M3サブマシンガン

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M3サブマシンガン
M3 Grease Gun (Jeff Kubina).jpg
M3グリースガン
M3サブマシンガン
種類 短機関銃
製造国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
中華民国の旗 中華民国
設計・製造 ゼネラルモーターズ
年代 1940年代
仕様
種別 短機関銃
口径 11.43mm
9mm
銃身長 203mm
使用弾薬 .45ACP弾
9x19mmパラベラム弾
装弾数 30発(箱型弾倉
作動方式 ストレートブローバック
全長 570mm
745mm(銃床延長時)
重量 3,700g
発射速度 400-450発/分
銃口初速 280m/秒
有効射程 50m
歴史
設計年 1942年
製造期間 1942年-1960年代(地域による)
配備期間 1943年-現在
配備先 アメリカ軍
国民革命軍
陸上自衛隊
など
関連戦争・紛争 第二次世界大戦
朝鮮戦争
ベトナム戦争
など
バリエーション バリエーションを参照。
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M3サブマシンガン: M3 Submachine Gun)は、第二次世界大戦中にジョージ・ハイドとフレデリック・シンプソンによって設計され、アメリカ軍に採用された短機関銃である。

独特の外観からグリースガン(Grease Gun、The Greaser)、ケーキデコレーター(Cake decorator、ケーキの上にクリームをしぼり出して飾りつける道具)、また、生産地からデトロイト・サブマシンガンとも呼ばれている。

開発[編集]

第二次世界大戦が勃発した際、アメリカ軍は、制式短機関銃としてトンプソンM1928およびM1928A1を採用していた。だが、トンプソンは原設計が古く、内部構造が複雑な上に重量過大かつ全長が長大で携行性に問題があった。そのため、生産性を向上すべく設計を変更。性能に影響を与えない部品などは生産性の良いものに変更するなど、外見と中身が一新された。そして、このモデルがトンプソンM1短機関銃として採用される。M1は「既存の切削加工技術の枠内では、かなり生産効率を重視した設計」に変更されたが、M1928から工程を簡略化したM1でも製のグリップやストックを装備し、レシーバーを削り出しで製造するなど性能重視の設計だったため、MP40ステンガンなどの外国製の同種火器に比べて、コストが高く生産効率が悪かった。そこで改設計されていた撃針部分をさらに見直して生産効率を上げたM1A1も開発されたが、木製部品を多用するトンプソンは、急増する戦場からの補給要請を満たすには程遠い状況であった。

アメリカ軍では、性能を多少落としても更なる生産性を有する新型短機関銃が計画され、板のプレス加工溶接のみで製造できる本銃が開発された。試作銃の試験結果は良好で、1942年12月24日に、試作銃T20が制式名称"U.S. Submachine Gun, Cal. .45, M3 / M3A1"、略称M3の名で採用された。

設計[編集]

開発にあたっては、自動車量産のためにプレス加工溶接技術に長けていた大手自動車メーカー・ゼネラルモータースの技術とノウハウが利用された。メカニズムはMP40などが参考にされたが、より簡易かつ安価な作りで、プレスで作ったレシーバーを左右から接合し、溶接で貼り合わせ組み上げている。ボルトは2本の鉄棒で保持され、鉄棒それぞれに1本ずつの復座ばね(リターンスプリング)が組み合わされている。ボルト周りの構造は厳密な製造公差を必要としないため、製造工程を簡略化でき、すすや砂塵などの汚れにも強い。銃身は冷間鍛造で作られ、切削加工に比べて加工工程節減と強度向上の両面で有利となった。弾丸は、トンプソンと同様、アメリカ軍制式の.45ACP弾が引き続いて採用されており、個人用装備であったM1911A1 コルト・ガバメントとの銃弾の互換性が維持されていた。

この銃は非常に単純化されたメカニズムを備えていた。特に、安全装置として排莢口の蓋を利用した(蓋を閉じた状態では発砲できず、発射する時だけ蓋を開く)単純明快なアイデアは、傑出した合理化策と言える。グリップには整備用の機械油の容器が内蔵されており、細い鉄棒製の伸縮式ストックは、分解・整備用ツール、さらに、弾倉への装填ツールを兼ねていた。

運用[編集]

演習中のフィリピン海軍特殊部隊。中央の赤い服を着た米軍人と、その左隣の兵士がM3を手にしている(2009年

グリースガン」を思わせる工具風外見は、最初に支給された兵士たちからは奇異に受け止められたが、実戦において取り回しが良く、信頼性の高い銃であることが実証されると、多くの兵士たちから愛用されるようになった。M3は故障が大変少なく、携帯性にも優れていたので(トンプソンM1の全長は813mmであり、本銃の全長は579mm)、歩兵以外にも戦車兵の自衛用火器などとして使用された。生産コストも、M1の1/3の22ドル(当時)と安価であった。弾丸の発射速度はM1より遅かったが、その分射撃中のコントロールが容易というメリットがあった。そのため、熟練した兵士や扱いに慣れたものは、フルオート射撃専用の銃であるにもかかわらず、一瞬だけ引き金を引き、擬似的なセミオート射撃を行ったものもいたという。伸縮式ストックの「工具」的な仕様も好評だった。

しかし、M3には大きな欠点があった。外付けのコッキングレバーを手荒く扱うと外れてしまうという問題である。そこで、1944年には、コッキングレバーを省略し、ボルトに凹みを付けて初弾装填時に直接指で動かすようにするなど簡易化したM3A1が開発された。ボルトは撃発により熱くなるが、手袋を填めた兵士ならこれでも問題なく使え、部品点数を減らしつつ信頼性が高まったため、M3シリーズの完成形となった。

M3とM3A1はアメリカ軍に広く配備されたほか、ソビエト連邦中華民国にも供与され、第二次世界大戦のほぼ全ての戦線で運用された。大戦中のM3とM3A1の総生産数は約646,000挺以上であった。戦後も、西側諸国アメリカ寄りの新興国に広く供与され、朝鮮戦争勃発に合わせて更にM3A1が33,200挺が再生産されている。後にベトナム戦争の初期にも使用されたが、湿度の高いベトナムでは薄い鉄板製のレシーバーが錆びやすく、評判は良くなかった。一方で、ソ連や中国もM3を大量に入手しており、朝鮮戦争では中国人民志願軍朝鮮人民軍が使用した。その後も民兵組織や東南アジアの共産勢力に供与された。中国国内では、少なくとも珍宝島事件の頃まで民兵組織に供与されていたようである[1]

日本陸上自衛隊でも11.4mm短機関銃M3A1の名で制式採用された。1960年代には後継としてニューナンブM66短機関銃が開発されたが、短機関銃の価値が低く見られていた時代であったため採用されず、1990年代になって9mm機関けん銃が採用されたが、全てのM3A1が更新されたわけではなく、戦車搭乗員の他普通科部隊の対戦車小隊所属60式自走無反動砲(退役済み)乗員や高射特科部隊員などで使用されている。『自衛隊装備年鑑』にはM3A1との記載しかないが、M3とM3A1が混在している。海上自衛隊でも少数であるが使用されている。

バリエーション[編集]

M3
最初期型モデル。
M3A1
1944年に開発されたM3の改良型モデル。破損しやすかったコッキングレバーを省略するなどした。
M3S
第二次世界大戦中に、ベル研究所にて製造されたサプレッサー付きのモデル。OSS向けに約1,000丁が製造された。

コピー生産[編集]

36式11公厘衝鋒槍
中国国民党兵工署が第九十廠(第二次世界大戦後に接収した奉天造兵廠)でコピー生産したもの。M3A1が元になっており、「36」は中華民国暦による(民国36年=1947年国共内戦の後、中国共産党軍に接収されたものが朝鮮戦争において中国人民志願軍朝鮮人民軍に供与されたり、ベトナム戦争時に南ベトナム解放民族戦線に対して供与された。9x19mmパラベラム弾を使用するモデルもある。
PAM1
アルゼンチンのFMAP(Fabrica Militar de Armas Portatiles, 軍用小火器工廠)でコピー生産されたもの。M3A1が元になっているが、9x19mmパラベラム弾を使用する。グリップセーフティを備えたPAM2というモデルも存在する。

登場作品[編集]

映画・テレビドラマ[編集]

トンプソンに比べると見栄えがしないため、「小道具」としてはあまり人気も出番もない。

MATが所持。M3の撮影プロップを改造したマットガンとして登場。
陸上自衛隊の特殊工作隊(対ハイジャック専門部隊)が所持。
1981年版で星泉が使用。
伊庭三尉が、反乱を起こした哨戒艇を攻撃したのに用いたほか、春日山城の天守閣で乱射。川中島の戦いでは菊池一士S-62から武田勢を掃射する際に使用。
テロリストが装備。射撃シーンで排莢が確認できる。
リース(スティーブ・マックイーン)が使用。
主に補充兵が装備。

ゲーム[編集]

「9ミリ短機関銃」(9mm Submachinegun)の名前で登場。

マンガ・アニメ[編集]

アメリカ軍オートバイ兵が片手で使用。

小説[編集]

主人公が林の中で64式7.62mm小銃を持つ敵と撃ち合い、低速の.45ACP弾を使うM3の方が有利だったとの描写がある。
ボブ・リー・スワガーが使用。
米国から派遣された特殊部隊が使用。

参考文献[編集]

  1. ^ 外文出版社『新ツァーを打倒せよ!―黒竜江と烏蘇里江でのソ修の反中国の暴虐行為』中国国際書店 1969年

関連項目[編集]