ミッシェル・ポルナレフ
| Michel Polnareff ミッシェル・ポルナレフ |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Michel Polnareff |
| 出生 | 1944年7月3日(68歳) |
| 学歴 | コンセルバトワール(パリ音楽院) |
| 出身地 | |
| ジャンル | フレンチ・ポップス ポピュラーミュージック ロック |
| 職業 | シンガーソングライター コンポーザー |
| 担当楽器 | キーボード、ピアノ、ギター |
| 活動期間 | 1966年(シンガーソングライター) (コンポーザー)- |
| レーベル | CBS SONY、東芝EMI ユニバーサルミュージック |
| 共同作業者 | ジミー・ペイジ、キース・レイド |
| 公式サイト | polnaweb |
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )はフランスの男性ポップス・シンガーソングライター、コンポーザー。フランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身。 フランスでは国民的歌手としての人気があり、日本でも「シェリーに口づけ」、「愛の休日」などのヒット曲で知られている。
名前の発音はフランス語では「ミシェル」に近いが、日本では長年「ミッシェル」と呼び慣わされているために項目名はこれに倣う。
目次 |
来歴 [編集]
7月3日、第二次世界大戦の最中、両親の疎開先だった南仏のネラックで生まれる。父親のレイブ・ポルナレフ(Leib Polnareff, ロシア語表記は Лейб Польнарев, 1899-1975)はウクライナ南西部のオデッサ(旧ロシア)出身のユダヤ系ウクライナ人の音楽家で、『レオ・ポル』という変名で、エディット・ピアフやイヴ・モンタンに楽曲提供していた作曲家でジャズピアニストだった。母親のシモーヌ・ラーヌはフランス人のダンサーだった。
幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックなクラシックの音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通い、クラスで1番の成績を修めていた。しかし、その後にエルヴィス・プレスリーからロックンロールを知り、クラシック音楽への情熱を次第に失っていく。
7ヶ月の兵役を勤めた後、保険会社に就職する。クラシック音楽の道への復帰を強要する両親と仲違いし、ギターを手に家出を決行。ヨーロッパ放浪の旅の末、パリに戻る。有名なレコード会社「Disc'AZ」およびラジオ局「Europe 1」のディレクターであるルシアン・モーリス(1970年9月11日に逝去し、ポルナレフは後の曲「愛のコレクション」に「ルシアン・モーリスに捧ぐ」という副題を付けている)に出会い、レコード・デビューに至る。
5月、4曲入りEP「ノンノン人形(La poupée qui fait non)」がDisc'AZより発売されてデビュー。ベースは後にレッド・ツェッペリンのメンバーとなるジョン・ポール・ジョーンズが担当した。続くEP「愛の願い(Love me, please love me)」も大ヒットし、一躍スターダムに上り詰める。10月、日本でのレコードのリリースが決定し、テイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売される。11月にはフランスでファースト・アルバムを発表。そのアルバムでは、後にレッド・ツェッペリンのギタリストとなるジミー・ペイジが参加し、英語の作詞でプロコル・ハルムのキース・レイドが参加している。レコーディングにおけるバック・ミュージシャンをイギリスのユニオン(音楽家組合)に依頼したところ、ジミー・ペイジが紹介されたと言われている。当時は旧来のシャンソンと区別するため、フレンチ・ポップスと呼ばれた。
フランス映画「Erotissimo」でポルナレフ作曲の「La femme faux-cils」が使用されている。(作詞はジャン=ルー・ダバディ、歌は主演の アニー・ジラルド)
8月に日本ではCBSソニー(レーベルはその前月に発足されたばかりのエピック)よりシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)(c/w 初めての愛)」と、同曲を追加収録したファースト・アルバム『愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ 1』が発売される。それまで、テイチク、日本コロムビアからシングル、アルバムが発売されていたが、日本での人気はこの時に火が付き、「シェリーに口づけ」がラジオ・チャートでトップ入りし、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなったことで、実質的にはこの時点が日本でのデビューとされている。
10月、シングル「愛の願い (c/w 君の幸福と僕の後悔)」、フランス盤と同内容(但し、ジャケットのデザインは異なる)のセカンド・アルバム『フレンチ・ポップスのスーパースター/ ミッシェル・ポルナレフ 2』をリリースした。当時の日本でのキャッチフレーズは「ロックとロマンの出逢い」であった。
フランスのコメディ映画「大乱戦」の音楽を担当。サントラ盤のLPがフランスで発売された。主演はかつてポルナレフの父親が曲を提供したこともある歌手・俳優のイヴ・モンタン。
フランスでは、シングル「愛の休日」が大ヒット。「哀しみの終わるとき」(同名映画のテーマ曲)、「愛のコレクション」、「渚の想い出」のシングルも続いて発売された。日本では、サード・アルバム『ポルナレフの世界 / ポルナレフ3』と、それまでの3枚のアルバムに収録されなかったヒット曲をまとめた編集盤『ポルナレフ・ナウ』が発売された。また、日本ではシングル「哀しみの終わるとき (c/w カトリーヌの追憶)」、「愛のコレクション (c/w 神父様の結婚式)」、「渚の想い出 (c/w コンピュータの夢)」、「愛の休日 (c/w 愛の物語)」が発売された。
1月6日、ポルナレフのインタビューとライヴのシーンをメインとしたドキュメンタリー番組 "A Bout Portant" がフランスの公共テレビ局ORTFで放送された。後にこの映像は INA(フランス国立視聴覚研究所)からインターネットを通じて有料配信され、日本では「ミッシェル★ポルナレフ」のタイトルで1999年にビデオソフト(VHS版のみ)として発売されている。
10月6日から同月22日まで、パリ・オランピア劇場でのライブ「ポルナレボリューション」(Polnarévolution = Polnareff + Révolution の造語)が開催されたが、公演に先立つ宣伝用ポスターはポルナレフ自身の臀部を露出した写真が使用され、それがパリの街中に貼り出された。この行為がフランス当局より「公序を乱した」としてポルナレフが逮捕され、フランス国内各紙一面に「ポルナレフ逮捕される」の記事が掲載され、大きなセンセーションを巻き起こした。ポルナレフはこの件の裁判で罰金360万フランの求刑がなされたが、判決では、ポスター1枚あたり10フラン、合計で罰金6,000フランの支払が課せられた。
この時のオランピア劇場でのライヴ録音盤が、後に「熱狂のオランピア (原題:Polnarévolution)」のタイトルで発売されている。
また、フランスの人気ロック歌手・ジョニー・アリディ出演のドキュメンタリー映画『ジョニー・オン・ステージ』にピアニストとしてサプライズ・ゲスト出演する。撮影は1971年10月、パリのパレ・デ・スポール。
シングル「愛の休日」は日本でも大ヒットし(「シェリーに口づけ」を超える彼の最大のヒットとなった)、11月に初の来日公演が実現した。大掛かりな照明装置を駆使し、聴覚だけでなく視覚をも刺激する派手なステージ演出に、会場が興奮の坩堝と化するほど大成功した。バック・バンドはフランスのロック・バンド、ディナスティ・クリジス(Dynastie Crisis)。東京公演を録音したライヴ盤「ポルナレフ・ア・トーキョー(発売時邦題)」が翌年になって日本でのみ発売されている。この日本での大人気に乗じて、翌年に予定されている次作アルバムについて日本先行発売をする計画が発表された。
4月、再びオランピア劇場でのコンサート「ポルナレーヴ」(Polnarêve = Polnareff + Rêve の造語で、Rêve はフランス語で「夢」の意味)を開催。3週間にわたる最終ステージで、フランスとの訣別宣言をする。
前年のオランピア劇場でのコンサートの臀部露出ポスターをエスカレートさせ、今回はオールヌードで股間を帽子で隠している写真が公開され、日・仏で話題となる。この写真は後に、日本編集アルバム「ポルナコレクション」のジャケットに使用されている。
6月、2度目の来日公演を開催。東京でのライヴの模様が90分の特別番組「ミッシェル・ポルナレフ / ロックンロール熱狂のライブステージ」として東京12チャンネルで同月17日に放送された。オープニングの「ラース家の舞踏会」の奇抜なライト・ショーから始まり、アンコールではステージ上に観客を上げて、"Be-Bop-A-Lula", "What'd I Say" などのロックン・ロールのスタンダード・ナンバーを歌う姿まで放送され、ライヴでのポルナレフの姿を見せる貴重な映像となっている。また、NHKの番組『世界の音楽』にも出演し(同月7日にスタジオ収録。17日に放送され、後日に再放送あり)、「シェリーに口づけ」、「忘れじのグロ-リア」、「愛のコレクション」など数曲の演奏を披露している。但し、「シェリーに口づけ」などの一部はレコード音源によるリップシンクであった。後年、NHK教育テレビの『たのしいフランス語』でこの映像の一部が数度放送されている。バック・バンドは初回の訪日公演と同じく、ディナスティ・クリジスが担当。
7月20日、日本先行発売の予定である次作アルバム『ポルナレフ革命』(原題は Polnarévolution ではなく Polnarêve)のマスターテープ・コピーをパリから日本へ空輸する際、ハイジャック事件が発生する。ハイジャック犯によって飛行機は爆破され、テープが焼失してしまう(「ドバイ日航機ハイジャック事件」を参照)。この為、日本での『ポルナレフ革命』の発売が遅れる事態となった。因みに、『ポルナレフ革命』は日本側(エピック)で独自にジャケット制作し、日本側の担当ディレクターによって曲順が決められた為、日本盤と翌年に『Polnarêve』としてリリースされたフランス盤は内容が異なる。
その後、アメリカ合衆国・ロサンゼルスへ移住し、本格的なアメリカ・デビューを目指したが、本国フランスとロサンゼルスでの生活習慣のギャップ、税金問題(ポルナレフのフランスでの資産の監査の過程で税務担当者による横領が発覚し、数年間の納税未納が明らかになり、500万フランの脱税容疑がかけられ、帰国すれば即時逮捕と言われていた)でノイローゼ気味となり、自律神経失調症を患う。
日本では、シングル「忘れじのグローリア (c/w ジョブ)」、「火の玉ロック (c/w トランペット)」、「愛の伝説 (c/w ロージーからの手紙)」が発売された。「火の玉ロック」は前年の東京公演のライブ・レコーディング盤「ポルナレフ・ア・トーキョー」からのシングル・カットで、かつてジェリー・リー・ルイスがヒットさせたロックン・ロールのスタンダード・ナンバーである。「愛の伝説」はアルバム『ポルナレフ革命』からの先行発売。
また、前年の「愛の休日」の大ヒットの影響で、フランスのシンガーであるアラン・シャンフォーが「第2のポルナレフ登場!」のキャッチフレーズで日本デビューを果たした。
日本ではアルバム『ポルナレフ革命』からのシングル・カットの「僕はロックンローラー (c/w ポルナレフ革命)」、「悲しみのロマンス (c/w ラース家の舞踏会 - ライヴ)」、「悲しきマリー (c/w 君の幸福と僕の悔恨)」が発売された。
3度目の来日公演が行なわれた。バック・バンドはイギリスのプログレ・バンド、ウォーリー(Wally)。
アメリカで録音された全曲英語で歌われている新作アルバム「ポルナレフ U.S.A.(原題:Michel Polnareff / Fame A La Mode)」が発売された。日本では同アルバムより「青春の傷あと (c/w 僕のレディーブルー)」がシングル・カットされて発売されている。
日本の沢田研二がフランスに進出して、「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」(「巴里にひとり」のフランス語ヴァージョン)をラジオチャートで最高位4位を記録するほどヒットさせた。この時、フランスのメディアは、沢田を「日本のポルナレフ」と紹介している。
税金問題(前述)でフランスの地を踏めない状況にあった為に、10月26日にフランスの隣国のベルギーにて大規模なコンサートを行なうことが発表された。フランスのラジオ局RTLによって、フランスから特別列車で会場(ブリュッセルのフォレスト・ナショナル)近辺まで行ける企画がなされ、多くのフランスのファンがコンサートにやってきた(チケット総数14,000枚の半分の発売はフランスでされた)。会場への機材の到着が遅れ、開演が3時間遅れというトラブルもあったが、このコンサートは大成功に終わる。この日を最後に、ポルナレフは1979年までコンサート活動を行っていない。
また、翌日の10月27に、ポルナレフはベルギーのテレビ局 "ラジオ・テレビジョン・ルクセンブルク" でスタジオ・ライヴを行い、この映像はベルギーとフランスで(翌年に日本でもNHKが「世界のワンマンショー」という番組で)放送されている。バック・バンドのメンバーには、セッションマンとして著名なリーランド・スカラー(ベース)、マイク・ベアード(ドラム)、当時はまだ共に無名に等しかったリー・リトナー(ギター)とデビッド・フォスター(キーボード)の姿も見られる。
アメリカ映画「リップスティック」の音楽を担当。サントラ盤のLPが発売された。日本ではポルナレフの写真が使われたジャケットに変更されていた。アレンジャーとしてポルナレフの他にデビッド・フォスターが参加。
日本でシングル「哀しみのエトランゼ (c/w 僕のマドモアゼル)」を発売。
共演アルバムを作りたいと喜多郎に要請する。しかし、喜多郎のスケジュールが合わずに実現しなかった。
10月6日、税金問題(前述)の裁判で、責任はポルナレフにはなく、実務担当者の男にあると認められ、その男が税の支払いの義務を負うことになった。ポルナレフは5年ぶりの帰国をし、直後にロサンゼルスに帰った。
アルバム「美しきロマンの復活」を発売。日本ではシングル「愛のシンフォニー (c/w 美しき帰還)」、「天使の遺言 (c/w マジックマン)」を発売。「愛のシンフォニー」でベースを弾いているのはジャコ・パストリアスである。
4回目の来日コンサート・ツアーが行われる。
アルバム「シャボンの中の青い恋 (原題: Bulles)」が発売されるが、日本ではシングル盤は発売されなかった。しかし、このアルバムはフランスでは80万枚を売り上げ、本国での人気の証となった。
いくつか発表されたアルバムも大きな話題にならず、それらのアルバムは日本盤で発売されない状態になり、音沙汰がなくなる。
テレビ朝日で娯楽番組『タモリ倶楽部』が開始され、番組中のミニ・ドラマ・コーナー「愛のさざなみ」(主演はタモリと中村れい子)のテーマ曲に「哀しみの終わるとき」が起用された。 トヨタ・ビスタ のコマーシャルに「シェリーに口づけ」が使用され、同曲のシングルがジャケットを換えて再発売された。
ジェーン・バーキン主演の映画「アニエスv.によるジェーンb.(原題:Jane B. par Agnès V.)」にポルナレフの曲「愛の願い」が使用された。
この頃から約2年半に渡り、引きこもり状態となり、スイスとの国境に近いフランスの田舎町のマノワール(小規模ホテル)で隠遁生活を送る。後にパリのホテル、ロワイヤル・モンソーに転居。この間に次作アルバムの構想ができたと言われている。
アルバム「カーマスートラ」発売。
フランスのテレビ局M6の番組 "Nouba" で、ポルナレフのインタビュー特集が放送された。帽子をかぶって椅子に座り、暗い部屋の中で過去の映像をテレビモニターで見ながらインタビューに答えるポルナレフの姿は、全編に渡って、背後からの映像のみであり、喋る声質も以前と違っている為に、「本人ではないのでは?」、「何かポルナレフにあったのか?」など様々な憶測が生じた。
1980年代末の隠遁生活の頃から患っていた両目の白内障の症状が進行し、視力がほぼ喪失した失明寸前状態になる。目の手術で水晶体が除去され、人工的に作られた眼内レンズを埋め込まれて、手術は成功した。
その後、ポルナレフはロサンゼルスに戻り、再度、ロサンゼルスでの生活を始めた。
ロサンゼルスのウェスト・ハリウッドにあるナイト・クラブ「ロキシー・シアター」でコンサートを行う。この公演はライヴ録音され、翌年に "Live at the Roxy" のタイトルでCDが発売される。
CD "Live at the Roxy" の発売前に、1時間のドキュメンタリー番組「A La Recherche de Polnareff(ポルナレフを探して)」が放映される。また、カリフォルニア砂漠の中でピアノで弾き語りをする姿を撮影したプロモーションフィルム「Polnareff dans la Désert」が制作され、公開されている。
パルプ、セント・エティエンヌ、リリキューブ、日本からはピチカート・ファイヴが参加したトリビュート盤が東芝EMIより発売される。ポルナレフ自身のシングル「Je rêve d'un monde (When I'm In Love)(僕は一つの世界を夢見る)」が久々に発表された。
カナダ映画「Histoires d'hiver」にポルナレフの曲「愛の願い」が使用された。
「シェリーに口づけ」が日本移動通信(現在のau)のCMで使用されるようになったのをきっかけに、日本でポルナレフが再注目される。ポルナレフの日本国内盤は長い間、版権の関係で廃盤となっており、それまでは1999年に『ポルナレフ革命』が再発された以外、日本国内盤のCDは存在していなかったが[1]、権利問題をクリアした上でユニバーサルミュージックK.K.からベストアルバムが再発売された。
韓国のテレビ局KBSが制作・放送したドラマ「冬のソナタ」の劇中にて、ポルナレフの曲「愛のコレクション」のピアノ演奏によるもの(演奏者不明)が使用されている。ただし、日本でのテレビ放送時は権利関係の問題から音楽は他の曲に差し替えられていた。
この年に小惑星帯の中に発見された小惑星の1つに、ポルナレフの名前にちなんで「99824 ポルナレフ」という名称が付けられた。
映画「ドリーマーズ」が公開された。この映画は1968年の五月革命前夜のパリを舞台にしたストーリーで、カフェのシーンでは当時に大ヒットしていた「愛の願い」がBGMとして使用されている。(サウンドトラック盤にも収録)
日本のテレビ・ドラマ「WATER BOYS」で「シェリーに口づけ」か使用されている。(サウンドトラック盤にも収録)
韓国のテレビ局KBSが制作・放送したドラマ「Sorry, I love You (原題:미안하다, 사랑한다)」で「愛のコレクション」、「哀しみの終わるとき」などのポルナレフの曲がいくつか使用され、韓国国内で話題となる。日本でテレビ放送された時の邦題は「ごめん、愛してる」。
また、フランスのコメディ映画「Podium (邦題:スターは俺だ!)」が公開され、ジャン・ポール・ルーヴ(Jean-Paul Rouve)が演じるポルナレフのそっくりさんの登場が話題となった。彼の登場のシーンでは「哀しみのエトランゼ」の冒頭部分や、「ラース家の舞踏会」のイントロのみなどが使用されている。
11月22日、90分のドキュメンタリー番組 "Michel Polnareff Dévoilé" がフランスのテレビ局フランス3で放送された。(翌年12月18日に再放送あり)
「シェリーに口づけ」が本田技研工業「ゼスト」のCMに起用され、同曲がシルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」などとともに、日本でもよく知られたフレンチ・ポップスのスタンダード・ナンバーとなっている。
12月、フランスでシングル「Ophélie Flagrant des Lits」発売。日本でも翌年この新曲を収録したベストアルバムの発売が予告されたが、発売中止となった。
3月2日、本国フランスでは34年ぶりとなるコンサートツアーをパリから開始。バック・バンドにはトニー・マカパイン(ギター)、バニー・ブルネル(ベース)、ヴァージル・ドナーチ(ドラム)らのフュージョン・バンド「CAB」のメンバーが参加。
アメリカ映画「Crazy Love」にてポルナレフの曲「バラ色の心」のオーケストラ演奏されたものが使用された。
2007年のツアー時のバック・バンドのメンバーたちのバンド「CAB」のアルバム「Théâtre De Marionnettes」に1曲のみピアノで参加。
8年前から交際中であった恋人のダニエラ(Danyellah)が12月28日に男児を出産し、ポルナレフが一児の父となったことが公表された。ポルナレフ66歳、ダニエラ27歳のカップルが話題になり、ポルナレフと妊婦姿のダニエラのツーショット写真がマスコミに公開された。男児はヴォロディア(Volodia)と名づけられた。ヴォロディアの名前の由来は、ポルナレフの父親の祖国・ウクライナでの一般的な男性の名であるウラジミール(Vladimir)の愛称である。
2月21日、昨年末に生まれた男児の父親はポルナレフではなかったことが、ポルナレフ自身によってフェースブックおよびツイッターで発表された。ポルナレフによると、
「私の子供ではなかったことを告げなければならないのは非常に悲しい。何回も私が子供のDNA検査を主張したところ、ダニエラは真実を告白し、それは検査でも確認された。」
とのこと。ダニエラはポルナレフに真実を告白した後に、男児と共に失踪している。
11月7日、今までにポルナレフが担当した映画音楽を集めたアルバム”Le Cinéma de Polnareff”が発売された。
5月7日、本人公認の写真集 "Le Polnabook" がフランスで発売された。
人物 [編集]
- 潔癖症の持ち主。1972年の訪日時、「東京は空気が汚い。酸素ボンベを用意しろ。」と言い放ち、それを聞いた日本側スタッフは大慌てで深夜の東京を徘徊して酸素ボンベを入手した。翌年の来日時に宿泊したホテルの一室での浴衣を着て酸素ボンベを傍らに置いているポルナレフの写真がコンピレーション・アルバムに使用されている。
- カールしたロングへアーと大きなサングラスがトレードマークになっている。彼の瞳がこちらからは見えないほどの色の濃いサングラスをかけているのは、彼の目の障害が原因とされている。
- ポルナレフ曰く、「フランスと日本ではウケる曲が全く違っているのがおもしろいねぇ。」日本で大ヒットした「シェリーに口づけ」は本国フランスではアルバム未収録で、シングルB面として世に出ていた曲である。また、フランスで大ヒットして彼の代表曲となっている「天国への道 (On ira tous au Paradis)」、「僕は男なんだよ (Je suis un homme)」などは日本ではシングルとして発売されていない。セカンド・アルバムはフランスで名誉な賞を受賞するほど大ヒットし、シングル・カットされてヒット曲となった数曲が収録されているが、日本ではこのアルバムからシングルA面としてシングル・カットされた曲はない。
- 「哀しみの終わるとき」、「渚の想い出」、「愛の休日」、「哀しみのエトランゼ」などの作詞は、フランスで最も有名な作詞家であるジャン=ルー・ダバディの作品である。なお、子息にあたるフロラン・ダバディは、サッカー日本代表監督だったフィリップ・トルシエのアシスタント、通訳を務めたことから、日本でも広く知られている。
- 「君との愛がすべて」の歌詞中には、当時のフランスではタブーとされていた単語が含まれていたことが問題視され、猥褻・過激・下品という理由でポルノとして扱われ、放送禁止に指定されている。後に、「午後10時までは放送してはいけない」と規制は緩和された。
- アルバム『カーマ・スートラ』では、マイク・オールドフィールドがギターを弾いているが、ポルナレフとは顔を合わせたことはない。レコーディングに参加していたベースのフィル・スパルディングが以前にマイクのバンドに参加した関係から、ポルナレフ不在のスタジオにマイクを連れてきて、冗談で収録したパートがそのまま使用された。
- 電子楽器などのテクノロジーにも深く興味を持ち、シンセサイザーやメロトロンをフランスではいち早くレコーディングに導入していた。(「シェリーに口づけ」の後半の変調した直後の2小節の間奏はメロトロンの音によるもの)
- ピアノの演奏は正規に教育を受けて習得したものであるが、ギターは独学である。ギターはアコースティックの12弦ギターを好んで使用している。「ノンノン人形」のプロモーション・フィルムや、来日公演時の「愛の休日」ではアコースティックの12弦ギターを弾いている。サード・アルバム「ポルナレフの世界」のジャケットはフェンダー社の6弦のアコースティック・ギターを弾く姿である。ほとんどエレクトリック・ギターは使用しないが、2度目の来日時のNHKのテレビ番組出演時の「シェリーに口づけ」の演奏シーンでは(口パクであったが)、フェンダー社のストラトキャスター(ボディの色は白でローズウッド指板のネックのもの)を使用していた。その他にもいろいろと楽器をこなすことが知られており、サード・アルバムに収録されている曲「コンピュータの夢」では自らが全ての楽器を演奏しているとポルナレフ自身が語っている。
- 初来日時の新宿厚生年金会館でのステージでは、ポルナレフがピアノの上に乗って立ち上がったことから、ポルナレフに対しては「今後はピアノの貸し出しは一切しない」と会場側のブラック・リストに載った。
- ライブでの定番となっている曲が「トランペット」である。トランペットの音色を真似てポルナレフが歌う曲で、スタンダード・ナンバー「サマー・タイム」を元にした曲である。この曲の最後でポルナレフは毎度、マイクをステージの床に叩きつけてマイクを破壊するのがお馴染みで、その後の曲の歌唱の為の予備に、舞台の袖にシュア社の高額なマイクを数本用意している。愛用しているマイクはシュア社の SM58 である。
- 2000年代は、米国・カリフォルニア州のパーム・デザートに在住。日本から彼を訪ねてやってきた旅行者にフレンドリーに応対してくれるのが有名。
- 漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場するキャラクター、ジャン=ピエール・ポルナレフの名前の由来である。
訪日公演 [編集]
- 1972年
- 日本武道館(11月17、18日 ヤマハ第3回世界歌謡祭ゲスト出演)、東京郵便貯金会館(11月19日)、東京厚生年金会館 (11月20日)
- バック・バンドはフランスのディナスティ・クリジス。
- 11月20日の公演はライヴ・レコーディングされ、「ポルナレフ・ア・トキオ」のタイトルで日本でのみ発売されていた。アンコールにて「ジェニ・ジェニ」などのロックンロールのスタンダード・ナンバーを演奏し、ジェリー・リー・ルイスの曲「火の玉ロック」の演奏はライヴ盤からシングル・カットされている。
- 日本武道館でのディナスティ・クリジスの演奏は、後に彼らのアルバムに収録されている。
- 1973年
- 東京厚生年金会館(6月8〜11日)、ANYA SIHALI名古屋市民会館(6月12日)、大阪厚生年金会館(6月13日)、フェスティバルホール(6月15日)、福岡市民会館(6月16日)、広島郵便貯金ホール(6月18日)、京都会館(6月20日)、大阪厚生年金会館(6月21日)、静岡駿府会館 (6月22日)、東京厚生年金会館 (6月23日)
- バック・バンドはフランスのディナスティ・クリジス。
- 1975年
- 6月〜7月 福岡、大阪、静岡、東京、横浜、長野、名古屋、京都、倉敷、札幌、仙台。
- バック・バンドはイギリスのプログレ・バンド、ウォーリー(2枚のアルバムを発表している、1作目のプロデュースにはリック・ウェイクマンが参加。後に解散し、メンバー2人は死去。再結成後に更に2枚のアルバムを発表した)。
- 1979年
- 5月 7公演が予定されていたが中止・延期となる。(指の怪我が原因とされている)
- 8月〜9月 秋田、仙台、名古屋、東京、福岡、熊本、松山、高知、大阪、京都、札幌、金沢。
ディスコグラフィー [編集]
日本盤シングル [編集]
日本でのシングルのみを記す(フランス本国でのシングルとは大きく異なる)。
- 1971年 「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)」、「愛の願い」
- 1972年 「哀しみの終わるとき(Ça n'arrive qu'aux autres)」(同名映画「哀しみの終わるとき」の主題曲。B面はアルバム未収録曲で映画挿入曲であるピアノ・ソロ「カトリーヌの追憶」)、「愛のコレクション」、「渚の想い出」、「愛の休日」
- 1973年 「忘れじのグローリア(Gloria)」、「火の玉ロック」、「愛の伝説」
- 1974年 「僕はロックンローラー」、「悲しみのロマンス」、「悲しきマリー」、「大乱戦のテーマ(La Folie Des Grandeurs)」
- 1975年 「青春の傷あと」
- 1976年 「リップスティック(Lipstick)」(同名映画リップスティックのサウンドトラック盤)
- 1977年 「哀しみのエトランゼ」
- 1979年 「愛のシンフォニー」、「天使の遺言」
- 2000年 「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)」
日本盤アルバム [編集]
日本において発売されたアルバムを記す。
- 1971年 「愛と青春のトルバドゥール〜ポルナレフ1(Polnareff)」、「フレンチ・ポップスのスーパースター〜ポルナレフ2(Le Bal Des Laze)」
- 1972年 「ポルナレフの世界〜ポルナレフ3(Polnareff's)」、「ポルナレフ・ナウ〜ポルナレフ4」(日本編集盤)、「ゴールド・ディスク」(ベスト盤)
- 1973年 「ポルナレフ・ア・トーキョー(Polnareff A Tokio)」(日本でのみ発売のライブ盤)、「ポルナレフ革命(Polnarêve)」、「ギフトパック・シリーズ」(企画盤)
- 1974年 「大乱戦(La Folie Des Grandeurs)」(同名映画のサウンドトラック盤)、「熱狂のオランピア(Polnarévolution)」(ライブ盤)、「ポルナコレクション」(日本編集盤)
- 1975年 「ポルナレフU.S.A.(Michel Polnareff / Fame A La Mode)」(リー・リトナー参加。2001年発売のCDは「星空のステージ」に改題)
- 1976年 「リップスティック(Lipstick)」(同名映画のサウンドトラック盤)
- 1979年 「美しきロマンの復活(Coucou Me Revoilou)」
- 1981年 「シャボンの中の青い恋(Bulles)」
- 1985年 「アンコグニート(Incognito)」(日本盤は2001年にCDで初発)
- 1990年 「カーマ・スートラ(Kâma Sûtra)」(マイク・オールドフィールド、フィル・スパルディング参加)
- 1996年 「ライブ・アット・ザ・ロキシー(Live at the Roxy)」(日本盤は2000年に予告されるも発売中止)
- 2000年 「シェリーに口づけ〜ベスト・オブ・ミッシェル・ポルナレフ(La meilleur de michel polnareff)」(日本独自ベスト盤)
- 2001年 「羽根の生えた蛇の逆襲(La Vengeance du serpent à plumes)」(同名映画のサウンドトラック盤)
- 2004年 「ポルナレフ・ベスト(michel polnareff best)」(日本独自ベスト盤)
フランス盤アルバム [編集]
本国フランスにおいて発売されたアルバムを記す。
- 1966年 Michel Polnareff (Love Me Please Love Me)
- 1968年 Volume 2 (Le Bal des Laze)
- 1970年 Les Trois Mousquetaires
- 1971年 Polnareff's
- 1971年 La folie des grandeurs
- 1972年 Polnarévolution
- 1974年 Polnarêve (Michel Polnareff)
- 1975年 Fame à la mode
- 1976年 Lipstick
- 1978年 Coucou me revoilou
- 1981年 Bulles
- 1982年 Show télé 82 / Public
- 1984年 La vengeance du serpent à plumes
- 1985年 Incognito
- 1990年 Kâma-Sûtra
- 1996年 Live at the Roxy
- 2007年 Ze [re] tour 2007
注:1960年代から1970年代初期のフランスでは、4曲入りEP盤でのレコード販売が主流だった為に、ポルナレフの曲ではEP盤に収録されながらもアルバム未収録の曲が多数ある。彼のフランスでのデビュー曲「ノンノン人形」もEP盤だった。
参加作品 [編集]
- 2009年 CAB "Théâtre De Marionnettes" - 6曲目 "Just Do It" のみにピアノで参加。
音楽制作活動 [編集]
映画 [編集]
- 1970年 『L'indiscret』(フランソワ・レシャンバック監督のスイス映画)
- 1971年 『Ça n'arrive qu'aux autres (哀しみの終わるとき)』(ナディーヌ・トランティニャン監督のフランス映画)
- 1971年 『La Folie Des Grandeurs (大乱戦)』 (ジェラール・ウーリー監督のフランスのコメディ映画)
- 1974年 『Les trois mousquetaires (三銃士)』(ジョン・ハラスとフランコ・クリストファニ共同監督のアニメ映画)
- 1976年 『Lipstick (リップスティック)』(ラモント・ジョンソン監督のアメリカ映画)
- 1984年 『La vengeance du serpent à plumes』(ジェラール・ウーリー監督のコメディ映画)
テレビドラマ [編集]
- 1970年 『La pomme de son œil』 - 音楽担当。(外交官の娘ベアトリスのミュージカルアドベンチャー。フランソワ・ヴィリエ監督、ジャン=ピエール・オーモン脚本)
カバー [編集]
ミッシェル・ポルナレフ自身 [編集]
- ドイツ語
- 「ノンノン人形」 - ドイツ語バージョン "Meine Puppe Sagt Non" が存在し、シングルはドイツでのみ発売。プロモーション・フィルムも制作されている。
- 「愛の願い」
- 「君との愛がすべて」
- イタリア語
- 「ノンノン人形」- イタリア語バージョン "Una Bambolina Che Fa No No No" が存在し、シングルはイタリアでのみ発売。
- 「愛の願い」
- 「バラ色の心」
- 「シェリーに口づけ」
- 「渚の想い出」
- 英語
- 「No No No No No」- 「ノンノン人形」改題の英語バージョン。
- その他
- 「トランペット」 - ジョージ・ガーシュウィン作曲のスタンダード・ナンバー「サマータイム」のアレンジ。ポルナレフはトランペットの音を真似した歌声で歌っている。
- 「ロック・マイ・ソウル」 - ピーター・ポール&マリーの1964年の曲 "Oh, Rock My Soul" のカバー。ポルナレフの1960年代のライヴでは頻繁に歌われていた。
- ポルナレフのライヴのアンコールでは「火の玉ロック」、「ジェニ・ジェニ」をはじめ、「ビー・バップ・ルーラ」などのロックン・ロールのスタンダード・ナンバーが好んでカバーされていた。
他アーティストによるカバー [編集]
- フランス
- アンジュ 「ラース家の舞踏会」(1982年)- ポルナレフの初期代表曲。フランスの国民的ロックバンドによるカバー。シャンソン、フレンチ・ポップスをカバーしたアルバム『A Propos De...』に収録。ライヴDVD "Anthologie - Seve Qui Peut Tour" にも収録されている。
- ジョニー・アリディ 「ノンノン人形」(1980年)- アルバム『À partir de maintenant』に収録。
- ミレーヌ・ファルメール「ノンノン人形」(1997年)- シングル盤をリリース。(Khaled とのデュエット)。ライヴ・アルバム『Live Bercy』にも収録。
- シルヴィ・バルタン「愛の休日」 - コンピレーション・アルバム『あなたのとりこ ~ シルヴィ・バルタン・ベスト・コレクション』(2002年)に収録。
- Danielle「ノンノン人形」。
- アメリカ
- スコット・マッケンジー 「ノンノン人形」(1967年)- 英訳した歌詞で、タイトルを「No, No, No, No, No」としてデビュー・アルバム『花のサンフランシスコ(原題は "The Voice of Scott McKenzie")』に収録。
- ザ・ダイナミックス 「ノンノン人形」- R&Bのグループによるカヴァー。
- Luna 「ノンノン人形」- オールタナティヴ・バンドによるカヴァー。
- カート・スミス 「天国への道」(2007年) - アルバム『Halfway, Pleased』に収録。元・ティアーズ・フォー・フィアーズのメンバーである。
- イタリア
- クエッリ 「ノンノン人形」(1966年)- ポルナレフによるイタリア語バージョン "Una Bambolina Che Fa No No No" をカバーし、3作目のシングルとして発表している。このバンドは後にイタリアを代表するプログレッシブ・ロック・バンドとなるプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)の前身にあたる。また、同バンドは1967年にシングル "Per Vivere Insieme" のカップリング曲として、ポルナレフの "君は友達 (Ta Ta Ta)" のイタリア語バージョン "La Ragazza Ta Ta Ta" を発表している。
- ロケッティ 「ノンノン人形」(1967年)- イタリア語バージョン "Una Bambolina Che Fa No No No" をカバー。
- イヴァン・カッタネオ 「ノンノン人形」(1983年)- エレポップ調に編曲して歌唱。カヴァー・アルバム『BANDIERA GIALLA』に収録。
- イギリス
- ジミ・ヘンドリックス 「La Poupée Qui Fait Non(ノンノン人形)」(1967年)- インストルメンタル・ヴァージョン。
- Saint Etienne(セイント・エティエンヌ)「La Poupée Qui Fait Non(ノンノン人形)」- ポップス・グループによるカヴァー。
- The Birds「ノンノン人形」。
「ノンノン人形」はその他に多くのアーティストによってカバーされている。
- 日本
- 藤島新「愛の休日」(1973年)- アルバム『Shin Fujishima Beautiful Debut Round 1"』に収録。訳詞は柴野未知。
- 天地真理「愛の休日」(1974年)- ライヴ・アルバム『天地真理オン・ステージ』に収録。訳詞は上記の藤島新版の柴野未知のものを一部改変。後に『天地真理 プレミアム・ボックス』(2006年)にも収録されている。
- SONOKO 「La Poupée Qui Fait Non(ノンノン人形)」(1988年)- シングルとして発表。アルバム『La Debutante』にも収録。
- 石井好子「愛のシンフォニー」(1990年)- シャンソン歌手。アルバム『私の来た道~シャンソン』に収録。
- 崎谷健次郎「TOUT, TOUT POUR MA CHERIE(シェリーに口づけ)」(1992年)- テクノミュージック調での編曲。アルバム『BOTANY OF LOVE』に収録。
- ロングバケーション「シェリーに口づけ」(1993年)- ポップスバンドによるシングル曲。アルバム『LONG VACATION POPS』に収録。
- SHAZNA「シェリーにくちづけ」(1999年)- ヴィジュアル系バンドによるシングル曲としてカバー。アルバム『PURE HEARTS』に収録。
- カムイ「哀しみのエトランゼ / 愛のシンフォニー」(2005年)- 北海道のローカル・バンド。自主制作ライヴ盤『Kamui Live』に収録。シンフォニックなプログレで知られる同バンドは、ライヴにてポルナレフ・メドレーを披露する場合がある。
- 道志郎 アルバム『愛の休日 ~ ミッシェル・ポルナレフのすべて』(1974年)- エレクトーン奏者。インストゥルメンタル楽曲集。また、エレクトーン用にポルナレフの曲の楽譜も出版。コンサートでも多くのポルナレフの曲を披露し、ポルナレフの普及に貢献した。
- FLAT FACE「シェリーにくちづけ」(1986年)- アルバム『face』
- 歌唱のみ
- 台湾
- 黃鶯鶯(黄莺莺、Tracy Huang) 「愛の休日」(1987年)- 台湾の女性歌手。「假期」のタイトルにて、アルバム『True Devotion』に収録。フランス語で歌唱。作曲者名にポルナレフの漢字表記である「米榭‧波納雷夫」がクレジットされている。作詞者名はジャン・ルー・ダバディの漢字表記「由尚-盧‧達巴迪」。
- その他
- ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセル、パーシー・フェイス、ミシェル・ルグラン、カラベリなどのイージー・リスニングのオーケストラによって多くのポルナレフの曲がカバーされている。
関連項目 [編集]
- アラン・シャンフォー(曲「初恋にボンジュール」キャッチフレーズは『第二のポルナレフ登場』)
脚注 [編集]
- ^ ミッシェル・ポルナレフ来年来日?、SANSPO.COM、2000年4月23日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)