1971年、テイチク A-77)
  • 生きて行こうよ / ジンと来るんだ(テイチク A-80)
  • 盛り場番長 / 人生劇場(テイチク)
  • もてたつもりの数え唄 / 女町みれん(ミノルフォンレコード KA-554)
  • つよがり / 男ひとり(1982年、コロムビア 7DX-1187)

アルバム

  • 夜遊びの帝王(テイチク ASL-3)
  • 人生劇場/不良番長(テイチク AT-1)
  • 男の演歌(ユニオン ULP-2012)
  • 梅宮辰夫ザ・ベスト(2018年1月24日 MW RECORDS DLCR-18013)

著作

  • 『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚』 双葉社、2019年12月 - 遺著

脚注

注釈

  1. ^ ファミリーヒストリー」(NHK総合2015年2月13日放送分)によると、次郎が終戦直後、開原の病院で関東軍の引揚兵の一人だった柳澤孝信(後に柳澤管楽器経営者)の命を助け、その後次郎が八路軍に連行され家族と引き離された際、柳澤が残された辰夫ら家族の引揚を開原から奉天まで手助けした。なお、次郎は八路軍により連行される途中の列車から脱出し逃亡、先に到着した奉天で身を潜め、その後に開原から奉天に到着した家族および柳澤と合流し、一緒に帰国している。
  2. ^ これが経緯で2002年(平成14年)自動車盗難防止キャンペーンのポスターのイメージキャラクターに選ばれた。
  3. ^ 愛用していた包丁セットが入っていた[21]
  4. ^ レコードを出したこともある大門は、広島市大洲(現在の南区)の出身。梅宮と離婚後、沢村忠と婚約したが結婚はしなかった。その後広島に帰郷して店を経営していたが、四国の一般人と再婚したという。このあたりは山口洋子の著書『ザ・ラスト・ワルツ- 「姫」という酒場』に少し書かれている。
  5. ^ 当時クラウディアは妊娠4ヶ月でお腹の大きな写真がスポーツニッポンに載った。クラウディアは梅宮顔負けの日本人の遊び人と1968年に結婚し、男児をもうけていて、夫婦仲が上手くいかずホステスをしているときに梅宮と知り合った。クラウディアの夫と梅宮との間でゴタゴタがあったが、結局手切れ金を渡しクラウディアと別れさせた(「げいのう 『涙にゃ弱い遊び人』」「サンデー毎日」 1972年3月19日号 43頁)

出典

  1. ^ a b 梅宮辰夫さん、慢性腎不全で死去…「仁義なき戦い」”. 読売新聞 (2019年12月12日). 2019年12月12日閲覧。
  2. ^ 梅宮アンナ 父・辰夫さんの遺言書が「なくてよかった」と語る理由 | マネーポストWEB - Part 3
  3. ^ a b 梅宮辰夫”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年3月9日閲覧。
  4. ^ 梅宮辰夫さん死去、慢性腎不全のため81歳…「モーニングショー」が伝える”. スポーツ報知 (2019年12月12日). 2019年12月12日閲覧。
  5. ^ 東映の友 1963年7月号 18頁。
  6. ^ 『旧友再会〜梅宮辰夫と立花隆』(NHK) 2009年放送
  7. ^ 東映の友 1961年5月号 2〜3頁。
  8. ^ a b c #不良番長 植地毅「俳優・梅宮辰夫の軌跡」52–55頁。
  9. ^ a b c d e f 「仁義なき戦い」「スクール☆ウォーズ」…梅宮辰夫さん、慢性じん不全で死去
  10. ^ #HW「吉田達プロデューサーインタビュー」134–137頁。
  11. ^ a b c d #不良番長「吉田達プロデューサーインタビュー」246–253頁。
  12. ^ 梅宮辰夫さん インタビュー | 昭和キネマ横丁 - Part 2(archive)
  13. ^ a b c 病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第2回・梅宮辰夫」(1)女を泣かす梅宮で売り出せ
  14. ^ a b 「梅宮辰夫インタビュー」『映画秘宝』2014年11月号、洋泉社、78-79頁。 
  15. ^ a b c d e #不良番長「梅宮辰夫インタビュー」274–282頁。
  16. ^ a b c d 伊藤彰彦 (2020年3月10日). “追悼、映画俳優 梅宮辰夫 ある夏の日の梅宮さんと坪内さん”. キネマ旬報WEB. https://www.kinejun.com/2020/03/10/post-2556/ 2020年4月27日閲覧。 
  17. ^ BIG tomorrow、青春出版社、2010年8月号、77頁。
  18. ^ 年が傘寿で芸歴は還暦。まるでお盆と正月が一緒に来たような
  19. ^ 梅宮辰夫さん急死 81歳 早朝に急変し…「仁義なき戦い」「スクール・ウォーズ」”. デイリースポーツ (2019年12月12日). 2019年12月12日閲覧。
  20. ^ 「ウメミヤを探して…」の投稿に梅宮辰夫さんが公開したキケンなレシピ大手小町 2019年12月12日 2019年12月22日閲覧
  21. ^ “梅宮辰夫、アンナ出産に「大丈夫」”. ZAKZAK (産経デジタル). (2002年1月12日). http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_01/g2002011201.html 2017年3月10日閲覧。 
  22. ^ a b 『昭和名優のダンディズム』梅宮辰夫編 東京スポーツ 2016年6月23日付18面
  23. ^ ヤングレディ」講談社 1968年7月29日号 28〜31頁
  24. ^ a b c d e f 「げいのう 『涙にゃ弱い遊び人』」「サンデー毎日」 1972年3月19日号 43頁
  25. ^ 梅宮アンナ 父・辰夫さんの遺言書が「なくてよかった」と語る理由 | マネーポストWEB - Part 3
  26. ^ a b 中西正男 (2014年5月25日). “<私の恩人>秋山竜次、梅宮さんはネタだけじゃなく…「ロバート」も救ってくれた!1”. THE PAGE (ワードリーフ): p. 1. http://thepage.jp/detail/20140525-00000003-wordleaf?page=1 2014年6月10日閲覧。 
  27. ^ a b 中西正男 (2014年5月25日). “<私の恩人>秋山竜次、梅宮さんはネタだけじゃなく…「ロバート」も救ってくれた!3”. THE PAGE (ワードリーフ): p. 3. http://thepage.jp/detail/20140525-00000003-wordleaf?page=3 2014年6月10日閲覧。 
  28. ^ 中西正男 (2014年5月25日). “<私の恩人>秋山竜次、梅宮さんはネタだけじゃなく…「ロバート」も救ってくれた!2”. THE PAGE (ワードリーフ): p. 2. http://thepage.jp/detail/20140525-00000003-wordleaf?page=2 2014年6月10日閲覧。 
  29. ^ 爆笑問題・田中裕二、梅宮辰夫さんに「同じ病気を…」と励まされていた”. ライブドアニュース. 2019年12月25日閲覧。
  30. ^ 夜遊びの帝王”. 東映チャンネル. 2014年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月30日閲覧。

参考文献

  • 『Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol.7』シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年。ISBN 978-4-401-75111-2 
  • 杉作J太郎・植地毅(編著)『不良番長 浪漫アルバム』徳間書店、2017年。ISBN 978-4-19-864354-6 

外部リンク