風船の歴史

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風船の歴史(ふうせんのれきし)では、世界および日本国内における風船気球飛行船の普及や開発・普及に伴う歴史的背景について述べる。

年表[編集]

風船の文化は気球・飛行船の歴史とも関連しているので、気球飛行船の歴史あるいは航空に関する年表も併せて参照のこと。

17世紀以前[編集]

1657年以降複数回行なわれたゲーリケのマクデブルクの半球実験。浮力を持つ真空球のアイディアの元となったとされる。
1670年にフランチェスコ・ラナが提唱した真空飛行船の図。

18世紀[編集]

1783年にジャック・シャルルらが搭乗した水素ガス気球。風に乗り空中を漕ぎ歩く船は、日本では空船とも風船とも呼ばれた。

19世紀[編集]

気球ショーマンのソフィー・ブランシャールが1811年にミラノで行なったナポレオンの42歳の誕生日記念飛行の画。気球は見世物の道具としても多く使われたが、時にショーマンが事故で命を落とす悲劇ももたらした。
1836年のドイツ、ヴァイルブルクでのイギリス人の気球飛行士チャールズ・グリーンの気球。彼は様々な気球の冒険を行ない、また石炭ガス気球により数多くの一般人の気球遊覧を無事故で行なった。
1870年9月以降に普仏戦争で籠城となったパリ市内から飛ばされた有人の郵便気球。
1877年5月に築地海軍操練場で行なわれた風船試揚の図。
1900年のツェッペリン飛行船の初飛行。

20世紀[編集]

1901年にパリのエッフェル塔の周回飛行に成功するデュモンの飛行船6号。
1929年8月に初めての世界一周飛行で日本の霞ヶ浦航空隊基地に来港した飛行船ツェッペリン伯号
第二次世界大戦で日本が1944年頃からジェット気流に乗せてアメリカに向けて飛ばした風船爆弾。
ロックーンは気球で上空まで引き上げて発射するロケットで、日本でも1956年から実験が行なわれた。
アメリカの風船衛星エコーは1960年と1964年の2回打上げられた。(写真はアメリカ・ノースカロライナの気球格納庫で引張応力試験を受けるエコー2号)
レジャー用熱気球は日本では1970年代以降、スカイスポーツとして普及したが、強度と耐熱性を持つナイロン素材が開発され、熱気球の球皮に用いられるようになったことも普及の一因となった。

21世紀[編集]

風船の語彙の変遷[編集]

1787年に蘭学者の森島中良らにより刊行された紅毛雑話に収められているリユクトスロープの図。同様の図は林子平が1787年以降に逐次刊行された海国兵談の理囿古突悉吉不(リユクトキシツフ)の図にもみられる。

日本では「風船」の言葉の意味が時代とともに大きな変遷を遂げている。

  • 1783年12月1日: ジャック・シャルルがロベール兄弟のとともに水素ガス気球による有人飛行に成功。
  • 1784年以降 日本の蘭学者に乗用のガス気球の話題がオランダ語で紹介・翻訳され、のちに日本の蘭学者や国防論者により語彙が空船、気船などとともに風船として紹介される。
* Luchtbal(Luchtballon)・リユクトバル - Lucht(気)+ Ballon(球)
* Luchtsloep・リユクトスロープ - Lucht(気)+ Sloep(小舟)
* Luchtschip・リユクトキシツプ - Lucht(気) + Schip(帆船)
  • 明治初期: 風船は乗用のガス気球を意味する軽気球の俗語とされる。ゴム風船は球凧・球紙鳶(たまだこ)や風船玉などといわれた。
  • 1890年 :スペンサーの風船乗り興業で風船ブーム。風船グッズとして 紙製のパラシュート玩具が紙風船、丸い球状の紙風船は紙手鞠として販売された。
  • 1922年1月21日: 日本海軍が航空機を飛行機・航空船・気球の3種類と制定。風船が乗用のガス気球の意味として使われなくなる。
  • 1929年: 巖谷小波のゴム風船を沢山付けた子供が冒険する創作童話「風船玉旅行」が流行して以降、風船は風船玉とともに主に玩具のゴム風船をさす言葉となる。
  • 1970年代: 日本で熱気球ブームが起き、熱気球が俗に風船と飛ばれたり、バルーンパイロットが風船野郎と呼ばれるようになる。

脚注[編集]

  1. ^ モンゴルフィエ兄弟の兄ジョセフが当時のフランス軍当局に、「イギリスが占領したジブラルタルの要塞に気球で空から軍隊を送り込むことができる」とする飛行部隊のアイデアの手紙を書いたという。(アメリカ独立戦争におけるフランスも参照。)
  2. ^ 硫酸鉄片の反応により、酸化第二鉄硫黄水素を発生するというもの。初期のガス気球では水素ガスを酒樽の中に鉄くずや亜鉛くずとともに硫酸を入れて化学反応させて得られたが、一般に硫酸などの酸類と金属の化学反応では、酸や鋼材に含まれる不純物の関係で生成される水素の純度が低く、破れた気球から吹き出た水素ガスには硫黄臭の悪臭が伴った。
  3. ^ 気球の内容積が596立方メートル、200kgの浮力があったとされる。高度は6000フィート(約1800m)に達し、1マイル半ほど離れたところに落下したといわれる。
  4. ^ 日本ではこの気球の初飛行を記念し、6月5日を熱気球記念日と制定している。
  5. ^ 首都パリにおける最初の気球飛翔。15マイル(約24km)ほど離れたジュノスの畑に落下。気球の硫黄の悪臭に村人が走り回り、2人の修道士が「怪獣の皮膚の一部である」と言い切ったことから、怒った村人により破れた気球に石を投げつけ熊手を突き刺し、聖水で清めた後で馬の尾にくくり引きずり回したといわれる。しかし気球は破かれたものの、破れた跡の中に上昇による膨張により破れた亀裂を見つけることができた。
  6. ^ 上空1500フィート(450m)の高さまで上がり、2マイル(約3km)離れたヴォークレソンの森に落下した。
  7. ^ 直径46フィート(約13.8m)、高さ66フィート(約20m)で気球の周りに高さ3.5フィート(約1m)の手すりの付いた回廊を設け、気球の底にわらなどの燃焼用の鍋が付いていた。
  8. ^ ロジェは有人飛行の約2ヶ月半前にジャック・シャルルの気球実験の着地地点に馬に乗って駆けつけ、現地にいたモンゴルフィエ兄弟の兄ジョセフと交友を持ち、のちに兄弟による熱気球の有人飛行の話が持ち上がったときに気球に搭乗することを申し出た。しかしルイ16世が有能な人材のロジェを危険にさらすわけにいかないと死刑囚2人を気球に搭乗させることを提案。ロジェはルイ16世の王妃マリー・アントワネットと親しいポリニャク夫人を通して、気球の搭乗許可を与えるよう嘆願。ようやく世界初の有人気球飛行の搭乗者として名乗りを上げることができた。しかし1785年6月15日には水素気球と熱気球を併用したロジェ気球によりイギリス海峡横断に挑戦したが、上空で気球が爆発墜落し、気球製作者のジュール・ローマンとともに気球史上最初の死亡事故の犠牲者となった。
  9. ^ 気球による有人飛行の成功を記念し、1798年にフランスの天文学者ジェローム・ラランド星座としてけいききゅう座を名付けた。(現在、その星座の領域にはけんびきょう座が割り当てられている。)
  10. ^ 気球の直径は27フィート(8.1m)であった。
  11. ^ 飛翔の見物には当時のパリの人口の約半分の約40万人が集まったといわれる。シャルルはこの時モンゴルフィエ兄弟の兄ジョセフを招待し、気球のロープを切る名誉を与えたという。シャルルは1回目の所要時間2時間の飛行で27マイル(約43km)離れたネールという村で着地後、その日のうちに単独飛行を決行し、1日に2度日没を見た最初の人といわれた。しかし乗員が1人になり荷重の減った気球は急速に高度9000フィート(約2700m)まで上昇し、シャルルは約25分間の飛行中は急激な気圧の変化による耳の痛みや寒さの中で単独で操縦を行ったといわれており、この日以来二度と気球の冒険を行うことはなかったという。
  12. ^ バレリーナ飛翔や馬乗り飛翔、パラシュート降下などのアクロバット飛行や上空のゴンドラで花火を付ける夜間飛行などもあった。しかし一方で女流気球飛行士ソフィー・ブランシャールの事故のように気球のショーや冒険による犠牲者も少なくはなかった。
  13. ^ ちまたは気球の話題で持ちきりとなり、当時制作された装飾品や服飾品、漫画に気球のデザインが多く使われた。
  14. ^ 「気球旅行記」宇田川玄随(写),オランダ語表記,(早稲田大学図書館・古典籍総合データベースで閲覧可能)
  15. ^ 気球の英仏海峡横断飛行は、空からの攻撃に対し国境や海峡が防衛上の障壁にならないことから軍事研究家に驚きを与え、気球の軍事利用の意識を高めるきっかけとなった。フランスで1793年に結成された気球部隊は「気球隊」として世界最初の空軍のはしりとなった。
  16. ^ 「遠西医方名物考 補遺8」宇田川玄真,宇田川玄随,(早稲田大学図書館・古典籍総合データベースで閲覧可能)
  17. ^ 「護謨工業ニ関スル調査」農商務省工務局編,農商務省工務局編,1921,P49. NDLJP:959766
  18. ^ 英国特許467(1853年)
  19. ^ 北軍気球司令部気球母艦の項も参照。
  20. ^ 「開成新聞此花新書 第一号」(1868年)にて横浜で支那人がゴム風船を売り歩く記事。
  21. ^ 「内外新報 第十七号」(1868年)にて、ある人の話として大阪江戸堀の櫂屋町(現在の大阪市西区江戸堀2丁目付近)で当時英人のハルトリーが舶来品のかたわらゴム風船を売り歩いていたとする記事。
  22. ^ パリ市内からの気球郵便は計66回飛ばされ102人がパリから脱出し、400羽の鳩と約250万通の郵便を運んだとされる。またパリ市内への郵便には多数の手紙の内容をマイクロ写真化したものを、帰巣本能を持つ複数の鳩の足につけてパリ市内に向けて飛ばしたという。
  23. ^ 「明治事物起原」石井研堂,橋南堂,1908,P295-297(NDLJP:898142/173 173-174コマ) NDLJP:898142
  24. ^ 明治政府が気球を軍事偵察に用いようと工部大学校陸軍士官学校にそれぞれ気球の製作を依頼する。
  25. ^ 長さ9間、幅5間、周囲17間、奉書紬120反をミシン縫いしてゴム塗りした2個の軽気球が製作され、一つは水素ガス、もう一つは石炭ガスを入れて浮揚したが、石炭ガス気球は爆発し、水素ガス気球は風のため係留索が切れて飛び去った。(逸話として東南に一里半(約4Km)ほど離れた堀江という海村に落ち、物を知らない村人が「風の神が落とした袋」や「ラッキョウの化け物」と大騒ぎとなり、みんな気球を櫂で乱打すると気球が破れて臭気が漂い、臭いをかいだ人の中には2,3日具合を悪くした人もいたという。)
  26. ^ 甲斐絹をベースにゴムとこんにゃくでんぷんを塗り乾燥させ、グリセリンを塗り表に網をかけた容積300立方メートル、高さ8.2mの球形気球。
  27. ^ 現在はソフトテニスボール「アカエム」で知られる昭和ホールディングス株式会社として存続。
  28. ^ 10月12日に横浜公園、11月12日に二重橋で天覧、11月24日には上野公園・博物館内から興業が行われた。
  29. ^ 5代目尾上菊五郎の歌舞伎の演目『風船乗評判高閣』など。
  30. ^ 「今昔物語 : 護謨の巻(一?四)」神戸新聞,1923年8月30日〜9月2日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  31. ^ 高度約12Km付近で気温減率(登山などで100m登る毎に気温が約0.65℃ずつ下がる。)が成立しなくなり、気温が上昇しはじめる大気の層の違いを発見。その大気の層を成層圏、それより下の地表までの層を対流圏と名付ける。
  32. ^ 高さ12間、直径10間のアメリカ・サジューム式。会費15銭、軍人は無料であった。
  33. ^ 「ゴム製法研究」大崎自彊,(大阪)盛文館,1912年. NDLJP:847554
  34. ^ 「薄層ゴム製造法」ゴム新報社編,ゴム新報社,1913,一部欠け頁あり. NDLJP:951670
  35. ^ 「大日本護謨同業名鑑」ゴム新報社編,ゴム新報社,1913,ムの部1-18頁 NDLJP:950441
  36. ^ 「工業帝国 勃興雄飛」後藤喜間太,石英堂書房,1917,「風船玉の洋行(金子護謨風船工場所見)」P138-142 NDLJP:[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955354 955354
  37. ^ 山田猪三郎が1894年に東京市大崎に創業したのが、のちに気象観測用ゴム気球メーカーとなる気球製作所である。
  38. ^ 翌年クラブ化粧品(中山太陽堂)のほかレート化粧品仁丹などもアドバルーン広告を始める。
  39. ^ ドイツは軍事目的で飛行船を多く用い空襲を行い、イギリスやフランス市民を不安に陥れた。しかし敗戦したドイツは一部の飛行船を戦勝国に引き渡されることになる。
  40. ^ Utermarkが1923年に取得した英国特許219,635など。ラテックス中の水分や成分(漿液)が除去され変質されやすくなるのでアンモニアが添加される。
  41. ^ E.A.Hauserにより1924年頃に開発されたもので、保護コロイド(石鹸など)を加え蒸発させ濃度(70%かそれ以上)を高めた製品(Revertex)などがある。
  42. ^ Schidrowitzにより開発(英国特許193,451(1923年))され、ヴァルテックスという製品で販売。コロイド状硫黄や加硫促進剤があらかじめ添加されており、製品の製造段階で加硫工程が不要などのメリットがある
  43. ^ 特にI.Traubeにより発達(英国特許226,440(1924年))アイスランドゴケやトラガカントゴムなどの親水コロイドをラテックスに添加し加熱すると液面にゴム粒子がクリーム状に凝縮するもので、アンモニアのほか保存剤も入れられる。
  44. ^ 「米国に於けるヘリウム瓦斯の製造 : 進歩せる設備と盛んなる現況」東京朝日新聞,1923年3月5日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  45. ^ 1888ARTICLES.COM 「Balloons make the world go round」(Author: Peter Airdee)」
  46. ^ 「彙報(いほう) 第1号」高層気象台編,高層気象台,1923,P14-18(11-13コマNDLJP:984946
  47. ^ 「測風気球観測常用表」中央気象台編,中央気象台,1922. NDLJP:984931
  48. ^ 『(口絵)高層気象台の歴史的高層風図』 「高層気象台彙報 第65号 2005年3月」,2005 (気象庁高層気象台のホームページで閲覧可能)
  49. ^ 1918年9月12日の午前11時頃、当時の東京市芝区白金台町で、荷馬車で運搬していたアンモニア入り圧搾鉄鑵のうち1本が破裂。破裂に驚いた馬が積んでいた4,5本のアンモニア鉄鑵を地上に振り落とし疾走。破裂事故を目撃した小学生数人が4,5本の鉄鑵に近づいたところそれらが一度に爆発し2人即死し重軽傷者も出した。冷所に保管していたアンモニア鉄鑵が残暑の炎天下にさらされガスが膨張し爆発に至ったとみられ、この事故が本法律の制定のきっかけになったといわれる。
  50. ^ 「自然噴出のヘリウム瓦斯坑 : 米国で発見」中外商業新報,1928年12月26日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  51. ^ 「パァン・パァン鬱憤晴らしは日本風船に限る : 海外への輸出激増百五十万円を突破」大阪朝日新聞,1934年6月23日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  52. ^ ゴム風船などの薄層製品が熱加硫で製造できるようになり、引火性の溶剤の揮発油や冷加硫で使用する有害な塩化硫黄を使用する必要が無く、製造者には安全性を高める大きな福音となった。
  53. ^ この事故以前にも飛行船の事故は数多く発生し、また飛行船による事故の犠牲者は1933年に73名の犠牲者を出したアメリカ陸軍のヘリウム飛行船「アクロン号」の方が大きい(ヒンデンブルク号は36名)が、民間旅客機史上最初の事故であることや、爆発の瞬間が記録映像や着陸の様子を伝えるラジオ中継の音声として残されていることから、水素ガスの引火爆発の危険性を示す著名な事例として多く語り継がれている。
  54. ^ 「ゴムの民需禁止 : きょう公布、直に実施」大阪朝日新聞,1938年7月9日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  55. ^ 警察は玩具店の分は一部を押収できたものの、文房具店向けの50万個は売りさばかれた後であった。のちに過ちを悔いた文房具商が戦災遺児のために1万円を商工省を通して寄付したといわれる(1946年8月2日朝9時から当時の厚生省で行われた第2回玩具協議会の中の商工省の担当者による「不衛生なゴム製品」の説明で。(朝日新聞1946年8月4日2面))。
  56. ^ これにより天然ゴムの供給が遮断され困窮したアメリカは、合成ゴムの研究・大量生産に乗り出すことになる。
  57. ^ 「ゴム統制会設立命令 : 会長に林善次氏内定」日本産業経済新聞,1943年1月7日(神戸大学電子図書館・デジタルアーカイブ「新聞記事文庫」で閲覧可能)
  58. ^ 飛行船「キドカラー号」は約半年後の1969年4月4日の夜に徳島県津田海岸埋め立て地に係留されていたが、暴風により船体が暴れたことから、クルーにより非常用ガス放出孔(リップパネル)が開かれ飛行船の役目を終えた。
  59. ^ アメリカで作られた36万3729個の記録更新のために行われた。
  60. ^ 配布用風船1000個にはヘリウムガスが使われていたが、風船飛ばし用の風船3500個に水素を使用。イベント用テントの中に大量の水素入りゴム風船があり、関係者のたばこの火が漏れていた水素に引火したことによる事故とされ、テント3張りを焼き17人が重軽傷を負った。
  61. ^ 当時の日本ゴム風船商工会の試算で、空に飛ばされるゴム風船は、ゴム風船の年間消費量約2億5千万個のうちの約250万個程度といわれている。(朝日新聞,1991/04/05朝刊P11)
  62. ^ 消費者に変声ガスと混用されることが多く、酸欠の恐れのある風船注入用ヘリウムガスの安全性を考えるきっかけとなった。
  63. ^ 風船による飛行時間の世界記録(約19時間)の更新目的のこの冒険により彼は絶命し、この行為に対しダーウィン・アワード2008年の大賞を受賞する。

参考文献[編集]

  1. ^ 『日本人形玩具辞典』斎藤良輔東京堂出版1968年、「風船」の項 P389-391
  2. ^ 『日本のおもちゃ遊び』斎藤良輔、朝日新聞社1972年
  3. ^ 『気球の歴史』レナード・コットレル著、西山浅次郎訳、大陸書房1977年
  4. ^ 『ゴム用添加剤活用技術』渡邊隆、平田靖、工業調査会2000年ISBN 4-7693-4144-X
  5. ^ 『増訂明治事物起源』石井研堂春陽堂1926年
  6. ^ 『飛行船もういちど飛びなさい』ジョージフ・フード著、高齋正訳、白銀書房1975年、P84
  7. ^ 『世界の博物館11 ミュンヘン科学博物館』、高橋雄造、講談社1978年ISBN 4-06-142511-0
  8. ^ 『にっぽん飛行機物語 上』、内藤一郎、雄山閣1972年
  9. ^ 『舶来事物起源辞典』富田仁、名著普及会1987年
  10. ^ 『科学大博物館 ―装置・器具の歴史事典―』橋本毅彦・梶雅範・廣野喜幸 監訳、朝倉書店2005年ISBN 978-4-254-10186-7
  11. ^ 『ゴムの化学』フロインドリッヒ著、桂井富之助訳、白水社1942年
  12. ^ 『空飛ぶ機械に賭けた男たち』アレン・アンドルーズ著、河野健一訳、草思社1979年