野沢秀行

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野沢 秀行
出生名 野沢 秀行
別名 野沢 "毛ガニ" 秀行
生誕 (1954-10-19) 1954年10月19日(69歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 佐野日本大学高等学校 卒業
ジャンル ポップ・ロック
J-POP
職業 ミュージシャン
俳優
担当楽器 パーカッション
コーラス
コンガ
ボンゴ
カホン
カウベル
トーキングドラム
シェイカー
タンバリン
ウィンドチャイム
活動期間

1977年 -


ソロ活動
1986年
レーベル タイシタレーベル[注 1]
事務所 アミューズ(1978年 - )
共同作業者 サザンオールスターズ
JAPANESE ELECTRIC FOUNDATION
公式サイト KEGANI DREAM
SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE

野沢 秀行(のざわ ひでゆき、1954年10月19日 - )は、日本の男性ミュージシャンサザンオールスターズのメンバーで、パーカッションを担当。東京都出身、栃木県育ち[1]。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、所属レーベルタイシタレーベル佐野日本大学高等学校卒業愛称は、毛ガニ

人物・略歴

サザンオールスターズの最年長メンバー(他のメンバーより1 - 2学年上となる)であり、サザンオールスターズの最年長記録はメンバー最年長である野沢の年齢を基準にして記録される。愛称は、「毛ガニ」。なおボーカルの桑田佳祐は時々野沢のことを「野沢毛ガニ」、そこから転じて「ケガちゃん」などとも呼ぶ。愛称である毛ガニについては、『毛深いから』である。サザン名義の一部作品でも“野沢毛ガニ秀行”とクレジットされるほか、桑田のソロ作品に参加する際にはこの名義でクレジットされる。現在サザン名義の作品や公式サイトでは野沢秀行の名を用いる。関口和之曰く、「あまりにもその名前が強烈で、いい当てているために、毛ガニの本名をみんなが覚えたのは半年もあとのことである」[2]

1975年 - 1977年南佳孝のバックバンド・「マーブルヘッド・メッセンジャー」に在籍。

1977年に、大森隆志がアルバイトをしていたライブハウスに出入りする内に大森と面識ができる。同年、ヤマハ主催のバンドコンテスト『EastWest '77』にサザンの出場が決まった際、大森からの熱烈な勧誘があったが、野沢はセミプロであることを理由にあまり良い返事をしなかったという。野沢が参加しないままサザンはコンテストに出場しベストボーカリスト賞を受賞。デビューが決まる頃、急にサザンのレコーディングスタジオにも顔を出すようになり、その急激な態度の変化に当初メンバーは難色を示したが[注 2]、最終的には『パーカッションが入れば、リトル・フィートと同じ人数・バンド編成になる』という理由で容認し、デビュー直前のサザンに加入。しかし、当時「毛ガニは音に対して非常にシビア」「“さすがプロのミュージシャンは違う”と思わずにはいられなかった」[4]と思わせたのも事実である。また、桑田は野沢について「この人がいなかったらサザンは三年前(1981年)に解散してたような気がする」「自分のできる範囲のことしか言わないし、背伸びするタイプじゃないけど、毛ガニがいてこそ人間関係が保てる」といった見解を示している[5]

これらの経緯があり、1978年のデビューから40年経った現在でも「正規メンバーとしては認めていない準メンバー」、「デビュー直前にいつの間にかメンバーに入っていた」と度々ジョークとしてネタにされるなど、他の場面でも弄られる事が多い。また、一説によると野沢をメンバーにするか否かの『毛ガニ欠席裁判』が他のメンバー5人で行われたが、結論がいまだに出ていないという。

1996年に行われたサザンの全国ツアー『ザ・ガールズ万座ビーチ』、2003年のツアー『SUMMER LIVE 2003「流石(SASが)だ真夏ツアー!あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」』、2005年のツアー『Live Tour 2005 みんなが好きです!』は腰痛(ヘルニア)で休業。サザンのデビュー30周年である2008年も、腰を含めた体調が本調子ではないとの理由で、三沢またろうを代役に立てテレビ番組やライブへの出演は控えることとなった。同年のライブ『真夏の大感謝祭』でも腰痛のため欠席すると思われていたが、中盤の「I AM YOUR SINGER」で登場、5人でダンスを披露し、アンコールの「勝手にシンドバッド」以降パーカッションで参加した。ここでは自ら「正式準メンバー」と名乗っている。

  • 1982年第33回NHK紅白歌合戦に出演した際は、後半楽器の伴奏をせず扇子を持って桑田とひしめき合うパフォーマンスを行った。ちなみに、同年1月のライブ『愛で金魚が救えるか? Paa Poo ツアー』でも同曲で女装し、桑田の横で踊っている(2004年DVD『ベストヒットUSAS』に収録)。このほかにも1996年の年越しライブ『牛』では、「平和の牛歌」でメンバーと離れての着ぐるみを着たり、1999年の『歌舞伎町LIVE』で、「オレは嘘つきは大嫌いだ!!毛ガニは準メンバーだって悪い噂がある」と叫んだり、2005年の『みんなが好きです!』でモニターに天使の格好で現れたりと、ムードメーカーとして大活躍している。
  • サザンオールスターズがテレビ番組『ミュージックステーション』に出演した際、共演したウルフルズトータス松本が「毛ガニさんにカニを食べに行こうと誘われた」と語っていた。
  • ホラ吹きとして知られており、様々な機会を捉えてはメンバーからその事をネタにされている。代表的なものとして「ディープパープル日本公演のときあまりの音圧でが潰されて、そのレリーフが日本武道館にある」「アマゾン川には体長1メートルにもなる巨大なセミがおり、人を持ち上げて飛ぶ」「アルゼンチンに100メートルのナマズがいる」「琵琶湖に10メートルのミミズがいる」[6](アマゾン川のセミの件はライブビデオ「ホタル・カリフォルニア」収録の「赤鼻のトナカイ」の歌詞にもされている)などがある。
  • サザンオールスターズや桑田佳祐のPVでは何かしら脇役として出演している。桑田のソロシングル「波乗りジョニー」のPVにも出演し、CGで合成されたまさしく『毛ガニ』として出演した。桑田が監督をつとめた映画『稲村ジェーン』のエンディングにも、ほんの一瞬ではあるが野沢の姿を確認することができる。また、「BOHBO No.5」のPVでは、演奏者ではなくこの曲のイメージキャラクター「BOHBOくん」として出演しており、最後の場面では花火となって空に打ち上げられている。このような出演に至った理由として、この作品が発売、レコーディングされた2005年は悪化した腰痛のリハビリのため音楽活動を休養しており、作品のレコーディングに満足に参加できていないためである。
  • 2018年のNHKホール公演『ちょっとエッチなラララのおじさん』では「40年間ずっと思っていたことがありました。このバンドにパーカッションっているかな?でもサザンを最後尾から支えていく覚悟の毛ガニです」と冗談交じりに述べている[7]
  • 上述のようなイジられ方及び自虐ネタが存在する一方で、桑田は「毛ガニの音は毛ガニにしか出せない」「野沢の叩くコンガでありボンゴは、世界で誰にも真似ができない」「パーカッションの重要性を、私はほとんど彼から教わった」と『葡萄』の初回生産限定盤特典「葡萄白書」で述べており、パーカッショニストとしての野沢へ厚い信頼を寄せている[8]
  • 2019年12月20日、サザンも含めて自身の楽曲全てがサブスクリプション型サービスでのストリーミング配信が解禁された[9]

ソロ活動

サザン以外の活動として、1986年美乃家セントラル・ステイションに参加していた六川正彦、COSA NOSTRAのメンバーとして知られる桜井鉄太郎と共にJapanese Electric Foundation(JEF)を結成、アルバムを1枚リリースしている。なお、このアルバムはサザンをはじめ各メンバーが音楽作品をリリースしている「タイシタレーベル」(JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントにあるサザン専用プライベートレーベル)からのリリースではなく「東芝EMI」からのリリースとなっている[10]

また、本業の音楽以外の活動としては、俳優として映画『アトランタ・ブギ』(1996年)、TBS系テレビドラマ『愛なんていらねえよ、夏』(2002年)に出演したほか、1988年からレーシングチーム「Kegani-Racing」を結成、チームオーナー兼監督として筑波ナイター9時間耐久などのレースに参加、1990年からはリクルートのサポートを受け「B-ing Kegani-Racing」の監督として全日本ツーリングカー選手権N1耐久などへ参戦していた(但し、当の本人は自動車運転免許を所有していなかったという)。

将来的には再びソロ活動も行いたいことを示唆する発言をしており、「バンド全体では、そんなに目立たないパーカッションが前面に出ると、見る方にも気づくことがあると思うんです。何百種類もある打楽器の音色を聴いて『気持ちいいね』と言ってもらえればうれしい」と述べている[11]

主な伴奏楽器

作品

アルバム

  • Japanese Electric Foundation(1986年、東芝EMI)

出演

※すべて個人での出演によるもの。グループでの出演などはサザンオールスターズ#出演の節を参照。

テレビドラマ

映画

CM

MV

書籍

  • 腰痛に負けない体を無理せずつくる!! 毛ガニの腰伝説(2016年12月7日、KADOKAWA[12] ISBM 4047317489

脚注

注釈

  1. ^ 野沢が発売したアルバム『Japanese Electric Foundation』は東芝EMIから発売のため、実質タイシタレーベルからの発売は無い。
  2. ^ ただし、大森が語ったところによると、野沢が大森に「このバンドでパーマネントでやりたいと真剣に考えてる」と告げ、後日この旨を聞かされた桑田はそれに対して「ああそう?」と述べ、良いとも悪いとも言わなかったという[3]

出典

  1. ^ 2015年のツアー「おいしい葡萄の旅」のエンディングで歌われた「おおブレネリ」の替え歌でもこのことが言及されており、その模様が『おいしい葡萄の旅ライブ –at DOME & 日本武道館-』に収録されている
  2. ^ 関口和之『突然ですがキリギリス』122頁、集英社文庫、1991年
  3. ^ 大森隆志×平野 悠 ー『Back to Shimokitazawa』開催記念特別対談(Rooftop2017年6月号) 3ページRooftop
  4. ^ 関口和之『突然ですがキリギリス』122頁、集英社文庫、1991年
  5. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p44)
  6. ^ 関口和之『突然ですがキリギリス』124頁、集英社文庫、1991年及び、原由子『娘心にブルースを』ソニーマガジンズ、1998年及び、1992年放送TBSテレビ特番「知ってるくせに?!」内の大森隆志、桑田佳祐の発言
  7. ^ デビュー40周年サザンオールスターズのプレミアライブにファン熱狂 「久しぶりで緊張する」2018年7月2日 オリコンニュース
  8. ^ 葡萄』初回生産限定盤A・B特典「葡萄白書」p.58より。
  9. ^ サザン関連全972曲 サブスク一斉解禁 メンバーソロ曲も対象に オリコン 2019年12月20日配信, 2019年12月20日閲覧
  10. ^ Japanese Electoric Foundation SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE 2018年10月30日閲覧
  11. ^ “サザンの「毛ガニ」野沢秀行、ヘルニアくんと「30年お付き合い」”. スポーツ報知. (2017年1月6日). http://www.hochi.co.jp/topics/serial/CO019592/20170105-OHT1T50298.html 2017年1月6日閲覧。 
  12. ^ “サザン野沢が腰痛トーク、ステージで「毛ガニ体操」も披露”. 音楽ナタリー. (2016年12月19日). http://natalie.mu/music/news/213783 2016年12月19日閲覧。 

関連項目

外部リンク

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