トンプソン・サブマシンガン

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トンプソン・サブマシンガン
Submachine gun M1928 Thompson.jpg
戦時中に生産されたトンプソン M1928A1
種類 短機関銃
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運用史
配備期間 1938年-1971年
アメリカ陸軍
配備先 米国はじめ各国
関連戦争・紛争
開発史
開発者 ジョン・T・トンプソン
開発期間 1917年-1920年
製造業者 Auto-Ordnance Company
(オリジナル)
バーミンガム・スモール・アームズ
コルト
Savage Arms
製造期間 1921年-現在
製造数 約1,700,000丁
派生型 Persuader & Annihilator 試作機,
M1921, M1921AC, M1921A,
M1927, M1928, M1928A1,
M1, M1A1
諸元
重量 10.8lb(4.9kg)空の場合(M1928A1)
10.6lb(4.8kg)空の場合(M1A1)
全長 33.5 in (851 ミリメートル)(M1928A1)
32 in (813 ミリメートル)(M1A1/M1)
銃身 10.5 in (267 ミリメートル)
銃身にオプションでCutts Compensatorが付く 12 in (305 ミリメートル)

弾丸 .45ACP弾(11.43x23mm)
作動方式 シンプル・ブローバック方式
ブリッシュ・ロック方式
発射速度 600–1,200発/分
(各モデルにより異なる)
初速 285 m/s (935 ft/s)
有効射程 50メートル (160 ft)
装填方式 20発 箱型弾倉
30発 箱型弾倉
50発 ドラムマガジン
100発 ドラムマガジン
(M1とM1A1はドラムマガジンを装着できない)

トンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)は、アメリカで開発された短機関銃トムソン銃シカゴ・タイプライターといった通称を持つことで知られるが、本項ではトミーガンに統一して表記する。

トミーガンは、禁酒法時代のアメリカ合衆国内において警察ギャングの双方に用いられたことで有名になった。1919年から累計170万挺以上が生産され、今日でも民生用モデルが製造が続けられている長命な製品である。頑丈な構造を持ち、耐久性と信頼性に優れ、5kg近い重量のおかげでフルオート射撃を制御しやすい特性から、世界各国で広く用いられた。

構造[編集]

トミーガンを特徴付けているのは、主要部品の多くが角を丸めた直角で構成されている点で、円形を基本に構成される事が多かった欧州の製品とは一線を画したデザインとなっている。これはトミーガンは鋼鉄ブロックからの切削加工で製造され、切削作業の大部分が平フライス加工だけで行えるよう考慮したためである。この結果、大規模な専用生産施設を持たなくても、外注工場の利用が容易で効率よく製作できるメリットがあり、中国ベトナムなど工業水準の低い諸国でも容易にコピー生産が可能となった。

トミーガンは上下2つのレシーバ(機関部)によって構成されており、銃身は上部レシーバ先端にネジで固定され、弾倉が接触する部分はドラム型弾倉を装着するため大きく切り欠かれた形状となっているほか、内部はフライス加工によって大きくえぐられ、この空洞内をボルトが前後する。

弾倉は上部まで露出しているため、野戦では泥などが付着しやすいが、逆に拭い去る事も簡単な構造となっている。箱型弾倉を装填する際には下側から、ドラム型弾倉を装填する際には横からスライドさせて装着し、どちらもレール溝によって支持されている。M1/M1A1(後述)では横溝が省略されてドラム型弾倉が使用できないが、上部レシーバの切り欠きはそのままなので、後から横溝を刻むだけで使用できるようになる。

下部レシーバは複雑な形状ながら、機能的には上部レシーバの下部を塞ぎ、トリガーメカを保持するだけの単純な構造である。上下のレシーバはレール溝によって嵌合し、分解する際に上部レシーバ後端にあるストッパを押し込んで下部レシーバを引き抜く形で分離できる。

セミ/フルオートを切り替えるセレクターと、セフティ(安全装置)は別々のレバー状部品として存在しているが、弾倉を固定しているマガジン・キャッチを含めて、位置は全てグリップ上部左側面にあるため、右利きの射手であれば、グリップから手を離さず全て右手親指で操作する事が可能である。

一般的に「トミーガンは生産性が悪かった」と認識されているが、トミーガンの省力化が図られた1940年代にはM1/M1A1のように、単純な板金曲げ加工とスポット溶接に、バレル・カラーなどの切削部品を組み合わせるだけで、同様の外見構造を強度を落とさず低コストで実現できたため、切削加工を前提とした当時の基準ではことさらに生産性の悪い構造だったとは言えない。しかし第二次世界大戦中には全軍への普及を図るべく、MP40ステン短機関銃などに代表される、より一層と生産性が高い短機関銃が要求され、その結果としてプレス加工主体のM3グリースガンの開発が行われた。

また、携行性をあまり重視しない長く重い銃ではあったが、ちゃんと構えて保持すればその重さが発砲の反動を相殺し、良好な命中精度を発揮した。

開発[編集]

1916年アメリカジョン・T・トンプソン陸軍大佐(後に復帰し准将として再度退役する)が設立したオート・オードナンス社において、「塹壕箒」(trench broom)と仮称される自動式小火器の試作が開始された。

この自動式小火器は、塹壕戦で膠着状態となった第一次世界大戦の状況を見て、これを打開できる個人装備の需要予測に基づいて開始され、その動機は純粋に商業的なものだった。

当時の機関銃は大型かつ重量級の装備であり、軽機関銃といえども兵士が一人で操作できる存在ではなく、機械的な信頼性も低かった。そして機関銃は突撃する兵士に随伴して後方から援護射撃を加える事すら難しかった。しかし、塹壕戦の打開に必要とされていたのは、機関銃で強固に防衛された敵塹壕に対する肉薄および突破であり、これに用いる銃器には兵士が携帯できるサイズ・重量であることやフルオート射撃能力が求められた。

1917年に第一次大戦に参戦した米軍でも、塹壕の突破を目的として軍用ショットガンや秘密兵器であるピダーセン・デバイスを量産・装備していた。また、同時期の米国ではジョン・ブローニングによってブローニングM1918自動小銃(BAR)の開発が進められていたほか、同時期にはドイツ帝国でも塹壕陣地の突破を任務とする突撃歩兵のためにMP18なる小型機関銃の開発が進められていた。

塹壕戦用小型機関銃

トンプソン大佐が提唱した塹壕箒なる自動式小火器は、1918年に試作されたパースエーダー(Persuader, 「説得者」、「言うことを聞かせるもの」の意) によって初めて具体的な形となった。

パースエーダーはベルト給弾式だったが、機関部が砂塵や泥汚れに弱いという欠点があった。そこで、これを箱型弾倉に改めたタイプが1919年に試作され、アナイアレーター(Annihilator, 「絶滅者」、「敵を打ち負かすもの」の意)と名付けられた。

両製品は、ともにブリッシュ・ロック方式と呼ばれる遅延式ブローバック閉鎖機構を持ち、後のトミーガンの基本構成要素を備えていた。

バリエーション[編集]

M1919[編集]

最初の『サブマシンガン

アナイアレーターが完成する前年に第一次世界大戦は終結していたが、トンプソン大佐は念願の製品化に着手し、精密機器メーカーのWarner & Swasey社が製作を担当した。 [2] このモデルは後年M1919と呼ばれているが、発売時の製品名は単にトンプソン・サブマシンガン(Thompson submachine gun)とされており、小型機関銃という意味合いで造語されたサブマシンガン(Submachine gun)という言葉が初めて使用された製品である。この言葉は後に「拳銃弾を使用するフルオート火器」の総称として世界的に使用されるようになった。また、宣伝上の理由から「サブマシンガン」という馴染みのない新しい用語よりも大衆の興味を引く製品名が必要とされた為、トミーガン(Tommy Gun)という愛称が考案された。トミーガンという語は米特許商標庁にて商標として登録され、いくつかの銃への刻印にも使われた[3]

M1919は.45ACP弾.22LR弾.32ACP弾.38ACP弾9x19mmパラベラム弾など各種の弾薬用に製造され、照星や銃床を持たないなど、デモンストレーション用/テスト用としての色彩が強い製品だった。トミーガンの特徴となった垂直フォアグリップは銃身下部に装着され、安定したフルオート射撃が可能だったが、連射レートは1,000発/分程度と高速だった。

1920年4月に行われた軍の採用テストでは、2,000発の発射に対し動作不良は2回のみ、という好成績を残したが、大戦を終えた米陸軍は軍縮に向かっており、M1919が採用される事はなかった。軍用としての見込みが無くなった事から、トンプソン大佐は販売先を警察に切り替え、40挺ほどがニューヨーク市警察によって購入された。

M1921[編集]

民間市場での成功と知名度の獲得
トンプソン自動小銃(上)とM1921
「強盗が一番恐れる銃」と記された1920年代の広告

M1921は、M1919に改良を加えた量産タイプの製品であり、民間市場向けに「手軽にフルオート射撃を楽しめる"スポーツ用途"の銃」として販売が開始された。

1921年当時の販売価格は20発箱型弾倉付きで$225(現在の価格に換算[4]して$2,600程度)であり、製造はコルト社が担当し、15,000挺ほどが生産された[2]

富裕層向けの高級玩具としての色彩が強い製品であり、木部は美しく仕上げられ、各部品は高精度な切削加工で製造されていた。 弾倉は20発/30発箱形弾倉のほかに50発用ドラム弾倉が用意され、連射レートは800発/分程度まで落とされていた。

1926年からは銃口部にカッツ・コンペンセイター(Cuts Compensator)と呼ばれるマズルブレーキの一種がオプションで装着できるようになり、フルオート射撃時のコントロールはより安定した[5]

なお、最初にM1921の大口顧客となったのは、米国のアイルランド系移民の独立運動支持者達と考えられており、製造番号が1,000番未満の初期生産品が英領アイルランドで発見されている。これらのM1921はIrish Swordと呼ばれ、後のアイルランド内戦では主に反条約派によって使用された[6]

また、当時頻発していた郵便強盗対策のために、米国郵便公社もM1921を400挺購入した。同公社が購入したM1921は、郵便警護を分担した海兵隊にも供与されたが、海兵隊はこれをバナナ戦争での軍事行動に転用した。

しかし、当時のM1921は民間人(この中にはトミーガンを有名にしたマフィア達も含まれていた)を主な購入者としており、1934年に規制されるまで購入に何らの制約も無く通信販売でも購入できたため、バナナ戦争における交戦相手のサンディーノ軍ニカラグア)も、海兵隊と同様にM1921を装備していた。

M1923[編集]

強装弾薬の試行

トンプソン大佐が想定していた小型機関銃のコンセプトは、小銃弾を使用するものであり、M1921に使用された.45ACP弾(480J)のパワーと、有効射程が50ヤードしかなかったM1921の射程は、軍用として力不足なものだった。

しかし、ブリッシュ・ロック方式の閉鎖機構は、その主要部品に真鍮製のロッキング・ピースを用いており、強烈な腔圧を発生させる当時のフルサイズ小銃弾には不向きな事が判明していたため、.45ACP弾の薬莢長を3mm延長して威力を増大した.45 Remington-Thompson弾(1,590J)が新規に開発され、これを用いるM1923が試作された。

.45 Remington-Thompson弾は.45ACP弾の3倍ものエネルギーを持ち、後に開発された.44 Magnum弾に近いパワーを有し、至近距離で杉板15枚、300ヤードで8枚を貫通したとされる[5]。.45 Remington-Thompson弾はテストの結果.45ACP弾よりも精度が悪い事が判明し、市販されずに終わった。

M1923はM1921より約10cm銃身が延長され、軍用に適した水平フォアグリップが装着されていたほか、強くなった反動を制御するために連射速度は400発/分程度まで遅延されていた(参考画像)。 着剣装置が付けられたタイプや、二脚を付けた軽機関銃タイプも試作されて米軍向けのプレゼンが行われたが、既にBARが採用されていた事もあり、採用には至らなかった。そのスタイルは後の軍用モデルであるM1928A1やM1/M1A1へ継承された。

M1927[編集]

セミオート・バージョン

M1921は当時数少ないフルオート火器だったため、慣れない射手が引き鉄を引き続けて銃口が跳ね上がり、制御不能となって意図せぬ方向を撃ってしまう事故が発生する事があった。このためM1921からフルオート射撃の機能を削除し、セミオート・カービンとした製品が要望され、M1927が製造された。

M1927はM1921を改造して製造されたため、M1921の刻印である"Thompson Submachine Gun"を一部削り取り、"Thompson Semi-Automatic Carbine"と改めて打刻し直されている。

M1927はM1921とほとんど同じ製品であるため、簡単にフルオート射撃の機能を復活させる事ができたが、1934年の連邦法改正によるフルオート火器の所持規制以降も民間人が無許可で購入できるトミーガンとして製造され続けた。ただし、1982年以降、オープンボルト撃発火器は、フルオートへの改造を前提とした火器と見なされるようになったため、現在では所持制限の対象となっている。

また、トミーガン用の100連ドラム弾倉はM1927と同時に販売されるようになった。

M1928[編集]

トンプソンM1928を持つイギリス兵(1940年
正規軍に採用された軍用モデル

マスコミへの露出でM1921は実態以上に有名となったが、製造メーカーのオート・オードナンス社の経営は悪化し、破産の危機に直面していた。これを救ったのは、M1921の連射レートを700発/分まで下げた軍用モデルのM1928であり、500挺ほどが製造され米海軍海兵隊に採用された[2]

その後、第二次世界大戦が勃発すると同モデルは仏軍英軍典軍に採用され、仏軍は3,750挺のM1928と3,000万発の弾薬を発注した。英軍ではコマンド部隊などがこれを使用した。

M1928の納入価格は1939年頃で$209(現在の価格で$3,100程度[4]・希少品となった現在では$20,000前後で取り引きされている)だったとされ、オート・オードナンス社の経営状態は好転した。

M1928A1[編集]

米軍向け改良モデル

欧州第二次世界大戦が始まるまで、米陸軍で使用されていたトミーガンは400挺にも満たなかったが、大戦勃発と共に当時は未だ参戦していなかった米軍もM1928の大量調達を図り、軍用として試作されたM1923に近いフォルムを持つM1928A1が製造された。

M1928A1は米軍および英・仏・中といった諸国への援助兵器として総計562,511挺が生産され、量産効果により1942年春には$70(現在の価格で$880程度[4])まで調達コストは下がった。

M1/M1A1[編集]

戦時省力生産モデル
M1A1
M1を射撃するアメリカ海兵隊員。1945年5月沖縄戦での撮影

トミーガンは切削加工を前提としたデザインであり、プレス加工を活用した大量生産には再設計が必要だったが、大幅な構造の変更はなされないまま、省力化と操作性向上のために幾つかの改良が施されたM1型が1942年に採用され(ステン短機関銃タイプの鋼板プレス製M3グリースガンも同年に採用された)、1943年末からSavage Arms社で大量生産が開始された[2]

M1に採用された簡易化は、

といったもので、M1はM1928A1の半分の時間で製造され、調達コストは$45まで低下した。しかし、当初は供給が追いつかなかったため、レイジングM50など他のサブマシンガンで不足分を間に合わせていた。

1944年には簡素化が更に進められて撃針をボルトに固定し、照門(リアサイト)の側面に三角形の保護板を付けたM1A1が採用された。

M1/M1A1は累計で138万挺製造され、第二次世界大戦を通じて米軍でもっとも多く使用されたサブマシンガンとなり、主に下士官戦車兵、空挺兵に対して供給された。米軍内では1976年頃まで予備兵器としてトミーガンが装備されていたほか、現代に至るまで様々な地域紛争で使用されているのが確認されており、その堅牢さから今後も使用され続けるものと考えられている。

普及[編集]

アメリカ[編集]

1932年の映画『暗黒街の顔役』でマフィアを演じるポール・ムニ

禁酒法の恩恵で急成長を遂げていた米国マフィアが襲撃兵器としても防御用兵器としても優れていたトミーガンに注目し、抗争などで使用したことがトミーガンの知名度を飛躍的に高めた。

ギャング間の抗争事件は当時のマスコミの格好の題材であり、こうした事件が"再現フィルム"的に映像化されたハリウッド製作のギャング映画によって、トミーガンの存在はマシンガンの呼称とともに世界中に知れ渡り、トミーガン=機関銃という認識が広く定着するなど、実態以上に強い印象をもって記憶されており、寿司桶のようなドラムマガジンを装着したトミーガンの姿はRoaring Twenties狂騒の20年代)を演出した歴史上重要なアイテムとして認識されている。

一方で、マフィアなど犯罪者達を取り締まってきたFBIにおいては、トミーガンが草創期の重要な火器だった事もあって、現在でも象徴的な意味を含めて継続して使用されており、同局舎における見学者向けのデモンストレーションでは、射撃教官によるトミーガンを用いた射撃が披露され、教官が標的上に自分の名前を弾痕で刻んで見せるのが通例となっている。

日本[編集]

日本においては、トミーガンの存在は米国の映画を通じて広く知られており、海軍陸戦隊の近接戦闘用兵器としてMP18と比較検討[7] されていたほか、陸軍兵士達も中国各地で多数のM1921/M1928を鹵獲[8]し、シンガポール占領英軍から鹵獲されたトミーガン600丁が、パレンバン作戦後に陸軍落下傘部隊に支給されたとも伝えられている[9]

また、フィリピン占領時にはトミーガンやM1ライフルを始めとする各種の米製兵器が大量に鹵獲され、現地の日本兵達はこうした米製兵器を好んで使用していた事が伝えられているほか、日本内地でこれら鹵獲火器に対する性能試験が実施され、その一部は準制式とされている。また、昭和19年2月に作成された米軍装備に関する陸軍の資料中では、米軍が装備するサブマシンガン(日本陸軍では"機関短銃"と呼んだ)について、トンプソン機関短銃ライジング機関短銃M3機関短銃の3点が写真付きで紹介されている[10]

敗戦後の1950年に発足した警察予備隊に対しては、米国からM3グリースガンと並んで供与され、"サブマシンガン"の訳語として「短機関銃」という言葉が作られ「11.4mm短機関銃M1」として制式化された。

その後も保安隊-自衛隊において継続して装備され、陸上自衛隊では1970年代まで使用された他、海上自衛隊及び航空自衛隊では1990年代に入っても少数ながら現役として装備されていた。現在においても、陸海空3自衛隊において"予備装備"として保管されている模様である。

中国[編集]

軍閥間の内戦が続いていた中国では軍民ともにM1921の人気が高く、山西省を支配した閻錫山の軍閥ではM1921のコピー品が生産され、モーゼル軍用拳銃をM1921の弾薬に合わせて.45ACP弾化した独自製品まで出現した。 また、各地で跋扈する匪賊の襲撃を撃退する効果的な兵器として、富裕な地主や帰国華僑 [11] なども、手頃な価格で強力な防御能力を発揮できるトミーガンを用いていた。

中国に大量に存在したトミーガンとコピー工廠は、国共内戦の終結と共に中国共産党の手に渡り、朝鮮戦争では米軍も中国軍も共にトミーガンを装備して戦っていた。その後のインドシナ戦争においてもベトミン/ベトコン勢力やビン・スエン派などがトミーガンを使用していた事が知られているほか、南ベトナムではこれをコピー生産していた勢力があった事も知られている[2]

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Bishop, Chris. Guns in Combat. Chartwell Books, Inc (1998). ISBN 0-7858-0844-2.
  2. ^ a b c d e "The world's submachine guns"
    Thomas B Nelson, T.B.N. Enterprises, 1963,
    ASIN: B0007HVRYY
    Prototype to 1919 Warner & Swasey
    Models 1921 to 1928 Colt
    British made guns B.S.A.
    1928A1 & M1 series Auto-Ordnance & Savage
    Unlicensed copies China & Viet-Nam
  3. ^ Auto-Ordnance History”. 2014年10月15日閲覧。
  4. ^ a b c The Inflation Calculatorから換算
  5. ^ a b THE THOMPSON SUB-MACHINE GUN, Philip B. Sharpe”. 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月11日閲覧。
  6. ^ Ireland's History Magazine "Thompson submachine-gun"”. 2012年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月11日閲覧。
  7. ^ 第3530号 5.10.29 兵器貸与並に供給の件』 アジア歴史資料センター Ref.C05021291500 
  8. ^ 押収兵器下付の件』 アジア歴史資料センター Ref.C01007005700 
  9. ^ 『陸軍落下傘部隊戦記 あゝ純白の花負いて』 田中賢一著 学陽書房 1976年 P130~131
  10. ^ 米軍銃器火砲一覧表』 アジア歴史資料センター Ref.A03032193600 
  11. ^ 1930年代に福建省に潜伏したタン・マラカは、インドネシアから帰国した客属華僑と知り合い、その下に一時身を寄せていたが、匪賊による襲撃の噂が流れたため、これに備えて華僑の一族がトンプソンサブマシンガンなどの各種火器を準備して迎撃準備に努めていた事を記しており、当時の中国国内でトンプソンサブマシンガンは比較的身近な存在だった事が伺える 『牢獄から牢獄へ - タン・マラカ自伝』 タン・マラカ 著 押川典昭 訳 鹿砦社 1981年7月
  12. ^ a b c d HEROS Gunバトル ヒーローたちの名銃ベスト100. リイド社. (2010-11-29). pp. pp.190-191. ISBN 978-4-8458-3940-7. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]