堀川 (名古屋市)

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堀川
堀川
熱田記念橋(熱田区)より北を望む
水系 一級水系 庄内川
種別 一級河川
延長 16.2 km
水源の標高 -- m
平均流量 -- /s
流域面積 52.5 km²
水源 庄内用水元杁樋門(守山区
河口・合流先 伊勢湾港区
流域 愛知県名古屋市
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堀川(ほりかわ)は、愛知県名古屋市を流れる庄内川水系一級河川

江戸時代初期の名古屋開府に際して建築資材運搬用の運河として開削されたことがそのルーツである。その後明治初期において庄内川からの取水を開始し庄内川水系に属する形となった。また一部の区間はその成立の経緯から黒川(くろかわ)とも呼ばれる。

本項では、2012年現在において水源を同じくする庄内用水(しょうないようすい)に関しても併せて記述する。

目次

地理 [編集]

庄内用水頭首工(守山区)
猿投橋(北区)

愛知県名古屋市守山区にて庄内川から取水する形で発祥し、矢田川を地下水路で伏越したのち名古屋城のある南西方向へ流れる。名古屋城を北側から西側に回りこみ、その後名古屋市中心部を南方向へ流れ伊勢湾名古屋港)に注ぐ。

庄内川の水分橋東側に所在する庄内用水頭首工においてせき止められた水を庄内用水元杁樋門より取水し、水路は「庄内用水」として南下する。矢田川の地下を三階橋東側に所在するトンネル(伏越)でくぐり、トンネル出口の三階橋ポンプ場内で農業用水である庄内用水と分岐する。水量調整用の水門である黒川樋門から通称「黒川」として名古屋城周辺まで南西方向に流れる。名古屋城を北側から西側に回りこんだ後、朝日橋以降は「堀川」としてほぼ南方向に流れ、河口の名古屋港(伊勢湾)に至る。途中、熱田区の七里の渡し付近にて新堀川と合流する。かつては松重閘門(中川区)において中川運河とも連絡していたが、2012年現在閘門水路は埋め立てが行われており、船舶による往来はできない。

庄内用水は、三階橋ポンプ場内で黒川と分離したのち、ほぼ矢田川・庄内川に並行する形で流れる。

名古屋城周辺から熱田までの区間は、熱田台地(名古屋台地)の西側に沿う形で流れている。このため総じて川の左岸(東側)が右岸(西側)よりも高くなっている。黒川部分の途中、猿投橋において流れに約3.8mの段差が生じており、それ以降の下流域は伊勢湾の潮の影響を受け満潮時には流れの逆行も起こる感潮域となっている。また、堀川の水深は潮の干満で変化するが1〜3m程度である。

発祥の経緯のとおり、特に朝日橋より下流の「堀川」は、川というよりは運河としての色彩が強い。

流域の自治体 [編集]

2013年現在、堀川・庄内用水ともすべて名古屋市の行政区のみを流れる。行政区の境とのみなっている場合は、右岸左岸の別を付記した。

堀川

守山区 - 北区 - 西区 - 中区(左岸) - 中村区(右岸) - 中川区(右岸) - 熱田区 - 南区(左岸) - 港区

庄内用水

守山区 - 北区 - 西区 - 中村区 - 中川区 - 港区

歴史 [編集]

堀川堀留の石碑
朝日橋(西区)の袂にある
黒川(御用水跡街園・北区)
堀川口防潮水門(港区)

堀川は、1610年慶長15年)に福島正則徳川家康の命により、名古屋城築城に際して資材運搬を目的とした水路として2013年現在における朝日橋付近までを掘削したとされている[注 1]。その後は城下町名古屋への物資の水運に使われるようになった。

名古屋城付近の「堀留(朝日橋)」以北の上流部は、堀川と並行して流れていた庄内用水の東井筋[注 2]に注いでいた大幸川[注 3]の付け替えとして、江戸時代後期の1784年(天明4年)に2013年現在の猿投橋付近から朝日橋付近までが開削されたとされる。

さらに明治に入り1877年(明治10年)、愛知県技師の黒川治愿(はるよし)によって、矢田川を地下で伏越し庄内川を横断し八田川・新木津用水を経由して犬山にいたる運河として、大幸川を延伸・拡幅する形で開削または拡幅・浚渫された。この経緯から、堀川の朝日橋から矢田川手前の黒川樋門の間の区間は通称として「黒川」と呼ばれている。また、1976年まで名鉄瀬戸線に「堀川駅」という堀川に面したターミナル駅があったのは、愛知県瀬戸市で生産された瀬戸焼を堀川を通じて輸出するためであった。

黒川の開削当時には、平行して「御用水」と呼ばれる名古屋城の堀の水源となる用水路が流れていた。御用水は、1663年(寛文3年)にそれまで名古屋城の堀の水源となっていた湧き水が枯渇してきたことに対応する形で開削された用水路であり、開削当初は矢田川から取水を行っていたが、1676年(延宝4年)に庄内川(竜泉寺付近)から取水し矢田川を伏越する経路に変更されている。名古屋城の堀からは「辰之口水道大樋」(2013年現在の朝日橋と大幸橋の間)から堀川に放流されるようになり、これにより堀川に河口方面への流れが生じるようになったとされる。黒川開削に際して、御用水についても黒川と同じ庄内用水頭首工からの取水に切り替えられ、以後黒川と御用水は名古屋城近辺まで並行して流れる形となっていたが、1972年(昭和47年)に御用水は黒川に統合される形で埋め立てが行われている。埋め立て後は1974年に「御用水跡街園」として整備されている。

2007年4月1日、河川の管理権限が愛知県から名古屋市に移譲されている[1]

年表 [編集]

本年表は『名古屋港と三大運河』巻末年表の記述から抜粋した[2]

  • 1610年 - 福島正則、徳川家康より堀川開削を拝命、開削に着手。
  • 1611年 - 伊勢湾 - 名古屋城間が開通。
  • 1663年 - 御用水が開削され、堀川への放流が開始される。
  • 1742年 - 庄内用水の取水位置が変更され、矢田川を伏越するルートとなる。
  • 1784年 - 大幸川の付け替えを行い、堀川に流入するルートとなる。
  • 1878年 - 前年より行われていた「黒川」の開削が完了する。
  • 1910年 - 庄内用水元杁樋門の改築工事実施。人造石によるアーチ型水門となる。
  • 1911年 - 瀬戸電気鉄道(現:名鉄瀬戸線)堀川駅が開業。瀬戸から陶器などが運ばれ、堀川経由で輸出される。
  • 1917年 - 河川法による準用河川に認定される。
  • 1931年 - 猿投橋 - 朝日橋間の浚渫工事実施により、同区間が伊勢湾の潮の影響を受ける汽水域になる。
  • 1932年 - 松重閘門の運用開始。中川運河と接続する。
  • 1937年 - 松重閘門に隣接して松重ポンプ所が完成。中川運河の水の堀川への注入が始まる。
  • 1938年 - 松重ポンプ所から岩井橋までの導水設備が堀川右岸に設置。
  • 1948年 - 庄内用水元杁樋門近くの井戸からの取水を開始。
  • 1959年 - 伊勢湾台風の来襲により堀川沿岸も甚大な被害を受ける。
  • 1964年 - 7月、千年下水処理場(現:千年水処理センター、熱田区)が完成し処理水の堀川への放流を開始する。8月、1961年から建設されていた堀川口防潮水門が完成。
  • 1965年 - 4月、河川法改正により二級河川に指定される。名城下水処理場(現:名城水処理センター、北区)が完成し、処理水の堀川への放流が始まる。
  • 1968年 - 松重閘門が閉鎖され、中川運河との往来が途絶える。
  • 1969年 - 堀川が庄内川水系左派川として一級河川に昇格。庄内川取水口までの区間が堀川に含まれることとなる。
  • 1970年 - 千年下水処理場の処理能力が従来の1日6万m3から1日10万m3に向上する。
  • 1973年 - 名城下水処理場の処理能力が従来の1日6万m3から1日10万m3に向上する。
  • 1974年 - 1972年から行われていた御用水跡環境整備事業が完了。御用水跡街園がオープンする。
  • 1976年 - 1月、松重閘門が公用廃止される。2月、名鉄瀬戸線堀川駅が廃止される。
  • 2001年 - 瀬古の井戸からポンプアップした水の通水を開始する。
  • 2003年 - 雪印名古屋工場からの浄化用水の通水を開始する(古川経由、守西ポンプ所内で合流)。
  • 2004年 - 辻栄橋近くの井戸からの通水を開始する。
  • 2005年 - 鍋屋上野浄水場の作業用水の放流を開始。
  • 2007年 - 3月、地下鉄名城線の地下水の放流を開始。4月、堀川の管理権限が愛知県から名古屋市に移される。
  • 2008年 - 北清水親水広場の井戸水「清水わくわく水」の放流を開始。

環境 [編集]

名城水処理センター(北区)から堀川に放流される処理水
北清水親水広場(北区)の「清水わくわく水」
ホリゴン
(2012年水フェスタ)

堀川にはわずかに取水している庄内川以外は源流らしいものが無く、新しい水の流入が少ないこと、および処理不十分な生活排水が流入することが水質汚濁に拍車をかけているとも考えられている。

江戸期における堀川の水質は、魚を食用としたり泳いだりすることができるものであったとされている[3]。また、周辺の土砂の流入・堆積により水路が埋没することを防ぐ浚渫作業である「冥加浚え(みょうがざらえ)」も行われてきた[4]。冥加浚えは受益者とされる沿岸の町人により行われ負担も大きかったが、各町内競い合う形で盛大に行ったとされている[4]。明治期に入り下水道整備が行われるようになると、堀川は主な下水の放流先とされたことから汚染が進むこととなった[5]。下水処理施設の建設などの対策は取られたものの[6]、昭和30年代(1965年 -)辺りからは、工場排水や生活廃水で鼻を覆いたくなるほど異臭を放つ無残な溝川と化しており、1966年にはBODの値が 54.8mg/l と汚濁のピークを迎え「死せる川」とも呼ばれていた[7]。昨今になって「名古屋堀川ライオンズクラブ」など、浄化を目指す運動も始まっている。

水量増大への取組としては、堀川沿岸への下水処理施設の建設(千年水処理センター - 1964年、名城水処理センター - 1965年)が挙げられる。両水処理センターの1日当たり最大処理能力は10万m3で、堀川の主要水源として機能している側面もある。また、松重閘門に隣接する松重ポンプ所から中川運河の水位調整のため汲み上げられた水が岩井橋付近から放流されており、相対的に水質のいい中川運河の水が堀川下流域の水質改善に寄与している[8]

堀川流域の下水道は、名古屋市の中でも早期に下水道整備がなされたこともあり汚水と雨水を同じ管で流す合流式下水道であることから、水処理センターの処理能力を上回る降雨があると未処理の生活排水が雨水と共に川に放流されることとなる。名古屋市の調査では、1時間当たり3mm程度の雨量により3倍以上に薄められた生活排水が放流される計算となり、汚水の流入が年間で65回発生する試算となる[9]。このため、降雨時に一時的に汚水を溜めておく雨水貯留施設を整備し、降雨後に水処理センターに送って汚水の河川流出量を抑える方針での取組が行われている[9]

そのほか、2001年以降「庄内用水元杁樋門」付近の庄内用水に隣接している「瀬古の井戸」から、2004年以降は古川用水(守山区)の水も加えて定期的に導水している。2005年からは鍋屋上野浄水場の作業用水を、またそれらより水量はさらに少ないが、流域の数か所で浅層地下水をそれぞれ導水している。なお一時的な堀川への導水としては、1998年 - 2001年に上飯田連絡線名鉄小牧線地下鉄上飯田線)の工事の際に湧出した地下水を上流部(黒川)に流入させていた。2007年から社会実験として3年間に渡って木曽川からも導水が行なわれた(鍋屋上野浄水場内で上水道用水としての水の一部を堀川への放流水とするもの[10])。

木曽川からの導水を継続して行うなどさらに導水量を増加させて堀川を浄化しようという計画も存在するが、実施に移した場合、現在堀川に堆積しているヘドロが名古屋港から伊勢湾に流出することが必至であるとして伊勢湾沿岸の漁業関係者の反対が強く、実現の目途は立っていない。

一方で直接的な環境整備としては、従来からヘドロの除去が断続的に行われていたが、1994年以降は名古屋市がヘドロの除去を継続して行なっている。これにより以前に比べ水質は改善している(2010年度平均の堀川沿岸測定場所でのBOD値 2.1mg/l - 4.1mg/l[11])が、まだまだきれいな川とは言い難い状況ではある。また名古屋堀川ライオンズクラブなどによるゴミ拾いなどの清掃活動も継続して行われている。

2000年2月には堀川下流部にオスシャチが迷い込み、話題となった(同年2月23日、名古屋港水族館、管理組合などの職員によりシャチの追い込み作戦が実施された)。また2005年から毎年8月に「清流の再生を夢の技術で」をキャッチフレーズとして堀川エコロボットコンテストが開かれ、小中学生、大学生、企業が堀川をきれいにするアイデアロボットを披露している。

イメージキャラクター [編集]

  • ホリゴン - 名古屋市堀川総合整備室管理のイメージキャラクターで、正式名称は堀川権左衛門。堀川が作られた時から生息する恐竜である。「堀川を清流に!」のキャッチフレーズのもとPR活動などを行っている[12]

庄内用水 [編集]

堀川と分岐後の庄内用水(北区)

2012年現在における庄内用水は、堀川と同じく庄内用水頭首工にその端を発し、矢田川伏越後に堀川と分岐して名古屋市北区、西区、中村区、中川区、港区を流れる。これらの流域では笈瀬川(おいせがわ)・惣兵衛川(そうべえがわ)・米野川(こめのがわ)という名で呼ばれることもある[13]

庄内用水は、尾張国愛知郡誌によると安土桃山時代の頃に地域の治水灌漑・民利増進のために開削が開始されたとされている[14]。江戸時代初期の1614年(慶長19年)に庄内川沿いの稲生村に取水口を設け、開削された用水路に庄内川の水を流した[14]。その後江戸時代の間に矢田川合流前の庄内川に取水口を設けて矢田川を伏越する経路に変更され、明治初期には黒川の開削と合わせて矢田川伏越後に黒川・御用水と分岐する2012年現在まで続く形となった[14]

最盛期には流域約3000haの農地を潤す用水路であったが、流域の急速な市街化により灌漑する農地面積は昭和末期には北区・西区・中村区・中川区・港区に点在する数十ha以下となった[15]。庄内用水も堀川と同様に水質悪化が激しく、流域住民からは用水の埋め立てを求める苦情が多発したとされる[15]。その後1971年に水質汚濁に関する環境基準が定められ排水規制が厳しくなったこともあり、庄内用水の水質も昭和50年代(1985年-)には改善されてきた[16]

1985年から1997年においては、農業期である4月から9月にかけて各年約660万m3(1986年) - 約1130万m3(1992年)の取水を行っている[17]

関連施設 [編集]

堀川は建築資材を運搬するための水路として開削され、名古屋開府以来の歴史を持つこともあり流域には歴史的な建築物等も見られる。流域において堀川と密接に関連する施設のうち、庄内用水元杁樋門・黒川樋門・五条橋・納屋橋・松重閘門の計5物件が都市景観条例に基づき名古屋市都市景観重要建築物等の指定を受けている[18]

庄内用水元杁樋門 [編集]

庄内用水元杁樋門(守山区)

庄内用水元杁樋門(しょうないようすいもといりひもん)は、堀川の水源となる庄内川(庄内用水頭首工)から取水した水の樋門

庄内用水は運用開始時には庄内川を越えてさらに北の地域への船運にも利用する計画であったことから、元杁樋門も船舶が往来できる高さを持った水路となっている。矢田川を暗渠を築いて越えてまで庄内川の水を採取する構造としたのは、矢田川の水がその上流に瀬戸の陶土地帯を持つなど砂を多く含み、勾配のほとんどない堀川に流入させると砂が溜まることによる維持管理に労力がかかることを避けるためである[19]

2012年時点で現存する樋門は1910年(明治43年)に改修された石造りのものであるが、この建造には「人造石工法」が用いられている[20]

人造石工法とは、日本家屋における土間のような土を固める技法である「たたき」を大規模な土木建造物においても使用できるよう、愛知県碧南生まれの職人服部長七が改良したもので、消石灰に多量の風化花崗岩を混ぜて水練りしたものに砂を加えた上で石と交互に積み上げ突き固めるものであった。工事が行われた当時はセメントが輸入されるようにはなっていたものの、非常に高価であり一般の工事に使用できる状況ではなかったが、服部の人造石工法によりコンクリートと同等の構造物を築くことが可能となった。また、人造石工法で用いる消石灰はより安価な代替物の使用もできたことから、その後の大規模工事(熱田港築港・宇品港築港・四日市港岸壁工事、等)に広く用いられるようにもなった[20]。服部は1904年(明治37年)に事業から引退したが、愛知県ではその後しばらくの間人造石工法を用いた治水灌漑事業を続けており、庄内用水元杁樋門工事はその一つである。

なお、下流の矢田川伏越も同工法で造られていたがコンクリート製のものに改築されたため、2012年時点で名古屋市内に現存する人造石工法の建造物は庄内用水元杁樋門のみとなる[21]

庄内用水元杁樋門は1993年10月12日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された[22]

地図

黒川樋門 [編集]

黒川樋門(北区)

黒川樋門(くろかわひもん)は、庄内用水の水が地下水路により矢田川を越した出口にある樋門。2012年時点で現存する樋門は、明治期に造られた石造の樋門の上に昭和末期の1980年に復元された木造の上屋がある[23]。樋門の上は橋となっており、人や自転車が通行可能となっている[23]

矢田川を越える地下水路(伏越)は、かつては庄内用水元杁樋門と同様に水路を船舶が通行することを考慮した高さを持つ人造石工法によるものであったがその後コンクリート製のサイフォン式のものに改築され、2012年現在運用されているものは船舶の通行を考慮していない。庄内川で採取された水は伏越通過後、黒川樋門の手前の地点である三階橋ポンプ場内で堀川(黒川)と庄内用水に分かれる。

黒川樋門は1992年10月5日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された[24]

地図

御用水跡街園 [編集]

御用水跡街園(ごようすいあとがいえん)は、黒川と平行して流れていた御用水(名古屋城堀への取水路)が埋め立てられた後、その一部が街園として整備されたもの[25]。全長約1.6kmの細長い街園である[25]

名城水処理センター [編集]

名城水処理センター(北区)

名城水処理センター(めいじょうみずしょり-)は、堀川左岸、城北橋のすぐ下流に位置する名古屋市の下水処理場。1965年に完成(処理能力1日6万m3)、1973年には処理能力が1日10万m3に増強されている。堀川の主要水源の1つとして機能している。処理方式は標準活性汚泥法で処理担当区域は名古屋市千種区、東区、北区、中区の一部[26]

2011年度(平成23年度)における処理水の水質検査の結果では、BODの値が年間平均値で3.3mg/lとなっている[27]

名城公園に隣接していることもあり、処理施設は屋内に納められ上部はテニスコートとして利用されている[26]。また下水道科学館も1989年7月から併設されている[26]

地図

五条橋 [編集]

五条橋(中区 - 西区)

五条橋(ごじょうばし)は、名古屋開府の際の清洲越しに際して清洲の五条川に架けられていた橋を移築したものがそのルーツであり、「堀川七橋」(名古屋開府時に堀川に架けられた7つの橋)の中でもっとも上流に位置する[28]。2012年時点で現存する五条橋は、木造の橋の意匠を残しつつ1938年に架け替えが行われたRC造のものである。橋の路面は石張となっている。架け替えに際して従来の橋に付けられていた疑宝珠(ぎぼし)は名古屋城地下に仕舞われ保管されており、2012年現在の疑宝珠は代わりのものである[29]

五条橋周辺には名古屋開府の際に移ってきた商人達による屋敷や土蔵が2012年現在も名古屋市の町並み保存地区として残されており(四間道)、堀川沿いには石畳の荷揚げ場も残されている[28]。また円頓寺商店街の東側の入り口ともなっている[28]

五条橋は1989年11月1日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された[30]

地図

納屋橋 [編集]

納屋橋(中区 - 中村区)

納屋橋(なやばし)は、名古屋市の目抜通りである広小路通が堀川を越える地点の橋であり、「堀川七橋」の一つ。堀川七橋(五条橋・中橋・伝馬橋・納屋橋・日置橋・古渡橋・尾頭橋の7つ)の真ん中に位置する橋となる。

納屋橋は1989年11月1日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された[31]

地図

松重閘門 [編集]

松重閘門(中川区)
堀川左岸の中区側から

松重閘門(まつしげこうもん)は、堀川と中川運河を結ぶ地点(松重橋 - 山王橋間)に設けられた閘門。連絡を行うにあたり堀川と中川運河の水位に差があることから、パナマ運河と同様の閘門による水位調整を行っていた。1932年より運用を開始し堀川を用いた水運に用いられてきたが、その後内陸部の運輸の主体が自動車に移行し通行船舶量が減少したことから、1968年に閉鎖、1976年に公用廃止となり閘門間の水路は埋め立てられた。閘門の象徴である2対4本の尖塔は保存されている。

また、松重閘門に隣接している松重ポンプ所では、中川運河の水を汲み上げ堀川へ放流している。これは中川運河の水位調整目的の他に、相対的に水質のよい中川運河の水を堀川に注水することにより堀川の環境改善を図る目的も兼ねている[32]。放水は松重閘門から少し上流にある岩井橋まで導水設備を設けて行われている[33]

松重閘門は1986年5月27日付で名古屋市有形文化財に指定された。また1993年10月12日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された[34]

地図

白鳥貯木場 [編集]

白鳥貯木場(しろとりちょぼくじょう)は、堀川沿い旗屋橋 - 白鳥橋間にかつて所在した貯木場で、福島正則が堀川開削時につくった資材置き場がその後立地条件の良さから貯木場として発展していったという、名古屋開府時にその歴史を遡るものであった[35]

千年水処理センター [編集]

千年水処理センター(熱田区)

千年水処理センター(ちとせみずしょり-)は、堀川右岸、新堀川との合流地点の少し下流に位置する名古屋市の下水処理場。1964年に完成(処理能力1日6万m3)、1970年には処理能力が1日10万m3に増強されている。堀川の主要水源の1つとして機能している。処理方式は全国的にも珍しい高速エアレーション沈でん法で処理担当区域は名古屋市熱田区、中川区、港区の一部[36]

2011年度(平成23年度)における処理水の水質検査の結果では、BODの値が年間平均値で3.3mg/lとなっている[37]。なお、処理された水の一部は工業用水道の原水として再利用されている[36]

地図

橋梁など一覧 [編集]

堀川の水源となる庄内用水頭首工から伊勢湾への河口にある堀川口防潮水門まで、橋梁や関連施設などを順に記述する。

庄内用水
  • 庄内用水頭首工
  • 庄内用水元杁樋門
  • 栄橋
  • 瀬古橋
  • 朝日橋
  • 守西ポンプ所 -場内で古川(開渠)合流
  • (矢田川伏越・暗渠
  • 三階橋ポンプ所 - 場内で庄内用水分岐
黒川
  • 黒川樋門
  • 夫婦橋 - ここより猿投橋まで御用水跡街園
  • 黒川一号橋
  • 新堀橋
  • 辻栄橋
  • 瑠璃光橋
  • 黒川二号橋
  • 木津根橋
  • 稚児宮人道橋
  • 猿投橋 - ここより下流が感潮域
  • (大幸川合流)
  • 志賀橋(環状線
  • 黒川橋
  • 北清水橋(国道41号
  • 田幡橋
  • 金城橋
  • 城北橋(大津通
  • 名城水処理センター
  • 中土戸橋
  • 堀端橋
  • 銀之橋
  • 筋違橋
  • 大幸橋
  • 朝日橋
堀川

関連画像 [編集]

脚注 [編集]

注釈 [編集]

  1. ^ 文献によっては堀川の開削開始を1611年(慶長16年)とするものもあるが、末吉順治は『堀川沿革史』2000.pp.6 - 10.において、「『名古屋寺社記録集 二』における記述、五条橋の清須から名古屋への移転時期、堀川右岸に清須から移転してきた商人の屋敷が集中していることなどから、1611年の堀川開削開始ではつじつまが合わなくなる」として、1610年開削開始説を支持している。
  2. ^ 東井筋は通称として「江川」とも呼ばれ、2013年現在においては暗渠化され、地上部は江川線となっている。
  3. ^ 2013年現在においては江川同様暗渠化されて名古屋市の下水道「大幸幹線」となっている。

出典 [編集]

  1. ^ “県管理河川の名古屋市への権限委譲について”. 建設部河川課 (愛知県). (2006年11月20日). http://www.pref.aichi.jp/kasen/kousin/061120_nagoya_ijyou/webpress_nagoya_ijyou.htm 2012年12月6日閲覧。 
  2. ^ 『名古屋港と三大運河』2011.pp.146-257.
  3. ^ 『なごや水物語』2010. p.46.
  4. ^ a b 『なごや水物語』2010. p.45.
  5. ^ 『なごや水物語』2010. p.103.
  6. ^ 『なごや水物語』2010. pp.105-107.
  7. ^ 『名古屋港と三大運河』2011.p.214.
  8. ^ 『堀川沿革史』2000.pp.134-135.
  9. ^ a b 『よみがえれ堀川』2008. pp.64-66.
  10. ^ 『よみがえれ堀川』2008. p15.
  11. ^ “名古屋市:平成23年版名古屋市統計年鑑 17.衛生・公害・環境事業 - 14.河川の水質汚濁状況”. 総務局企画部統計課 (名古屋市). (2012年3月27日). http://www.city.nagoya.jp/somu/page/0000033908.html 2012年12月19日閲覧。 
  12. ^ “ホリゴンのひみつ”. 堀川総合整備室 (名古屋市). (2009年2月25日). http://www.city.nagoya.jp/ryokuseidoboku/cmsfiles/contents/0000009/9411/himitsu2.pdf 2012年12月6日閲覧。 
  13. ^ 『なごや水物語』2010. p14.
  14. ^ a b c 『名古屋市 庄内用水路』1989. p17.
  15. ^ a b 『名古屋市 庄内用水路』1989. p1.
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  37. ^ “千年水処理センター 平成23年度水質検査結果”. 上下水道局 (名古屋市). http://www.water.city.nagoya.jp/intro/suishitsu/gesuido_kekka/chitose.html 2012年12月19日閲覧。 

参考文献 [編集]

  • 西別府順治(末吉順治)『名古屋港と三大運河』中日出版社、2011年。ISBN 978-4-88519-374-3
  • 末吉順治『堀川沿革史』愛知県郷土資料刊行会、2000年。ISBN 4-87161-070-5
  • 名古屋市上下水道局『なごや水物語 元市長杉戸清の描いた水都なごや』2010年。
  • 毎日新聞名古屋支局『よみがえれ堀川 「まち」と「川」を「ひと」でつなごう』風媒社、2008年。 ISBN 978-4-8331-0626-9
  • 松田勝三『名古屋市 庄内用水路』1989年。

外部リンク [編集]

下記サイトで堀川やルーツを同じくする庄内用水の変遷が記載されている。