大須 (名古屋市)

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大須

大須(おおす)とは、愛知県名古屋市中区中心部にある地名である。

歴史

大須観音
萬松寺

起源

1610年慶長15年)の名古屋開府による名古屋城築城及び城下町の整備(いわゆる清洲越し)に伴い、旧那古野城の南側(現在の中区錦及び丸の内二、三丁目付近)にあった萬松寺織田信秀が開基)が現在地に移転。1612年(慶長17年)には美濃国中島郡[1]長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)にあった真福寺寶生院(大須観音)が徳川家康の命により現在地に移転され、当地は門前町として発展した。

歓楽街の時代

幕末安政年間に、玉屋町(現在の中区錦)の宿屋・笹野屋庄兵衛の上願により、大須観音の北にあたる北野新地(現在の北野神社付近)に役者芸人の宿が置かれ、後に遊女を置く私娼も現れた。明治維新後の1874年明治7年)10月、北野新地が公認の遊郭に指定されたが、敷地が狭く拡張も出来ないため、1875年(明治8年)に西大須に移転した。新しい遊郭は北野新地があった日之出町に因んで「旭廊」と名付けられたが、1923年大正12年)に現在の中村区大門地区に移転して中村遊廓となった。

1912年(大正元年)に萬松寺が寺領の山林を一般の商業用地として開放。名古屋市内随一の歓楽街として栄えた。劇場演芸場映画館などが数多く作られた。

しかし、第二次世界大戦末期のアメリカ軍戦略爆撃によって大須は壊滅的な被害を受けた。

電気街・電脳街として

第二次世界大戦後、客足がに流れ、さらに名古屋劇場が1972年に火災で焼失したことも重なり、一時寂れた時期もあったが、1970年代後半に入り、第一・第二アメ横ビルや商店街などにも家電店パソコンショップが集まり、秋葉原日本橋(にっぽんばし・大阪)に次ぐ電気街2006年7月の調査によると、電器店、パソコンショップ等の数は秋葉原、日本橋、大須の順で多い)として発展し、日本三大電気街の1つとして数えられるようになった。しかし秋葉原、日本橋とは異なり、この地方では主力時計・カメラ系量販店(ウォッチマンアサヒドーカメラトップカメラ)が家電・パソコンなどを販売していたり[2]、大須自体がアーケード商店街がメインであって、駅前の大型店進出(名古屋駅ビックカメラヤマダ電機)により秋葉原、日本橋の例と同様に電気街としては縮小傾向にある。また、電脳街としてもグッドウィル九十九電機などが店舗統廃合するなど、名古屋駅近辺に進出したビックカメラグループや栄に進出したヤマダ電機(2011年6月閉店)などの影響や業界再編の波で縮小傾向にある。

年表

現状

コメ兵本社

東海地方のオタク街

他の電気街と同様オタク街としても発展しており、その歴史も長く、古くは同人ショップが全国化する10年以上前からDカルトが存在していた。メイド喫茶もあり、「お帰りなさいませ、ご主人様」のあいさつは大須が発祥とされる。かつて名古屋のメイド喫茶といえばその店のみという時期が長く続いたが、2010年頃から急激に増えている。久屋大通コミックとらのあな名駅地区メロンブックスアニメイトらしんばんなど東京資本の店は大須以外に立地している。しかし2005年には、ゲーマーズ名古屋店が栄地区から大須に移転し、2007年末にはまんだらけも名古屋店を大須に移転、2008年8月にWonderGOOが進出している。2008年9月にはK-BOOKSが進出したが、2010年5月に撤退した。地元資本の三洋堂書店も、上前津店は他店舗とは全く違う品揃えで、特に3階はワンフロア全てがライトノベルをはじめとしたオタク向け商品となっている。また、仁王門通でSKE48のPV撮影が行われた。

なお、秋葉原名物となったおでん缶の元祖とも言える天狗缶詰は名古屋の企業であるが、秋葉原で名が知られるようになった頃は、まだ大須には置かれていなかった[3]

様々な施設がある街

また、コメ兵矢場とん大須ういろの本店・本社も大須にある。このため中古品売買店、名物の飲食店や通常の飲食店、おみやげ物の店舗も多数ある。 かつてはスガキコシステムズ(スガキヤ)の本社も大須にあったが、2010年に中区丸の内に移転している。逆にバッファローは一時大須から移転していたが、2010年に新社屋が完成したために大須へ再移転している。

萬松寺大須観音といったお年寄りも多く訪れるスポットもある。また、大須の再生には若年者の自営業開始が相次いでいる事も寄与している[要出典]

古くには衣料品の問屋が多かっただけあり現在でも衣料品の店舗が多く、若者向けの衣料品店も多く出店。

そのほかに郵便局、銀行があり、大須演芸場、古着屋、各国料理店、飲み屋、家具屋、仏壇屋、ゲームセンターパチンコパチスロ店、射撃場、銭湯ライブハウスなどがある。ただし、名駅・栄地区で盛んな百貨店、高級ブランド品販売、ビジネスホテルはほとんどない。

大須は時に、浅草上野秋葉原原宿下北沢池袋巣鴨が全て足されたような地区だと言われる[要出典]。このため、オタク系趣味の者の隣に若いカップルやお年寄りが歩き、家族連れや外国人が店頭の商品を見ているという、俗に言う「人類みな兄弟」とも言われる街である。

アーケード街

大須の主要通の新天地商店街

広大なアーケード商店街が広がり人通りが絶えない、老若男女・国籍人種も様々で県外から買い物に訪れる人も少なくない。また、アーケードを外れた裏道や路地にも様々な店舗がある。この大須のカオス的な良さは、小規模店舗を積極的に開いたこともあろうが、隣接する地区の企業の本店・支店や百貨店、ブランドショップが建ち並ぶ「高級感」に対して作り上げられた面もあるといえる[要出典]

近年、全国各地の商店街が衰退・縮小する中で、再生し更なる発展を遂げた稀な例である[4]。そのためか、日本各地の商店会組合や連合などの団体が年間を通して多く視察に訪れている。

なお、電子マネーEdyiDのシステム導入に積極的であり、約半数の店がEdyやiDでの支払いが可能である。

キャッチセールス・詐欺まがい行為

 大須では、名古屋駅地区、秋葉原と同様に(業者はそれぞれ別会社である)、絵画商法デート商法恋愛商法と言われる悪質商法キャッチセールスが近年非常に多く報告されている。特に平日は比較的人が少ないこともあって、若い男性が一人で歩いていてカモにされやすい外見・行動であると、かなりの確率で声をかけられることがある。一部のゲームセンターなどでは「声をかけてくる人はみんなキャッチセールスですので注意してください」という張り紙をしている程である。 

地理

商店街を外れた所にある、珍しい自動車・歩行者用一体型信号機(裏門前町通と赤門通の交点に設置)
自動車・歩行者用一体型信号機(LED式信号へ更新する前のもの)
街頭に設置された巨大招き猫(2006年7月)
大須の新名所「大須301ビル」
赤門通ビル

範囲

地域概念としての「大須」は、大須通大津通伏見通国道19号)、若宮大通の4つの道路に囲まれたエリアを指すことが多い。地名としての「大須」は、東西を堀川新堀川、南北を若宮大通と大須通に囲まれた地域であり、大須一丁目、大須二丁目、大須三丁目、大須四丁目が存在する。

大須の主な通り名

南北の通り

  • 大須表参道通
  • 大須弁天通
  • 文長通
  • 大須本通
  • 門前町通
  • 大須横丁通
  • 裏門前町通
  • 文殊通
  • 北新天地通
  • 新天地通

東西の通り

  • 赤門明王通
  • 赤門通
  • 大須観音通
  • 万松寺通
  • 仁王門通
  • 東仁王門通

アクセス

主な施設

祭り・イベント

出身有名人

脚注

  1. ^ かつては尾張国中島郡だったが、1586年天正4年)6月の木曽川氾濫による流路変更により、木曽川右岸となった地域が美濃国に編入された。
  2. ^ ただし、ウォッチマンは2006年に倒産し、アサヒドーカメラ、トップカメラも家電・パソコンの販売を取り止めている。
  3. ^ 真実のおでん缶(前編)、ASCII.jp、2000年11月24日
  4. ^ 商店街活性化への取り組み 大須商店街(名古屋市中区)、B STYLE26月号(2007年9月11日発行)

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度9分31.874秒 東経136度54分13.468秒 / 北緯35.15885389度 東経136.90374111度 / 35.15885389; 136.90374111