ハイン・S・ニョール
ハイン・S・ンゴー Haing S. Ngor | |||||||||||||||||
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生年月日 | 1940年4月22日 | ||||||||||||||||
没年月日 | 1996年2月25日(55歳没) | ||||||||||||||||
出生地 | プノンペン | ||||||||||||||||
死没地 | ロサンゼルス | ||||||||||||||||
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ハイン・S・ンゴー(Haing S. Ngor, 中国名:吳漢潤、1940年3月22日 - 1996年2月25日)は、カンボジア・プノンペン出身の産婦人科医、俳優。潮州系の父とクメール人の母を持つ中国系カンボジア人。日本ではニョールという読みで一般的に知られるが、これは本来の姓をフランス語風に読んだものである。
略歴
ニョールはカンボジアで産婦人科医、また軍医として働いていた。しかし1975年にクメール・ルージュに捕らえられ、4年余りの間、強制労働と拷問に耐える生活を強いられた[1]。処刑を逃れるため、医者であることと教育を受けたことを隠さなければならなかった。またその間に、妻と子供を早産で亡くしている(処刑された可能性もあり)[2]。
1979年にクメール・ルージュの元からタイに脱出、1980年に難民としてアメリカ合衆国に移住する[3]。
その後、カンボジア内戦に関する映画を制作中のキャスティング・ディレクターに見出され、1984年に『キリング・フィールド』に出演。カンボジア人の通訳兼ガイドのディス・プランを演じ、それまで演技経験がなかったにもかかわらずアカデミー助演男優賞[4]、ゴールデングローブ賞助演男優賞[5]、英国アカデミー賞主演男優賞を受賞した。
回想記に『キリング・フィールドからの生還 わがカンボジア〈殺戮の地〉』(ロジャー・ワーナー共著、吉岡晶子訳、光文社 1990年)がある。
その後も映画に出演したり、人権活動などに携わっていたが、1996年にロサンゼルスの自宅近くで強盗により射殺され、55年11ヶ月あまりの生涯を閉じた。
主な出演作品
- キリング・フィールド The Killing Fields (1984)
- イースタン・コンドル 東方禿鷹 (1987)
- アイアン・トライアングル The Iron Triangle (1989)
- ザ・コミッシュ The Commish (1991)
- 天と地 Heaven & Earth (1993)
- マイ・ライフ My Life (1993)
参照
- ^ “Ngor, Haing S.”. Encyclopædia Britannica 2007年10月6日閲覧。
- ^ “Court Revives Convictions in Murder of ‘Killing Fields’ Survivor”. Metropolitan News. (2005年7月8日)
- ^ “Biography”. Dr. Haing S. Ngor Foundation 2007年10月6日閲覧。
- ^ “Haing S. Ngor winning Best Supporting Actor”. Oscars. 2020年12月15日閲覧。
- ^ “Dr. Haing S. Ngor Wins Best Supporting Actor Motion Picture - Golden Globes 1985”. AwardsShowNetwork. 2020年12月16日閲覧。
関連項目
- ハロルド・ラッセル - 同じくそれ以前の演技経験が無かったにも関わらず、『我等の生涯の最良の年』(1946年)でアカデミー助演男優賞を受賞。