レロン・リー
クリーブランド・インディアンスでの現役時代 (1975年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州ベーカーズフィールド |
生年月日 | 1948年3月4日(76歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、指名打者 |
プロ入り | 1966年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 1969年9月5日 NPB / 1977年4月2日 |
最終出場 |
MLB / 1976年10月3日 NPB / 1987年10月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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レロン・リー(Leron Lee [ˈliːrɔn liː], 1948年3月4日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベーカーズフィールド出身の元プロ野球選手(外野手)。
同時期に活躍したレオン・リーは実弟。甥(レオンの息子)はプロ野球選手のデレク・リー。
経歴
[編集]グラントユニオン高校を経て、1966年にMLBのセントルイス・カージナルスと契約。1969年にMLB初昇格。打撃は平凡、守備もあまり上手くないとあって出番は少なく、サンディエゴ・パドレス、クリーブランド・インディアンス、ロサンゼルス・ドジャースとチームを転々とする。MLB時代の自己最高は、パドレスに在籍していた1972年の打率.300、本塁打12本、打点47。同年の7月4日、敵地シェイ・スタジアムで行われたニューヨーク・メッツ戦(ダブルヘッダー第1試合)では、3番・左翼手として出場し、9回1死まで無安打を続けてきたメッツのトム・シーバーから中前打を放ち、シーバーのノーヒットノーランを阻止している。なお同試合には、のちに日本ハムと大洋でプレーするゲーリー・ジェスタッド(登録名はそれぞれ「ジェスター」と「ゲーリー」)がパドレスの代打、のち中日でプレーするウェイン・ギャレットがメッツの3番・二塁手として出場していた[1]。
日本に活躍の場を求め、1977年にロッテオリオンズに入団(以前ロッテに在籍していたジム・ラフィーバーの仲介による)。来日直後のキャンプでは評論家やマスコミに「パワーがなく、期待できない」と酷評されたが、1年目から活躍し、本塁打王と打点王の二冠に輝く[2]。「1年目のシーズン前に、巨人とのオープン戦がありました。金田(正一)監督とジャイアンツの長嶋(茂雄)監督は元チームメイトだったので、会話していて。2人が私と王さんをつなげてくれたんです。そこで同じ左バッターの王さんからアドバイスをいただきました。王さんが言うには打撃のポイントは右手にあると。『バットを振るときに下の右手から動かすイメージを持つといい』とおっしゃったんです。驚きました。それまでスイングを始動するのは、力を出しやすい上の利き手(左手)だと思っていましたから。でも王さんによれば、『下の右手を意識すれば力みがなくなってファウルボールが減る。その結果、ホームランが増える』と。さっそく実践してみたら、引っ張ったボールがファウルにならなくなった。以来、右手を鍛えるために、食事や書くときなど、日常生活で右手を使うことを心がけました。1年目の本塁打王を獲得できたのは、間違いなく王さんのお陰です」と述べている[3]。
1978年には弟のレオン・リーを呼び(1982年までロッテ在籍)、有藤道世、落合博満(1979年新入団)らと強力クリーンアップを形成。この際、背ネーム表記をフルネームである「LERON LEE」に変更する。
1980年には首位打者を獲得するなど、その後もロッテの主軸打者として安定した活躍を続けた。ところが1986年オフに現役を引退し監督に就任した有藤は、リーの妻である美樹・リーの著書によると「リーを使わない」「(有藤と)仲の悪い落合の放出」の2つを監督就任の条件に挙げたという[4]。このことや自身の加齢も重なり1987年はロッテ在籍中最低の成績で終わり、同シーズン限りで退団・帰国。リーは指導者、あるいは解説者として日本に残ることを希望したが、どこからも誘いがなかったという。40歳目前のリーを解雇したロッテは、新助っ人として37歳のビル・マドロックを獲得したが、期待したほど成績を残せなかったため1年で解雇している[5]。
2013年にパ・リーグの企画「レジェンド・シリーズ2013」のため来日[6]。8月31日の千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズ戦の始球式に打者として登場した。ロッテ打撃コーチの堀幸一(リー退団と入れ替わりにロッテ新入団。1991年 - 2010年はリーと同じく背番号5を着用)が投手となり、結果はピッチャーフライだった[7][8][9]。
選手としての特徴
[編集]生涯打率(4000打数以上)では、日本プロ野球歴代1位(2023年シーズン終了時点。ただし、日米通算記録者を含めると第1位はイチローの.322である。)の.320を記録している[10]。NPBに11シーズン在籍した中で、規定打席到達のうえ3割を超える打率を残した回数は9回。1982年にも規定打席不足ながら.326の打率を残しており、これを含めるとすれば、3割を切ったのは退団した1987年のみである。通算安打1579本は2008年にタフィ・ローズに抜かれるまで、外国人選手として21年間歴代最多を誇った。
現役時代はサイドスロー左腕の永射保投手(クラウン・西武)が苦手で、打率.153に抑え込まれ、苦肉の策として右打席に立ったこともある[11][12]。
人物
[編集]ロッテ時代のユニフォーム背ネームは、レオン加入前の入団1年目から「LERON.LEE」だった。
私生活では1983年に自動車会社の通訳をしていた日本人女性(先述)と結婚した。
現在はアトランタ・ブレーブスのスカウトを担当している[13]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1969 | STL | 7 | 26 | 23 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | .217 | .308 | .261 | .569 |
1970 | 121 | 294 | 264 | 28 | 60 | 13 | 1 | 6 | 93 | 23 | 5 | 1 | 1 | 4 | 24 | 4 | 1 | 66 | 4 | .227 | .290 | .352 | .642 | |
1971 | 25 | 32 | 28 | 3 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 12 | 2 | .179 | .281 | .321 | .603 | |
SD | 79 | 275 | 256 | 29 | 70 | 20 | 2 | 4 | 106 | 21 | 4 | 5 | 1 | 0 | 18 | 4 | 0 | 45 | 4 | .273 | .321 | .414 | .735 | |
'71計 | 104 | 307 | 284 | 32 | 75 | 21 | 2 | 5 | 115 | 23 | 4 | 6 | 1 | 0 | 22 | 4 | 0 | 57 | 6 | .264 | .317 | .405 | .722 | |
1972 | 101 | 405 | 370 | 50 | 111 | 23 | 7 | 12 | 184 | 47 | 2 | 5 | 0 | 3 | 29 | 4 | 3 | 58 | 9 | .300 | .353 | .497 | .850 | |
1973 | 117 | 369 | 333 | 36 | 79 | 7 | 2 | 3 | 99 | 30 | 4 | 0 | 0 | 2 | 33 | 3 | 1 | 61 | 9 | .237 | .306 | .297 | .604 | |
1974 | CLE | 79 | 248 | 232 | 18 | 54 | 13 | 0 | 5 | 82 | 25 | 3 | 2 | 1 | 0 | 15 | 2 | 0 | 42 | 8 | .233 | .279 | .353 | .633 |
1975 | 13 | 26 | 23 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | .130 | .231 | .174 | .405 | |
LAD | 48 | 47 | 43 | 2 | 11 | 4 | 0 | 0 | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 9 | 0 | .256 | .298 | .349 | .647 | |
'75計 | 61 | 73 | 66 | 5 | 14 | 5 | 0 | 0 | 19 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 1 | 14 | 0 | .212 | .274 | .288 | .562 | |
1976 | 23 | 47 | 45 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 9 | 1 | .133 | .170 | .178 | .348 | |
1977 | ロッテ | 124 | 512 | 467 | 74 | 148 | 30 | 3 | 34 | 286 | 109 | 9 | 10 | 0 | 6 | 36 | 5 | 3 | 106 | 4 | .317 | .365 | .612 | .978 |
1978 | 126 | 514 | 461 | 76 | 146 | 22 | 0 | 30 | 258 | 88 | 3 | 5 | 1 | 3 | 41 | 16 | 8 | 86 | 6 | .317 | .380 | .560 | .940 | |
1979 | 126 | 516 | 471 | 79 | 157 | 28 | 3 | 28 | 275 | 95 | 2 | 1 | 0 | 2 | 38 | 8 | 5 | 61 | 8 | .333 | .388 | .584 | .971 | |
1980 | 127 | 530 | 489 | 88 | 175 | 15 | 1 | 33 | 291 | 90 | 1 | 0 | 0 | 5 | 33 | 9 | 3 | 58 | 9 | .358 | .398 | .595 | .993 | |
1981 | 125 | 501 | 447 | 58 | 135 | 11 | 2 | 19 | 207 | 71 | 5 | 2 | 0 | 3 | 48 | 3 | 3 | 57 | 8 | .302 | .371 | .463 | .834 | |
1982 | 84 | 362 | 322 | 53 | 105 | 11 | 0 | 15 | 161 | 60 | 1 | 0 | 0 | 1 | 36 | 5 | 3 | 37 | 9 | .326 | .398 | .500 | .898 | |
1983 | 126 | 524 | 479 | 71 | 152 | 26 | 1 | 25 | 255 | 82 | 2 | 1 | 0 | 3 | 41 | 3 | 1 | 63 | 15 | .317 | .370 | .532 | .903 | |
1984 | 129 | 553 | 485 | 84 | 150 | 23 | 2 | 31 | 270 | 88 | 5 | 2 | 1 | 2 | 58 | 3 | 7 | 62 | 11 | .309 | .389 | .557 | .946 | |
1985 | 115 | 510 | 451 | 87 | 148 | 21 | 1 | 28 | 255 | 94 | 1 | 1 | 1 | 4 | 48 | 0 | 6 | 53 | 11 | .328 | .397 | .565 | .962 | |
1986 | 129 | 541 | 483 | 75 | 160 | 18 | 0 | 31 | 271 | 94 | 1 | 1 | 0 | 3 | 53 | 1 | 2 | 55 | 25 | .331 | .397 | .561 | .958 | |
1987 | 104 | 422 | 379 | 41 | 103 | 15 | 0 | 9 | 145 | 41 | 3 | 1 | 0 | 2 | 41 | 11 | 0 | 52 | 9 | .272 | .341 | .383 | .724 | |
MLB:8年 | 613 | 1769 | 1617 | 173 | 404 | 83 | 13 | 31 | 606 | 152 | 19 | 14 | 3 | 10 | 133 | 19 | 6 | 315 | 37 | .250 | .307 | .375 | .682 | |
NPB:11年 | 1315 | 5485 | 4934 | 786 | 1579 | 220 | 13 | 283 | 2674 | 912 | 33 | 24 | 3 | 34 | 473 | 64 | 41 | 690 | 115 | .320 | .382 | .542 | .924 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 赤文字はNPBにおける歴代最高
タイトル
[編集]- NPB
表彰
[編集]- NPB
記録
[編集]- NPB初記録
- 初出場・初先発出場:1977年4月2日、対近鉄バファローズ前期1回戦(宮城球場)、4番・指名打者として先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:1977年4月3日、対近鉄バファローズ前期2回戦(宮城球場)、6回裏に柳田豊からソロ
- NPB節目の記録
- 100本塁打:1980年5月9日、対日本ハムファイターズ前期5回戦(後楽園球場)、5回表に杉山知隆から左越ソロ ※史上108人目
- 150本塁打:1982年7月7日、対西武ライオンズ後期2回戦(平和台球場)、5回裏に東尾修から左越3ラン ※史上66人目
- 1000安打:1983年9月17日、対西武ライオンズ23回戦(西武ライオンズ球場)、7回表に東尾修から中前安打 ※史上129人目
- 200本塁打:1984年7月19日、対近鉄バファローズ21回戦(平和台球場)、3回裏に小野和義から左越2ラン ※史上44人目
- 1000試合出場:1985年6月15日、対阪急ブレーブス11回戦(松江市営野球場)、3番・指名打者として先発出場 ※史上255人目
- 250本塁打:1986年6月14日、対南海ホークス11回戦(大阪球場)、5回表に井上祐二から中越ソロ ※史上25人目
- 1500安打:1987年5月15日、対日本ハムファイターズ7回戦(平和台球場)、3回裏に田中富生から右前安打 ※史上53人目
- NPBその他の記録
- 11試合連続打点(1977年5月8日 - 5月19日)※パ・リーグ記録
- オールスターゲーム出場:4回 (1977年、1979年 - 1981年)
- 最高出塁率無しでの通算出塁率.3818 ※4000打数以上では歴代最高
背番号
[編集]- 37 (1969年 - 1971年途中)
- 24 (1971年途中 - 1973年)
- 22 (1974年 - 1975年途中)
- 9 (1975年途中 - 1976年)
- 5 (1977年 - 1987年)
関連情報
[編集]歌
[編集]- 「ベースボール・ブギー」(弟のレオン・リーと共演、リー・ブラザース名義)
脚注
[編集]- ^ “San Diego Padres at New York Mets Box Score, July 4, 1972”. Baseball-Reference. 2021年8月17日閲覧。
- ^ レロン・リー&レオン・リー【前編】史上最強の“兄弟助っ人”/プロ野球1980年代の名選手
- ^ “最強助っ人レロン・リーが語る落合博満“40年来ずっと忘れられない姿”「勝者は嫌われがち」「私がいなければ打点王は無理だったでしょ(笑)」。”. Sports Graphic Number. (2022年3月9日)
- ^ 美樹・リー『リー、思いっきり愛―不思議の国の四番バッター』河出書房新社、1989年
- ^ 【2月7日】1988年(昭63) ロッテの“狂犬”、棲み家は金100万円ナリ
- ^ 千葉ロッテマリーンズ イベント 2013年8月28日配信 レジェンド・シリーズ始球式に村田兆治氏、レロン・リー氏、有藤通世氏が登場!!
- ^ 『サンケイスポーツ』 2013.8.31 20:27 元ロッテのレロン・リー氏が始球式に登場
- ^ <ロ・日>始球式で打席に立つレロン・リー氏
- ^ レロン・リー氏、野村克也氏、門田博光氏などが登場!レジェンド・シリーズ 2013 始球式
- ^ レロン・リー 若松、落合、小笠原も届かなかった高い壁 - スポニチアネックス 2018年5月4日配信記事。配信前日、青木宣親(ヤクルト)がNPBで4000打数に到達し、リーの打率を上回った(落合博満、小笠原道大に続き3人目)。しかし2021年10月24日にリーの打率を下回った。
- ^ 「左キラー」永射保さん、63歳で死去…西武などで活躍
- ^ 【千葉ロッテレジェンドシリーズ】レロン・リー トークショー
- ^ 爆報!THE フライデー あのスターは今…緊急大追跡2時間SP
関連項目
[編集]- カリフォルニア州出身の人物一覧
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 L
- 北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
- 10セント・ビア・ナイト - インディアンス時代に選手として出場していた。
外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 L.リー - NPB.jp 日本野球機構