第31回衆議院議員総選挙
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第31回衆議院議員総選挙(だい31かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1967年(昭和42年)1月29日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
概要
前年より日本政界を揺るがしていた一連の黒い霧事件を受け、政界刷新を求める世論の声の高まりに、内閣総理大臣の佐藤榮作が政権の求心力回復を期し、局面の転換を図るべく衆議院解散に打って出たものである。
与党・自民党は安定多数を維持。公認候補の得票率が初めて5割を割り込み[1]、定数19増の中で議席を微減させるなど、自民党にとって必ずしも十全な結果ではなかったが、逆風の中では概ね善戦勝利と受け止められた。
社会党の議席もほぼ横ばいだったが、事前の期待には及ばず「敗北声明」を出した。公明党が衆議院に初進出し、早くも25議席を獲得。多党化が進み始めた。
経済企画庁長官の宮沢喜一はこの時非議員であったが、この選挙で初当選し議員として再任された[2]。
選挙データ
内閣
- 選挙時:第1次佐藤内閣 (第3次改造)(第61代)
- 選挙後:第2次佐藤内閣(第62代)
解散日
解散名
公示日
投票日
改選数
- 486( 19)[注釈 2]
選挙制度
- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、1票制
- 選挙権
-
- 満20歳以上の日本国民
- 被選挙権
-
- 満25歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 62,992,796(男性:30,244,616 女性:32,748,180)
同日実施の選挙等
- 国民投票
選挙活動
党派別立候補者数
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党派 | 候補者数 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | 新 | 前 | 元 | ||||
自由民主党 | 342 | 337 | 5 | 278 | |||
日本社会党 | 209 | 205 | 4 | 141 | |||
民主社会党 | 60 | 58 | 2 | 23 | |||
日本共産党 | 123 | 122 | 1 | 4 | |||
公明党 | 32 | 32 | 0 | 0 | |||
諸派 | 16 | 15 | 1 | 1 | |||
無所属 | 135 | 133 | 2 | 1 | |||
計 | 917 | 902 | 15 | 448 | |||
出典:『朝日選挙大観』 |
選挙結果
党派別獲得議席
党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
与党計 | 277 | 1 | 22,447,838 | 48.80% | 278 | ||
自由民主党 | 277 | 1 | 22,447,838 | 48.80% | 278 | ||
野党・諸派・無所属計 | 209 | 39 | 23,548,736 | 51.20% | 170 | ||
日本社会党 | 140 | 1 | 12,826,104 | 27.88% | 141 | ||
民主社会党 | 30 | 7 | 3,404,464 | 7.40% | 23 | ||
公明党 | 25 | 25 | 2,472,371 | 5.38% | 0 | ||
日本共産党 | 5 | 1 | 2,190,564 | 4.76% | 4 | ||
諸派 | 0 | 1 | 101,244 | 0.22% | 1 | ||
無所属 | 9 | 8 | 2,553,989 | 5.55% | 1 | ||
欠員 | 0 | 19 | - | - | 19 | ||
総計 | 486 | 19 | 45,996,574 | 100.0% | 467 | ||
有効投票数(有効率) | - | - | 45,996,574 | 98.69% | - | ||
無効票・白票数(無効率) | - | - | 609,466 | 1.31% | - | ||
投票者数(投票率) | - | - | 46,606,040 | 73.99% | - | ||
棄権者数(棄権率) | - | - | 16,386,756 | 26.01% | - | ||
有権者数 | - | - | 62,992,796 | 100.0% | - | ||
出典:総務省統計局 |
- 投票率:73.99%(前回比: 2.85%)
- 【男性:74.75%(前回比: 2.39%) 女性:73.28%(前回比: 3.26%)】
党派別女性獲得議席
党派 | 候補者 | 当選者 | 当選率 | 議席率 |
---|---|---|---|---|
自由民主党 | 5 | 3 | 60.00% | 1.08% |
日本社会党 | 4 | 3 | 75.00% | 2.14% |
民主社会党 | 2 | 1 | 50.00% | 3.33% |
日本共産党 | 1 | 0 | 0.00% | 0.00% |
諸派 | 1 | 0 | 0.00% | 0.00% |
無所属 | 2 | 0 | 0.00% | 0.00% |
計 | 15 | 7 | 46.67% | 1.44% |
出典:衆議院総選挙における女性候補者 |
政党
|
| |
議員
当選者
自民党 社会党 民社党 公明党 共産党 無所属
補欠当選等
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 4 | 長野4区 | 繰上 | 小沢貞孝 | 民社党 | 唐沢俊樹 | 自民党 | 1968.3.14死去 |
5.12 | 奄美群島区 | 補欠 | 保岡武久 | 無所属 | 伊東隆治 | 自民党 | 1968.3.28死去 | |
戦後の補欠選挙 |
初当選
- 計101名
- ※:参議院議員経験者
- 自由民主党
-
- 27名
- 日本社会党
-
- 31名
- 民主社会党
-
- 8名
- 公明党
-
- 25名
- 日本共産党
-
- 1名
- 無所属
-
- 9名
返り咲き・復帰
- 計36名
- 自由民主党
-
- 16名
- 日本社会党
-
- 16名
- 民主社会党
-
- 3名
- 日本共産党
-
- 1名
引退・不出馬
- 計16名
- 自由民主党
-
- 9名
- 日本社会党
-
- 7名
落選
- 計81名
- 自由民主党
-
- 33名
- 日本社会党
-
- 40名
- 民主社会党
-
- 5名
- 日本共産党
-
- 1名
- 諸派
-
- 1名
- 無所属
-
- 1名
選挙後
国会
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政党
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脚注
注釈
出典
関連項目
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
- 石川真澄・山口二郎著『戦後政治史』岩波新書、2010年
- 上條末夫 (1990年3月). “衆議院総選挙における女性候補者” (PDF). 駒沢大学法学部研究紀要. 2020年2月閲覧。
- 神田広樹 (2014年6月). “戦後主要政党の変遷と国会内勢力の推移” (PDF). 国立国会図書館. 2019年10月閲覧。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
- 衆議院議員総選挙一覽. 第31回 - 国立国会図書館デジタルコレクション
外部リンク
- 総務省統計局
- 衆院選で民社・公明が伸び多党化へ - NHKアーカイブス