加藤剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Terence Darkmore (会話 | 投稿記録) による 2016年3月30日 (水) 13:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎出生から学生時代まで)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

かとう ごう
加藤 剛
加藤 剛
本名 加藤 剛(かとう たけし)
生年月日 (1938-02-04) 1938年2月4日(86歳)
出生地 日本の旗 日本 静岡県榛原郡白羽村
国籍 日本の旗 日本
身長 173cm
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1962年 -
活動内容 1962年:デビュー
1970年:『大岡越前
1973年:『剣客商売
1974年:『砂の器
1976年:『風と雲と虹と
1980年:『獅子の時代
2001年紫綬褒章
2008年旭日小綬章
配偶者 伊藤牧子
著名な家族 夏原諒(長男)・加藤頼(次男)
所属劇団 俳優座
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
大岡越前』 / 『人間の條件』
三匹の侍』 / 『剣客商売
風と雲と虹と』 / 『関ヶ原
獅子の時代』 / 『蒼き狼 成吉思汗の生涯
命のビザ』 / 『坂の上の雲
映画
上意討ち 拝領妻始末』 / 『天狗党
忍ぶ糸』 / 『影の車』 / 『黒の斜面
砂の器』 / 『天城越え』 / 『空海
次郎物語』 / 『ハラスのいた日々
草刈り十字軍』 / 『沈まぬ太陽
舟を編む
備考
2001年 紫綬褒章
2008年 旭日小綬章
テンプレートを表示

加藤 剛(かとう ごう、1938年昭和13年〉2月4日 - )は、日本俳優俳優座所属。身長173cm体重70kgみずがめ座[1][2]。本名は加藤 剛(かとう たけし)。

2001年紫綬褒章受章。2008年旭日小綬章受章。

来歴

出生から学生時代まで

静岡県榛原郡白羽村御前崎市)出身。父鉉一郎は小学校の校長[3]。姉四人と兄、弟がいる[4]。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった[5]。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった[6]

加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり[4]、庭にはたくさん木があった[4]。いわゆる腕白少年ではなく、よく母の台所仕事を手伝い[5]畑仕事もした[5]。自作するだけの畑はあったため、サツマイモを交代で作っていた[5]

剛は御前崎の遠州灘に続く茶畑のある風景の中で育ち、中学三年の時に地元を離れた[7]。戦争未亡人となり美容室を開いていた文京区の長姉宅に寄宿した[7]

もともと俳優になろうと思っていたわけではなく、「何か演劇映画に関係する仕事ができればいいかな」と思っていた[7]小石川高校の時、柔道部に入ってたが先輩が演劇もやっており「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのがきっかけだった[8]

都立小石川高校を経て、早稲田大学文学部演劇科で学ぶ[7]。学内の劇団、自由舞台で活躍する[7]

俳優として

大学四年の時、二十倍の難関を突破して俳優座養成所に入る[8]

途中テレビドラマ『人間の條件』出演のため1年「休学」。「人間の条件」では「ぼくという裸身の素材にこの男(主人公の梶)の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者より「テレビ映画の優れた主演者」と評された[9]。後、13期生として修了。修了時の同級生には石立鉄男佐藤友美細川俊之横内正らがいる。27歳で正月公演で安部公房作『お前にも罪がある』で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢[10]

長年に渡り一貫して演じ通した当たり役である『大岡越前』は1970年(昭和45年)から、『江戸を斬る』『水戸黄門』等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間月曜8時を支え、TBSテレビの看板番組となった(詳しくは『大岡越前』参照)。『大岡越前最終回スペシャル版』では実子である夏原諒頼三四郎との共演を果たした。『大岡越前』で親友役を演じた竹脇無我とは私生活でも40年間以上親友関係にあり、2011年(平成23年)8月に竹脇が急死した際は、手書きの追悼文を寄せた[11]

『大岡越前』の終了後、『命のビザ』や『そして戦争が終わった』など現代史ドラマに進出。

人物

  • 高校時代は柔道部
  • 映画評論家の田山力哉は、加藤は大岡越前さながらの真面目で真摯な人柄で、取材の際にジョークをぶつけると、その都度困ったような微笑で返されたと記している。
  • その端整な容姿に対してダウンタウン松本人志は、「世界三大美男子は、アラン・ドロン、加藤剛、ジョン・ローン」であると発言している。
  • たばこは吸わず、酒も飲まず、ギャンブルとは無縁である[12]
  • 戦争反対の一心で俳優を続けてきた(出典同上)。
  • 高校時代、実家でチェーホフの戯曲を読んで俳優を志した(出典同上)。

家族・親族

加藤家

静岡県御前崎市東京都
加藤家は古くからの地主農業も営んでいた[4]。家族九人が揃っていた頃は食事の時など壮観だった[4]。茶の間の広い板の間で作男の人たちが箱膳でご飯を食べた[4]
厳格な明治の男ながら、家事を分担するリベラルさと進取の気性に富む人物だった[3]。「何をしてもいいが、自分の行動に責任を持て」と述べ、それ以外は放任主義だった[6]1981年88歳で他界[6]
1937年生 -
1975年生 -
1980年生 -

出演作品

映画

※太字はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

テレビドラマ

主な舞台

  • 俳優座1965年正月公演 『お前にも罪がある』作:安部公房、演出:千田是也 - 主演・「男」 役
  • 次郎長が行く - 清水次郎長
  • コルチャック先生 - コルチャック先生
  • 伊能忠敬物語 - 伊能忠敬
  • 大岡越前〜卯の花が咲くとき〜 - 大岡忠相
  • 月光の海 ギタラ - 速水 役

朗読

CM

ディスコグラフィー

シングル

著書

  • 海と薔薇と猫と(1980年、創隆社)のち中公文庫 
  • 歩く人 加藤剛 写真&エッセイ集(著:蔵原輝人、撮影:しゃっせただお、1985年、創隆社)
  • こんな美しい夜明け(2001年、岩波書店)のち現代文庫 

脚注

  1. ^ 加藤剛 - プロフィール”. YAHOO! 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2011年10月28日閲覧。
  2. ^ 加藤剛”. 演技部-男性. 俳優座連名. 2011年10月28日閲覧。
  3. ^ a b c 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』100頁
  4. ^ a b c d e f g h i 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』101頁
  5. ^ a b c d 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』102頁
  6. ^ a b c d 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』106頁
  7. ^ a b c d e 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』104頁
  8. ^ a b 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』105頁
  9. ^ 夢の肩身「人間の条件」ほるぷ新聞1969.11.15
  10. ^ 加藤剛『海と薔薇と猫と』1980年 創隆社・「野鴨まで」より
  11. ^ “竹脇無我さん盟友 加藤剛 直筆追悼文「天下の名医が…信じられない」”. Sponichi Annex. (2011年8月23日). オリジナルの2014年5月18日時点におけるアーカイブ。. http://archive.today/AHrd0 2014年5月18日閲覧。 
  12. ^ 『「最後」の覚悟で舞台へ』生老病死の旅路 2014年6月9日 読売新聞夕刊9面

関連項目

外部リンク