滝乃川学園

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社会福祉法人 滝乃川学園
Social Welfare Foundation TAKINOGAWA GAKUEN
滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館.jpg
滝乃川学園 石井亮一・筆子記念館
(国の登録有形文化財
種類 社会福祉法人1952年までは財団法人
本社所在地 日本
186-0011
東京都国立市矢川三丁目16番地1
設立 1891年創立
1920年財団法人設立
1952年社会福祉法人設立
業種 福祉
法人番号 1012405000085
事業内容 社会福祉法に基づく知的障害児者、認知症高齢者に関わる福祉施設の運営及び福祉サービスの提供等(第1種社会福祉事業および第2種社会福祉事業)
代表者 理事長
石井 慈典(第14代)
売上高 18億円(2018年3月)(事業収入)
総資産 32億円(2018年3月)
従業員数 300人(2019年4月)
決算期 3月末日
関係する人物

石井亮一(教育者、学園創立者、初代学園長)
石井筆子(教育者、第2代学園長)
貞明皇后(学園中興の母)
渋沢栄一子爵
沢田廉三(第4代理事長、外務次官、初代国連大使
上皇后美智子(後援者)
勝海舟(後援者)

外部リンク= [1]
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社会福祉法人 滝乃川学園(しゃかいふくしほうじん たきのがわがくえん、Social Welfare Foundation TAKINOGAWA GAKUEN[1])は、東京都国立市矢川三丁目に本部を置く社会福祉法人で、社会福祉法に基づく知的障害児施設「滝乃川学園児童部」、知的障害者施設「滝乃川学園成人部」等を設置・運営し、各種福祉サービスの提供をおこなう社会福祉事業者である[2]。恩賜財団ではないが、皇室との深い関係が知られる。「滝乃川」の名称を冠しているのは、学園創立の地である東京都北区滝野川に因む。なお、当学園が、日本で初めて「学園」という語を発案し、使用したと言われている[3]

瀧野川女子学園中学校・高等学校とは関連はない。

概説[編集]

滝乃川学園は、日本最初の知的障害児者のための教育機関・福祉施設で、創立以来120年以上の歴史を有する(登記上、現法人は、社会福祉事業法の施行により、1952年設立とする)。 創立者の石井亮一立教女学校教頭)が立教大学出身で、同大学の創立者であるチャニング・ウィリアムズ聖公会主教の教え子であった関係で、発足以来、日本聖公会プロテスタント系)との関係が深く、現在でも日本聖公会系の学校法人立教学院および学校法人立教女学院、学校法人聖路加国際大学聖路加国際病院などとは姉妹関係にある。歴代理事長の多くは、立教学院ないしは立教女学院、および日本聖公会関係者が就任している。ただし、法人経営上は日本聖公会からは独立しており、宗教色はほとんどない。役職員および利用者は信教の自由が認められており、日本聖公会の信徒でない者のほうが多い。

創立者の石井亮一・筆子夫妻の事績の他、渋沢栄一が第3代理事長、沢田廉三(日本国初代国連大使)が第4代理事長、そして細菌学者の高木逸磨医師が第5代学園長をつとめたことでも知られ、また、「学園中興の母」として崇敬される貞明皇后以来、美智子上皇后に至るまで、伝統的に皇室皇族との関係も深い。明仁天皇・美智子皇后の二度の行幸啓を受ける栄誉も享けている。

現在、職員数は288名。施設利用者も約300名。近年は、知的障害者の社会的自立を支援するグループホーム事業を拡大している他、認知症高齢者向けグループホームの運営や、国立市立川市府中市調布市など、行政の福祉事業を受託している。

こうして、学園は、社会福祉基礎構造改革に対応し、時宜に即した利用者本意の福祉事業の展開に注力している。さらに、日本最初の知的障害児者のための教育・福祉施設として、福祉文化の普及にも注力し、社会的に注目を集める活動を進めている。

現在は、福祉施設の運営が主たる事業となっているが、当法人の起源は、その名が示すとおり、日本で最初の知的障害児のための特別支援教育機関(キリスト教主義学校、いわゆるミッションスクール)で、かつては、研究所、保母養成所などの施設等を包含する知的障害児に特化した一大総合福祉施設であり、知的障害者の自立自活を目指した印刷所や農場など事業部門も存在した。これは、石井亮一・筆子も訪れたアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるアーウィン障害者センターを範とした構想によるものだと言われる。

戦後は、社会福祉事業法の施行により、社会福祉法人に改組され、教育機能の多くが、国公立の教育機関に移管された。その後、知的障害児者の生活支援施設としての役割が拡大し、現在に至っている。

近年に至り、企業でビジネス経験がある理事長が就任し、経営改革を進めて、法人・学園の組織・機構の大幅な再編、財務体質や人材育成の強化などに取り組んでおり、福祉事業者の中でも先進的な試みを展開し、注目されている。

事業所[編集]

  • 法人本部(東京都国立市)
  • 滝乃川学園 児童部
  • 滝乃川学園 成人部
  • 地域支援部:アシスタントサービス色えんぴつ、れすぱいとセンター紙ひこうき(児童)・ひこうき雲(成人)、相談支援センターみなも、放課後こどもセンターサニー(放課後等デイサービス)
  • 障害者グループホーム・ケアホーム:直営1事業所、委託6事業所
  • 認知症対応型共同生活介護:やがわ荘

組織[編集]

  • 役員

法人経営と業務執行は分離しており、法人の代表者は理事長である。一方、業務執行の代表者は学園長(常務理事・業務執行理事)である。当代の理事長は、初代理事長中尾太一郎医師海軍少将)から数えて第14代目であり、学園長は初代学園長石井亮一から数えて同じく第13代目である。学園長は、学園で最も伝統のある職である。学園長の下に児童部、成人部、グループホーム部、地域支援部など各施設長が学園長を補佐する。学園長や一部の施設長は理事を兼任する。

  • 組織・機構

法人本部には、総務部、経理部、経営企画部が設置されている。福祉事業は、児童部、成人部、グループホーム部、地域支援部などで構成され、各部施設長の下に部長が配置され、さらに部組織は、複数ないしは単一の科で構成され、科長職が配置されている。 なお、聖三一礼拝堂のチャプレンのみ、日本聖公会から任免される。

付属施設[編集]

アクセス[編集]

文化財[編集]

  • 石井亮一・筆子記念館(国の登録有形文化財[4]
  • 聖三一礼拝堂(国立市の登録有形文化財[5]、立教学院初代理事長ジョン・マキム聖公会主教の寄付によって建設)
  • 明治期輸入のアップライトピアノ「天使のピアノ」(国立市の登録有形文化財[6])※見学は可能であるが、法人本部への事前連絡が必要。
  • 鐘楼 附鐘(国立市の登録有形文化財[7]


略史[編集]

1891年、立教女学校(現・立教女学院)教頭の職にあり、聖三一教会付属東京救育院(孤児院)を運営していた石井亮一(教育学者・心理学者)によって創立された「聖三一孤女学院」を起源とする。創立当初は、東京市下谷区西黒門町(現 東京都台東区上野一丁目)の荻野吟子(近代日本最初の国家公認女医)宅に開設した、少女の孤児を対象とし、乳児院から高等女学部の開設まで計画された女子教育施設であった。濃尾大地震の際、多数の孤児が発生し、その中の年端のいかぬ少女たちが売春目的に取引されている実状を耳にした石井が、この問題を憂慮し、現地に駆けつけて、16名の少女孤児を引き取り保護したことにその起源がある。少女孤児に高等教育まで教授せんとする画期的な構想であった。

学園の存続に尽力した貞明皇后

ところが、16名の少女孤児(これをこのとき、「孤女」と呼んだ)のうち、2名に知能の発達に遅れがあることを見つけた石井は深い関心を示し、知的障害について学ぶために、二回にわたって渡米し、知的障害研究の始祖であるエドゥワール・セガンの未亡人に師事して、セガンが提唱した生理学的教育法を習得したほか、米国各地の大学、知的障害児施設を訪問。さらに、ヘレン・ケラーとも面会を果たし、知見を深めた。帰国後、聖三一孤女学院を滝乃川学園と改称することとし、知的障害児に特化してその保護・教育・自立を目指す教育・養護・研究・職員養成施設として総合的な福祉施設を目指した。そして、知的障害の研究を重ねて、日本で初めて、知的障害は、発達の遅滞であることを明らかにし、彼らへの教育の必要性を訴えたのであった。こうして学園は、日本で初めての知的障害がある人々のための学びの場となり、生活を支える場となったのであった。

第3代理事長をつとめた渋沢栄一

その後、滝野川(現・東京都北区)から、巣鴨(現・豊島区)に移転し、資金難に苦慮しつつも、事業は軌道に乗りつつあった。しかし、1920年3月、園児の火遊びが原因で、学園は火災を起こし、園児6名が焼死する惨事に見舞われた。また、この頃、石井が後継者として期待を寄せていた甥の石井雄一医師が死去するなど、石井は学園の閉鎖を一旦は決意するに至った。この状況を聞いた貞明皇后は、石井夫妻に、内旨と下賜金を贈り、再起を促したほか、支援者たちの尽力により、学園を石井の個人事業から公益法人化し、財団法人として組織化、再建する道を選んだ。ほどなく、財団法人の認可を受けて、初代理事長には、中尾太一郎海軍軍医総監が就任。その後、第3代理事長として、渋沢栄一が就任し、再建を果たす。このとき、慈善事業に理解が深かった渋沢は、「石井さんには、園児たちの教育に専念してもらい、学園の経営は私たちで何とかする」と言ってみずから理事長の職を引き受けたのであった。

その後、1928年には、成人した学園生が自活のために働ける農場を提供するため、現在地の北多摩郡谷保村(現・東京都国立市)の大隈重信が別荘予定地としていた8,000坪あまりの土地を取得し、再移転した。1934年には学園本館において日本精神薄弱児愛護協会(現・日本知的障害者福祉協会)が創立され、学園長の石井が初代会長に選出された。1937年には秩父宮雍仁親王勢津子妃が学園を訪問し、事業を視察した。

しかし、1929年頃から始まった昭和恐慌により、学園は多額の負債を抱えることとなり、理事長の渋沢栄一も死去する。さらに、秩父宮夫妻来園の年、創立者で初代学園長の石井亮一が死去する。負債の返済に窮し、後任の学園長についても、候補者に次々に固辞される状態であった。学園の存続はたちまち危機に瀕したが、亮一の死から4ヵ月後の10月16日、やむなく夫人の石井筆子が夫の遺志を継いで、第二代学園長に就任、存続を決定した。筆子は、事実上破綻状態に陥っていた学園の経営を、「他の方にお願いするわけにもいかない」と、学園長就任を決断した。戦時中は、食糧難で園児たちにも餓死者が出たほか、職員や軽度障害の園生が徴兵され、出征、戦死するなどの苦難があった。さらに終戦の前年、第2代学園長の石井筆子が死去し、学園の経営に追い打ちをかける。しかし、貞明皇太后をはじめ、支援者たちの尽力により、戦時下の危機を乗り切り、戦後、社会福祉法人に改組し、現在に至っている。

戦後も、貞明皇后をはじめ、高松宮宣仁親王常陸宮正仁親王、そして明仁上皇・美智子上皇后が学園を訪問し、殊に上皇后においては、学園に対して並々ならぬ関心を寄せている。

なお、滝乃川学園には、1928年移転当時の本館(現・石井亮一・筆子記念館)が現存し、国の登録文化財になっているほか、聖三一礼拝堂と第二代学園長石井筆子愛用のアップライトピアノ(日本最古の輸入ピアノで「天使のピアノ」と呼称される)も国立市の登録文化財に登録されており、知的障害者福祉の貴重な歴史的遺産として注目されている。また、本学園石井記念文庫には、創立者石井亮一が収集した知的障害児者教育に関する貴重な文献が多数蔵書されている。

ちなみに、第3代理事長の渋沢栄一をはじめ、皇室皇族勝海舟島崎藤村津田梅子穂積歌子(初代理事長の渋沢栄一の長女、穂積陳重の妻)、近衛篤麿ら当時を代表する著名な人物が支援したことでも知られる。

年表[編集]

学園関係者[編集]

歴代理事長[編集]

氏名 在任期間 出身校 備考
中尾太一郎 1920年 9月 9日 - 1920年11月11日 海軍軍医生徒 海軍軍医少将
2 小林彦五郎 1921年 7月13日 - 1921年 7月19日 立教大学 立教女学院校長
3 渋沢栄一 1921年 7月19日 - 1931年11月11日 子爵、財団法人聖路加国際病院理事長 
(門馬常次) 代表理事(理事長制の一時廃止)、国語学者、弘文学院教授、立教女学院教頭
4 沢田廉三 1942年 5月25日 - 1946年10月15日 東京帝国大学 外務事務次官、初代国連大使
5 渡辺八郎 1946年10月15日 - 1947年 6月30日 東京帝国大学 宮内省秩父宮御用掛、学習院教授
6 関重広 1948年 1月10日 - 1962年 3月25日 東京帝国大学 東芝社員、関東学院大学教授、小田原女子短期大学
7 宮崎申郎 1962年 3月25日 - 1983年 7月 8日 東京帝国大学 イラク公使、財団法人国際学友会理事長、立教大学教授
8 辻荘一 1983年 7月27日 - 1986年 6月18日 東京帝国大学 立教大学教授、国立音楽大学教授
9 小川清 1986年 6月18日 - 1987年 3月31日 東京帝国大学 立教女学院理事長・校長
10 村田一也 1987年 4月 1日 - 1998年 6月21日   立教学院職員
11 吉村庄司 1998年 6月21日 - 2006年 6月20日 同志社大学 日本聖公会東京教区司祭
12 横倉正義 2006年 6月20日 - 2011年 3月31日 東北大学 三菱東京UFJ銀行行員、立教女学院理事・評議員、賛育会評議員
13 山田晃二 2011年 4月 1日 - 2019年 6月15日 早稲田大学大学院 三菱マテリアル社員
14 石井慈典 2019年 6月15日 -

歴代学園長[編集]

氏名 在任期間 備考
石井亮一   立教大学卒、立教女学院教頭
2 石井筆子   東京女学校卒、静修女学校(現・津田塾大学)長
3 渡辺汀 海軍兵学校卒、男爵海軍大佐 
4 渡辺八郎  
5 高木逸磨 東京帝国大学卒、横浜医科大学(現・横浜市立大学医学部)長
(関重広)   ※事務取扱
6 高木逸磨  
7 渡辺八郎  
8 宮崎申郎    

その他学園関係者[編集]

映画テレビの舞台に登場[編集]

  • 2006年に公開されたドラマ映画『筆子・その愛 -天使のピアノ-』(現代ぷろだくしょん山田火砂子監督)は、創立者石井亮一の妻で、第二代学園長の石井筆子を主人公にした作品で、常盤貴子が主演したこともあり、話題を呼んだ。
  • 2006年に公開されたドキュメント映画『無名の人-石井筆子の生涯』(ピースクリエイト、宮崎信恵監督)が2006年あいち国際女性映画祭で観客賞を受賞した。
  • 2006年12月20日にNHK番組「その時歴史が動いた」でも「母の灯火(ともしび)小さき者を照らして-石井筆子・知的障害児教育の道-」と題して石井筆子の生涯が放映された。
  • 2010年1月6日にTBS系列で放映された「新春皇室スペシャル2010」において、上皇后美智子が滝乃川学園を私的訪問された様子が放映された。皇后は第2代学園長石井筆子が所有していた日本最古の輸入ピアノといわれる「天使のピアノ」を演奏。施設利用者や学園関係者と親しく交わる様子が放映された。

関連文献[編集]

  • 加藤康昭「滝乃川学園成立史の研究 : 初期の学園の性格について オープンアクセス」『特殊教育学研究』第24巻第3号、日本特殊教育学会、1986年12月29日、 50-60頁、 NAID 1100067842782016-1-23閲覧。
  • 加藤康昭「明治38年東京府の滝乃川学園状況調査について オープンアクセス」『茨城大学教育学部紀要(教育科学)』第3号、茨城大学機関リポジトリ、1986年3月、 1-11頁、2016-1-23閲覧。

脚註[編集]

  1. ^ 『滝乃川学園百二十年史~知的障害者教育・福祉の歩み』
  2. ^ 『滝乃川学園要覧』
  3. ^ 当学園が「滝乃川学園」と改称する1897年以前に、「学園」と称する学校等は発見されていない。
  4. ^ 「滝乃川学園本館」国立市公式HP
  5. ^ 「滝乃川学園礼拝堂」国立市公式HP
  6. ^ 「アップライトピアノ」国立市公式HP
  7. ^ 「滝乃川学園鐘楼 附鐘」国立市公式HP

関連事項[編集]

外部リンク[編集]