1952年最高裁判所裁判官国民審査

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1952年最高裁判所裁判官国民審査(1952ねんさいこうさいばんしょさいばんかんこくみんしんさ)は、1952年昭和27年)10月1日第25回衆議院議員総選挙と共に執行された最高裁判所裁判官国民審査

概要[編集]

5人の最高裁判所裁判官に対して国民審査が行われ、全員罷免しないとされた。投票率は72.21%であった[1]

「棄権の自由」は認められていないものの、この国民審査から「結果調」に総選挙と刻印審査に別々の投票者数と棄権者数が記録されるようになった[2]

審査対象者[編集]

法学者出身の穂積重遠は1951年(昭和26年)7月29日、国民審査を経ないまま死去。

氏名 任命年月日 学歴 出身分野 指名内閣
田中耕太郎 1 1950年3月3日 東京帝国大学法科大学 法学者 第3次吉田内閣
谷村唯一郎 1951年4月12日 中央大学法律科卒 弁護士 第3次吉田内閣(1改)
小林俊三 1951年10月5日 東京帝国大学法科大学卒 弁護士 第3次吉田内閣(2改)
本村善太郎 1952年1月21日 京都帝国大学法科大学 弁護士 第3次吉田内閣(3改)
入江俊郎 1952年8月30日 東京帝国大学法科大学卒 行政官 第3次吉田内閣(3改)
1 最高裁判所長官

審査結果[編集]

裁判官 罷免を
可とする票
罷免を
可としない票
罷免を
可とする率
谷村唯一郎 3,355,161 30,282,280 9.97%
入江俊郎 3,253,013 30,384,596 9.67%
田中耕太郎 2,731,667 30,902,931 8.12%
本村善太郎 3,024,928 30,616,126 8.99%
小林俊三 2,943,194 30,697,502 8.75%

脚注[編集]

  1. ^ 西川 2012, p. 77.
  2. ^ 西川 2012, p. 80.

参考文献[編集]

  • 西川伸一『最高裁裁判官国民審査の実証的研究 「もうひとつの参政権」の復権をめざして』(第1刷)五月書房、2012年1月27日。ISBN 978-4772704960 
  • 野村二郎『最高裁全裁判官 人と判決』三省堂、1986年9月。ISBN 978-4385320403 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]