岩田稔
阪神タイガース #21 | |
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2011年3月10日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府守口市 |
生年月日 | 1983年10月31日(40歳) |
身長 体重 |
179 cm 93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
初出場 | 2006年10月14日 |
年俸 | 6,800万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2009年 |
この表について
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岩田 稔(いわた みのる、1983年10月31日 - )は、阪神タイガースに所属する大阪府守口市出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
大阪府守口市出身。守口市立庭窪中学校から、大阪桐蔭高時代は2年秋からエースとなり秋季大阪府大会で準優勝して近畿大会でも8強入りしたが、同年の冬に風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症。3年時にもエースナンバーを背負っていたが、腰の故障により夏の大阪府大会での登板機会はなかった。高校の同期には中村剛也、1年後輩には後にプロでもチームメイトとなる西岡剛がいた。高校卒業後の進路は社会人野球のチームに決まりかけていたが病気が分かってから取り消されたため[1]、推薦で関西大学に進学。
大学進学後も故障に悩まされたため、関西学生野球リーグ戦の通算成績は6勝10敗にとどまった。しかし、最速151km/hの速球や縦に落ちるカーブを軸に、カット・ファスト・ボールやチェンジアップなどの多彩な変化球を投じるスタイルを大学の先輩・山口高志(当時の阪神タイガーススカウト)が評価。2005年の大学・社会人ドラフトで、希望枠によって阪神への入団に至った。背番号は21。入団会見では、大学・阪神の先輩投手であった村山実を目標に挙げるとともに、「(背番号が村山の11より10多い21であることから)『10倍頑張れ』ということだと思います」と語った。
プロ入り後
入団当初は「今中二世」と呼ばれていたが故障が多く、2006年と2007年と1軍登板したが、あと一歩で勝利を逃した。2007年6月21日、中学校の同級生の女性と結婚したことを発表。同年11月に第一子が誕生した。
2008年は春季キャンプ・オープン戦の好調が認められ、3月29日に開幕2戦目の対横浜ベイスターズ戦で先発投手に抜擢されプロ初勝利、4月26日には初完投勝利を挙げた。年間通して先発ローテーションを守り10勝を挙げ、下柳剛に次ぐチーム2位の投球回数でセ・リーグ8位の防御率3.28。被本塁打は規定投球回に達した投手の中でリーグ最少の5本に抑えた。一方で左打者に対する被打率は3割を超え、リーグ最多タイの11死球、同4位の50四球、同5位で規定投球回に達した投手中リーグ最多の7暴投と、課題だった制球力がまだ不安定なことも露呈した。オフには秋季キャンプからフォームを意識している杉内俊哉に志願して合同自主トレをした。
2009年は第2回WBC日本代表に選出され中継ぎとして2試合に登板し、日本代表の大会2連覇に貢献した。しかし、大会後に左肩を痛めていたことが発覚し、帰国後の検査で「左肩肩峰下滑液胞炎」と診断された[2][3]。6月10日の対埼玉西武ライオンズ戦で1軍復帰登板をするも打線の援護に恵まれずなかなか勝てなかったが、5度目の先発となった7月29日の対横浜戦で初完封勝利となるシーズン初勝利を挙げ、第二子の長女が誕生した9月9日の対中日ドラゴンズ戦でも完封勝利を挙げた。シーズン成績は7勝5敗、前年より少ない投球回数で前年を上回る奪三振数に、規定投球回未満ながら防御率2.68を記録した。
2010年は開幕前の3月に左ひじを故障して手術を受け、1軍公式戦の登板はなかった。10月5日より宮崎で開幕したフェニックス・リーグ最終戦となる対読売ジャイアンツ戦で復帰後初の実戦登板をした[4]。オフの12月30日には第三子の二女が誕生した[5]。
2011年は大きな怪我なく、開幕1軍を迎えた。開幕3戦目である4月14日の対広島東洋カープ戦で2009年10月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦以来、552日ぶりの1軍先発復帰登板を果たした。初回に本塁打を浴びるなど7回3失点で敗戦投手になるが[6]、5月5日の対巨人戦で2009年10月4日の対中日戦以来578日ぶりに7回1失点で勝利投手となり、ヒーローインタビューで涙ながら答えた[7]。このシーズンは1年通して先発ローテーションの一角として活躍するも、好投しても打線の援護に恵まれず、チームトップの防御率2.29、WHIPは1点台を切る0.98を記録しながらも9勝13敗と負け越した。
2012年、引き続き先発ローテーションの一角を占めるも、中盤以降に打ち込まれるなど不調で、チームの低迷も相まって勝ち星が伸びず、8勝14敗でブライアン・バリントン(広島)と並ぶ最多敗戦投手となり、防御率も前年と比べて1点以上悪化した。
2013年、開幕から先発ローテーションに入ったが、立ち上がりの制球難などで4月に3連敗。5月には4日に1勝を挙げたものの、続く11日の登板では4イニング持たずに交代させられるほどの絶不調で二軍へ降格した。夏場に1軍に復帰したものの、先発で不安定な投球が続いたことから、中継ぎでの再生を模索。それでも結果を残せなかったため、シーズン終盤には再び2軍での調整を余儀なくされ、わずか2勝でシーズンを終えた。オフにはプロ入り後初の海外自主トレーニングを敢行した[8]。
2014年は開幕ローテ入りは逃したが、シーズン初登板となった4月20日の対ヤクルト戦で1勝目を挙げると、4月26日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で、2年半振りの完投および自身2度目の無四球勝利を記録。7月は4勝、防御率1.25と好成績を収め自身初の月間MVPを受賞した[9]。この年は最後までローテを守りきり、防御率はリーグ二位となる2.54を記録した。巨人とのクライマックスシリーズでは第2戦に先発。相手先発の澤村拓一とはシーズンでも投げ合い、勝利投手になっている。今シリーズでも1死満塁から併殺打に打ち取り、ピンチを脱するなど好投を見せる。5点リードの7回に自身がシーズンで苦手とした井端弘和から2ラン本塁打を打たれ、3点差に詰め寄られるが後続を抑え、7回2失点で勝利投手となり、CS突破に貢献した[10]。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第4戦に先発し、7回2失点と好投したが勝敗は付かなかった。チームはこの試合で敗れ、翌日第5戦でも敗れ日本一を逃した。オフの10月24日に、怪我を理由に辞退した岸孝之の代わりに日米野球2014の日本代表に選出された[11][12]。
2015年には、開幕から一軍の先発ローテーションに定着。レギュラーシーズンでは、8勝10敗と負け越したものの、防御率3.22を記録した。先発で登板した5月5日の対中日戦(甲子園)では、6回裏2死満塁で迎えた打席で山井大介から走者一掃の三塁打を放った末に、勝利投手になった[13]。チームのシーズン2位で迎えた巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージでは、第3戦に救援で登板したが失点。チームもこの試合でステージ敗退が決まった。なお、7月16日には第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された[14]が、11月開催の本戦には出場していない。
人物
1型糖尿病のため1日4回のインスリン注射は欠かせない[15]が、アマチュア時代に糖尿病を発症しつつもプロで活躍したビル・ガリクソンや、8歳で1型糖尿病を発症しながらエアロビックの世界チャンピオンになった大村詠一に勇気づけられたことから「自分が頑張ることで、同じように糖尿病と戦っている人たちを勇気づけていきたい」と話している。2013年には、糖尿病患者に対する慈善活動が評価されたことによって、阪神球団から若林忠志賞を授与されている[16]。
- 一軍に定着した2012年からは、自身が登板した一軍の公式戦で1勝するたびに、10万円を糖尿病研究のために寄付[17]。シーズンを終えるたびに、1シーズン分の総額に相当する寄付金を、NPO法人の日本IDDMネットワークへ贈呈している。また、糖尿病を患う少年たちを激励する目的で、彼らを阪神甲子園球場での野球観戦と交流会に招待している[18]。
- 2016年の公式戦開幕日(3月25日)には、自身初の著書『やらな、しゃーない! 1型糖尿病と不屈の左腕』をKADOKAWAから発売した。1型糖尿病を発症してからの半生を綴った自叙伝で、印税を全額日本IDDMネットワークへ寄付する予定。岩田によれば、祈祷師を自称する男性が1型糖尿病の男児に対する殺人の疑いで逮捕された栃木県内の事件(2015年)に関する報道へ接したことをきっかけに、1型糖尿病の認知活動の一環として執筆に至ったという[19]。
阪神へ入団してからは、こどもの日に登板した一軍公式戦で、2015年までに3連勝を記録している[13]。
遠藤章造(ココリコ)とは、顔が似ていることから、公私にわたって交流。2008年に『BRAVO!』(読売テレビ)で共演したことを機に、同番組のMCだった遠藤から「弟」と呼ばれている。この縁で、岩田が先発した2014年5月25日の対ロッテ戦(甲子園)では、遠藤が始球式を務めた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | 阪神 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 16 | 3.0 | 2 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | 3 | 9.00 | 2.00 |
2007 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 62 | 13.1 | 15 | 0 | 8 | 0 | 2 | 6 | 2 | 0 | 9 | 8 | 5.40 | 1.73 | |
2008 | 27 | 27 | 2 | 0 | 1 | 10 | 10 | 0 | 0 | .500 | 678 | 159.1 | 168 | 5 | 50 | 3 | 11 | 101 | 7 | 0 | 64 | 58 | 3.28 | 1.37 | |
2009 | 16 | 16 | 4 | 2 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | .583 | 455 | 110.2 | 99 | 3 | 27 | 1 | 8 | 103 | 4 | 0 | 40 | 33 | 2.68 | 1.14 | |
2011 | 25 | 25 | 2 | 2 | 0 | 9 | 13 | 0 | 0 | .409 | 673 | 169.0 | 121 | 7 | 45 | 5 | 8 | 133 | 6 | 0 | 47 | 43 | 2.29 | 0.98 | |
2012 | 25 | 25 | 0 | 0 | 0 | 8 | 14 | 0 | 0 | .364 | 648 | 153.1 | 157 | 10 | 41 | 3 | 2 | 107 | 6 | 0 | 73 | 60 | 3.52 | 1.29 | |
2013 | 9 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 189 | 43.2 | 43 | 3 | 16 | 0 | 1 | 25 | 1 | 0 | 26 | 24 | 4.95 | 1.69 | |
2014 | 22 | 22 | 1 | 0 | 1 | 9 | 8 | 0 | 0 | .529 | 601 | 148.2 | 123 | 13 | 43 | 1 | 2 | 116 | 6 | 0 | 50 | 42 | 2.54 | 1.12 | |
2015 | 27 | 27 | 2 | 1 | 0 | 8 | 10 | 0 | 0 | .444 | 722 | 170.1 | 168 | 13 | 49 | 1 | 5 | 119 | 8 | 0 | 66 | 61 | 3.22 | 1.27 | |
通算:9年 | 156 | 154 | 11 | 5 | 2 | 53 | 67 | 0 | 0 | .442 | 4044 | 971.1 | 896 | 55 | 283 | 14 | 39 | 711 | 42 | 0 | 379 | 332 | 3.08 | 1.21 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発:2006年10月14日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、3回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、3回裏に井生崇光から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2008年3月29日、対横浜ベイスターズ2回戦(京セラドーム大阪)、6回1失点
- 初完投勝利:2008年4月26日、対読売ジャイアンツ5回戦(阪神甲子園球場)、9回2失点
- 初完封勝利:2009年7月29日、対横浜ベイスターズ14回戦(阪神甲子園球場)
- 打撃記録
- 初安打:2007年7月29日、対横浜ベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に吉見祐治から中前安打
- 初打点:2009年8月12日、対中日ドラゴンズ16回戦(京セラドーム大阪)、4回裏に朝倉健太から右前適時打
背番号
- 21 (2006年 - )
- 19 (2009年WBC)
登場曲
代表歴
著書
- 『やらな、しゃーない! 1型糖尿病と不屈の左腕』(2016年3月25日初版発売、出版:KADOKAWA、ISBN 978-4041039854)
脚注
- ^ 知ってほしい I型糖尿病患者の声 - 大阪日日新聞(2006年3月30日)
- ^ 岩田 左肩痛発覚…早くて5月復帰 - ウェイバックマシン(2009年3月30日アーカイブ分) - デイリースポーツ(2009年3月28日)
- ^ 阪神・岩田「前半戦絶望」も…WBCで左肩違和感 - スポーツニッポン(2009年3月28日)
- ^ “阪神・岩田、術後初実戦で145キロ!復活へ手応え”. スポーツニッポン. (2010年10月27日) 2012年8月31日閲覧。
- ^ “岩田、第3子となる次女が誕生!母子ともに健康”. スポーツニッポン. (2011年1月1日) 2013年4月6日閲覧。
- ^ 552日ぶり登板も…岩田、復活白星はお預け - スポーツニッポン(2011年4月15日)
- ^ 岩田 涙の今季初勝利!「上を向いてやろうとここまで来た」 - スポーツニッポン(2011年5月5日)
- ^ 岩田 932日ぶり完投勝利 ダメならローテ落ちもあった - スポーツニッポン(2014年4月27日)
- ^ 阪神 岩田 9年目の初受賞に喜び「縁がないものと思っていた」 - スポーツニッポン(2014年8月8日)
- ^ 阪神 CS初突破へ連勝 主将・鳥谷2打点!岩田7回2失点 SANSPO.COM
- ^ 侍ジャパントップチーム、出場選手変更のお知らせ 侍ジャパン公式サイト (2014年10月24日) 2015年3月26日閲覧
- ^ 西武・岸、けがで日米野球の出場辞退 代わって阪神・岩田が出場 - サンケイスポーツ(2014年10月24日)
- ^ a b 阪神岩田投打に大奮闘「こどもの日」は3連勝 - 日刊スポーツ(2015年5月5日) 2016年3月24日閲覧
- ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
- ^ 岩田稔投手インタビュー(PDF) [リンク切れ] - 関西大学学生センター冊子
- ^ 阪神タイガース公式サイト> 社会貢献活動 > 若林忠志賞
- ^ 阪神タイガース 岩田稔投手が1型糖尿病研究基金へ - 日本IDDMネットワーク
- ^ 阪神タイガースの岩田稔投手と患者との交流会を開催し感謝状を贈呈しました。 日本IDDMネットワーク
- ^ 阪神岩田自叙伝「1型糖尿病の認知活動につながる」 - 日刊スポーツ(2016年3月24日) 同日閲覧
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 岩田稔 - NPB.jp 日本野球機構
- 岩田 稔オフィシャルホームページ