中邑真輔
中邑 真輔 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 中邑 真輔 |
本名 | 中邑 真輔 |
ニックネーム |
ストロングスタイル継承者 狂気のインテリジェンス 反逆のボマイェ 解放たれた求道者 選ばれし救世主 選ばれし神の子 |
身長 | 188cm |
体重 | 104kg |
誕生日 | 1980年2月24日(44歳) |
出身地 | 京都府中郡峰山町 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | レスリング |
トレーナー | 木戸修 |
デビュー | 2002年8月29日 |
中邑 真輔(なかむら しんすけ、男性、1980年(昭和55年)2月24日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。画家。京都府峰山町(現・京丹後市)出身。新日本プロレス(以下新日本)所属。京都府立峰山高等学校、青山学院大学卒業。
来歴
青山学院大学ではレスリング部と美術部に同時に在籍し、レスリング部で主将を務めた。並行して和術慧舟會RJWでも1期生として練習を行っていた[1][2]。画家としても展覧会に出展している。
2002年(平成14年)、新日本プロレスに入団(同期は山本尚史、田口隆祐、後藤洋央紀、長尾浩志)。同年8月29日、日本武道館における安田忠夫戦でデビュー、セコンドには当時引退をして中邑を指導していた木戸修が付いた。レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技のトレーニングを行っていたことから、当時の新日本の格闘技路線の申し子として期待を受け、デビュー戦後はシリーズには帯同せずLA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねるという新人としては異例の待遇を受けた。
大晦日、INOKI BOM-BA-YE 2002におけるダニエル・グレイシー戦で総合格闘技初参戦。
2003年 - 2005年
2003年(平成15年)5月、新日本「アルティメット・クラッシュ」大会でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキアと対戦し勝利(総合格闘技戦初勝利)。
8月、デビュー1年にも満たないキャリアでG1 CLIMAXへ初出場。
12月9日、大阪府立体育会館大会で天山広吉を破り、初挑戦にしてIWGPヘビー級王座を獲得。デビューから史上最速、最年少での王座獲得であった。
大晦日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でアレクセイ・イグナショフと対戦するが、イグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの平直行が即座にTKOを宣告し敗北。中邑側は抗議を行い、審議の結果無効試合となった。
2004年(平成16年)1月4日、高山を破ってNWFヘビー級王座を奪取(その後封印)。しかし、前年大晦日の試合で負った負傷(眼底と鼻骨骨折)の治療に専念するためIWGPベルトも返上、欠場に入る。
5月、K-1 ROMANEXでイグナショフと再戦しギロチンチョークで勝利。
この頃から同じく次期エース候補である棚橋弘至、柴田勝頼と共に「新闘魂三銃士」と称されたが、翌年1月31日付で柴田が新日本と契約更新せず退団し、団体の新三銃士構想は立ち消えとなる。
11月、大阪ドーム大会で突然のカード変更により、中西学と組んで藤田和之、ケンドー・カシン組と対戦したがピンフォール負け。試合後にカード変更を打診したアントニオ猪木から鉄拳制裁を受けた。
12月、棚橋と組み、IWGPタッグ王者決定戦にて佐々木健介、鈴木みのる組と対戦。棚橋が鈴木からドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール勝ちを収め、第47代IWGPタッグ王座に就き、翌年10月に陥落するまでに4度の防衛を果たした。
2005年(平成17年)1月4日、棚橋を破ってIWGP U-30無差別級王座を奪取。
3月26日全日本プロレスに流出したIWGPヘビー級王座を奪還するため、全日本のリングに単身乗り込み小島聡に挑戦したが、60分時間切れドローで王座奪還できず。
2006年 - 2008年
2006年(平成18年)1月4日、IWGPヘビー級王者ブロック・レスナーに挑戦したが敗戦。
3月、会社は無期限の海外遠征に出すことを決意。この遠征は元IWGP王者の肩書が団体・対戦相手を制限するため、覆面レスラーとして行うと発表された。かつては海外遠征からの帰国後、王者となるのが日本プロレス界におけるレスラーの格上げの常套手段であったが、中邑の場合はこの手順を逆転させた稀な例である。遠征先では試合を一切行なわずに新日本ロス道場で汗を流し、9月24日に帰国した。
10月、蝶野正洋とタッグを組み、ベビーフェイスからヒールへの路線変更を図った。また、半年間の海外修行でビルドアップされた肉体に合わせ、コスチュームもロングタイツからショートタイツに変更。長州力、中西学組相手に凱旋試合を行い、新技ランドスライドで長州から3カウントを奪った。
同月に行われたG1 TAG LEAGUEでは蝶野とタッグを組んでエントリー。決勝トーナメントにてジャイアント・バーナード、トラヴィス・トムコ組を撃破し決勝戦で棚橋、金本浩二組の王者タッグを破り優勝。試合後に蝶野、バーナード、トムコと共に蝶野政権を築くと宣言。
8月12日、G1 CLIMAXの両国国技館において、決勝トーナメントまでコマを進めるも準決勝で永田裕志に敗れる。この試合中に雪崩式エクスプロイダーを受けた際、左肩側から不自然な形でマット上に落下。後日、肩鎖関節靭帯断裂および脱臼で3か月間の絶対安静と診断された。
26日に行われたLAST OF C.T.U興行の全試合終了後に稔、ミラノコレクションA.T.、後藤洋央紀、プリンス・デヴィットと共闘することを選択。
9月1日に結婚披露宴を行なった[3]。
11月に復帰戦を行い、メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合終了後「次はこの俺と闘え」とマイクアピール。12月、真壁刀義との挑戦者決定戦に勝利した。
2008年(平成20年)1月4日、棚橋を破り、第48代IWGPヘビー級王者となった。2月17日には3代目IWGPヘビー級王座を所持するカート・アングルとベルト統一戦を行い腕ひしぎ逆十字固めで勝利。3代目ベルトを奪還したが、同ベルトに対する世間のイメージが悪くなってしまった為、4代目のIWGPベルトの制作される事に[4]。それにともない「借りていた」かたちになっていた2代目IWGPベルトを、3月2日、ZERO-ONE 後楽園大会に参戦時、当時プロレスデビュー前の橋本大地に手渡し橋本家へ返却[5]。4月27日、4代目ベルトを掲げた初の防衛戦は、武藤敬司に敗れ、IWGPヘビー級王座から陥落した。
2009年 - 現在
2009年(平成21年)1月4日、後藤洋央紀と組みプロレスリング・ノアの三沢光晴、杉浦貴組と対戦し、杉浦から腕ひしぎ十字固めで勝利。以降、新日本とNOAHの対抗戦が継続されていった。
3月にNOAHの日本武道館大会にミラノコレクションA.T.と共に参戦。杉浦貴、潮崎豪組と対戦。ミラノが潮崎にピンフォールを奪われ敗北。
4月、矢野通らと共にCHAOSを結成。コスチュームも黒のロングタイツに変更。CHAOSの他のメンバーのようなあからさまな反則やヒール行為などは行っていないが、ファイトスタイルが今まで以上に殺伐としたものになった。
8月に行われたG1 CLIMAXでは決勝で真壁に敗れ準優勝に終わる。
G1終了後に、棚橋が怪我によりIWGP王座を返上。それにより同年9月27日、真壁とのIWGPヘビー級王者決定戦が急遽決定する。この試合に勝利し、第53代IWGPヘビー級王者に載冠。同試合では最年少で同王座を獲得したときのテーマ曲Moving Cityで入場した。その後、大谷晋二郎、棚橋弘至、永田裕志を相手に防衛に成功する。
2010年(平成22年)1月4日、高山善廣と6年振りに対戦し勝利。
その後も中西学、後藤洋央紀からもベルトを防衛するも、5月3日に真壁刀義との防衛戦に敗戦。試合中、真壁の雪崩式パワー・スラムを受けた際に、古傷である左肩を負傷、その後2大会はケガをおして出場するが、ドクターストップがかかり、治療に専念するため、欠場に入る。
6月19日、ダニエル・ピューダー戦で復帰、これに勝利し7月IWGP王者真壁に再戦するも敗北。
G1 CLIMAX後の8月22日、プロレスリング・ノアのリングで潮崎豪と対戦(この直前G1公式戦で対戦も時間切れ引き分けで決着がついておらず)、潮崎の秘密兵器、変形ゴーフラッシャーの前に敗北。
10月、小島聡が真壁からIWGPベルトを奪取した際小島から次期挑戦者に中邑と逆指名されるも、のらりくらりと指名を拒み続けたが、結局会社の同意のもとでそれを承諾。12月11日、IWGP戦で小島と対戦。小島のラリアットに撃沈。
2011年(平成23年)1月4日のレッスルキングダムにて、昨年8月の屈辱を晴らすために潮崎と対戦し、勝利。
3月のNJCに出場し、永田裕志に敗れるも準優勝。
4月、永田との防衛戦を終えた直後の棚橋のマイクに対して「うっとうしくねえだろ」[6]と突っかかる形で返答し、IWGP王者挑戦をアピール。それが認められ5月の福岡大会で挑戦するも敗北。
6月に海外武者修行に単身メキシコに行き、7月3日に凱旋。CHAOS結成以来初めてコスチュームの黒タイツを赤いラインのある物に変えた。
8月のG1クライマックスは、自身の出場ブロック(Bブロック)で、最終戦(最終日)までに勝ち点が5人も並ぶという混戦状態となるも、最終戦の対戦相手であり同点で並んでいた鈴木みのるとの事実上の決勝進出決定戦に勝利。決勝戦では内藤哲也を破り悲願のG1初優勝。
9月19日、神戸ワールド記念ホールで行われた「星野勘太郎追悼大会」で、IWGPヘビー級王者棚橋に挑むも敗れる。
11月12日、大阪大会で、高橋裕二郎とタッグを組み、内藤哲也、MVP組と対戦。試合後、勝利した内藤を襲撃すると内藤も退場中に襲撃を仕掛け、バックステージで激しい番外戦が行われた。これにより中邑と内藤のシングルマッチ対決が決定し、12月の愛知大会では内藤の負傷箇所の左肘を徹底的に攻め、ボマイェで勝利を収める。
2012年2月12日、大阪大会でリベンジを申し込んだ内藤と再びシングルマッチが組まれるも、スターダストプレスで敗れる。
芸術家として
中邑はペインティングを得意としている。学生時代からレスリング部と美術部を掛け持ち、双方で活躍してきた。岡本太郎にインスパイアされWEB上で彼の描く「プロレスラー」という作品が公開されている。そして自ら描いた100点を越える絵画をもって、以下の絵画展を主催した。
- 『TOKYO WRESTLING ARTS』中邑真輔 vs ロジャー・ミカサ 現代美術展
- 2008年(平成20年)12月12日 - 18日
- 東京・青山SPACE INTART GALLERY
その他
今でこそ総合格闘技色の強いスタイルであるが、学生時代はインディーから女子プロレスまで追いかける生粋のプロレスマニアであった。LLPWの旗揚げ当時のメンバーを暗唱できるなど、知識も豊富である。2008年2月に放送されたFIGHTING TV サムライの『P-1選手権 第1回プロレスクイズ王決定戦』では新日本チームの一員として出場し(メンバーは他に海野宏之+週刊プロレス記者1名)、その豊富な知識量の一端を披露してチームの優勝に貢献した。
高校の先輩に野村克也がいる。
なおインタビューにおいて、ファン時代にスコーピオのファンサービスに感銘を受け、プロになった現在、彼のファンサービスの良さを目標にしていると語っている。
他にも、テレビにも度々出演しており、『恋するハニカミ!』(相手は「当時は年下」の夏川純)や『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』などのバラエティ番組、マクドナルドや資生堂unoのCMに出演した。
得意技
元々は、関節技を主体とした総合格闘技色の強いスタイルだったが、その後、何度も試行錯誤を繰り返し、現在はキックや膝蹴りなどの打撃技を主体とした独自のスタイルを確立している。
フィニッシュ・ホールド
- ボマイェ(スワヒリ語: Boma Ye)
- 現在のフィニッシュ・ホールド。全身をエビ反らせるような独特のフォームで放つ顔面や後頭部への膝蹴り。CHAOS結成後のG1クライマックス公式戦から使い始めた。名称はスワヒリ語で「kill you」の意でアントニオ猪木の入場テーマ曲中の台詞「ボンバイエ」と同義。下記にあるように殴った後に顔面に膝蹴りをしたり、後頭部へ膝蹴りをすることもある。また、ガードされることもあるが、場合によっては右足で仕掛けると見せかけて一旦動きを止めてから、左足で膝蹴りをする。(ボマイェ返し返し) 本人曰く、この技は、高山善廣の必殺技であるニー・リフトを意識して使い始めたという。トップロープもしくはコーナーからの「ダイビング式」も存在。
打撃技
- ナックルパート
- 主に打撃合戦中の際、不意に相手の喉元へ食い込ませる。この技から、上記のボマイェに移行することもある。トップロープ等から飛んで来た相手を迎撃する際に使用することもある。(ルール上は反則)
- ゼロ戦キック
- 助走をつけてジャンプし、脛の外側の部分で相手の顔面を蹴る技。レッグラリアットともいえる。主にカウンターで使用する。
- キック
- ローキック、ミドルキック、ハイキックそれぞれを使う。CHAOS結成後は、主にこの技を使って試合を作る。
- ライダーキック
- 顔面への跳び蹴り。
- ヒールキック(スピンキック)
- ハイキックからのフェイントでよく使用する。望月成晃のイリュージョンと同型。
- 膝蹴り
- ダウンした相手に総合格闘技のように膝を連続で叩きこんだり、フロントネックロックの状態から相手の腹部目掛けて叩きこんだり、コーナーヘ張り付けた相手に助走をつけて見舞ったり(望月成晃の一角蹴りと同型)等、バリエーションも多い。
- バッククラッカー
- 背後から相手の顎を掴み、そこから自分の両膝を相手の背中にあてがうようにして飛び付きながら相手引き倒す変形のバックブリーカー。元WWEのカリートの得意技で、「膝を使った攻撃のバリエーション」の一部として使用している。
- コード・ブレイカー
- 自分の両膝を使ってのフェイスバスター。(上記のバッククラッカーを、相手の背中ではなく顔面に行う。)元WWEのクリス・ジェリコの得意技で、首を掴んでから仕掛けたり、相手に片足を掴まれたときにも使用する。
投げ技
- ランドスライド
- 肉体改造後のフィニッシュ・ホールド。ファイヤーマンズキャリーで相手をかつぎ、ファルコンアローのような形でシットダウンしながら前方へホイップし相手の後頭部から背中にかけてマットに叩き付ける。ハリケーン・ドライバーと同型の技。2008年1月4日の棚橋戦では、雪崩式でこの技を使った。ボマイェを取得してからは、ほとんど使用しておらず、2009年のG1決勝戦を最後に事実上封印技となっている。
- 変形ネックブリーカー (名称不明)
- 「ファイヤーマンズキャリー」で担ぎ上げる所までは上記のランドスライドと同じ。相手を前方へホイップする所からが相違点で、こちらの技の場合は、自分の片方の膝を立てその膝に相手の首を叩きつけるようにホイップする。最終的には後藤洋央紀の「牛殺し」と同型になる。2011年のG1決勝戦(対内藤哲也戦)で初披露。
- ダブルアーム式パイルドライバー
- ダブルアームで抱え上げ、そのまま自身が尻から着地し相手の頭をマットに落下させる危険技。2008年1月4日の棚橋戦で初公開。フィニッシュ・ホールドとして使うこともある。
- リバースパワースラム
- 中邑のオリジナル技。相手を背後から抱え上げ、パワースラム状に投げ落す技。綺麗に決まれば相手はパワースラムと表裏逆に落ちることとなり、顔面や胸部等をマットへ打ち付けるのだが、タイミングや角度によっては相手が頭部や肩から先に落ちている場合もあり危険な技とも言える。
- おからボム
- 相手の蹴り足を片腕で、キャッチして、もう片方の腕を、相手の股に潜り込ませそのまま抱え上げてライガーボムで、落とす。蹴りのディフェンス用に、効果を発揮する技。イグチボムと、ほぼ同形だが中邑真輔の得意技で、おからボムと呼ばれている。
- タイガー・スープレックス
- 新三銃士と呼ばれ始めた頃に対棚橋戦で、棚橋のドラゴン・スープレックスに対抗するように使用し始めた。基本的に大一番でしか使用しない。クラッチは三沢光晴式。
- ジャーマン・スープレックス
- デビュー当時から現在も使い続けている技。高山善廣や吉江豊などの巨漢レスラーも投げたことがある。
- 玄米ドライバー
- かつて総合格闘技戦向けに開発したと本人が述べていたが、現在まで未公開の「幻の技」。
関節技
- シャイニング・トライアングル
- 肉体改造前のフィニッシュ・ホールド。相手が片膝を立てて屈んでいる状態で、相手の片膝を踏み切って相手の上体に跳びつき素早く三角絞めを極める。現在はほとんど使用していない。
- 腕ひしぎ十字固め
- デビュー時から愛用している必殺技。特に相手のラリアット等を切り返しての跳びつき腕ひしぎ十字固めは非常に素早くフィニッシュとして絶大な効果を発揮している。
- スタンド式腕ひしぎ十字固め
- シャイニング・トライアングルを決め、そこから首に巻きつけた足を外して腕ひしぎ十字固めに移行する。この技で、天山広吉を破り、デビューから史上最速最年少でIWGPヘビー級王座を獲得した。
- スリーパーホールド
- スタンディング式のこの技から前述のリバースパワースラムへ移行するパターンが多い。スタンディング式からそのまま絞め続ける場合もある。
- フロントネックロック
- フロントチョークと同様の体勢から首を絞めるのではなく、相手の首を曲げることにより、頸椎へのダメージを狙う首関節技。2003年1月の、東京ドーム大会で、安田忠夫からギブアップを奪った技で、デビュー直後からシャイニング・トライアングルを編み出すまでの間は、腕ひしぎ逆十字固めと並ぶ必殺技であった。CHAOS結成頃から使用頻度が再び増え、この技でギブアップを奪うことは殆どないが、相手のスタミナを削ぐ技としても使われる。
飛び技
- ムーンサルトプレス
- 2008年のIWGP王座獲得以降、一時的に使用した技。基本的に2回連続に放っていた。また、実況がよくムーンサルトとエルニーニョを間違ってしまうことがあった。
- エルニーニョ
- 片足をセカンドロープに乗せた状態から膝を当てるムーンサルトプレス。技名の由来は2004年のG1 CLIMAXに向け、「エルニーニョ現象を起こす」とマスコミに向けて発したコメント。この技も今となっては見られなくなった。
- 羅骭下(らかんか)
- コーナーから放つ、相手の顔面に向けてのニー・ドロップ。2004年のG1 CLIMAXにおける永田戦で初公開。なお、技名は漢方薬の原料であるラカンカ(羅漢果)をもじったものとされる(「骭」は「脛(の骨)」の意)。相手の頭部をうつ伏せ状態でリングのエプロンに突き出るように置き、自らはエプロンから場外にダイブする形で決める「断崖式」も存在。
獲得タイトル
- 新日本プロレス
- 第34代、48代、53代IWGPヘビー級王座
- 23歳8ヶ月という若さで戴冠。最年少戴冠記録保持者で未だにこの記録は破られていない。
- 第2代IWGP U-30無差別級王座
- 第47代IWGPタッグ王座(パートナーは棚橋弘至)
- G1 CLIMAX 準優勝:1回(2009年) 優勝:1回(2011年)
- G1 TAG LEAGUE 優勝(2006年)
- パートナーは蝶野正洋。
- NWF
- NWFヘビー級王座(第21代)
- 戴冠後、封印。
入場テーマ曲
- Subconsciousess
- Moving City(旧テーマ)
総合格闘技
総合格闘技 戦績 | ||||||
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5 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
3 勝 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | アレクセイ・イグナショフ | 2R 1:51 ギロチンチョーク | K-1 ROMANEX | 2004年5月22日 |
- | アレクセイ・イグナショフ | 無効試合 | K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! | 2003年12月31日 |
○ | シェーン・アイトナー | 1R 4:29 V1アームロック | Jungle Fight 1 | 2003年9月13日 |
○ | ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ | 2R 3:12 ギロチンチョーク | 新日本プロレス『ULTIMATE CRUSH』 | 2003年5月2日 |
× | ダニエル・グレイシー | 2R 2:14 腕ひしぎ十字固め | INOKI BOM-BA-YE 2002 | 2002年12月31日 |
脚注
- ^ RJW WK NETWORK
- ^ 中邑真輔と岡見勇信の対談実現、岡見が新日本参戦の夢を語る!! kamipro.com 2009年11月16日
- ^ 祝!中邑真輔選手結婚! 新日本プロレス公式サイト 2007年9月1日
- ^ 3代目IWGPベルトは、ブロック・レスナーによって流出後、カート・アングルへの無断譲渡される等「負のイメージ」が強がったため
- ^ 3代目IWGPベルトが流出中、新日本プロレスは、2代目IWGPベルトを仮のベルトとして使用していた。2代目ベルトは、橋本真也が急逝した2005年に新日本から橋本家に寄贈された形になっていた
- ^ かつて中邑がIWGPヘビー級王座についた際、棚橋がしつこく挑戦をアピールした時に棚橋が「うっとうしいだろ」と、マイクアピールしたパターンを坂手に取る形になる
関連項目
外部リンク
- 新日本プロレス 公式プロフィール
- 中邑真輔 (@ShinsukeN) - X(旧Twitter)
- K-1 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- Wrestling Database 選手データ
- AK GLOBAL AGENT INC. website - マネジメント会社