細田徳寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

細田 徳寿(ほそだ とくじゅ、1904年8月5日 - 1991年3月25日)は、元大分県知事1945年 - 1947年、1947年 - 1955年)。官選も含めると第37・39・40代、公選のみでは初代・第2代にあたる。

略歴[編集]

茨城県水戸市出身。旧制水戸中学校(現水戸第一高校)、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科政治学科を卒業。1928年内務省入省。厚生省医務課長、警視庁保安衛生部長、陸軍司政官、内務省河川課長、内閣総理大臣秘書官[1]等を経て、1945年10月27日に41歳の若さで大分県知事に発令された。

1947年3月14日には、地方自治法施行にともなう県知事選挙への出馬のため県知事を辞職。この後、選挙までの約1ヶ月は和久田鉄雄が第38代県知事に短期間発令されている。4月5日に行われた県知事選挙では、保守系2候補及び革新統一候補を破って初の公選知事となる。その後、2期8年にわたり県知事を務めるが、1955年の県知事選挙では革新統一候補の木下郁に敗れた。県知事時代には、しばしば氾濫した大野川の治水事業を行い、大野川発電所の建設や、昭和井路の開通を果たした。これらの事業は、後の大分臨海工業地帯造成のためのインフラ整備につながったと評価される。

退任後は東京に移り、日本体育大学の教員、厚生省社会審査委員会委員、日本住宅公団管理委員会委員、全国防災協会副会長等を歴任した。1991年3月25日、86歳で死去。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』26頁。

外部リンク[編集]