唐橋東

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唐橋 東(からはし あずま、1912年大正元年)9月1日[1] - 2012年平成24年)4月26日[2])は、日本教育者政治家衆議院議員日本社会党公認、1期)、福島県喜多方市長(4期)などを歴任した。勲三等旭日中綬章

俳優イラストレーター唐橋充がいる。

来歴[編集]

福島県耶麻郡高郷村[1](現・喜多方市)出身。1932年(昭和7年)福島師範学校専攻科福島大学人間発達文化学類の前身)卒業[1]。地元で小学校教員中学校などを務め、日本教職員組合の活動を行う[1]。その後、福島県議を4期務める福島県議を4期務める[1]。その後、1967年総選挙において福島県第2区から社会党公認で出馬し初当選するも、再選を期した69年総選挙で落選。

1970年の喜多方市長選で、「過疎化の農村都市を暮らしよくしよう」をスローガンに、社会党のほか共産党、一部の保守系議員の支援を得て、保守系無所属の現職・山口俊三一騎討ちの末当選を果たし、同市では初の革新市政が誕生する。保守的な地域とされる会津地方にあって、市長を連続4期務めるが、5選を目指した1986年の市長選で自民党推薦の新顔・飯野陽一郎に敗れる。

市長在任中は教育者の経歴を生かし、国の重要文化財である熊野神社長床拝殿の復元や、小学校1校ごとに幼稚園付設制度を確立するなど、文教福祉行政で手腕を発揮した[1]

新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった[3]

2012年4月26日、気管支肺炎のために逝去[4]。99歳没。

脚註[編集]

  1. ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』158頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、61頁。
  3. ^ 第065回国会 予算委員会 第7号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月4日閲覧。
  4. ^ 元喜多方市長の唐橋氏死去 元衆院議員 福島民報 2012年4月29日閲覧

参考文献[編集]

関連項目[編集]

公職
先代
山口峻三
福島県旧喜多方市長
1970年 - 1986年
次代
飯野陽一郎