下地駅
下地駅 | |
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駅舎(2011年3月) | |
しもじ Shimoji | |
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所在地 | 愛知県豊橋市横須賀町横須賀6 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 飯田線 |
キロ程 | 2.2 km(豊橋起点) |
電報略号 | モチ |
駅構造 | 地上駅(盛土上) |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
262人/日(降車客含まず) -1999年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)12月23日 |
備考 | 駅員無配置駅 |
下地駅(しもじえき)は、愛知県豊橋市横須賀町横須賀にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
概要
豊橋駅(愛知県豊橋市)と辰野駅(長野県)を結ぶ飯田線の中間駅(途中駅)の一つである。飯田線は歴史的経緯から豊橋駅と旧平井信号場(愛知県豊川市)までの区間を名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線と共有しているが、名鉄の列車はいずれも停車しない。また、飯田線の普通列車でもこの駅を通過する列車がある。
1925年(大正14年)に、私鉄である豊川鉄道の手によって開業した。1943年(昭和18年)の国有化を経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東海の運営に移って現在に至っている。
IC乗車券サービスの対応駅の一つであり、「TOICA」や相互利用が可能なその他ICカードの利用が可能である。
構造
下地駅は盛土(築堤)上に建設されている。
2面あるホームは片側にのみ線路が接する単式ホーム(片面ホーム)で、2つの単式ホームが背中合わせで配置されて島式ホームに類似する形状となっている[1][2]。変則的な形状であるのは、東海道本線上下線と飯田線下り線が使用する豊川橋梁(駅の南側)の架け替え・移設に伴ってホームも改修されたためである(元は幅の狭い島式ホームであった)[2]。ホーム番線は西側が1番線、東側が2番線であり、1番線を豊川方面行きの下り列車が、2番線を豊橋行きの上り列車が使用する。
2本のホームに挟まれた場所に駅舎が設置されている[2]。無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[3]。かつては有人駅であったが、1969年の業務委託化を経て、1985年から無人駅となっている。
歴史
下地駅を開設した豊川鉄道は、現在のJR飯田線南部にあたる豊橋・大海間を運営していた私鉄である。同鉄道線は1897年(明治30年)に豊橋から豊川まで開通するが、その際下地駅は開設されなかった。下地駅が新設されたのはそれから20年以上を経た1925年12月である。開設当初の名称は「下地停留場[4]」であった。
1943年8月、豊川鉄道線は買収・国有化され国有鉄道飯田線が成立する。これに伴って下地停留場は国有鉄道の「下地駅」となった。開業時から貨物営業を行っておらず、国有化後も貨物・荷物の取り扱いが開始されることのないまま、1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に継承された。
年表
- 1925年(大正14年)12月23日 - 豊川鉄道の下地停留場として開業。旅客営業のみを行う旅客駅であった[5]。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 国有化、国鉄飯田線の下地駅となる[5]。
- 1947年(昭和22年)10月21日 - 旅客の制限を撤廃[5]。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 業務委託駅となる[6]。
- 1974年(昭和49年)8月21日 - 現在の駅舎に改築[7]。下り線が移設され変則配置のホームとなる。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 業務委託終了、無人化[8]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東海が継承。
- 1991年(平成3年)3月16日 - ダイヤ改正。以降、停車列車は豊橋 - 豊川間の区間運転列車が中心に。
- 2010年(平成22年)3月13日 - TOICAの利用が可能となる。
利用状況
『愛知県統計年鑑』によれば、1950年度から1999年度までの1日平均の乗車人員は下の表の通りに推移している。
1950年度の乗車人員は1日平均305人で300人を超えていたが、1952年度以降は300人を割っていた。1962年度からは再び300人を超え、その後増加し続けて1970・71年度には1日平均718人を記録する。しかしこれを頂点に以降減少に転じ、1986年度には再び300人を割り込み1日平均231人となった。次年度から増加に転じて1990年度に300人を超えるがこれを最後に300人を超えることなく推移し、1999年度には1日平均262人となった。
1日平均の乗車人員の推移 | ||
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年度 | 乗車人員 | 出典(※) |
1950年度 | 305人 | 昭和27年度刊・327頁 |
1951年度 | 335人 | 28年度刊・311頁 |
1952年度 | 283人 | 29年度刊・330頁 |
1953年度 | 259人 | 30年度刊・306頁 |
1954年度 | 252人 | 31年度刊・304頁 |
1955年度 | 265人 | 32年度刊・320頁 |
1956年度 | 266人 | 33年度刊・336頁 |
1957年度 | 291人 | 34年度刊・380頁 |
1958年度 | 271人 | 35年度刊・293頁 |
1959年度 | 265人 | 36年度刊・261頁 |
1960年度 | 288人 | 37年度刊・325頁 |
1961年度 | 292人 | 38年度刊・297頁 |
1962年度 | 328人 | 39年度刊・299頁 |
1963年度 | 332人 | 40年度刊・263頁 |
1964年度 | 344人 | 41年度刊・239頁 |
1965年度 | 370人 | 42年度刊・263頁 |
1966年度 | 373人 | 43年度刊・193頁 |
1967年度 | 565人 | 44年度刊・197頁 |
1968年度 | 641人 | 45年度刊・205頁 |
1969年度 | 669人 | 46年度刊・229頁 |
1970年度 | 718人 | 47年度刊・237頁 |
1971年度 | 718人 | 48年度刊・217頁 |
1972年度 | 638人 | 49年度刊・215頁 |
1973年度 | 625人 | 50年度刊・221頁 |
1974年度 | 679人 | 51年度刊・225頁 |
1975年度 | 658人 | 52年度刊・217頁 |
1976年度 | 555人 | 53年度刊・231頁 |
1977年度 | 545人 | 54年度刊・233頁 |
1978年度 | 505人 | 55年度刊・221頁 |
1979年度 | 460人 | 56年度刊・227頁 |
1980年度 | 438人 | 57年度刊・239頁 |
1981年度 | 458人 | 58年度刊・223頁 |
1982年度 | 419人 | 59年度刊・223頁 |
1983年度 | 396人 | 60年度刊・241頁 |
1984年度 | 372人 | 61年度刊・235頁 |
1985年度 | 315人 | 62年度刊・223頁 |
1986年度 | 231人 | 63年度刊・223頁 |
1987年度 | 259人 | 平成元年度刊・225頁 |
1988年度 | 289人 | 2年度刊・223頁 |
1989年度 | 297人 | 3年度刊・225頁 |
1990年度 | 313人 | 4年度刊・229頁 |
1991年度 | 290人 | 5年度刊・221頁 |
1992年度 | 272人 | 6年度刊・221頁 |
1993年度 | 253人 | 7年度刊・239頁 |
1994年度 | 245人 | 8年度刊・241頁 |
1995年度 | 243人 | 9年度刊・243頁 |
1996年度 | 251人 | 10年度刊・241頁 |
1997年度 | 259人 | 11年度刊・241頁 |
1998年度 | 258人 | 12年度刊・239頁 |
1999年度 | 262人 | 13年度刊・240頁 |
※出典欄には数値掲載の同書刊行年とページ数を記載 |
停車列車
下地駅を挟む飯田線豊橋・豊川間では、日中普通列車は1時間あたり上下各3 - 4本設定されているが、下地駅と隣の船町駅に停車するのはそのうち上下各2本程度である。停車するのは豊橋・豊川間の区間運転列車が中心(例外もある)。快速列車(上りのみ設定)と特急「伊那路」は停車しない。
駅周辺
隣の駅
関連項目
脚注
参考文献
- 愛知県(編)『愛知県統計年鑑』 各年度版。
- 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 笠原香・塚本雅啓『タイムスリップ飯田線』大正出版、2007年。ISBN 978-4-8117-0657-3。
- 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 桜ヶ丘ミュージアム(編)『飯田線展』桜ヶ丘ミュージアム、2003年。
- 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。