武藤信義

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武藤 信義
Nobuyoshi Muto.jpg
生誕 1868年9月1日
肥前国杵島郡深浦村牛間田
Japanese Crest Nabesima Gyouyou.svg 佐賀藩
死没 (1933-07-27) 1933年7月27日(64歳没)
Flag of Manchukuo.png 満洲国 新京特別市
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1933年
最終階級 元帥徽章.svg 元帥陸軍大将
墓所 東京都文京区護国寺
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武藤 信義(むとう のぶよし、1868年9月1日慶応4年7月15日) - 1933年7月27日)は、日本陸軍軍人元帥陸軍大将正二位勲一等功一級男爵関東軍司令官駐満大使関東長官教育総監軍事参議官東京警備司令官等を歴任した。

経歴[編集]

慶応4年(1868年)、現在の佐賀県杵島郡白石町牛間田に[1]佐賀藩士・武藤信直の次男として生まれる。

教師を志して佐賀師範学校に入学するも、失望して中退したのちは陸軍を志して陸軍教導団へ入団する。卒業後、陸軍歩兵二等軍曹(後の伍長に相当する。)に任官。陸軍士官学校1892年明治25年)7月23日卒業(3期生)。翌年3月13日に陸軍歩兵少尉に任官。卒業後、歩兵第24連隊小隊長として日清戦争に出征。戦後は陸軍大学校に入校。1899年(明治32年)、第13期の首席の成績を修めて恩賜の軍刀を授けられる。

日露戦争における鴨緑江会戦勝利の功により、鴨緑江軍参謀に進む。日露戦帰還後は、ロシア公使館付武官補佐官1908年(明治41年)12月21日に参謀本部欧米課長。1911年(明治44年)1月26日に陸軍大佐1912年大正元年)12月18日から近衛歩兵第4連隊長、大正4年(1915年)4月10日から参謀本部作戦課長を務める。1916年(大正5年)5月2日陸軍少将、歩兵第23旅団長。1918年(大正7年)7月24日に参謀本部附を命ぜられてハルピン特務機関長。同年11月9日からオムスク特務機関長、シベリア出兵にあっては現地支援した。1919年(大正8年)1月15日参謀本部第1部長、同年7月25日陸軍中将、総務部長に移る。

1921年(大正10年)5月5日第3師団長に親補、翌年11月24日参謀次長。1925年(大正14年)5月1日に軍事参議官に親補、翌年3月2日から東京警備司令官を兼ねて陸軍大将に親任。同年7月28日に関東軍司令官に就任。1927年昭和2年)8月26日、教育総監。1932年(昭和7年)5月15日に五・一五事件が起った事により引責辞任、5月26日から軍事参議官に退く。

1932年(昭和7年)8月8日、再び関東軍司令官に就任[2]満州国駐在特命全権大使と関東長官を兼務[3]。9月15日に同国務総理・鄭孝胥との間で日満議定書を調印。満州国内の治安維持や熱河平定の軍功により、1933年(昭和8年)5月3日に元帥号を賜る[4]

1933年7月22日に黄疸に罹る。一旦回復したものの、25日に腹膜炎を併発して新京の官邸で倒れ、7月28日午前7時47分薨去[5]。翌29日新京で告別式が行われ、棺は防護巡洋艦平戸に載せられて30日に大連を出発[6]、8月1日に下関に到着した[5]。3日に東京駅に到着し、7日に日比谷公園で葬儀が営まれた[5]。薨去に際し、7月27日付で正二位勲一等旭日桐花大綬章[7]・功一級金鵄勲章が授与された。またこの際、男爵位の授爵を打診された[8]ものの、家族が辞退した事によって8月6日に改めて授爵した。昭和天皇から御沙汰書を賜る[注釈 1]。墓所は東京都文京区護国寺墓地。

エピソード[編集]

  • 陸軍士官学校候補生第3期の同期には、朝久野勘十郎中将大野豊四中将や、長谷川好道元帥の嗣子長谷川猪三郎少将らがいる。
  • ロシア語が堪能だった武藤は、日露戦争開戦前にウラジオストク偵察に赴き、開戦時は陸軍少佐近衛師団参謀として出征する。鴨緑江渡河にあたっては、朝鮮服を着用して現地の子供二人を借りるなどして敵地を偵察し、その情報に基づいて渡河計画が立てられた。
  • 人格者で知られた武藤は、軍人としての地位も極めたものの、元帥の条件は満たしていないとの声もあった。武藤の元帥推薦に動いたのは荒木貞夫陸軍大臣であったという。昭和8年(1933年)に65歳に達したが、この年齢は陸軍大将の定年で同時に予備役編入となる筈であった。その背景には、武藤以外に関東軍司令官の適任者がいない事や武藤・荒木が属する反長州閥の弱体化を怖れたためという。なお、下士官出身で元帥号を賜ったのは武藤のみである。
  • 鈴木荘六の後任として参謀総長職を打診されたものの、辞退して後輩の金谷範三に譲ったされる。
  • 関東軍司令官・特命全権大使・関東長官を兼務した武藤は、満州における軍事・行政・外交を掌握して「これほど権力を掴んだ者は明治維新以来いない」と評されたという。
  • 元帥陸軍大将時に武藤に下賜された元帥刀・元帥徽章は現在も靖国神社にて保存されている。
  • 武藤家は男爵位を授けられたものの、武藤没後は女戸主となったため、のちに爵位を返上している[9]

栄典[編集]

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 「至誠ヲ寬厚ニ藏シ果斷ヲ沈毅ニ發ス乃チ參議ノ官ニ補セラレテ籌ヲ帷幄ニ運ラシ遂ニ元帥ノ府ニ列シテ務ニ樞機ニ服ス持節命ヲ銜ミテ文武ノ大任ヲ全クシ善隣誼ヲ敦クシテ朝野ノ重望ニ副ヘリ遽ニ溘亡ヲ聞ク曷ソ軫悼ニ勝ヘム宜シク使ヲ遣ハシ賻ヲ賜ヒ以テ弔慰スヘシ」昭和8年8月8日官報第1981号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ5より

出典[編集]

  1. ^ 白石町ホームページ 白石町ゆかりの人”. 佐賀県白石町. 2018年1月3日閲覧。
  2. ^ 昭和7年8月9日官報第1683号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ8 「敍任及辭令 ◉昭和七年八月八日 陸軍大將正三位勲一等功二級 武藤信義 補關東軍司令官」
  3. ^ 昭和7年8月9日官報第1683号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1 「敍任及辭令 ◉昭和七年八月八日 陸軍大將正三位勲一等功二級 武藤信義 兼任特命全權大使關東長官」
  4. ^ 昭和8年5月4日官報第1899号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ4 「敍任及辭令 昭和八年五月三日 陸軍大將正三位勲一等功二級 武藤信義 元帥府ニ列セラレ特ニ元帥ノ稱號ヲ賜フ」
  5. ^ a b c 外務省報 第十八巻:外務省報第二百八十一号(昭和八年八月十五日)/雑報』 アジア歴史資料センター Ref.B13091692400  画像1「雜報 …武藤駐滿大使薨去 關東軍司令官兼特命全權大使關東長官元帥陸軍大將男爵武藤信義ハ七月二十二日胃腸障害ヨリ黃疸ヲ發シ其ノ後經過順調ナリシモ二十五日ニ至リ病勢惡化腹膜炎ヲ倂發シ二十八日午前七時四十七分新京官邸ニ於テ遂ニ薨去セラル 翌二十九日新京ニ於テ吿別式ヲ行ヒ、靈柩ハ三十日軍艦平戶ニ依リ大連發八月一日下關著、八月三日午前八時三十分東京驛ニ著シ直ニ自宅ニ歸還セラレタリ 葬儀ハ同月七日日比谷公園臨時葬場ニ於テ營マレ…」
  6. ^ 昭和8年 海軍公報 下巻:7月(3)』 アジア歴史資料センター Ref.C12070338000  画像11「◯艦船所在【航海中】…平戶(三十日大連發—下關へ)
  7. ^ 昭和8年7月29日官報第1973号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ16 「授爵、敍任及辭令 昭和八年七月二十七日 從二位勲一等功二級男爵 武藤信義 敍正二位 昭和八年七月二十七日 正二位勲一等功二級男爵 武藤信義 授旭日桐花大綬章」
  8. ^ 昭和8年7月29日官報第1973号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ16 「授爵、敍任及辭令 昭和八年七月二十七日 從二位勲一等功二級 武藤信義 依勲功特授男爵」
  9. ^ 昭和8年12月27日官報第2097号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ9 「彙報 ◯官廳事項 華族ノ榮典喪失 男爵武藤信義本年七月二十八日死亡ノ處女子家督相續シタルニ付華族令第九條ニ依リ其爵ハ襲クコトヲ得サルコトヽ爲セリ」
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 元帥陸軍大将兼特命全権大使関東長官武藤信義特旨叙位ノ件』 アジア歴史資料センター Ref.A11114187800 
  11. ^ 『官報』第2132号「叙任及辞令」1919年9月11日。
  12. ^ 『官報』第3895号「叙任及辞令」1925年8月17日。
  13. ^ 『官報』第530号「叙任及辞令」1928年9月29日。
  14. ^ 『官報』第1917号「叙任及辞令」1933年5月25日。
  15. ^ 『官報』第1973号「叙任及辞令」1933年7月29日。
  16. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  17. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  18. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  19. ^ 『官報』第1899号「叙任及辞令」1933年5月4日。
  20. ^ 『官報』第1973号「叙任及辞令」1933年7月29日。
  21. ^ 『官報』第1973号「叙任及辞令」1933年7月29日。

参考文献[編集]

関連項目[編集]


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
武藤(信義)家初代
1933年
次代:
栄典喪失