大久保 (新宿区)

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大久保
—  町丁  —
コリアタウン
大久保の位置(東京23区内)
大久保
大久保
大久保の位置
座標: 北緯35度42分13.27秒 東経139度42分20.48秒 / 北緯35.7036861度 東経139.7056889度 / 35.7036861; 139.7056889
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Shinjuku, Tokyo.svg 新宿区
地域 淀橋地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 18,118人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 169-0072[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

大久保(おおくぼ)は、東京都新宿区にある町名。現行行政地名は大久保一丁目から大久保三丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は169-0072[2]

地理[編集]

東京都新宿区大久保3丁目
保善高等学校から見た新宿高層ビルと海城学園

大正時代から終戦までは戸山界隈とともに華族や実業家の邸宅街として知られ、前田利為侯爵や安藤子爵、室町伯爵、北大路男爵などの、それぞれ400~500坪から1000坪ほどの邸宅が立ち並んでいた[4][5]。大久保やその近辺には小泉八雲西條八十吉江孤雁国木田独歩水野葉舟前田晁前田夕暮といった文学者が住み、クラブに集まり、投扇興という京都風の風雅な遊びを楽しんでいた[6]

島崎藤村下村湖人岩野泡鳴戸川秋骨田岡嶺雲嵯峨の屋おむろ竹越三叉松居松葉、草野柴二、服部嘉香金子薫園といった文人も住民であり[7][8]、当時の大久保は「樹木に囲まれた閑静な住宅街で、文筆家や芸術家の集まる土地」で[9]「大久保文士村」とも呼ばれた[10]

そのほか岡田啓介平沼騏一郎阿部信行といった歴代総理や、落合豊三郎東條英教与倉喜平といった軍人牧野伸顕床次竹二郎警視総監安楽兼道のような官僚も西大久保に住んでいた[11][12]。それと同時に、市民の文化住宅も並び、庶民的な商店街も混在しており[13]、「山の手に下町が混っていた」「知識階級の子弟もいるけれども、廃品回収業の家の息子もいる」「原っぱもある、住宅街もある、貧民窟もある、それから町工場もある」と大久保小学校出身の加賀乙彦は回想している[14]

しかし、東京大空襲で街のほぼ全域が罹災。家を失った住民は街を離れた。1950年朝鮮戦争の際にGIが日本人女性と情交するための場所としてこの一帯を選び、1960年代以降、大久保の住宅の多くは連れ込み宿となった[14]。現在も基本的には住宅街であるが、駅周辺は百人町と合わせて日本最大のコリア・タウンといわれている[15]。ただ実際は韓国のみならず、中華人民共和国タイミャンマーインド等のアジア諸国、近年はイスラム系の国々も増え、料理店・雑貨店が立ち並んでいる。近年は日本の名門大学を目指す中国人留学生向けの予備校が相次いで進出している[16]。他には戸山公園、新宿スポーツセンターや大久保スポーツプラザなどの運動施設があり、早稲田大学西早稲田キャンパス海城中学校・高等学校といった私立中高学校、各種専門学校が多く集まる文教地区でもある。

商店会[編集]

  • 新宿マンモス通り商栄会 大久保一丁目
  • 「天使のすむまち」新大久保商店街振興組合 大久保一丁目
  • 新宿大久保新興会 大久保二丁目
  • 明和会 大久保二丁目
  • オレンジコートショッピングセンター会 大久保三丁目

2001年に大久保のニューカマー韓国人を中心に在日本韓国人連合会(韓人会)が結成された後、韓国・朝鮮系商店主と地元日本人の商店会である新大久保商店街振興組合・新宿マンモス通り商栄会等との間で会合がもたれるようになり新宿の北隣という立地を生かし、横浜神戸長崎などの中華街にならって観光地として整備し地域活性化を図ろうという案も出ている。

歴史[編集]

東京都新宿区大久保の航空写真(2009年4月27日撮影)

旧・豊多摩郡大久保町の内。

地名の由来[編集]

「大久保」の地名の由来は、かつてはこの地にが流れて相対的に周りより大きな低地(窪地)であったことから、大久保と呼ばれた。江戸時代までは農村であった。明治時代にはつつじの景勝地として知られ、近郊から多くの人が訪れたという[17]

沿革[編集]

住居表示実施前後の地名の対応[編集]

実施後 実施年月日 実施前(注意書きのないものはその一部)
大久保一丁目 1978年昭和53年)7月1日 西大久保二丁目
大久保二丁目 西大久保三丁目(全部)、西大久保四丁目
大久保三丁目 西大久保四丁目、百人町四丁目

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
大久保一丁目 3,665世帯 4,756人
大久保二丁目 6,291世帯 8,873人
大久保三丁目 2,227世帯 4,489人
12,183世帯 18,118人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[18]

丁目 番地 小学校 中学校
大久保一丁目 16~17番 新宿区立戸山小学校 新宿区立新宿中学校
その他 新宿区立大久保小学校
大久保二丁目 4~25番 新宿区立西早稲田中学校
1~2番
3番1~8号
3番14~19号
新宿区立東戸山小学校
その他 新宿区立戸山小学校
大久保三丁目 全域

交通[編集]

町域内に鉄道駅はないが新大久保駅東新宿駅大久保駅高田馬場駅西早稲田駅が利用可能な範囲にある。幹線道路沿いにバス便も多く、これを利用する者もいる。

施設[編集]

官公庁[編集]

オフィス[編集]

教育機関[編集]

公園[編集]

  • 戸山公園 - 敷地の一部にあたる。「東京都緑の図書室」も併設されている。

寺社[編集]

  • 全龍寺(一丁目)
  • 夫婦木神社(二丁目)

現存しない施設[編集]

  • 社会保険中央総合病院 - かつては二丁目12番(現在の東京社会保険事務局の所在地)にがあったが百人町に移転したため、現在は一定規模以上の総合病院はない。
  • なまず家 魚福 - 東京で唯一のナマズ料理専門店。2008年閉店。

大久保出身の有名人[編集]

大久保を舞台とした作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ 川本三郎「郊外の文学誌」p.128-129
  5. ^ 加賀乙彦「永遠の都」
  6. ^ 西條嫩子「父西條八十」(中央公論新社1978年
  7. ^ 増刊 菖蒲号 明治43年5月1日 「中央文壇に於ける文士分布図」[リンク切れ]
  8. ^ 大久保ではないが近隣の百人町余丁町にも永井荷風岡本綺堂邦枝完二菊池寛が住んでいた(木村梢「東京山の手昔がたり」世界文化社、1996年)。
  9. ^ タウン紙「おおくぼ」No.6 Archived 2012年4月5日, at the Wayback Machine.
  10. ^ 茅原健「新宿・大久保文士村界隈」(日本古書通信社、2005年)
  11. ^ 「経済往来」(経済往来社、1984年)第36巻、第1~6号、p.192。
  12. ^ 坂の上の雲マニアックス 明治時代の住所録 Archived 2013年6月4日, at the Wayback Machine.
  13. ^ 川本三郎「郊外の文学誌」p.129
  14. ^ a b 「東京人」1998年2月号。
  15. ^ 聯合ニュース 2011年2月14日
  16. ^ 大久保で増殖!中国人向け「予備校」の衝撃 日本の大学に入りたい学生が1校で1200人東洋経済 2016年10月8日
  17. ^ 『東京風景』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  18. ^ 通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。
  19. ^ 新宿区立図書館 新宿区

外部リンク[編集]