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京成上野駅

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京成上野駅*
正面口(2010年7月17日)
けいせいうえの
Keisei-Ueno
(2.1km) 日暮里 KS02►
所在地 東京都台東区上野公園1−60
北緯35度42分40.4秒 東経139度46分24.8秒 / 北緯35.711222度 東経139.773556度 / 35.711222; 139.773556座標: 北緯35度42分40.4秒 東経139度46分24.8秒 / 北緯35.711222度 東経139.773556度 / 35.711222; 139.773556
駅番号 KS01
所属事業者 京成電鉄
所属路線 本線
キロ程 0.0 km(当駅起点)
駅構造 地下駅
ホーム 2面4線
乗降人員
-統計年度-
43,241人/日
-2011年-
開業年月日 1933年昭和8年)12月10日
乗換 東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)上野駅
備考 * 1953年に上野公園駅から改称。
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改札口(2010年5月29日)
3・4番ホーム(2010年7月17日)

京成上野駅(けいせいうえのえき)は、東京都台東区上野公園にある、京成電鉄本線駅番号KS01

京成本線の起点、京成電鉄の東京側のターミナル駅の一つとなっている。駅名標は「京成上野」と表示されているが、旅客向け案内では「京成」を省略して上野とすることが多い。

駅構造

島式ホーム2面4線を有する地下駅上野公園の真下に立地する。

1970年代前半に駅改修工事を施工した時点では成田空港アクセス列車の「スカイライナー」を10両編成で運行することが計画されていたことから、ホーム有効長は10両編成分である。また、駅改修工事に際してエスカレーターが設置されたほか、後年にはエレベーターも設置されている。

コンコース上の発車標は他の駅と同じLED式(それ以前は幕式)を使用していたが、成田空港線(成田スカイアクセス)開業を迎えた2010年からはLCD式が使用されている。

地上への出入口は、上野公園への入口に近い正面口と、池之端口(2か所)、ヨドバシカメラ マルチメディア上野店に直結・併設しているアメ横口の計4か所が存在している。なお、他に京成上野駐車場経由で地上にアクセス可能な出入口がいくつか存在する。過去には朝日生命ビル前に広小路口や上野公園内の駅直上に公園口が設置されていたが、広小路口は上野中央通り地下通路の建設に支障が出るため閉鎖・解体され、公園口は利用者が極端に少ないことや警備上の問題で非常用出入口に変更された。

東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の上野駅とは開業時から改札外地下通路により連絡しており、乗り換えが可能である。しかし、JRへは正面口出口(地上出入口)を出るよう案内サインによって表示されているが、両駅間を連絡する地下通路があることは京成・JR東日本の両社では案内していない。

さらに、2009年3月16日に供用開始した上野中央通り地下通路とも接続している。これにより、上野広小路駅上野御徒町駅など御徒町周辺の4駅へも地下で乗り換えることが可能になったが、4駅との連絡運輸は行っていない。

なお、正面口の右側の壁一面には、鯉のぼりと風車をモチーフにした陶板壁画「風月延年」(メキシコの著名な日系人壁画家、ルイス・ニシサワの作)が設置されている。1981年9月26日に駅構内で設置され始め、後年現在地へ移設されている。

自動改札機は1976年に設置された。1990年代に更新・増設された時は、中央の有人通路がAE100形の先頭車をモチーフにした「スカイライナー」専用改札口とされた。その後、幅広型の自動改札機を2台設置している。

開業時の駅本屋(現在のアメ横口に該当)は旧京成電鉄本社ビル[1](京成聚楽ビル、別名「軍艦ビル」。久野節設計)だった。戦前の古絵葉書には「京成聚楽」とともに「食堂・デパート」の看板がある。戦後は京成電鉄本社として機能した後、1969年から1977年まで「上野京成ホテル」として使われ、末期には飲食店が入居していたが、老朽化に伴い2006年に解体、跡地にはヨドバシカメラの自社ビルが建設された。上野中央通り地下通路が完成してからは、地下でヨドバシカメラと接続している。なお、上野中央通り地下通路の建設前までアメ横口に通ずる地下通路(ヨドバシカメラへの通路にあたる)にはかつて「京成上野ステーションギャラリー」が存在し、通路の壁を利用して写真や絵画などの展示スペースを貸し出していた。

のりば

1 - 4 成田スカイアクセス線 スカイライナー ファイル:TRON 9-9145.gif成田空港方面
一般電車 青砥高砂北総線ファイル:TRON 9-9145.gif成田空港方面(夕方17時以降)
京成本線 「シティライナー」
「イブニングライナー」
青砥・船橋成田ファイル:TRON 9-9145.gif成田空港方面
一般電車 青砥・高砂・船橋・成田・ファイル:TRON 9-9145.gif成田空港・千葉方面
  • ラッシュ時は列車種別による発車番線の振り分けは特にないが、日中時間帯は、1番線は特急、2番線は「スカイライナー」、3番線は「シティライナー」と普通、4番線は普通が発着する。
  • 「スカイライナー」「シティライナー」「イブニングライナー」到着時には、乗車に関する注意事項や車内清掃などの案内放送が流れる。
  • 当駅 - 日暮里駅間の乗車に関して「スカイライナー」「シティライナー」「イブニングライナー」の利用はできない。

駅構内施設

売店以外は改札外に設置されている。

その他、みずほ銀行ATMの前に雑誌・新聞の手売り売店、さらにコンコースの中央に販売催事場が置かれることが多い。

利用状況

2011年度の一日平均乗降人員は43,241人で[2]、京成線内69駅中第9位であった。近年の一日平均乗車人員推移は下表の通り。

年度 京成電鉄 出典
1990年 34,244 [3]
1991年 33,571 [4]
1992年 33,011 [5]
1993年 32,167 [6]
1994年 31,619 [7]
1995年 31,511 [8]
1996年 30,742 [9]
1997年 29,197 [10]
1998年 28,123 [11]
1999年 27,571 [12]
2000年 26,992 [13]
2001年 26,797 [14]
2002年 26,619 [15]
2003年 25,956 [16]
2004年 25,696 [17]
2005年 25,786 [18]
2006年 26,033 [19]
2007年 25,825 [20]
2008年 25,400 [21]

駅周辺

上野公園界隈航空写真

北東にはJR東日本、東には東京メトロの上野駅があり、駅前から南東方はいわゆる「上野の街」が広がる。当駅は上野公園と繁華街の間にある。

バス路線

正面口付近に「京成上野駅」「上野公園山下」の2つの停留所が立地する。このほか上野駅・御徒町周辺にバス停が散在する。詳細は上野駅#バス路線を参照。

歴史

  • 1933年昭和8年)12月10日 - 「上野公園駅」として開業。開業時は2面4線、有効長4両編成分。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1953年(昭和28年)5月1日 - 「京成上野駅」に改称。
  • 1967年(昭和42年) - 6両編成運転開始に伴い1番線を閉鎖してホームを延長し、2面3線となる。
  • 1972年(昭和47年)10月25日 - 「スカイライナー」運行開始に伴う大規模改良工事を開始。開業時の形態に縮小。6両編成の列車は日暮里駅で折り返し。
  • 1973年(昭和48年)
    • 6月16日 - 大規模改良工事の進捗に伴い、半年間営業休止(その間は全列車日暮里駅で折り返し)。
    • 12月16日 - 完成したホームのうち1面2線を使用して営業再開。
  • 1976年(昭和51年) - 京成で2番目の自動改札機を設置。また他駅発行の乗車券は磁気券でなかったため、入場専用自動改札機として供用されていた。
    • 7月 - 1面2線のホームを増設して大規模改良工事が完成、現在の形態となる。

上野公園地下線建設時の条件として、「公園の樹木、特にの根を損傷してはならない。寛永寺などの建造物に影響を及ぼしてはならない」などの厳しい条件を付けられた。後年行われた大規模改良工事の時も公園の環境保全には特に注意が払われていた。

太平洋戦争末期に陸運統制令による強制収用で当駅 - 日暮里駅間の営業を休止し、下り線を三線軌条化した上で地下線内に国鉄車両を搬入して指令設備などが置かれたが、実際にはあまり使用されなかったようである。[22]また、上野駅構内を軍需工場に転用するための検討が行われ、機材の配置図面作成や条件交渉が行われているうちに終戦を迎えたという。営業再開時点では下り線の軌道復元および車両撤去が遅れており、上り線を使用しての単線運転としたという。なお、文献によっては、省電の避難場所や学童疎開列車の発着場所として使われたなどといった記述[23]もあるが、真偽ははっきりとわかっていない。

隣の駅

京成電鉄
本線
快速特急・アクセス特急・特急・通勤特急・快速・普通
京成上野駅(KS01) - 日暮里駅(KS02)
  • なお、当駅 - 日暮里間にはかつて博物館動物園駅寛永寺坂駅が存在していたが、先に後者が1947年(昭和22年)8月21日に廃止され、後に前者も1997年平成9年)4月1日に営業休止、2004年(平成16年)4月1日に廃止された。
  • 当駅(京成上野駅)から隣の日暮里駅までの停車間距離最高速度(種別毎に定められた駅同士の間の最高速度)は全列車共通で50km/hだが、地下区間を含めて急カーブが連続して続き40km/hの速度制限があるため、2.1kmを4分近くかけて走っている。

脚注

参考文献

  • 石本祐吉「京成電鉄“不思議発見”」『鉄道ピクトリアル』632号、電気車研究会、1997年1月

関連項目

外部リンク