JR東日本107系電車
JR東日本107系電車 | |
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107系0番台 N5編成 | |
基本情報 | |
運用者 | 東日本旅客鉄道 |
製造所 | JR東日本大宮・大井・大船工場・新津車両所・長野[* 1]・郡山工場[* 1] |
製造年 | 1988年 - 1991年 |
製造数 | 27編成54両 |
主要諸元 | |
編成 | 2両編成 |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500V |
最高運転速度 | 100 km/h |
設計最高速度 | 100 km/h |
起動加速度 | 2.0 km/h/s[要出典] |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 5.0 km/h/s |
編成定員 | 座席48・立席88(クモハ107形) |
自重 | 37.2t(クモハ107形) |
全長 | 20,000 mm |
全幅 | 2,832 mm |
全高 | 3,935 mm |
車体 | 普通鋼 |
主電動機 | MT54 |
主電動機出力 | 120 kW × 4 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 5.60 (84:15) |
編成出力 | 480 kW (1M1T) |
定格速度 |
全界磁 45.0 km/h 40%弱界磁 72.5 km/h |
制御方式 | 抵抗制御(永久直列)・弱め界磁 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 抑速ブレーキ付 |
保安装置 | ATS-SN・ATS-P |
備考 |
脚注 |
107系電車(107けいでんしゃ)は、1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)にかけて製造された東日本旅客鉄道(JR東日本)の直流通勤形電車である。
概要
1980年代後半の日光線・両毛線など北関東支線区の普通列車には、急行列車の廃止で余剰となった165系急行形電車が多数転用されていた。しかし以下に示す問題点が発生していた。
- 新製から20年以上を経たことによる陳腐化と老朽化。
- ボックスシート、デッキ付き片側2扉の車体構造が朝夕のラッシュ輸送に向かず、乗降の手間取りが遅延を発生させる原因になっていた。
- 最低組成編成が3両であるため、日中閑散時には輸送力過剰となっていた。
非効率な状況を打破するため、国鉄分割民営化によって発足してまもないJR東日本に望まれたのは、時間帯ごとの需要に柔軟に対応できる車両の開発であった。
以上の経緯から誕生したのが クモハ107形 (Mc) + クハ106形 (Tc') から構成される本系列で、以下の特徴を持つ。
- 2両編成を基本とすることで2両・4両・6両と需要に応じて輸送力の調整が可能。
- 製造コスト削減を図るため、165系の廃車発生品となる主電動機・台車・補助電源装置(電動発電機)・ブレーキ制御装置・空気圧縮機・冷房装置などの主要機器を再用した。
- 車体製造技術の維持向上を兼ね自社の大宮・大井・大船・長野[注 1]・郡山[注 1]の各工場ならびに新津車両所で製造された。
- 投入線区事情で仕様が異なる番台区分を実施。
なお、履歴簿上は165系からの改造ではなく新造扱いであり、車籍上のつながりはない。
構造
車体形状は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年(昭和56年)に新製した105系新製車に準じており、20 m 級普通鋼製車体に半自動式の両開き扉を片側3か所に設置した。将来のワンマン運転を考慮して客用扉は105系に比べてやや車端部に寄せられているが、2017年時点でワンマン運転対応改造は実施されていない。
前面は105系に類似した切妻の貫通形で、105系と比較すると前照灯・尾灯の配置が垂直方向から水平方向に変わる。排障器(スカート)は新製時から装着されており、電気連結器部分を避けるかたちで左右に分割した形状となった。
車内
客室側窓は下降式1枚窓を扉間に2枚と戸袋窓を設置するが、1989年(平成元年)製の100番台2次車からは戸袋窓を廃したうえで下降窓3枚とし、719系に類似した窓割りとなった。
座席は、ラッシュ時における混雑緩和のためクハ106形のトイレに対向する部分を除いて全席ロングシートとしたが、長時間乗車を考慮して座面奥行きを確保したうえで深い位置で自然に座れる「ブリッジシート[注 2]」と称する形状である。1人分の区画を明確化し、座席の定員乗車を促す副次的効果ももつ。
冷房装置はクモハ107形にAU79A形集中式1基、クハ106形に165系廃車発生品であるAU13E形分散式6基を搭載する。このため両形式では天井構造が異なり冷風吹出も、クモハ107形は平天井ラインフロー、クハ106形は装置個別直接式を採用する。
主要機器
119系に準じた1M方式を採用。主制御器は勾配区間での運用に対応するため、力行・抑速時ともノッチ戻し制御可能で抵抗・弱め界磁制御方式のCS54B形を搭載。
ブレーキは抑速・発電ブレーキ併用応荷重装置付きSELD電磁直通ブレーキで、165系からの発生品に応荷重装置を付加して再用した。
走行機器も165系からの再用品で、台車はクモハ107形はDT32形もしくはDT32B型、クハ106形はTR69B形を装着。DT32形では車体重量の増加に伴って軸バネを新設計のものに交換した。運転台側台車前位には雪かき器(スノープラウ)を装備する。主電動機は定格出力120 kwのMT54B形もしくはMT54D形4基を永久直列接続とし、普通列車運用での加減速頻度向上に対応するため歯車比を165系の1:4.21から1:5.60に変更して起動加速度を向上させた。
パンタグラフは国鉄形電車の標準形式であるPS16形をクモハ107形に搭載する。
補助電源装置はクモハ107形に165系から再用品の容量110 KVAの電動発電機 (MG) を搭載する一方で、空気圧縮機 (CP) はクハ106形に搭載する。
分割・併合時の作業簡略化のため電気連結器を装備するが、KE76形ジャンパ連結器3基も装備するため、上述する制御方式も含めて115系や165系などとも併結可能な構造である[注 3]。
0番台
1988年(昭和63年)5月から10月にかけて大宮・大井・大船の各工場ならびに新津車両所で製造された日光線165系置換用2両編成8本計16両のグループ。小山電車区(現・小山車両センター)に配置された。
勾配区間での空転対策としてクモハ107形の正面下部左右に砂箱と台車に砂撒き装置を装備するほか、寒冷地での運用も考慮され、冬期架線霜取用パンタグラフを4 - 8は新製時から装備し、1 - 3にも1998年(平成10年)に追加装備した。
- 4 - 8の霜取パンタグラフは集電機能も持つが、改造で追加搭載された1 - 3は集電機能を持たない。外観上パンタグラフ間の引き通し線などの相違がある。
異常気象発生などの運転速度制限が行われた際に機器類過熱による破損を防止する観点から、15 km/h 運転用スイッチを搭載する。
当初の車体塗装は公募によって決定したもので、クリーム10号を地色とし緑14号で日光線の頭文字「N」をあしらい、前位寄り雨樋下にワンポイントとして「神橋」をイメージした赤1号を配したものである。
2008年(平成20年)3月から車体にステッカーの貼付が行われ、2009年(平成21年)3月からは以下の塗色変更がN2編成から実施され[1]、2010年(平成22年)1月17日をもって全編成の変更が完了。旧塗色での運用を終了した[2]。
- 車体上半部をアイボリー、下半部をクラシックルビーブラウン、境界を金色帯とする。
- 車両前面貫通扉に中央部に「Nikko Line」の文字、上部に日光駅、下部に編成毎に異なる日光の象徴を模したステッカーを掲出[3]。
- 車両側面にはヘッドマークと同じデザインの日光駅舎、日光の象徴を模したエンブレムを配する[3]。
- 各編成毎に異なるデザインマークの内容は以下の製造分類を参照。
車両 番号 |
製造日 | 製造 工場 |
新製 配置 |
編成 番号 |
霜取 パンタ |
デザインマーク | 除籍日[4] | 処遇 |
1 | 1988.05.19 | 大船 | 小山 | N1 | 1998年装着 非通電 |
ニッコウキスゲ | 2013.06.05 | 解体 |
2 | 1988.05.21 | 大宮 | N2 | 神橋 | 2013.06.05 | |||
3 | 1988.07.01 | 大井 | N3 | 日光街道 | 2013.06.29 | |||
4 | 1988.08.16 | 大船 | N4 | 新製時装着 通電 |
男体山と中禅寺湖 | 2013.06.05 | ||
5 | 1988.08.20 | 大宮 | N5 | 華厳の滝 | 2013.06.29 | |||
6 | 1988.09.19 | 大井 | N6 | いろは坂 | 2013.06.29 | |||
7 | 1988.10.27 | 新津 | N7 | 眠り猫(日光東照宮) | 2013.06.29 | |||
8 | 1988.09.30 | 大船 | N8 | 三猿(日光東照宮) | 2013.06.05 |
100番台
0番台製造後の1988年(昭和63年)11月から製造開始された高崎支社管内地域輸送用の2両編成19本計38両のグループ。0番台に加え後述する2次車からは長野・郡山の両工場も製造を行った。新前橋電車区(現・高崎車両センター)に配置された。
車体塗色はクリーム10号に緑14号とピンクの帯を窓下に通したもの(「サンドイッチ列車」という愛称があったとされているが[5][6]、この愛称の存在を疑問視する声もある[7])であるが、1988年(昭和63年) - 1989年(昭和64/平成元年)上期製造の1次車 (101 - 105) と1989年(平成元年)下期 - 1991年(平成3年)製造の2次車 (106 - 119) では外観上の設計変更が行われ、後者では戸袋窓の廃止と窓割が変更されたほか、新製時からATS-P形も搭載する。
0番台との相違点は、砂撒装置・霜取パンタグラフは未搭載とした上で耐雪ブレーキを装備するほか、信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠でEF63形による牽引・推進運転に対応する横軽対策を施工[注 4]。識別のため側面形式標記直前に40 mm 径の丸印(Gマーク:「●」)が標記された[注 5]。0番台との併結運転も可能。
- 横軽対策実施の電車では安全上の配慮から、原則として重量の大きい電動車が麓側(横川方)に編成組成されるが、本系列ではクモハ107形が山側(軽井沢方)を向いた組成となった。
車両 番号 |
製造日 | 製造 工場 |
新製 配置 |
編成 番号 |
車体 形態 |
備考 | 除籍日[8][9] | 処遇 |
101 | 1988.11.30 | 大船 | 新前橋 | R1 | 1次形 | 新前橋電車区→高崎車両センター 組織変更は2005.12.10 |
2017.10.30 | 解体 |
102 | 1988.12.01 | 大宮 | R2 | 2016.07.14 | 解体 | |||
103 | 1989.02.01 | 大井 | R3 | 2017.04.21 | 解体 | |||
104 | 1989.02.28 | 大宮 | R4 | 2017.04.21 | 解体 | |||
105 | 1989.03.23 | 新津 | R5 | 2017.04.21 | 解体 | |||
106 | 1989.09.11 | 大宮 | R6 | 2次形 | 2017.06.24 | 解体 | ||
107 | 1989.09.30 | 大井 | R7 | 2017.10.04 | 上信電鉄譲渡 | |||
108 | 1989.10.20 | 新津 | R8 | 2017.10.04 | 上信電鉄譲渡 | |||
109 | 長野 | R9 | 2017.04.21 | 解体 | ||||
110 | 1989.11.20 | 大宮 | R10 | 2017.06.24 | 解体 | |||
111 | 1989.12.27 | 大船 | R11 | 2017.06.24 | 解体 | |||
112 | 1990.02.28 | 大宮 | R12 | 2016.07.14 | 解体 | |||
113 | 1990.02.23 | 大井 | R13 | 2017.08.23 | 上信電鉄譲渡 | |||
114 | 1990.03.29 | 大船 | R14 | 2017.08.23 | 上信電鉄譲渡 | |||
115 | 1990.03.06 | 郡山 | R15 | 2017.10.12 | 上信電鉄譲渡 | |||
116 | 1990.09.10 | 大宮 | R16 | 2017.10.12 | 上信電鉄譲渡 | |||
117 | 1990.11.12 | 大井 | R17 | 2017.06.24 | 解体 | |||
118 | 1990.12.26 | 新津 | R18 | 2016.07.14 | 解体 | |||
119 | 1991.02.27 | 大宮 | R19 | 2016.07.14 | 解体 |
運用
0番台
小山車両センター配置のN1 - N8編成が以下の区間で運用された。
2013年(平成25年)3月16日に実施されたダイヤ改正で205系600番台に置換えられ定期運用を終了[10][11]。同年6月に全車が廃車され、番台区分消滅となった。
100番台
高崎車両センター配置のR1 - R19編成が以下の区間で運用された[12]。
車両需給の関係から相互の貸出も行われ、定期検査・修理などで不足した0番台の代走として100番台が日光線で運用されることがあった。また両毛線から宇都宮線・小山 - 黒磯間に乗り入れる1往復[注 7]に充当された時期もあった。
2016年(平成28年)より211系による置き換えが開始され、上越線乗り入れ区間を除く両毛線以外からは定期運用を終了し、同年7月14日に4本8両が廃車。2017年(平成29年)には4月21日と6月24日に各4本8両・合計16両が廃車され、8月23日には2本4両が後述する上信電鉄へ先行して譲渡[9]。残った5本10両も同年9月をもってJR東日本での定期運用を終了、その後同年10月1日・7日に100番台が運用されていた4線にそれぞれ乗り入れる団体専用列車を最後に運用を終了した[13][14][15]。譲渡されなかったR1編成が10月30日付で廃車となり、番台区分及び形式が消滅した。
上信電鉄
100番台のうち6編成12両は上信電鉄に有償譲渡されることとなった[16]。譲渡されたのは、R7、R8、R13 - R16の6本[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ ネコ・パブリッシング 『鉄道ホビダス/編集長敬白 - JR日光線が変身中。』 2011年8月11日 閲覧
- ^ 「さらば「N」トレイン JR日光線、17日で最後 宇都宮駅でセレモニーも」(下野新聞 2010年1月15日)
- ^ a b c JR東日本ホームページ > 車両図鑑 > 在来線 > 107系 > 107系 ヘッドマーク
- ^ 鉄道ダイヤ情報 2013年9月号p.127
- ^ “高崎支社管内を走る電車が本年9月に定期運行を終了します!”. 東日本旅客鉄道株式会社高崎支社 (2017年7月27日). 2017年7月29日閲覧。
- ^ “さよなら“サンドイッチ列車” JR東107系9月引退”. 上毛新聞社 (2017年7月28日). 2017年7月27日閲覧。
- ^ 杉山淳一 (2017年8月1日). “引退間近のJR東日本107系は「サンドイッチ列車」…誰が言った?”. マイナビニュース. 2017年9月7日閲覧。
- ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.356。ISBN 9784330737164。
- ^ a b c ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2018冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年、p.356。ISBN 9784330841175。
- ^ 鉄道ダイヤ情報 2013年2月号(交通新聞社)
- ^ 下野新聞 2013年1月16日朝刊記事 「JR日光線、リニューアル車両公開」(下野新聞社)
- ^ ジェー・アール・アール編『普通列車編成両数表』Vol.37ジェー・アール・アール、交通新聞社、2017年。ISBN 9784330788173。
- ^ “高崎支社管内を走る107系電車が本年9月に定期運行を終了します!” (PDF). 東日本旅客鉄道高崎支社 (2017年7月27日). 2017年7月28日閲覧。
- ^ 吾妻線・上越線で団体臨時列車『ありがとう107系』運転 - 交友社 鉄道ファン railf.jp 2017年10月2日
- ^ 『ありがとう107系の旅』団臨が信越本線・両毛線で運転される - 交友社 鉄道ファン railf.jp 2017年10月8日
- ^ “「107系」第3の人生は上信で JR東が有償譲渡へ”. 上毛新聞. (2017年8月29日) 2017年8月29日閲覧。
外部リンク
- JR東日本:車両図鑑>在来線 107系 - 東日本旅客鉄道