ピーター・バラカン

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ピーター・バラカン

Peter Barakan
生誕 (1951-08-20) 1951年8月20日(72歳)
イギリスの旗 イギリス ロンドン[1]
出身校 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院
職業 ラジオDJ
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ピーター・バラカン(Peter Barakan、1951年[1]8月20日 - )は、ラジオDJ。元エフエムインターウェーブ執行役員(2012年-2014年)[1]イギリス出身[1]。自らは肩書きを「ブロードキャスター」で、音楽愛好家としている。

音楽の専門は、ブルース、ソウル、ロック、ニュー・オーリンズ、アフリカ、レゲエ、カントリーなど多方面にわたる。

来歴

音楽業界以前

1951年、ロンドンユダヤ系ポーランド人の父と、イギリス人ミャンマー人を両親に持つ母の間に生まれる。大学卒業までロンドン在住[1]1962年、デビューしたビートルズに強い影響を受ける。11歳から学校でラテン語古代ギリシア語を学び、高校まで語学に関心を持ち続ける。大学進学にあたり日本語を選んだのは、ミャンマーで日本軍兵士と接触していた母が平仮名を読めたことがきっかけだった。日本語学科があるイギリスの4大学のうち、男子寮への入寮義務がなかったロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)を選択する。

音楽業界以後

同大学卒業後、レコード店員(のち店長)として働いていたとき、英語の母語話者を求める音楽出版社シンコー・ミュージックの求人に応じて1974年に来日。同社国際部で、英米の会社に向けてビジネスレターを書く仕事を担当。東京都武蔵野市吉祥寺に住み、仕事は10時から18時までであった。

6年後、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のマネジメント事務所、ヨロシタ・ミュージックに転職し、YMOの国外コーディネートや楽曲の英補作詞を担当した。きっかけは、日頃通っていた吉祥寺のレコード店で知人に「知り合いがロンドンでアルバムを作るので英語の作詞を手伝ってくれる人を探している」と誘われたことであり、そのアルバムとは坂本龍一の『B-2ユニット』であった。

1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』に出演した坂本に付き従い南クック諸島ラロトンガ島へ同行した。その際に、小さな島故に島内の酒場で共演者のデヴィッド・ボウイに遭遇する事もしばしばで、ある時彼が聴いていたカセットテープの曲はコースターズだったという[2]

その後独立し、ポピュラー音楽に関する豊富な知識と物腰柔らかく温和で第二言語として流暢な日本語を生かし、放送業界にも進出。TBSテレビ「ポッパーズMTV」をはじめ、NHK-FM「ウィークエンドサンシャイン」、InterFM「BARAKAN BEAT」などテレビ・ラジオの音楽番組のパーソナリティを数多くつとめてきた。決してメジャーではなくとも、良質な音楽を現在も多数紹介し続けている。好きなアーティストはヴァン・モリソンリトル・フィートザ・バンドグレイトフル・デッドオールマン・ブラザーズ・バンドフェアポート・コンヴェンションなど。ブルース、ニューオーリンズ、アフリカのアーティストも好んで紹介している。

NHK-BS『Begin Japanology』では、英語で日本文化を紹介している。その一方で、米国CBSの報道番組を紹介するTBS『CBSドキュメント』において、1988年の番組開始から20年近く司会をつとめた。時のホワイトハウスにも厳しいコメントを投げかけるなど社会派の一面を持つ。

2007年12月8日、クエーカーのキリスト友会東京月会(港区)で行われた音楽と平和をテーマとしたトークショーの準備中に、男から催涙スプレーを吹きかけられる被害にあった[3]

「日本の音楽で一番好きなものは?」という質問には、大滝詠一のアルバム『LET'S ONDO AGAIN』と答えている。そのレコードを大笑いしながら聞いていると、妻に呆れられたという。中でも、布谷文夫が歌う「呆阿怒哀声音頭」(レイ・チャールズの「What'd I Say」のパロディ)の歌詞を解読できた時の爆笑は特に印象に残っているとのこと[4][5]

2012年9月14日から2014年6月30日まで、InterFMの執行役員を務めた[6][7]。ラジオに魔法をかけた100曲リストを発表し、「ラジオに魔法を取り戻す」キャンペーンなどを展開した。[8]

2013年、第50回ギャラクシー賞 DJパーソナリティー賞を受賞した。[9]

家族

妻は翻訳家の吉田真弓。弟のマイケルはショーン・フォンテインの芸名で、ブルース・スプリングスティーンブライアン・アダムスジョニー・アリディクリス・ボッティなどの著名なミュージシャンのレコーディングやツアーに参加した経験があるギタリストであり、また彼は1996年から2000年までママス&パパスの元メンバー、ジョン・フィリップスの娘で、ウィルソン・フィリップスの元メンバーのチャイナ・フィリップスの異母姉である女優のマッケンジー・フィリップスと結婚していた。

出演

現在の出演番組

ラジオ
テレビ

過去の主な出演番組

ラジオ
  • サウンドコネクション・ロッカダムIII(FM東京1981年 襟川クロと共演。初のDJ出演とみられる。
  • スタジオ・テクノポリス27(FM東京) 1982年6月-1984年3月 矢野顕子と共演。[12]
  • 全英ポップス情報(NHK-FM鈴木さえ子と共に 1986年4月-1987年3月
  • ロンドン発ピーターバラカン!(NHK-FM) 1987年4月-1989年
  • Bay City Blues ベイ・シティ・ブルーズ(bayFM)1989年10月-1996年3月
  • 特集・ビートルズの歴史 1962-1970 (9回シリーズ) (NHK-FM) 1992年12月1週-2週目
  • DJショー(NHK-FM)1994年4月-1997年3月 毎週土曜日9:00-10:50[13]
  • BBCロック・ライブ (NHK-FM) 1997年4月-1999年3月 毎週金曜日0:00-0:59[14]
  • ピーター・バラカンのミュージック・トリップ (NHK-FM) 1997年9月15日、23日
  • NHK-FM 30周年記念番組 好本恵岩田由記夫ゴンチチ尾臺順子と共に 1999年3月22日
  • 今日は一日DJサミット三昧(NHK-FM) 児山紀芳と共に 2008年5月3日
  • ストリームTBSラジオ) サウンドパティスリー 毎月1回 木曜日 15:00
  • その時ビートが生まれた(全国各地CFMなど) 毎週木曜日 1:00-2:00
  • BARAKAN MORNING(InterFM) 毎週月-木曜日 7:00-10:00、2013年4月-2014年9月[15]
  • Bob Dylan’s Theme Time Radio Hour (InterFM) 毎週月曜日 0:00-1:15 2013年4月4日-[16] ※日本語解説とディランの曲の選曲を担当
テレビ
広告(テレビCMなど)

作詞

書籍

脚注

  1. ^ a b c d e “私の先生 ピーター・バラカンさん ブロードキャスター”. 読売新聞 朝刊 (読売新聞社): pp. 16面. (2013年2月28日) 
  2. ^ NHK-FM「ウィークエンドサンシャイン」2012年9月29日放送回
  3. ^ Peter Barakan氏よりコメントOTONaMazu
  4. ^ アルバム「LET'S ONDO AGAIN」のライナーノーツ「LET'S ONDO AGAINの再発に寄せて」より
  5. ^ 2009年4月1日16時05分、ラジオ第1『ラジオ井戸端会議・セレクション『英語とどう付き合いますか?』』出演時にコメント
  6. ^ 【InterFM】「インターFM 執行役員にピーター・バラカンが就任」
  7. ^ 本人Facebook 7月6日付
  8. ^ Do You Believe in Magic _ ピーター・バラカン選曲!ラジオに魔法をかけた100曲 interfm.co.jp
  9. ^ 第50回ギャラクシー賞受賞作品
  10. ^ 1996年にInterFMで放送開始して以来、終了と復活を繰り返している。2014年10月から現在の時間。
  11. ^ 元は日本国外向けに放送される英語番組で、日本向けの日本語訳(副音声・ステレオ2)は吹き替えが行われるが、バラカン本人が吹き込んでいるのではない。
  12. ^ 2013年8月にInterFMで一夜限りの復活を果たした。その後「スタジオテクノポリス24/21」として、不定期で放送されている。
  13. ^ 前身は「大学対抗DJショー」。1993年1月15日と1994年1月15日の2回放送。当初バラカンは審査員やゲストとしての参加。メイン・パーソナリティ担当は95年4月以降。
  14. ^ 前身は「伝説のロック・ライブ」。1996年8月、11月、97年1月に放送。年末特集なども放送された。
  15. ^ 2009年10月〜2012年3月にも放送されていた。この時期の放送時間は毎週月-金曜日(木曜日は生出演せず、事前収録コーナーのみの出演)
  16. ^ 開始当初は毎週木曜日 20:00-21:15、2014年4月からは毎週日曜日 22:00-23:15、同年10月から日曜深夜の放送時間に変更。
  17. ^ 1989年の新潮社版を全面的に改訂増補した新版

関連項目

外部リンク