コンテンツにスキップ

山縣伊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山県伊三郎から転送)
山縣 伊三郎
やまがた いさぶろう
山縣伊三郎(『映像が語る日韓併合史』より
生年月日 1858年2月6日
出生地 日本長門国阿武郡川島村
(現・山口県萩市川島)
没年月日 (1927-09-24) 1927年9月24日(69歳没)
死没地 日本の旗 日本東京市
親族 山縣有朋(叔父・義父)

日本における郵船商船規則の旗 第15代逓信大臣
内閣 第1次西園寺内閣
在任期間 1906年1月7日 - 1908年1月14日

在任期間 1908年7月7日 - 1922年2月27日
1922年2月28日 - 1927年9月24日
テンプレートを表示
山縣伊三郎

山縣 伊三郎(やまがた いさぶろう、安政4年12月23日1858年2月6日) - 昭和2年(1927年9月24日)は、日本官僚元老山縣有朋養子公爵を継いだ。旧姓は勝津。妻は加藤弘之の娘の隆子。息子は有道三郎と養子の有光

略歴

[編集]

長州藩藩士勝津兼亮山縣有朋の姉・壽子の間に次男として生まれる。明治維新の立役者の一人であった有朋には三男四女があったが、次女以外夭折して山縣家を継ぐべき子供がいなかったため、甥である伊三郎を養子とした。

ドイツ留学後、内務官僚として徳島県知事三重県知事、内務省地方局長、内務次官などを歴任した。明治39年(1906年)に第1次西園寺内閣逓信大臣として入閣。しかし、鉄道建設に関する予算問題をめぐって大蔵大臣阪谷芳郎と対立した末、明治41年(1908年)1月に逓相を辞任している。同年7月7日、貴族院議員に勅選された[1]

明治43年(1910年)6月、韓国副統監となり、韓国併合後は朝鮮総督府政務総監となり、中枢院議長も務めた。原敬首相により三・一独立運動後の文官朝鮮総督に擬せられたこともある(実際には海軍大将斎藤実が就任)。大正11年(1922年)、枢密顧問官に任命。同年、養父有朋の死により公爵を襲爵。大正14年(1925年)1月、仏領インドシナ総督の訪日に対する答礼使としてインドシナに派遣された。

山縣公爵家は息子の山縣有道が継いだ。有道は宮中に仕えて侍従や式部官を務めた。養子の山縣有光は分家として山縣男爵家をたてた。墓所は文京区護国寺

栄典

[編集]
位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

[編集]

逸話

[編集]

1996年から2020年までJR九州肥薩線を走っていた観光列車「いさぶろう」号は、伊三郎に由来する。伊三郎の逓相在任中に肥薩線が建設され、矢岳第一トンネルの扁額に伊三郎の揮毫が残っていることから命名された(当時鉄道は逓信省の管轄だった)。

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』第7509号、明治41年7月8日。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 山県伊三郎」 アジア歴史資料センター Ref.A06051176600 
  3. ^ 『官報』第150号「叙任」1883年12月26日。
  4. ^ 『官報』第382号「賞勲叙任」1884年10月4日。
  5. ^ 『官報』第2391号「叙任及辞令」1891年6月20日。
  6. ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
  7. ^ 『官報』第5390号「叙任及辞令」1901年6月22日。
  8. ^ 『官報』第2684号「叙任及辞令」1921年7月12日。
  9. ^ 『官報』第2020号「叙任及辞令」1890年3月28日。
  10. ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。
  11. ^ 『官報』第4196号「叙任及辞令」1897年6月29日。
  12. ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。
  13. ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  15. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  16. ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  17. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  18. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  19. ^ 『官報』第483号「賞勲叙任」1885年2月13日。
  20. ^ a b c d 人事興信録第15版ヤ16


公職
先代
(韓国併合)
日本の旗 朝鮮総督府政務総監
初代:1910年 - 1919年
次代
水野錬太郎
先代
曾禰荒助
日本の旗 韓国統監府副統監
第2代:1910年
次代
(韓国併合)
先代
大浦兼武
日本の旗 逓信大臣
第15代:1906年 - 1908年
次代
原敬
先代
大森鍾一
日本の旗 内務総務長官・次官
第13代:1902年 - 1906年
次代
吉原三郎
日本の爵位
先代
山縣有朋
公爵
山縣(有朋)家第2代
1922年 - 1927年
次代
山縣有道