青二塾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

青二塾(あおにじゅく)は、1982年に開校された声優事務所青二プロダクションの附属養成所。

概要[編集]

青二塾は、安直な声優養成所が乱立して声優が粗製濫造されるという危機感の中から、青二プロが自分たちの後継者を自ら育成しようと設立された。声優養成所ではなく、声優である前にまず俳優を育成するというのがポリシーである[1]。そのため、数ある声優養成所の中でも特に厳しい教育が行われることで知られる。入塾試験の内容も非常にハイレベルな内容が課されるため、合格できる者は少なく「声優養成所の東大」と形容されることもある。東京都武蔵野市吉祥寺にある「東京校」と、大阪府大阪市淀川区西中島にある「大阪校」の2校ある。塾長は東京校が北川米彦で、大阪校が関真吾。

東京校(1部)は、教育期間は1年間で週5回のレッスン[2]。かつては年2度の受講生募集をしていたが、現在は年1度の募集になっている。1992年までは中卒や現役の高校生でも入塾試験に合格すれば入塾を認めていたが、中卒および現役の高校生の入塾者で青二プロの正所属になれた者が一人も出なかったため、1993年より入塾試験の資格を改定し、最低学歴は高卒以上が入塾資格となっている。

「東京校2部」は、教育期間は2年間で週3回夜間のレッスン。高卒以上が入塾資格となっている。この2部制度は1998年から始まり、前身である「日曜生」を改組したものである。かつてあった日曜生は大学短大専門学校などに通う学生や、会社員フリーターなどの社会人が、曜日や時間的に青二塾東京校の本科(現・1部)に通うのが困難であることから、そのような立場の人に門戸を開くために設置された「別科」であった。教育期間は1年間で、週1回の日曜だけのレッスンだったため高校生でも入塾することができた。ただし、日曜日のみの教育では質・量ともに本科と教育上の格差が生じることから教育期間修了後の青二プロへのオーディション受験資格はなかったため、多くの者は教育期間終了後に改めて本科に入塾した。

大阪校は、教育期間は2年間で週2回のレッスン。高卒以上が入塾資格となっている。2009年までは中卒や現役の高校生でも入塾可能だった。

卒業公演を終えて青二塾を卒塾し、マイクテストと筆記試験と卒業公演の評価に基づいたオーディションに合格した者だけがジュニア(仮所属・研修生)として青二プロに入り、2年間あるいは3年間活動する。その期間の実績を査定した上で認められた者だけが準所属になり、そして更に実績を上げることができた者が正所属(正規に所属する)になるという流れになっている[2]。青二塾に入塾した塾生の中から後に青二プロの正所属になれる者はほんのわずかだという。

青二塾出身の声優[編集]

青二プロに籍を置いている声優、あるいは置いていたことがある声優を掲載。

太字は現在でも籍を置いている声優

東京校出身者[編集]

1部


2部

大阪校出身者[編集]

青二塾出身以外の声優の所属について[編集]

青二プロダクションへの所属は基本的に青二塾での教育を受けた後、オーディションを経て所属という形となるのが原則である。ただし、既に芸能活動が長い者などはプロとして成り立っているとの解釈から青二塾を経る必要は無く、面接や実技試験に合格すれば即所属となる(事例多数)。

芸歴が短い者は所属(ジュニア)と同時に本人の希望で青二塾へ入塾する場合もある[3]。短い芸歴で青二塾での教育を介さずに所属に至った者としては岡本麻見鈴木麗子西口有香などがいる[4]

出典[編集]

  1. ^ 「北川塾長インタビュー」『ザ・声優1995』メディアックス、1995年、pp.50-51
  2. ^ a b 「アニメWORLD最前線 青二塾の場合」『アニメディア』1985年2月号、pp.113-115
  3. ^ 今野宏美牧島有希など、事例多数。ただし、この2人は青二塾へ入塾したという記事は散見されるが期生に記載が無いため、詳細は不明。
  4. ^ 今野宏美・牧島有希を含む以上の5人はデビュー作が『センチメンタルグラフティ』であり、制作協賛として青二プロダクションが関わっていたことによる縁故で所属している。

外部リンク[編集]