山田為暄
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山田 為暄(やまだ ためのぶ[1] / ためはる[要出典] / いけん[2]、1842年12月(天保13年11月) - 1911年5月12日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、警視総監、貴族院議員。旧姓・園田。墓所は永平寺東京別院長谷寺。
経歴
[編集]薩摩藩士・園田八右衛門の四男として生まれる。後、薩摩藩士、山田壮右衛門為正の養嗣子となる[要出典]。
1874年、台湾蕃地事務都督府徴集兵第三小隊長に就任。1876年、兵庫県四等警部に任官。以後、同一等警部、兵庫県警部長を歴任。1884年11月、高知県少書記官に転じ、同書記官、同第一部長を務める。
1892年7月、福岡県知事に就任。1893年5月、大分県知事に転任。日清戦争の体勢整備、農水産業の振興を図った。1896年9月、警視総監に就任し、1898年1月まで在任。1904年8月22日、貴族院勅選議員に任じられ[3]、死去するまで在任。
その他、監獄建築委員長、文官普通試験委員長を歴任した。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。