中勘助
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中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
東京神田生まれ。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、第一高等学校から東京帝国大学文学部英文科まで続けて夏目漱石の講義を受ける。国文科に転じて大学を卒業した後も、早稲田南町の漱石山房をしばしば訪問している。しかし控えめな人柄から、漱石山脈の中では目立たない存在として通した。文壇政治から常に距離を置き、特定の派閥にとらわれない孤高の文人だった。また、野上弥生子の初恋の人としても知られている。
1913年から1914年にかけて、漱石の推薦で自伝的小説『銀の匙』を東京朝日新聞に連載。素直な文章で愛されているが、『犬』『提婆達多』など、愛慾、妄執などを幻想的な作風で描いた作家でもある。その陰には兄金一との確執があった。金一は1910年に倒れて廃人となるが、勘助はその妻末子に愛情を寄せていた(末子は幕末長州の志士入江九一の弟野村靖の娘)。1942年に末子が死ぬと勘助は57歳で結婚するが、金一は結婚式の日に自殺している。このことは、末子の兄の孫である菊野美恵子が明らかにした。
1943年より1948年まで、静岡県安倍郡服織(はとり)村に疎開。戦後、泉鏡花の養女泉名月が谷崎潤一郎に文学修業のため預けられたが、谷崎は中に指導を頼んでいた。
1965年脳出血のため死去。
[編集] 中勘助と静岡市服織地区
1943年に静養のため静岡県安倍郡服織(はとり)村新間字樟ヶ谷(現静岡市葵区新間)に移住。1945年3月に服織村羽鳥(現葵区羽鳥)に移り住む。一時服織村への永住を考えるものの、1948年4月に東京に戻る。
服織村への移住以降、詩集「藁科」、随筆「樟ヶ谷」「羽鳥」など、この地を題材にした作品を数多く残している。
また、静岡市立服織中学校の校歌の作詞をしている。
なお、新間字樟ヶ谷に住んでいた頃の建物(杓子庵)は現在も残されており、1995年より中勘助文学記念館として一般に開放されている。
[編集] 著書
- 銀の匙 岩波書店 1921 のち文庫、角川文庫
- 提婆達多(那珂) 新潮社 1921 のち岩波文庫
- 犬 岩波書店 1924 のち文庫
- 沼のほとり 岩波書店 1925 のち角川文庫
- 菩提樹の蔭 岩波書店 1931 のち文庫、「菩提樹の蔭・提婆達多」(角川文庫)
- しづかな流 岩波書店 1932 のち角川文庫
- 母の死 岩波書店 1935 のち角川文庫
- 琅[カン] 岩波書店 1935
- 海にうかばん 岩波書店 1936.12
- 吾往かん 岩波書店 1937
- 街路樹 岩波書店 1937.6 のち角川文庫
- 大戰の詩 岩波書店 1938.12
- 百城を落す 詩集 岩波書店 1939.9
- 逍遥 岩波書店 1940
- 飛鳥 ナカ詩抄 筑摩書房 1942
- 蜜蜂 筑摩書房 1943 のち岩波文庫「蜜蜂・余生」
- 余生 随筆集 八雲書店 1947
- 鶴の話 山根書店 1948
- 鳥の物語 山根書店 1949 のち岩波文庫
- 白鳥の話 角川書店 1951
- 藁科 詩集 山根書店 1951
- 中勘助集 小堀杏奴編 1951 (新潮文庫)
- 中勘助自選随筆集 創元文庫 1953-54
- 中勘助詩集 1955 (角川文庫)
- くひな笛 宝文館 1957
- 中勘助全集 全13巻 小宮豊隆,和辻哲郎編 角川書店 1960-65
- 中勘助随筆集 渡辺外喜三郎編 1986.5 (岩波文庫)
- 中勘助全集 全17巻 串田孫一・稲森道三郎編 岩波書店 1989-91
- この友ありて 小宮豊隆宛中勘助書簡 勘奈庵 1991.10
- 中勘助詩集 谷川俊太郎編 1991.11 (岩波文庫)
- 鶴のごとし 中勘助の手紙 勘奈庵 1993.4
